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悩める朝

 窓から射し込む朝日のまぶしさで、リオン・グリュアースは目を覚ました。

 起き抜けには厳しい陽光から、目を守るように腕で覆い、大きく息を吸って、吐く。

 あの夢を、もう何度見ただろう。ここ最近、半年足らずの間に繰り返し見ている。

 なんの意味もない、ただの夢だというのに、どうしてか胸が騒いだ。

 夢のことを考えると、何か大事なことを忘れているような気がしてならなかった。とても大事なことだ。なのに、それが何なのかさっぱり分からない。

 もどかしくて、時折苛々するのだ。

 リオンは胸のざわめきを振り払うようにベッドから身を起こし、両掌で頬を打った。

 景気づけのつもりで勢いよくベッドを降り、さっと着替えて窓を開けた。赤い瓦屋根の街並みの向こうにそびえる、アラミア山脈から吹きおろす西の風が、優しく流れ込んできた。心地よく冷えた風に包まれると、気分が少し良くなった。

 

 アラミアの冷たい西風は、秋の訪れを告げる使者だ。今は〈野分のわけの第一月〉。あと一週間もすれば、アラミアの山頂に雪が積もるだろう。

 このアラミア山脈の麓の町ベイルゼンが、リオンの故郷である。

 


 ベイルゼンはこの国――バトランゼル王国――北東寄りの小領アランセルにある、人口七百人にも満たない小さな町だ。これといった名産はないが、夏になるとアラミアへの登山客で、町はにわかな賑わいを見せる。水が美味いのも特徴だが、産業にしているわけではない。

 バトランゼルといえば、世界ガールヴでも屈指の先進国で、西の大陸では一、二を争う大国である。「発展した大都会」という印象が強い国だが、アランセルのような自然に囲まれた田舎の小領も、数多く存在するのだった。

 リオンはこれまで一度も、アランセル領を出たことがなかった。領内のあちこちを旅行したことはあるが、よその領にまで足を踏み入れた経験はないのだ。

 しばしば訪れる旅人が語る、各地の様子を空想しては、「いつか行ってみたい」と心を躍らせたりする。

 たまに見かける飛空船を見送っては、あの船に乗って国中を旅する自分の姿を思い描いてみることもある。

 が、そんな時が来ることはないだろう。

 外の世界を見てみたい、などと言いつつも、結局は居心地のいい場所から離れられない。その気があるなら、とっくに町を出ている。

 

 

 二階の自室から一階の洗面所に降り、冷たい井戸水で顔を洗うと、頭の中もさっぱりした。

 目の前の壁にかけた鏡に映る自分を、じっと眺めて顎に手を当て、

「髭ってなかなか生えるものじゃないんだな」

 そんなことを呟いた。

 五ヶ月前に十六歳の誕生日を迎えたリオンは、ようやく大人の仲間入りの、一歩手前まできた。

 同年代の少年らの中には、大人を真似て髭を伸ばしている者が幾人かいる。リオンには、それが男らしさの象徴のように見えて、少し羨ましかった。

 リオンは自分の容姿があまり好きではない。背は低くないけれど、とりたてて長身でもない。運動は好きなので、それなりに体力はあるものの、どんなに鍛えても筋肉がつかない。ガリガリとまではいかないが、たくましくなるどころか、ただただ体格が締まるだけだ。

 剣術教室の師範から、「筋肉がつかないのは体質の問題だから、こればかりはどうしようもない」と言われてしまった。これにはがっかりした。

 更に悩ましいのは顔の特徴である。

 髪は金と銀が混ざった、非常に珍しい灰金髪スモークブロンド。目の色は右が蒼碧玉ターコイズ、左が氷青アイスブルーのオッドアイ。

 どうにも人目を引いてしまうこの見た目が、控えめな性格のリオンにとっては悩みの種だった。

 体格や容姿がどうにもならないなら、髭でも伸ばせば多少は男らしく見えようものを、一向に生えてくる気配がない。恨めしい体質である。 

 このつるつるした幼い顎にも、いつか男らしいかっこいい髭が生えてきてくれるだろうか。はたからすれば悩みにすらならないであろう問題を、真剣に考えるリオンであった。 



 朝食をとるために台所に移動した。壁掛けの時計を見ると、時刻は七時五分。出かけるまでには、まだ充分時間に余裕がある。

 食料保存庫から適当に見繕って食材を取り出し、簡単に料理して食べた。

 台所のテーブルには、椅子が四脚ある。一脚はリオンが座っている。リオンから見て向かいは兄の席、上座は亡き父の席。残る席に、誰かが座ったことはない。少なくともリオンの記憶の中では。

 物心ついたころから母はおらず、父は男手一つで二人の息子を育てた。その父はリオンが十歳の時に病に倒れ、他界した。頼れる親族もなく、リオンは九つ年上の兄と、二人だけで暮らした。

