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ついてない男

 魔導協会アルジオ=ディエーダのセプトゥス支部は、旧カナン領首の別邸であった城をそのまま利用したものである。

 堅牢な三階建ての館には、派手さはないものの、かつての領首の栄光を物語るに充分な威厳を醸し出していた。

 城の四方には塔が建てられており、北の塔の頂点には、アルジオ=ディエーダのシンボルである、一振りの杖に二匹の蛇が絡みつく紋章の旗が、風になびいていた。

 城内は、元から設置されていた家具や調度品を有効に再利用しつつも、絢爛豪華さを排除し、魔導協会の支部として活用しやすいように、効果的に改装されていた。


「アルジオ=ディエーダって、どこの支部もこんな感じなの?」

 内装を見上げながら、リオンは素朴なことをフィオに訊いてみた。

「どこの支部も、というわけではないですけど、昔からある建物を再利用している所は、たくさんありますよ。建物を一から造るより、改装した方が費用が少なくて済むので」

「割と堅実な組織なんだね」

「その分、いろんな方面にお金がかかったりしますから。出来るところで経費節約するんです」

「あまり人がいないね」

「みんな自分の仕事場にこもっているか、任務で外に出ているんだと思います。外回りの仕事って、意外に多いんですよ」 

 二人が話し合っている間に、クロードは先陣を切って支部内を歩き出す。彼は真っ直ぐ正面大階段を目指し、昇っていった。

 クロードに置いていかれない様、リオンとフィオは駆け足で彼を追った。マリエットを連れているので、あまり速く走れないが。

 臙脂えんじ色の絨毯が敷き詰められた大階段は、途中の踊り場で左右に分かれていた。クロードは左の階段に足を向け、リオン達もそれに倣う。

 階段半ばにさしかかった時、


「あ」


 背後から声がした。リオン達は、揃って後ろを振り返る。


 右側の階段を、一人の男が降りようとしているところだった。二十代後半頃の歳だろうか。太い黒縁の眼鏡をかけた、真面目そうな人物である。ほんのり赤毛混じりの茶色い短髪に、淡い青の目。顎に生えた髭は、髪型に合わせて短く切りそろえられている。


 彼は、世にも恐ろしき何かを発見したかのように、両目を見開き、硬直していた。その視線の先には……。


「ヨウナシィィィィイ!!」


 怒号とも歓声ともつかぬ大声を上げたクロードが、リオンとフィオを突き飛ばし、肩の上のゼファーを振るい落とし、猛烈な勢いで男に突進していった。

「ひいいッ! どうしてあなたが!」 

 男は恐怖に顔を引きつらせ、あたふたと方向転換すると、脱兎のごとく逃げた。

 追い、追われる二人の男の姿は、あっという間に廊下の曲がり角の向こうへ消えた。

「え、ちょっと、なに」

 リオンには状況把握ができなかった。フィオとゼファーはというと、またか、といった感じで特に気に留めていないようであった。

「あの兄ちゃんも、つくづくついてないよな。なんでこんなとこで会うかな」

「そうね。でも、とにかく追いかけましょう」

 困りつつ頷きあう少女と猫は、並んで走り出した。一人わけが分からないリオンは、同じく状況が理解できていないマリエットを抱き上げ、ゼファーとフィオに続き、急いでクロードらを追った。



 逃げた男は、曲がり角の先で、あっさり捕まっていた。

 仰向けに倒れた男の上に、クロードがどっかりと座り込んでいる。リオンの記憶が間違っていなければ、これは確か格闘技の一種ではなかったか。どうしてこの男は、魔導師らしからぬ技を、次々と披露するのであろうか。

「な、なんですかいきなり! 僕が一体何をしたと言うんです!」

 マウントを取られた男は、顔を守るように腕を上げ、上ずった声で抗議した。

「逃げるからだ間抜け。逃げれば追うのが筋だろう。そもそも後ろ暗いことがあるから逃げたのだろうが。潔白であるなら逃げる必要もない」

「あなたに行き会ったら、誰だって逃げ出しますよ!」

 クロードは男の額を叩いた。

「おいヨウナシ、お前、どうしてセプトゥスにいる。本部の仕事はどうした。しくじって左遷でもされたか」

「ヨウナシではなく、ヨナスです! 左遷ではなく応援に来てるんですよ。セプトゥスを含む数箇所の支部長が変わるので、先任者との交代式と、新任者の就任式がカーラの講堂で行われるから、その間のセプトゥス支部長代理を任されたんです」

