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真意

 やかましい足音が、遠くから聴こえてくる。

(そら、きたか)

 セプトゥス支部の宿泊室の一部屋。ソファの上で胡坐をかき、クロードは淹れたばかりの豆茶――カフィエをすする。

 カフィエを自分で淹れることは、あまりない。たいていはその辺にいる暇そうな人間を捕まえて、ほぼ強制的に淹れさせている。その“暇そうな人間”とは、多くの場合ヨナス・ボルテであるのだが、それは単なる偶然である、とクロードは主張している。

 ヨナスの淹れる茶は、可もなく不可もない味だ。喉を潤うにはちょうどいい程度である。

 やはり妻の手が加わらなければ味気なく感じる。飲み物にしても、食事にしてもだ。

 カフィエをもう一口。程よい熱さで、身体が少しずつ温まっていく。この地方の秋朝は寒い。暖炉には赤々と火が燃えているが、クロードは更に、肩から毛布をかけていた。

「おうおう、あの足音。二人同時に来るみたいだぜ」

 深緑の目で扉に注目するゼファー。暖炉の側にある、上質なクッションの敷かれたスツールの上で丸くなっている。

「俺は知らねぇからな。せいぜい怒られろよ」 

足音から判断するに、走ってこちらに来ているらしい。

 彼がいなくなっていることは、朝になればすぐに気づくだろうと思った。

 館内の誰もがまだ眠っている時間帯だったが、どうやら早朝の食材配達人が、いつもどおり裏口に食材を置いている時、クロードと少年のやりとりを物陰から見ていたらしい。 

 その目撃情報が、あの二人の耳に入るのも、時間の問題だとも分かっていた。


 間もなく二人分の足音は、部屋の前で止まった。かと思うと、間髪を入れず、ノックもされずに扉が開かれた。

 予想通り、部屋に飛び込んできたのは、フィオとヨナスであった。

 フィオは普段のおとなしい印象とは打って変わって、眉をひそめてクロードに批難の目を向けてくる。弟子のそんな様子に、クロードの、他人には伝わらない良心が、ほんの少し揺れた。

 一方のヨナスだが、朝からいつもどおりの阿呆面だと思うクロードである。

「どうして帰らせたんですか!」

 二人は開口一番、全く同じ事を同時に言った。

「確かに、リオンは『協力できない』とは言いました。でも、私達は彼に強要する権利はないんですから、リオンが協力できなかったとしても、それは間違いじゃありません」

 フィオの次に、ヨナスが声を張る。

「でも、だからって、本当に帰したりしますか? あの子がカドモン・ティタニールだと敵に知れたらどうするんです」

「フェーゼの仲間になってもらえなくても、ここまで協力してきてくれたんですよ。せめて帰りの飛空船を用意するとか……ちゃんとお礼も出来ていないのに」

「一人で帰らせるなんて、あなたは鬼ですか! せっかく見つかった貴重な“二人目”だったんですよ。それを」

「やかましい!」

 クロードは脇に置いてあったカップソーサーを引っつかみ、ヨナスの顔めがけて投げた。ソーサーは狙いどおりヨナスの額に命中し、彼を悶絶させた。ソーサーは床に落ちたが、上等な絨毯のおかげで、欠けることもなかった。

「朝っぱらから阿呆面でわめくな! 気が滅入るだろうが!」

「うう……なんで僕だけ」

 見事な赤い痣をこしらえたヨナスは、恨めしげに唸る。

 そのヨナスの痣を見つめ、フィオは痛そうに眉をひそめた。

「大丈夫ですかヨナスさん、真っ赤ですよ」

「ありがとうフィオ。いつも心配してくれるのは君だけだよ」

「どさくさまぎれに手を握ろうとするんじゃない、殺すぞ」

 フィオの優しさに感動したヨナスが、彼女の手を取ろうとしたので、クロードはすかさず止めた。

「あのな、お前達はそうやって俺を責めるが、これはあいつが自分で決めたことだ。フェーゼには協力できない以上、ここに留まる理由はないと、田舎に帰っただけだ。なにも特別なことではない。至極真っ当な理由だろう」

夜明け頃、別れも告げずに去ろうとする少年を、クロードは強く引き止めなかった。彼がその気になれば、鼻っ柱を引きずり、縛り上げてでもここに留め、サフィール=フェーゼまで連れ帰るくらいは出来た。

 だが、クロードはそうしなかった。

「普段のあなたなら、どんな手を使ってでも帰さなかったでしょ。カドモン・ティタニールの子ですよ? 一体どういうつもりなんですか」

 案の定ヨナスが指摘する。


(それでは意味がない)


