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侵略

 じわり、と、にじり寄るような重い空気が、かつて領首館だった建物の敷地外周を取り囲みつつあった。

 始めは目に見えないものだった“それ”は、徐々に密度を増し、灰色味を帯びていく。

 灰色はやがて濃い灰色へ、そして今や黒い靄の帯に変化しようとしていた。

 間もなく黒い靄の帯は、館をすっかり包囲してしまった。


       *


 最初に異変に気づいたのはゼファーであった。

 従魔ヴルは主から離れ、出窓の縁で日向ぼっこをしつつ、束の間の自由を満喫していた。

 うつらうつらと船を漕ぎ始めた時、突如虫が這うような悪寒がはしり、全身の毛が逆立った。

 ゼファーは文字通り飛び起き、悪寒の出所を探るため、辺りの気配に注意を向けた。

 そして彼は、館を囲みつつある黒い靄を見たのだった。

「おい、嘘だろ」

 何が起きたのか一瞬にして察したゼファーは、出窓から飛び降り、主の下へ急いだ。


 

 今朝と同じように、同じ部屋でソファに寝転がっていたクロードは、がばっと弾かれたように飛び起きた。

 粟立つほどの悪寒が押し寄せてくる。クロードは急いで窓の側に駆け寄った。

 彼が利用している部屋にはテラスが設けられている。クロードは大窓を開け放ち、テラスに躍り出た。

 生暖かい風が吹きつけ、周りの草木をざわめかせている。さっきまで晴れていた空は、いつの間にか曇天になっていた。

「あれは――!」

 吹き寄せる風と共に、不穏な黒い靄が支部を囲い込んでいる。

 絡みつくような風はわずかながらに臭気を孕み、耳をかすめると亡者の呻き声のように聴こえた。

 闇の魔法が、敷地内を覆い尽くそうとしているのだ。

 黒い靄の帯は生物のように蠢きながら、その包囲網を徐々に狭めつつあった。だが、このまま進めば、敷地周辺を巡る外壁に沿って張られた〈破邪の結界〉によって阻まれ、雲散霧消するだろう。

 靄が外壁に触れた。しかし、何も起こらなかった。〈破邪の結界〉は機能しなかったのだ。

闇の魔法は消失することなく館の敷地内に侵入し、外壁と建物との、ほぼ中間地点で停止した。 

(結界が消えている……!)

〈アーリマン〉の襲撃だ。すでに敵の潜入を許してしまっていたのだ。その潜入者が、結界を打ち破ったのだろう。

〈破邪の結界〉は、建物のいずこかに安置されている魔法のオーブによって発生させるものだ。そのオーブを破壊してしまえば、結界を破ることが出来る。

(いつ、どうやって潜入した)

 クロードの思考回路が、高速で回転する。ここに至るまで見聞きしたこと、全ての記憶を掘り起こし、敵が付け入ったであろう隙を探った。

 結論に至るまでには、ほんの数秒足らずであった。

 クロードは歯を食いしばり、表情を歪めた。


(そういうことか)


 怒りがこみ上げ、舌打ちしたクロードは、階下へ行こうと身を翻した。

 その時、背後からロープのようなものが、幾本も現れた。ロープに似たそれは、クロードの胴と両足を拘束し、彼を軽々と宙に持ち上げた。

 拘束されたクロードは、抵抗することもままならないうちに、猛烈な勢いで後方――つまり建物とは反対の外に向かって引き寄せられていった。




「それ、どういうことです?」

 男の言葉の意味を吟味するため、ヨナスはもう一度同じ事を言ってくれるよう頼んだ。

 目の前にいるのは、セプトゥスの市街警備隊詰め所から来た、連絡係の男である。彼がここを尋ねてきたのは、協会支部で預かっている少女の、親族についての報告をするためだ。