「お前なんぞを代理にするとは、よほど人出が足りなかったとみえる」

「お言葉を返すようですがね、これでも過去二回、支部長代理を務めた経験があるんですよ僕は」

「局の雑用係も忙しくてなによりだな。せいぜい馬車馬のように働くがいい」

「あのですね、あなたこそなんでここにいるんですか。あなた、式に出席しなきゃならない立場でしょ。あと、いい加減にどいてくれませんかね」

「あんな糞退屈な式になんぞ出てたまるか。俺には俺の仕事があるのだ」

「式典出席もあなたの仕事の一つですよ。お願いですからどいて下さい、怖いから」

 クロードは額にもう一発お見舞いしてから、ヨナスを解放した。

 立ち上がったヨナスは、ハンカチで眼鏡を拭き、かけ直した。

「まったく、相変わらずの乱暴さですね。フィオ、ゼファー。君達、そこにいるんなら助けてくれてもいいじゃないか」

「ごめんなさいヨナスさん。でも教授は、私が言ったってやめない人ですから」

「とか言いつつ笑ってるよね君」

「楽しそうなので」

「これのどこが楽しそうだって言うんだい」

 ヨナスは不機嫌な様子で、はたはたと衣服に付いた埃を払い落とした。その最中に、リオンと目が合った。

「おや、君達はどなたかな」

 問われたリオンは、居住まいを正して、ヨナスに会釈した。

「リオン・グリュアースといいます。この子はマリエットです」

「ええっと、彼らとはどういう関係で?」

 ヨナスはフィオに尋ねたのだが、それに答えたのはクロードであった。

「こいつらとの経緯も、俺がここに来た理由も、まとめて説明してやる。その前にヨウナシ、お前に訊きたいことがあってな」

 クロードはヨナスの肩に腕を回した。傍から見れば親しげに見える仕草だが、クロードの目は笑っていない。ヨナスに至っては、腕を回された途端に、ビクッと身体を引きつらせた。

「なななななんでしょう」

「鍵」

「え……?」

 ヨナスの引きつり顔が、一層きわどくなった。

「か、ぎ」

 クロードの、目が笑っていない顔は、凶悪さを増していった。妙なもので、顔つきが悪くなると男前に見える。

「か、鍵って……」

「ハイメルの闇市のソルトに、アルジオが造らせた鍵のことだ。十五年前にな」

「そ、それは」

 ヨナスは明らかに動揺している。

「これだけ言えば、お前に解からないはずがないな。協会記録管理部庶務室長殿」

 ヨナスの顔色が、哀れなほどに真っ青になった。

 それを見たクロードは、小作人から年貢を搾り取る悪徳長者さながらに哄笑するのであった。




「はい、どうぞ」

 目の前のテーブルに置かれた紅茶は、香り高く、少し赤みの強い色をしていた。

「砂糖とミルクはご自由に」

「ありがとうございます」

 ヨナスに勧められ、リオンはガラスの砂糖瓶を取り、小さじに軽く砂糖をすくい、二杯分入れた。

 フィオは砂糖を一杯だけで、ミルクはたっぷり注いでいた。

 クロードはミルクだけをなみなみとついでいる。それだけ入れれば茶が冷めるだろうというほどに。

「やれやれ、ついに知られてしまいましたか」

 ヨナスは短い髪を掻きつつ、リオン達の向かいの席に座った。

 通された部屋は応接室である。かつて貴族が住んでいたというだけあって、豪奢な内装だ。高い窓の両端に吊るされたカーテンから、床に敷かれた絨毯、照明器具、隅に飾られた壷など、それぞれ一体どれほどの費用をかけて用意されたものなのか。庶民のリオンは、そんな下世話なことを考えた。

 こうして座っているソファだって、高級なものに違いない。黄色を基調としたクッションと背もたれは、柔らかで手触りは滑らか。もちろん座り心地は抜群だ。慣れない場に、知らず身体が緊張してしまう。

 この部屋に通されると、クロードはヨナスに案内されるまでもなく、当然のように上座に就いた。ゼファーは彼が座るソファの足元にいる。

 マリエットは、建物内にある託児室で預かってもらった。これから交わされる話は、マリエットには難しく、退屈させるだろうと思ったからだ。

 協会では、子連れで出勤する職員は少なくないそうで、どこの支部にもこういった託児室が設けられているのだそうだ。

 託児室にはすでに何人かの子供が預けられていて、二人の女性が面倒を見ていた。マリエットはリオン達と離れることに不安を隠せなかったが、同じ年頃の子供達がいると分かると安心したようで、素直に託児室で待つことを受け入れた。

