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〈扉の石〉

 ヨナスの言葉を聞くや否や、クロードはテーブルを激しく叩いて立ち上がった。その衝撃で、ティーポットやカップが、けたたましい音を立てた。

怒りもあらわなクロードは、身を乗り出してヨナスの首を締め上げる。

「貴様ヨウナシの分際でよくもそのことを俺に黙ってたな!」

「ぐえええええごめんなさいごめんなさい!」

「教授、やめて下さい! 手を離して!」

「わああ教授! ヨナスさんの顔色がヤバい!」

 おそらく本気で首を絞めているクロードに、フィオとリオンが張り付いた。二人がかりでクロードを引き離すと、青い顔をしたヨナスは、がっくりとソファにもたれかかった。

「ゼファー、君も止めようとしてよ」

 リオンは欠伸をする黒猫を見下ろした。

「飽きた、この流れ。いつものことだぜ」

「ああ、主が主なら従魔ヴルも従魔だ。ほら、やっぱり怒ったじゃないですか」

「これが怒らずにいられるか!〈扉の石〉だと!? 儀式が失敗したために消滅したというのは偽りだったということか!」

 クロードはソファに座り直さず、部屋の中を苛々と歩き回った。

「思った通りだったな。あれがそう簡単に消滅するものか。アーマが何か隠蔽しているのは分かっていたが、やはり石の存在だったか」

「あなた、はなっからアーマを信用してないでしょ。だから疎ましがられるんですよ」

「ハゲダヌキの集団なんぞ信用できるかよ。あれは自己利益と権力欲の塊だ。互いの足をすくう機会を常に狙い、自身の地位を守らんがために、表面上の結束を固めているだけの、薄っぺらい白雲母集団だ」

「その白雲母集団が、我々のボスだということをお忘れなく。例えは正しいと思いますがね」

「〈扉の石〉の所在は、この俺も知っておくべき事柄だろうが」

「石が隠されたのは、あの事件後すぐですよ。あなたが今の地位に就いたのは、あの日から一週間後のことでしょう? その間に起きた重要事項はあなたが知る必要はない、というのが上の方々のお考えなんじゃないですか」

「それでもチラッとさりげなく情報を横流ししろ」

「僕もそうするべきだと考えたんですよ、これでも。ですがね、ある方に厳重に止められまして」

「誰だ、その馬鹿は」


「あなたのお義母かあ様ですが」


 クロードの表情が、これまでに見たことがないような、非常に複雑怪奇なものに歪んだ。


「ああああああのバ――ッ……!」


 何かの雑言を発しようとして、どうにか喉元で食い止めたようだ。歯を食いしばり、髪を掻きむしり、言葉に出来なかった怒りを奇声に替えて、結局ヨナスに八つ当たりした。

 ヨナスの顔を鷲掴みし――この時点で眼鏡は払い落とされた――散々もみくちゃにした。しまいには彼の鼻の穴に指を突っ込み、上から吊るすようにぐいぐい引っ張る始末である。

 これを再び、リオンとフィオとで止めに入ったのだが、

(毎度毎度こんなやりとりをしているのか、この人達は)

 リオンは改めて思った。そして、このテンションの高い交流に、徐々に慣れつつある自分に気付いたのであった。

「フィオ、教授の“おかあさま”って……?」

 クロードとヨナスを引き離したリオンは、小声で尋ねた。

「実母ではなくて、奥様のお母様。つまり教授の義理のお母様です。記録管理部の総合部長なんです。つまりはヨナスさんの上司ですね」

「教授の上司でもあるってわけだね」

「いえ、実を言うと、教授自身とは階級的には同位置なんです」

「そうなの? 何か、頭が上がらないって感じだけど」

「頭が上がらないんじゃなくて、ちょっと仲があまり良くないというか」

 フィオは困り顔で言葉を濁した。彼女に助け舟を出したのはゼファーだ。

 ひょい、とフィオが座るソファの肘掛に飛び乗り、愉快そうに牙を見せる。

「あのおばさんにはとことん嫌われてんのさ。なんといっても、大事な一人娘を奪っていきやがった野郎だからな。顔合わしゃ、バチバチ火花散らしてんぜ」

「え? 奪う?」

「ほぼ駆け落ちだな、ありゃ。あいつは別に義母が嫌いって訳じゃねぇ。ただ、向こうが喧嘩売ってくるから買ってるだけさ。けど、相手は嫁の母ちゃんだ。やりすぎないようにはしてるみたいだぜ。とはいえ、あのかーちゃんも強烈だからな。あの馬鹿にストレートで蹴り入れられる女、あのおばさんくらいだろ」

