捕らわれし者たち
〈アーリマン〉による、アルジオ=ディエーダ・セプトゥス支部の制圧は、速やかに執行された。
〈破邪の結界〉が破られ、混乱状態に陥った市部内の職員達には、急襲する〈アーリマン〉への対抗措置がとれなかったのだ。
黒ローブと覆面の〈アーリマン〉は、軍隊さながらの執行速度で、館内中に分散。行く先々で、出くわした職員を襲って拘束した。
職員は皆、曲がりなりにもアルジオ=ディエーダに属する魔導師達である。最初の衝撃を乗り越えた彼らは、即座に反撃を開始した。
館内で、支部職員二十一名と、一個小隊規模の〈アーリマン〉との攻防戦が繰り広げられた。
だが、職員らのほとんどが、実戦経験のない「戦いの素人」ばかりの支部側に対し、〈アーリマン〉の構成員は、戦う術を訓練された「戦士」であった。更に多勢に無勢という、覆しがたい状況の追い討ちも被り、健闘虚しく、支部側は敗北。職員らは拘束され、玄関ホールに引きずられていった。
玄関ホールの床には、いつの間にか大きな魔法陣が描かれていて、捕まった人々は、魔法陣の内側に集められた。
その魔法陣は〈魔力封印〉のものであり、一歩踏み入れた魔導師は、たちまち魔力を封じられてしまう。封じの効果は、魔法陣内にいる間発揮されるもので、陣から脱出できれば、魔力は元に戻る。一度に大勢の魔導師を無力に出来るので、個人個人に〈封じ〉の魔法を施すよりも効率はいいが、捕らえた者達が魔法陣から出て行かないように見張る必要があった。
その手間については、〈アーリマン〉に抜かりはなかった。魔法陣の周りを取り囲む見張りの〈アーリマン〉達は、全員が魔法とは無縁の普通の人間であり、魔法陣に触れようとも一切影響を受けない。そのため、魔法陣内でよからぬ動きを見せた魔導師には、すぐ側へ近づいて、手にした武器で制裁を与えることが出来るのだ。
魔法陣の中には、ヨナスの姿もあった。他の職員同様、身体中に傷を負い、大事な眼鏡を失っている。
彼と一緒にいた警備隊の連絡係は、ヨナスが庇う間もなく〈アーリマン〉に殺された。
セプトゥス支部は、完全に敵の手に落ちた。
集められた職員らの前に、一人の女が現れた。身体の線があらわになった扇情的な出で立ちで、女王のように勝ち誇り、魔法陣内に座らされたヨナス達を見下ろしている。
女の右斜め後ろには、フィオの姿があった。両手を前で縛り上げられている。彼女の腕に巻きつけられた縄が、ごく平凡な縄ではないことは、ヨナスの目で見ても明らかだった。
縄がほのかに、赤っぽく光っている。縄そのものに魔法がかけられている証であり、それはおそらく〈魔力封印〉であろうと、ヨナスは悟った。
ヨナスの存在に気づいたフィオは、彼と目を合わせた。ヨナスは申し訳なさそうに、彼女に向けて、小さく首を振った。
彼女の反対側、つまり女の左斜め後ろには、見上げるほどの大男が聳え立っている。他の〈アーリマン〉構成員と同じ覆面を被っているが、身にまとっているのはローブではなく、床につくほど裾の長いマントだ。
魔導師としてのヨナスの勘は、大男の正体が従魔であることを告げた。
「こんにちは、アルジオの馬鹿犬ども」
女はにっこりと笑うものの、目は氷のように冷ややかだ。
「協会の魔導師といっても、所詮は戦い方を知らない平和ボケした温室育ちね。もう少し抵抗してくれると思ったけど、全くヘボいったらないわ」
女はしなやかな両腕を、くびれた腰にあてる。
「期待してた“アルジオの破壊魔”はスタンウッドに取られたし、他にやることもないから、さっさと先に進めるわね」
「あ、あなたは誰なんです?」
女はヨナスに微笑みかけた。
「あら、分からない? そこのお嬢さんの隣にいた、とっても可愛い女の子よ」
女はからかうような表情で、後ろのフィオを指差した。
「まさか、マリエット?」
「セルペンティアよ。よろしくね」
片目を瞑ってみせるその仕草は、純粋な幼い少女の面影を、微塵も彷彿とさせない妖艶さを醸し出していた。
目の前の女と“マリエット”とが結びついた時、ヨナスの疑問は全て解けた。
クロード達がここを訪れた時から、すでに敵の策に嵌まっていたのだ。
セルペンティアが、ぱん、と両手を打ち合わせた。
「さて馬鹿犬ども、私達の目的はお分かりね? そう、〈扉の石〉よ。わざわざ〈セレンクメル〉から持ってきてくれてありがとう。とっても助かったわ。お礼にあんた達のゴミ屑程度の命でも有効活用してあげるわよ。さ、石をちょうだい」
「いやあ、“ちょうだい”と言われても、あなた方にあげられるようなものではないので、お断りします」