 強制的に身柄を押さえ、本人の意思を度外視し、こちら側の都合を押し付けるやり方は、〈アーリマン〉が昔フィオにやったことと変わりがない。


「あの子がもし〈銀の眷属〉に見つかったらどうするんです。フィオと同じ目に遭わせたいんですか!」

 ヨナスの言葉に、フィオの肩がビクッと震えた。〈アーリマン〉に捕らえられていた頃のことを思い出したのだろう。表情が硬くなり、唇をきゅっと結んでいる。

「リオン君がカドモンの子だというのなら、フェーゼで保護するべきでしょう。彼が協力できないとしても、身柄の安全を確保するくらいの手は打たないと」

「ヨウナシ、お前いつからフェーゼの活動内容に口出しするようになった」

「部署違いなのに散々こき使ってきておきながら、今更何言ってるんですか」

「そんなに言うなら、お前があいつを連れ戻せ。まだ新任支部長が戻りもしないうちに、本部から来た支部長代理が仕事を投げ出してもいいと言うならな」

 意地の悪い一言に、ヨナスが怯んだ。

「う……。い、いいですよ。新任さんが戻ってきたら、僕がリオン君を説得して連れ戻しますよ」

「なら、私も行きます」

 フィオはヨナスに賛同する。

「構いませんよね、教授」

「勝手にしろ。うるさいから、とっとと出て行け」

 クロードは犬猫を追い払うように、片手を振った。

 二人はまだ文句を言いたそうにしていたが、これ以上は無駄と判断したのか、連れ立って部屋を後にした。

「まったく、人の気も知らん能天気な奴らだ」

 去っていった二人への不満を呟くと、スツールの上で、本当に知らん顔していたゼファーが、半目になった。

「そりゃお前が、自分の考えてることをちゃんと話してやらねぇからだろ。リオンが自分の意思で自覚を持たなきゃ意味がねぇ。協力を無理強いするようなやり方は、〈アーリマン〉と同じだって、言ってやりゃあよかったんだ」

「わざわざ口に出すようなことでもなかろう。フィオはよく解かっている」

 夕べ、セレンクメルから事務室に戻った時、リオンは「協力しない」とはっきり言った。その時、弟子が失望したのは間違いない。

 やっと同じ立場の人間が現れたのだ。〈アーリマン〉への抵抗力の要となる重責を、これで分かち合えると期待しない方が不自然である。

 フィオがリオンに望んでいたのは、「自分一人にのしかかっていた重荷を、半分引き受けてもらうための人材」ではなく、「同じ境遇の者として、側にいてくれる心強い仲間」だ。

 だからといって、リオンの意思を捻じ曲げてまで、その望みを押し通そうとする少女ではない。相手が「嫌だ」と意思を述べれば、それを尊重するしかない。仲間を失うことになっても。

 かつて自分が、意思とは関係なく、〈アーリマン〉の一員に仕立て上げられそうになったことを、フィオが失念していたとは思えない。だから、リオンに対して強い態度を取れなかったのだ。

 弟子が出来ないことは、師が引き受けたつもりだった。相手には伝わらなかっただろうけれど。


(自信がないのか)


 リオンは自分に自信を持てていない。それを“弱さ”だと思い込んでいる。

 確かにまだ実力は身についていないし、控えめな性格も原因の一つだろう。

 クロードは、リオンを弱いとは評価していない。文句は言うが、与えられた仕事はこなすし、意外と物怖じしない。協会でも“厄介者”と避けられているクロードに対しても、恐れを抱いていない。何より順応性が高い。それらの長所を、長所として見ていないのが、今のリオンである。

 あれは誰かに認めてほしいのだ。「お前がいてくれて助かる」「お前のおかげだ」と、他人から、分かるように表現されることを求めている。でなければ、本当にリオン・グリュアース個人として認められているのか、不安なのだろう。

 しかしながら、他人に認めてもらうには、待っているだけでは駄目なのだ。自分から行動すること。行動する意思があることを示さなければ、誰にも認めてはもらえない。

 彼にはそれが出来るはずだと、クロードは信じていたのだが。

 従魔は深森色の目を半開きにして、主人を斜に睨んだ。

「お前もつくづく不器用だよな。なんで『守ってやる』って、はっきり言わなかったんだ」

 クロードは口を開くのも面倒になって、ゼファーの言葉に対し、何も返さなかった。

「このクソガキが。三十五にもなって、何ちんたらやってんだよ」

 呆れ果てた従魔は、クロードに背を向けてまた丸くなり、それっきり口を閉ざした。

 

 やっと静かになったか、と、クロードはカフィエのカップを小卓に置き、ソファに寝そべった。

 このままでいいとは、さすがのクロードも考えてはいない。カドモン・ティタニールとしての力の片鱗を見せた以上、リオンの魔力は近いうちに目覚めるだろう。

 不思議な少年である。年経たドラゴン、ミスト・アンフィビアンの森の側で発揮した、巨体バーラムを一撃で倒す魔力の暴発。あの一件には、クロードも驚かざるを得なかった。

 時折、自分の中に魔法を扱えるほどの魔力が宿っていることに気づかず、普通どおりに過ごしている人間がいる。気づかないまま一生を終える者もいれば、あることがきっかけで魔力が開花し、魔導師としての道を歩み始める者もいる。