 婿姑問題など聞いたことがない。

「ちなみに義父おやじさんとはすこぶる仲が良くてな、飲み仲間だ」

 どういう家庭環境か。

 しかし……。

(あの人が駆け落ちかあ)

 クロードは、ヨナスの鼻に突っ込んだ指を、ヨナスのシャツで拭いている。

 そんな情熱的なところがあるのか、と意外だったが、いや、案外彼らしいのかもしれない、と考え直した。自分の思うがままに行動しているような男である。募る想いが、そのような行動をとらせたのだろう。


「くそ、あのババ……。おいヨウナシ、このことあいつは、フレイは知っているのか」

「局長ですか? もちろんご存知ですよ」

 ヨナスは眼鏡を布で拭き、かけ直した。

「フレイが知ってて、俺が知らされんという道理があるか! フレイめ。戻ったら締め上げてやる」

「すみません、あの、そろそろ本題に戻りませんか」

 フィオが小さく挙手した。

「つまりこういうことですね。十五年前、あの〈降臨の儀〉の後、アーマは〈セレンクメル〉に〈扉の石〉を極秘に保管した。その〈セレンクメル〉に通じる魔法陣が、ここセプトゥスにある。その魔法陣のある部屋の鍵がこの鍵で、これはベイルゼンの司堂で保管されていた。その鍵を狙ってクラト・スタンウッドが現れた。彼の本当の目的は〈扉の石〉を奪うことだった、と」

「まず間違いなく、彼の狙いは〈扉の石〉だね」

 ヨナスは頷いた。

「これで合点がいったよ。ここ最近になって、スタンウッドが現れたという情報が入ってきたんです。そして、ほぼ同時期に〈アーリマン〉の動きが目立ち始めていました。スタンウッドの背景に〈アーリマン〉がいるのは間違いないでしょう」

 ヨナスの表情が引き締まる。

「彼が〈アーリマン〉の仲間になることは想定してましたが、鍵の在り処を掴まれるとは思っていませんでした。以前から、内通者の存在は疑われていたんですが、これはその疑いが、更に深まる事態になりますね」

「だから俺が前から言っていただろうが。協会内部に必ず〈アーリマン〉と通じている奴がいると。鍵の保管場所が知られただけではないぞ」

「どういう意味です?」

「スタンウッドの能力だ。あの男、たしかに実力はそこそこあったが、あれだけの数のバーラムを一度に操れるほど強くなかったはずだ。何かよからぬ方法で、自分の能力を限界まで引き上げている可能性がある」

「それも〈アーリマン〉、もしくは内通者の仕業、ということですね」

「あの、ちょっといいですか」

 今度はリオンが、控えめに挙手する番だった。

「すみませんけど、一から説明してもらわないと、僕には何が何だかさっぱり分からないんですが」

 先ほどから交わされている話の内容に、全くと言っていいほどついていけない。

 今回の一連の出来事がカドモン・ティタニールに――自分とも関わりがあるらしいことは理解できたのだが、その他の専門的な話に至っては、皆目見当がつかない。

「あ、これは失礼。そうだね、君にも知っていてもらわないとね」

 と、ヨナス。

「カドモン・ティタニールの眷属同士の争い、〈アーリム〉、〈アーリマン〉。このあたりはもう聞いたかな」

「はい」

「では核心部分を説明しよう。



 十五年前、〈アーリマン〉の一派が〈アーリム〉を復活させようと〈降臨の儀〉という儀式を行った。これは、〈真世のアーリム〉が封じられた“外次元”への道を開き、そこから彼の魂を呼び寄せる、といった儀式だったんだ」