セルペンティアの細い眉が、ピクリと引きつった。彼女の合図で、ヨナスのすぐ近くに立っていた〈アーリマン〉の一人が、剣の柄頭でヨナスの頬を殴りつけた。
脳を揺さぶるような衝撃が、ヨナスの意識を一瞬遠のかせた。口の中に鉄の味が広がる。口の端から赤いものが滴り落ちた。歯が折れなかったのは幸いだ。
「やめて!」
駆け寄ろうとしたフィオを、セルペンティア自らが制した。
「あんたもおとなしくしないと、可愛い顔を傷つけることになるわよ。出来れば綺麗なままにしておきたいんだから、あんまり逆らったりしないでね」
不敵な笑みを絶やさないセルペンティアは、フィオの顎を片手で掴んで引き寄せ、彼女の頬に口付けした。
「石をよこさないのは勝手だけどね。あんた達の態度があまりひどいと、代わりにあの子達に罰を受けてもらうことになるのよ」
セルペンティアは手を伸ばし、後方の大男を示した。
大男――セルペンティアの従魔は、おもむろにマントの端を掴み、広げて見せた。
ヨナスの周囲から、職員達の悲鳴があがった。
マントの内側には、あるべき従魔の胴体はなかった。その代わり、数人の子供達の顔が浮かんでいた。子供達は目を閉じ、力なく俯いている。彼らの体は、従魔のマントに取り込まれているらしい。
託児室に預けられていた、職員らの子供達だ。我が子を人質に取られた親達から、悲鳴と怒号が湧き上がる。
「はいはい、うるさい。黙って。これからあんた達の誰か一人でも言うこと聞かなかったら、そいつの代わりにガキを一人ずつ殺すわ。こいつらが全員死んだら、町にいる奴らを連れてくるわよ」
「や、やめろ」
「やめてほしけりゃ石を出しなさい。いたいけな子供達が犠牲になってもいいっていうの?」
ヨナスは血にまみれた歯で、唇を噛みしめた。フィオを伺うと、彼女もまた、悔しさを表情に滲ませていた。
彼らに選べる道はなかった。
(クロード、どこにいるんですか)
クロードの姿がここにないのは、いい兆候か悪い兆候か。
さっきセルペンティアは、「“アルジオの破壊魔”はスタンウッドに取られた」と言っていた。彼も捕まってしまったのか。
そう簡単に、あの男を拘束できるとも思えないのだが。
もし本当に、クロードすらも敵の手中にあったなら、もはやヨナス達に勝ち目はない。
首の後ろがズキズキと痛む。意識が闇の底から浮上した途端、その痛みがはっきりしてきて、クロードは思わず呻き声をもらした。
目を開けるとそこは、どこかの無機質な薄暗い部屋の中だった。温かさのまるで感じられない、石造りの壁と天井で出来た部屋で、採光用に穿たれた、窓というよりは単なる穴から、わずかに外光が射すのみである。
クロードは、その冷えた部屋の中で横たわっていた。
(どこだ、ここは)
痛む首をさするために、腕を持ち上げようとした。が、それは叶わなかった。彼の両腕は後ろに回され、且つ縛り上げられていたからだ。更に口には轡をはめられ、声を発することが出来ないようにされていた。
手首を縛る縄から魔力を感じる。〈魔力封印〉用の特殊な縄だ。あまりの屈辱に、クロードは怒りの咆哮を上げた。
「なんという声を上げているんだ、ハーン。まるで獣ではないか」
頭上から、この部屋のように冷えた声が降ってきた。クロードはなんとか体勢を変え、憎らしい声の持ち主を視界に収めた。
クラト・スタンウッドが、銀縁の眼鏡を指先で押し上げている。
「君ともあろう男が、こんなところでそのような声を出してはいけない。それは私のために取っておいてくれ」
クロードは、常人ならばその場から逃げ出すほど激しく、スタンウッドを睨みつけた。
「いい目だよハーン。私が見たかったのは、君のそういう目なんだ」
陰気に笑うスタンウッドは、クロードの側に片膝をついた。
「ここがどこだか分かるかね? 南の塔にある牢獄だよ。君に眠っていてもらっている間に、セプトゥス支部は我々が占拠した」
クロードは縄を解こうと、両腕を動かした。今すぐにでも、このバーラム使いを殺してやりたい。
「元気がいいじゃないか、そうでなくては困る。
さて、君のことだから、すでに事の真相に気づいているだろう。我々がいかにして〈破邪の結界〉を破ったのかを。そうだよ、君らが手伝ってくれたおかげだ」
そもそもの始まりは、あの林で遺体を発見してしまったことだ。
気の毒にも、偶然街道を通りがかったアンバー夫妻を殺し、その遺体を利用して、クロード達を引き寄せ、敵が仕込んだ罠を保護させた。
つまり、マリエット・アンバーである。