 幸い、近所の人々がなにくれと世話を焼いてくれたおかげで、生活に不自由はなかった。

 兄との暮らしが続いたのは二年前までだ。二年前、兄は長年の夢だった王国軍への入隊を、見事に果たしたのである。

 入隊が決定したとき、兄は当然喜んだが、弟を置いていかなければならないことに悩んだ。リオンには兄の夢を潰す気は毛頭なく、自分のことは大丈夫だと、兄の背中を押して送り出した。

 以降、彼は生家に一人で住んでいる。

 兄はまめに手紙をよこした。兄の役職は銃騎士ガンナイトだ。騎士と名がついているが、立場は下位兵士と変わりがない。平民の出なので、正騎士や上位階級への道はないに等しいものの、手紙には充実した日々を送っている様子が綴られている。

 正直者の兄が見栄を張るとも思えないので、手紙の内容は真実であろう。いきいきと、自らの役目を全うする兄の姿は、容易に思い描くことが出来た。責任感が強く自己犠牲精神の塊のような兄にとって、国を守る役職に就けたことは、きっと生涯の誉れに違いない。

 

 

 朝食を済ませて片付けも終え、時刻を確認するとまだ余裕があった。掃除でもしようかと思い立ち、道具を取りに戸棚を漁る。

その時、ふと違和感を覚えて、もう一度時計を見た。

 針は七時五分を指している。

(あれ)

 朝食時に見たときから時間が経っていないではないか。そんなはずはないのだが。

 リオンは時計の針を凝視した。秒針が動いていない。

(嘘だろ!?)

 慌てて別の部屋へ走って行き、置き時計の時刻を確認した。兄が使っていた部屋に置きっぱなしの時計は、いつもどおりに動いていて、針は八時十二分を指していた。

 一瞬にして顔面蒼白になったリオンは、声にならない絶叫を上げた。

 全力で自分の部屋に駆け込み、荷物を引っつかみ、玄関を飛び出す。扉の鍵を閉めるものもどかしかったので、気にせずそのまま放っておいた。鍵などかけずとも、泥棒が入ることはまずない。入られても金目のものなど一切ないので、泥棒もさっさと退散するだろう。

 リオンは煉瓦造りの街路を、一目散に駆け抜けた。途中で何人か、顔見知りの近所の人々を見かけたが、すれ違いざまに挨拶を送っただけで、足を止めることはしなかった。

 家の前から真っ直ぐに伸びる街路は、町の中央の交差路につながる。交差路の周辺は商店街になっていて、ベイルゼンで一番活気がある場所だ。

 リオンは交差路を抜け、二度角を折れて、とある建物の前に到着した。

 全力疾走したので、息は上がってしまっている。しかし、呼吸を整える暇はない。リオンは建物の扉を勢いよく開け、文字通り中に飛び込んだ。

「おはようございます!遅れてすみません!」

 中にいた人々の視線が、一斉にリオンに注がれる。

 十一人の男達がそこにいた。皆それぞれに、剣や銃などの武器を携えている。彼らは円を描くように立っており、その円陣の中心には一人の壮年の男がいた。

 日に焼けた顔は険しく歪んでいるが、その目にはリオンに対する批難の色はない。ただ、「困った奴だ」と言うように鼻を鳴らしただけだ。

「二十分の遅刻だ、リオン。ミーティングはもう終わったぞ」

「すみません……本当に」

 荒い息を整えながら、どうにか答え、頭を下げた。

 男はリオンの側へ近づき、呼吸が安定するのを待ってくれてから、再び口を開いた。

「お前が遅刻するとは珍しい。理由はなんだ」

「はい、あの」

 リオンはどう言おうか一瞬迷ったが、正直に答えた。

「……寝坊です」

 変な夢を見たせいで、とまで説明する必要はなかろう。夢のせいでなくとも、時計が壊れていたせいであろうとも、寝坊の事実は変わらない。

「寝坊か。お前の遅刻はこれが初めてだが、だからと言ってお咎めなしにはできん。ミーティングに参加しなかったのは規則違反だからな。罰則は受けてもらうぞ」

「はい、分かってます」

「よろしい」

 彼は頷いて、他の男らに向き直った。

「遅刻の罰として、今日の郊外担当はリオンに受け持たせる。諸君は通常通り、町内の巡回にあたってくれ。では解散」



 ここはベイルゼン市街警備隊の詰め所である。

 ベイルゼンのような辺境の町までは、王国軍警備部の守護の手が、なかなか回ってこない。近い土地に駐屯地もない場合が多い。そんな状況の田舎町には、軍の兵士の代わりに、地元の有志を募って結成された市街警備隊が存在する。