「外次元……?」

 リオンが首を傾げると、クロードの“講義”が始まった。


「円形を想像してみろ。その外側に、一回り大きな円形を描け。内側の円が“内次元”、要するに俺達が生きるこの物質世界の全てを指す。外円は“きょう空間”という。ここは内次元と外次元の狭間にある異空間で精神生命の生まれる場所だ。魔導師が呼び出して使役する召喚従魔ヴルナムは、ここから内次元に降りてくる。

 ちなみに従魔と召喚従魔は別物だ。従魔は特定の魔導師に付き従う、契約を交わした使い魔だが、召喚従魔は、挟空間から呼び出す、契約していない不特定多数の魔法生物を指す。

 二つの円の外が全て外次元――デウム空間だ。外次元には物質が存在しない。不可視のエネルギーに満ちた空間なのだ。通常、内次元から外次元に対して影響を与えることは出来ない。カドモン・ティタニールでさえ、デウムの力を引き出すことは出来ても、外次元そのものに働きかけることは不可能だった。

 だが、それを可能にするものが一つだけあった。それが〈扉の石〉だ」


〈扉の石〉、それはカドモン・ティタニールの遺物の中で、最も貴重で重要なものだそうだ。

 かの石は、外次元と内次元とを繋げてしまう力を有している。カドモン・ティタニールがデウムを行使出来るようになったのは、この石の力によるもの、というのが有力な説であるらしい。