マリエットの正体は、実在の幼女の身体を乗っ取ったものか、あるいは誰かが変身したものか。いずれにしても、その中身はスタンウッドの仲間〈アーリマン〉だったのだ。
親を亡くした幼い子を、必ず保護するだろうと見越しての罠だ。その罠にまんまとかかったクロード達は、ご丁寧にも敵を結界の中に侵入させてしまった。
協会に敵意を抱く者を排除する結界を抜ける方法の一つは、“協会に忠誠を尽くす者によって招かれる”ことである。
一度入り込んでしまえば、あとは簡単だ。目的である〈扉の石〉を、〈セレンクメル〉から回収する手間はクロード達にまかせ、その間に結界を発生させているオーブを破壊してしまえばいい。
結界が消え、無防備になった支部は、どこからでも襲撃可能となる。
館内の職員のほとんどは、実戦経験の乏しい魔導師だ。使いものになるのはフィオとヨナスくらいだろうが、所詮は特殊訓練を積んだ〈アーリマン〉の敵ではない。
フィオはカドモン・ティタニールの血を引いているとはいえ、デウム魔法を使うわけではない。一般の魔導師より魔力が高くとも、まだ一人前ではない彼女は、〈アーリマン〉の敵にはなり得なかった。
連中がもっとも危険視していたのは、クロードだ。
「私は別に、古い魔導一族の、永きに亘る抗争になど興味はない。ただ、私の信念を理解しなかった協会に思い知らせるには、〈アーリマン〉はうってつけだった。それだけだ」
スタンウッドの手が伸び、クロードの前髪を掴むと、強引に引っ張りあげた。
「君は今回の計画には参加させない方針で、セルペンティアとは話をつけてある。これからの君には、私の研究を手伝ってもらうつもりだ。もちろんバーラムに関する研究だよ。ぜひ試してみたい研究が山積していてね。そのへんの人間では、心身が保ちそうにない。その点、活きのいい君なら、私の実験にも耐えられるだろう」
狂気を含んだ氷の目が、クロードを捉える。
「殺したいと常々思っていたが、その前に有効に利用してあげようと思い直したのだよ。なに、心配はいらない。研究を始める前に、君の苦痛を軽減できるような施術を行うつもりだ」
スタンウッドは細い人差し指で、クロードの額を、とんとんと軽く突いた。指が触れるたびに、クロードの腕に鳥肌が立った。
「ここに少し細工するだけだよ。それだけで、君は従順なモルモットになる。大丈夫だ、ちゃんとした医療器具を使うのだからね。そうして君は私の研究向上にその身を尽くし、死んでいくのだ」
スタンウッドはクロードの髪を掴んでいた手を、乱暴に離して立ち上がった。
「そうだ。寂しいのなら、君の愛する細君も連れてきてあげよう。細君はなかなかの才女だと聞いている。二人揃って、私のために働いてくれ」
クロードの頭に、カッと血が昇った。スタンウッドが妻に触れるなど、想像しただけでおぞましい。クロードは怒りにまかせて吠えた。
「しばらくおとなしくしているがいい。これから少々、大掛かりな仕事に取り掛からなければならないんだ。では、失礼するよ」
スタンウッドは、石壁に囲まれた鉄製の扉を叩いた。扉は黒いローブ姿の〈アーリマン〉によって内向きに開かれ、スタンウッドが外に出ると、再び閉じられた。
鍵のかけられた音がした。魔法を封じられたクロードは、完全に閉じ込められた。
両手を縛られた体勢では、思うように身体を動かせない。それでもなんとか上半身を起こすことには成功した。
クロードは、スタンウッドへの憎悪を一旦心の隅に追いやり、精神を集中して、どこかにいるであろうゼファーの存在を探った。
魔導師と従魔は、目に見えない糸で精神をつなげている。離れていても、互いのおおよその居場所や生存を確認できるようにするためだ。
ゼファーは敷地内の茂みの中に、身を潜めていた。従魔の見ている視界が、かすかクロードの脳に再生される。茂みの周りでは、〈アーリマン〉の構成員が巡回している。
主が精神をつなげたことにゼファーも気づき、「どこにいる」と思念を送ってきた。
クロードは南の塔のイメージを思い浮かべ、使い魔に送った。
イメージを受け取るや否や、ゼファーが茂みを駆け出す。
(急げよ)
スタンウッドの言う「大掛かりな仕事」とは、〈降臨の儀〉に違いない。〈扉の石〉を、連中に使わせてなるものか。
苦戦しながらも、立ち上がることに成功したクロードの脳裏に、去って行った少年の姿が浮かび上がった。
ここにいなくて正解だ。二人目のカドモン・ティタニールの末裔の存在を知られなかったのは幸いである。
このまま見つかるな。
願うことはそれだけだ。