 軍ほど統制がとれた組織ではないし、装備も民間人が護身に使用できる程度のものしか揃えられないが、よほど大きな事件でも起きない限り、これで充分事足りる。

 ベイルゼン市街警備隊は、最年少のリオンを含めて所属隊員は十二名。さきほどリオンに罰則を与えた男は、隊長のマルクである。

 リオンが警備隊に加わった理由は、兄の影響を受けたからだ。兄も以前は市街警備隊の一員であった。

 だが本当のところは、単に他に出来ることがなかったからだ。

 アランセル領の子どもらは、十五歳まで無償で教育を受けることが出来る。だが十六歳からは、二つの道が子どもたちの前に敷かれる。

 一つは上の学校に行く、という道。これはなかなかに険しい道だ。上位学校は大きな街にしかないので、必然的に親元を離れることになる。また、そうとうな学力がなければ入ることが出来ない。そして高い学費がかかってしまうのが、一番の壁だった。

 もう一つの道は、義務教育就業後、社会に出て働くというものだ。こちらの進路を選ぶ子どもの方が、圧倒的に多かった。

 リオンもまた、後者の道を選んだ一人である。

 文武に対し特別な才能がなく、将来やりたいと志す目標も見つかっていない。しかしながら役立たずのままでは、自分自身の存在意義が薄れてしまう。そんなリオンには、確実に人々の役に立てる立場にあり、「役に立つ立場にあると周囲に認識してもらえる」警備隊員になるより他はなかった。



「ついてないなお前」

 陽気に笑いながら、リオンの背中をドンと叩いた若い男はレスターだ。兄の友人で、リオンも幼い頃から交流がある。

「ま、遅刻の一度や二度、そんなに気にするほどでもないよな」

「気にするよ。みんなに迷惑かけるじゃないか」

「お前は気にしすぎなんだって。もう少し楽にやろうぜ。そら、持って行け」

 レスターは棚からクラッカーに似た道具と、掌に乗るほどの大きさの皮袋を取り出し、リオンに渡した。

「お前、一人で郊外受け持つのは初めてだったよな。警報弾と、これ、聖灰な」

「うん」

 リオンは、レスターから渡された道具を一つ一つ点検しながら、彼の言葉に頷いた。

「警報弾は三発だ。撃ち方は分かってるか?」

「一発は注意警報、遠方に標的を確認した時。二発は警戒、目視できる距離まで近づいてきた時。三発は迎撃態勢。襲ってきたときに撃つ」

「完璧。ま、二発以上撃たれたことなんて、俺が入隊してから一度もないけどな。どうせ何にも出てきやしねぇだろうけど、郊外担当者はこれと聖灰の携帯が義務付けられてる」

「分かってる」

 リオンは緊張の面持ちで、警報弾と聖灰の袋を握りしめた。

「大丈夫だって。今日も退屈な一日で終わるさ」

「だといいね」

「そんな顔すんな。ほら、行くぞ」

 レスターに力強く背中を押され、リオンは彼と一緒に詰め所を出た。

 外に出ると、マルク隊長を含む他の隊員達が、それぞれの持ち場に散っていくところだった。

 ベイルゼンの警備隊には制服がない。動きやすく機能的な服装であれば何を着てもいい、ということになっている。

 リオンは黒いハイネックに松葉のような深い緑色のベストを着用、ダークグレーのズボンと、柔らかくて丈夫なベストと同じ色のハイブーツを履いている。腰に提げているのは、初心者でも扱いやすい軽量型の剣だ。

 剣の手ほどきは剣術教室で学んだが、成績は可もなく不可もなく、といったところだった。

 剣術教室も、自分から強く望んで通ったわけではない。ベイルゼンに生まれ育つ男児なら、誰もが一度は剣を習いに行く。風習のようなものだ。リオンもその“暗黙の風習”に倣ったにすぎない。

 剣の稽古は嫌いではなかった。身体を動かすのは気分がいいし、少しずつでも上達していくのが実感出来て楽しかった。だが得意なのかと訊かれれば、そうだと胸を張って頷くほどではない。

「じゃ、俺はこっちだから。あんまり気を張りすぎるなよ。昼に様子見に行くから、それまで我慢しな」

 レスターはそう言って、リオンとは反対方向へ去って行った。

 一人になったリオンは、憂鬱なため息をつき、重い足取りで持ち場に向かった。

 ベイルゼンの郊外とは、町から少し離れた北の森のことを指す。森といっても、アラミア山の麓に広がる森に比べればずっと規模は小さく、遊歩道も敷かれている。散歩をするにはよい所だが、町民が訪れることはあまりない。

 その理由は、森を流れる川を挟んだ、向こう側にある。

 

 森の川向こう、約1メル=クルク先にネズの木の群生地があるのだ。

 ネズの木は災いを招く。闇に巣食う忌まわしい生物――バーラムを。


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