 フィオが面倒を見ている幼い少女については、ヨナスも聞いている。彼女の身柄を引き取ってくれる親族縁者を捜してくれるよう、警備隊に依頼しているのも承知だ。

 だから、警備隊の連絡係だと尋ねてきた男が名乗った時は、その親戚縁者が見つかったのだと、ヨナスは思ったのだ。

 ところが、話の内容は、予想を裏切るものだった。


「アンバー夫妻の、兄一家とは連絡が取れて、幸いにも彼らはセプトゥスにいたわけですが、『弟夫妻には子供はいない』と言うんです」


「いないって……。本当にそう言ったんですか?」

「はい、間違いなく」

「亡くなっていていない、とか?」

「いえ、そういうことではなく、そもそも生まれていない、と」 

「間違いないんですね?」

 ヨナスの念押しに、連絡係は頷く。対称にヨナスは首を傾げた。その話が真実なら、あの子は一体どこの子どもだというのだ。

 不可解な報告に頭を悩ませていたヨナスだったが、ふいに感じた嫌な気配に、思考を妨げられた。

「この気配は……」

 眉根を寄せ、どこともつかない宙を睨む。

「どうされました?」

 警備隊の連絡係が声をかけるが、ヨナスは気配を探るのに集中していて、それに気づかなかった。

 すると、

「支部長代理!」

 廊下の向こうから、支部の男性職員が全力疾走してきた。顔面蒼白で息を切らせ、自分が今しがた走ってきた方を、後ろ手に指差す。

「大変です! 結界が……奴らが……!」

 彼の必死の訴えは、最後まで続かなかった。男性職員の身体は、一瞬硬直したかと思うと、そのまま前のめりに倒れ込んだのだ。

 倒れた職員の背中には、長剣が突き立てられていた。剣の持ち主は、背後に立つ異形の者であった。

 裾の長い黒いローブをまとい、フードを目深にかぶり、更に覆面をつけて素顔が分からないようにしている。ローブとは対照的な白地に、銀色の丸いレンズが目の位置に据えられた、異様な覆面だ。

「あ、あなたは」

 ヨナスが口を開くのと、異形の不審者が覆面越しに奇声を発するのは、ほぼ同時だった。

 およそヒトのものとは思えない、獣の咆哮のような絶叫が、ヨナスの耳をつんざいた。

 おぞましい奇声に身をすくめた彼が次に見たものは、黒ローブに覆面の異形の集団が、群れをなして押し寄せてくる光景だった。


 


 にわかにざわつき始めた周囲の様子に、寒気を感じたフィオは、両手で肩を抱いた。

 臭気をおびた生暖かい風が吹くようになってから、胸騒ぎがしてならないのだ。ちょうどシグナが刻まれたあたりが、何かを訴えるように疼いている。

(嫌な気配がする)

 いつの間にかどんよりと曇った空を見上げ、フィオは疼く胸元に手をあてた。

(ここにいては危ない)

 そう感じたフィオは、マリエットの姿を急いで捜した。マリエットはまだ、フィオとかくれんぼをしている最中なのだ。

「マリエット、どこなの!?」

 フィオは名前を呼びながら、庭中を駆け回った。

 植え込みの中、建物の陰、道具小屋。隠れられそうな場所は、全て捜した。が、幼い女の子は、どこにも隠れていなかった。

 捜してもいないと分かるたびに、不安だけが募っていった。

(お願い、無事でいて!)

 涙がこぼれそうになるのを、必死で我慢した。

 ようやくマリエットを、館の大門の前で見つけた時は、ついに落涙してしまった。

 マリエットは門の外に身体を向け、じっと何かを見つめている。

「マリエット!」

 フィオは少女に駆け寄り、その身体を抱きしめた。

 マリエットの視線を追い、そちらに顔を向けたフィオは、恐怖の悲鳴を上げた。

 大門の外に、黒いローブと銀の目の覆面で全身を覆う者達が集まっていたのだ。

「……〈アーリマン〉」

 集団の正体は、かつてフィオから、平穏と幸福を奪った者達だった。 

 口にすると、二度と思い出したくない過去が蘇ってくる。様々な実験と洗脳を施され続けた日々。身に刻みつけられたおぞましい記憶が、フィオの身体を震わせた。


「怖いの?」


 腕の中の少女が、無邪気な笑顔でフィオを見上げる。


「あんたも仲間だったんでしょ?」


 可愛らしい口から発せられたのは、外見とは似ても似つかない、成熟した女の声であった。


 フィオは少女を抱く腕を離し、数歩後ろに退いた。

「マリエット……?」

「知ってるわよ、あんたのことは聞いたから。あのままおとなしく結社にいればよかったのに、みすみすアルジオの矜持の道具に成り下がるなんて、本当に頭の悪いお嬢さんね」

「あなたは、一体……」

 少女は陰気に鼻で笑うと、その場でくるりと一回転した。

 再び向き合った時、そこにいたのは幼い女の子ではなく、長身の女だった。

 緩く波打つ長い栗色の髪、同じ色の瞳。唇には真っ赤な紅を差し、身にまとうのは、身体にぴったりと吸い付くような、黒い細身の衣装だ。

「ガキの振りするのって疲れるのよね。さあ、遊びはこれで終わり。でも」

 女は勝ち誇ったように言い、フィオの腕を掴んだ。女とは思えないほどの握力である。

「あんたの役目はここからよ」


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