 十五年前に執り行なわれた〈降臨の儀〉に、この〈扉の石〉が使われた。その時一度、外次元と内次元は繋がってしまったのであった。

「僕はその当時、まだ協会に加入していなかったから、報告書で当時の出来事を知った訳だけれど、それは凄まじい戦いになったらしいよ」

 ヨナスはクロードを指した。

「詳しいことは彼に訊くといい。何しろ、現場にいたんだからね」

「えっ、本当に?」

 その当時、クロードは二十歳くらいだっただろう。ならば、当時を知っていてもおかしくはない。

「話してやっても構わんが、面倒だ。後にしろ」

 クロードは本当に面倒くさそうに言った。

 ヨナスの説明は続く。

〈降臨の儀〉を行おうとした〈アーリマン〉――〈銀の眷属〉の野望を、アルジオ=ディエーダは戦力を総動員して辛くも打ち砕いた。

 敵勢力は捕らえられ、現在も協会の収容所で服役中だ。その中のリーダー格を含む数人のトップ階級者らは、すでに処刑されている。

そのすぐ後、協会の中枢機関であるアーマは、極秘に石を回収し、〈セレンクメル〉なる秘密の場所に保管した。

 この〈セレンクメル〉とは、協会の宝物殿だそうだ。協会が保有している貴重な魔法の宝の数々が、そこに眠っているという。

〈セレンクメル〉へは、専用の移動魔法陣でしか行くことが出来ない。更に〈セレンクメル〉へ足を踏み入れるには、総裁を含む特殊階級の人物の許可が必要だ。

「ここの地下に移動魔法陣があること事態、伏せられていたんだけどなあ。この情報が敵に漏れたとあっては、もう〈セレンクメル〉には石は置いておけないよ」

 ヨナスは悩ましげに頬杖をついた。

「なら、他に移すしかあるまい」

 クロードは事も無げに言った。

「この俺がいるのだ。上の許可を取る必要はない」

「上の許可が下りなかったとしても、勝手に行くんでしょ。しかし、あなたの言う通り、石の保管場所は変える必要がありますね」

「話がまとまったな。〈セレンクメル〉に行きゃあいいってこった」

 ゼファーは前足を突き出し、伸びをした。

「行くのはいいんですが、その前にクロード、一つ確認することがありますね?」

「ああ」

 二人の視線が、リオンに集まった。彼らだけでなく、フィオとゼファーもだ。

「な……なんでしょう」

「リオン、あなたの力を貸して欲しい、という話についてです」

 フィオの菫の瞳は真剣そのものだ。

「〈扉の石〉に〈セレンクメル〉、ここまで協会の重要事項を部外者の君に話したのは、君がフィオと同じ、カドモン・ティタニールの子孫だからだよ。それは分かるね?」

「はあ」

「君はクロードやフィオが所属している部署を聞いたかい?」

「何か、調査局ですよね。魔法やバーラム関係の」

「うん、たしかにそうだ。だけど、厳密には違う。彼らが本当に所属しているのは、その中の特殊な組織なんだ」


 儀式を行った〈アーリマン〉の一派は、全体のほんの一部の者達だけだ。今後も、〈アーリマン〉が再び悪しき計画を実行に移す可能性は大いにある。 

 そこで、新たな組織が設立された。

〈アーリマン〉、〈銀の眷属〉に関する一切を担う、少数精鋭の対策本部。

 名称を〈サフィール=フェーゼ〉という。

 組織を設立した一人は、誰あろうクロード=クラウディオ・ハーンだ。もう一人の組織設立者はクロードの友人で――先程彼が「フレイ」と呼んでいた人物だ――、現在〈サフィール=フェーゼ〉の局長を務めている。


「僕はフェーゼの正式な一員ではないけれど、しょっちゅう呼び出されては顎で使われているから、ほぼ専用の庶務員みたいなものでね。そういうわけで、リオン君。君にはフェーゼへの加入をお願いしたいんだ」

「え……? ぼ、僕がですか?」

「突然の話で戸惑うのは無理もないよ。でも、君という存在の重要性を考えてみてほしい。君とフィオは、もはや滅亡したと考えられていたカドモン・ティタニールの末裔だ。それも二人とも〈あおの眷属〉。これは〈サフィール=フェーゼ〉ひいては協会、そして世界にとっても希望の光だよ。君がフィオと一緒に、フェーゼの一員に加わってくれれば、〈アーリマン〉に対しても脅威を与えることが出来る」

 リオンは答えるべき言葉を探して、視線を宙に舞わせた。

「脅威とか……、僕はそんな影響力のある人間じゃないです。ただの田舎町の警備員見習いだ。カドモンの末裔だと言われてもピンとこないし、そうだったとしても、戦力になれるほどの実力はないんです。重要性とか、希望の光とか、そんなの僕の身には余ることで……」

 言い訳を口にしながら、こんなことを言ってしまう自分を、リオンは恥じていた。力になってほしいと頼まれながら、そこから目を背けて逃げようとしている。こんな姿、兄が知ったらがっかりするだろうか。

「お前だけだと思うのか」

 低い声で、クロードが言う。

「そう考えているのが、お前だけだと。お前に突きつけられた重荷を、今まで一人で背負わされていた奴のことは考えていないのか」

 鋭い口調ではないのに、リオンの胸に深々と刺さる。彼が誰のことを言っているのか、教えられなくでも理解出来た。

 隣の、菫の瞳の少女を、まともに見ることが出来ない。

 フィオのことを考えなかったなんて、ありえない。ずっと心に引っかかっていたことだ。

 得体の知れない状況に巻き込まれ、どんどん事態が自分の身の丈を超えていってしまう。理屈では理解出来ても、感情が追いつかない。

 リオンの心は、「これ以上深入りしたくない」と訴えている。

 このまま先に進むと、恐ろしいことが起こる。もう、戻れなくなる。

 だが協力を断れば、全ての重責が一人の少女の細い肩にのしかかるのだ。

 フィオにとっては、ようやく巡り会えた“仲間”である。彼女がこれまでどんな思いでいたか、初めて見つけた仲間に対し、何を求めているか。想像出来ないわけがない。

 

 ――でも。

 

 それでも怖いのだ。うまく説明出来ないが、心の奥底で、恐怖に怯えている自分がいる。

 どうしてこんなにも恐ろしいのか。目の前に、助けを求める手が伸ばされているというのに、その手を取ることを躊躇するのは何故なのか。

 答えを口にしたくない。失望されるのが解かっているから。

「もう少しだけ……、もう少しだけ考えさせて下さい」

 ああ、どうして。

 どうしてこんなに臆病なのだろう。

 僕に一番失望しているのは、僕自身だ。


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