 魔力開花のきっかけは様々だが、よくあるのは、危機的状況に追い詰められた時に、防衛本能として魔力が目覚める、というパターンだ。リオンはまさに、それにあてはまる。         

 だが彼は特殊であった。まず魔力の放出量が尋常ではなかった。巨体バーラムをたった一撃で撃破できるほどの魔力を、訓練も受けていない人間が解き放った場合、その反動は凄まじく、身体や精神が負荷に耐え切れずに壊れてしまう。肉体的に多大な損傷を負うか、あるいは精神崩壊の恐れもあり得る。

 リオンはどちらの害も受けなかった。カドモン・ティタニールの末裔であったからこそであろう。

 だが、どうにも腑に落ちない点がある。フィオとの違いだ。リオンは旅の間、左目の痛みを訴えることが幾度かあった。それがカドモンとしての覚醒の前兆なのだろうが、同じカドモンの末裔であるフィオには、シグナのある胸が痛むようなことは、一度もないというのだ。

 更にフィオから聞いたことだが、リオンは誰に教わるでもなく、エーヴェルシータを理解しているらしい。フィオは〈アーリマン〉によって教え込まれるまで、エーヴェルシータのことは何一つ知らなかったというのに。

 かつてのアルジオ=ディエーダ総裁ですら、古失語は学んで習得したものだったという。

 これは何を意味するのか。

(もしや……) 

 当てはまりそうな可能性が一つ、頭の中に浮かんできた。

 しかしこれには確実性がない。証明する手立てがないのだ。本人が自覚しない限りは。

 だが、もしこの可能性が間違っていなかったら、それは結構な大事になる。このことが明るみに出たら、中枢部アーマはフィオではなく、リオンを〈アーリマン〉対抗の旗頭に祭り上げるに違いない。

 アーマの操り人形にさせないために、今までフィオの素性を隠し通してきたのだ。リオンの存在も知られてはならない。

 もちろん〈アーリマン〉にもである。

 クロードの思考は、因縁深き集団に向けられた。

〈アーリマン〉の活動は、このところ頻繁に行われているようだ。一時期はぱったりと姿を見せなくなっていたが、この一年ほどで徐々に復活してきている。

〈アーリマン〉とは、おそらく〈銀の眷属〉を崇拝する人間達のことだ。〈アーリマン〉は〈銀の眷属〉そのものではなく、ただの下位組織に過ぎない。

 本物の〈銀の眷属〉が動きを見せた、という報告は、今のところ入ってきていない。だが〈アーリマン〉が活発化しているということは、近いうちに連中が姿を見せる可能性を匂わせるものでもある。


(やっと出てくるか)

 クロードは口の端で、薄く笑った。

(今度こそ決着をつけてやる)

 その手始めに、〈アーリマン〉を壊滅させる。


〈アーリマン〉といえばクラト・スタンウッドである。ミスト・アンフィビアンの森の外で、リオンの魔力を喰らったスタンウッドはまんまと逃げおおせたのだが、それ以降姿を見せない。

 致命傷を負ったのだろうか。それなら別に問題はない。どこかで野垂れ死にでもしてくれれば、面倒事が一つ自然消滅するだけだ。

 しかし、彼が死んだとしても、他の〈アーリマン〉達が動き出すはずだ。セプトゥスに着けば、誰かしら襲撃してくるであろうと踏んでいたクロードだったが、その予想は裏切られた。

(なぜ何も仕掛けてこなかった)

 襲うなら、クロード達が支部の敷地内に入るまでに行わなければならない。なぜならば本部を含む全ての協会の敷地外周には、〈破邪の結界〉が張り巡らされているからだ。

〈破邪の結界〉には、“協会に仇成す意思を持つ者を排除する”効力がある。〈アーリマン〉などは、絶対に足を踏み入れられないのだ。

 結界の存在を知らないはずがない。クロード達を襲うなら、支部の敷地に入る前に行うべきである。

 仮にそうしたとして、それでは連中は、どうやって結界を抜けるつもりだったのか。支部内に間者がおり、そいつの手引きで侵入する計画だったのではないだろうか。

 結界に“協会の敵”として認識させない方法が、全くないわけではない。しかしそれは、ごく限られた階級にしか明かされていない技である。

(やはり“上”の誰かがつながっているか)

〈アーリマン〉とのつながりを持つ者が、協会内部に存在する。これはずいぶん前からクロードが疑っていたことだ。

 スタンウッドに、本来の実力以上の能力を与えたのも、その人物であろう。


 クラト・スタンウッドは〈魔法学府〉の先輩だった。四学年上だ。抜きんでた才能を持っていたわけではないが、バーラムに対する執心は有名だった。バーラムこそは地上で最も美しい生物と、公言して憚らなかったのだ。

 知り合ったのは同じ生徒会役員だったからだ。別に嫌いではなかったが、粘着質な潔癖症には辟易した。


 スタンウッドの方は、明らかにクロードを嫌っていた。性格的に相容れなかったのだろう。

 学生時代はなにかと衝突することが多かったが、〈魔法学府〉卒業後は、滅多に顔を会わせることもなくなった。

 それがこのような形で、長年の確執に決着を迫られようとは。

(皮肉なものだ)

 クロードは自嘲気味に、やはり口元で薄く嗤った。


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