「しかしまあ、あなた相手に十五年もの間隠し通せたこと自体、奇跡に近いんですけどね」

「その点だけは認めてやる」

 クロードは、大量のミルクのおかげでほぼ白くなった紅茶を、半分ほど飲んだ。

「さて、そちらの事情は分かりました。リオン君、ここまでの協力ありがとう」

「いえ、大したことはしてないので、お礼なんて」

 本当に大して役に立っていないので、礼を言われるとかえってこっちが恐縮してしまう。

「それにしても、君らが出会ったのは、まさに運命的だね。これは守護司マークシェンガイアのお導きかもしれないよ」

「はあ」 

 ヨナスにはあらかたの事情説明をした。

 ベイルゼンがバーラムに襲撃されたこと。バーラムの目的は、司院に保管されていた鍵だったこと。その鍵は十五年前の〈降臨の儀〉に関わるものらしいこと。

 バーラムを操るクラト・スタンウッドと、〈アーリマン〉が背後に絡んでいる疑いがあることも。

 そして、リオンがフィオと同じく、カドモン・ティタニールのシグナを持っていることも打ち明けた。

 これらはクロードの口から説明されたのだが、彼がヨナスにリオンのことまで話すとは、リオン本人も考えていなかった。クロードの性格からして、他の人間には隠すものだと思っていたからだ。

 その考えを、隣のフィオにこっそり伝えると、

「教授は、ヨナスさんをすごく信頼しているんですよ」

 と、意外な答えをくれた。

「え、そうなんだ」

「態度はあんな感じですけど、教授は気に入った人にしかじゃれつかないんです」

 じゃれつくとは、言い得て妙である。

「だから、リオンのことも気に入ってますよ」

 にっこりと花のような笑顔を見せるフィオ。クロードに気に入られたという事実を、果たして喜ぶべきか嘆くべきか、リオンには判断に困るものであった。

「さてと、それじゃあ」

 ヨナスはティーポットに垂れた紅茶の雫を、リネンのナプキンで拭き取り、テーブルの脇に置いた。

「これ以上しらばっくれても無駄なので、全部話すとしましょう」

 諦めにも似た苦笑を浮かべ、ヨナスは眼鏡を押し上げた。 


 

 ヨナス・ボルテとクロードは、十年来の付き合いだという。

 ヨナスは、リオンと同じ歳にアルジオ=ディエーダ本部の記録管理部庶務室に配属された。

 記録管理部というのは、協会が保有する全ての図書や記録書、魔法に関するあらゆる歴史的遺物などを保管・管理している巨大な部署だ。魔法が関わる事物は、全て記録管理部が司っている。

 この部署の中には、バーラム関連や魔法が干渉した事件の調査と報告、失われた魔法文献及びアイテムの探索、指名手配魔導師の捜査及び身柄確保といった、フィールドワークを行う調査局が含まれている。この調査局が、クロードとフィオの所属する部署なのである。

 大図書館と〈魔法学府(スコル=マギス)〉の運営も、記録管理部の管轄である。

 庶務室とは、その名称の通り、事務・雑務を一手に引き受ける部だ。書類関係から施設内のあらゆる雑多な作業、内部連絡から、人手不足の部への応援まで、様々な仕事をこなす。

 部内は幾つかの班に分かれており、班によって業務内容は決まっている。

 一般企業の庶務課とほとんど同じ機能を果たしているが、協会本部の庶務室長ともなると事情が違ってくる。

 本部内で起こった出来事で、庶務室長の耳に入らない事柄は皆無に等しい。庶務室長のみの業務として、「本部内事件の全ての記録を残す」からだ。

 歴代の庶務室長に受け継がれる〈連絡帳〉なる秘密の報告書によって、後任者は過去の出来事を把握し、新たな事件が起きれば、表裏全ての事実を余すところなく記録する。

 もちろん、彼らにさえも明かされていない事柄は多くある。しかし、それを抜きにしても、庶務室長という立場が、協会本部の裏事情を知り尽くしている事実に変わりはない。

 このヨナス・ボルテは現庶務室長を務める男である。三十歳に満たないこの若者が、協会の裏と表を全て掌握しているのだ。

 そのような極めて特殊な位置づけのため、誰が庶務室長なのかは、公には伏せられている。庶務室長の正体を知るのは、総裁、中枢部アーマ以外では、ほんのごく一部の人間のみである。

 ヨナスは表向き、単なる平係員として、事務・雑務をこなしている。


「あの、そんな大変な事実を、僕が知ってしまっていいのかどうか……」

 リオンは協会にとっては部外者である。協会の大多数の人間にさえ隠されている秘密を、部外者の自分が知っていていいのか。

 するとヨナスは朗らかに笑ってみせた。

「いいさ、他ならぬ君なら。君はカドモン・ティタニールなんだろう? だったらこの先、僕とは長い付き合いになると思うよ」

 言葉の意味を問おうとしたが、クロードの口が開かれる方が早かった。

「雑談はどうでもいいから、とっとと本題に入れ。無駄話にばかり回る口だな」

「はいはい分かってますよ。それじゃ、くだんの鍵を見せてもらえますか。実は僕は、実物を見たことがないんです。僕が室長に就く前の出来事ですからね。〈連絡帳〉に書いてある内容しか知らないもので」

 リオンは預かったままの鍵をポケットから取り出し、ヨナスに差し出した。

 鍵を受け取ったヨナスは、しげしげとそれを観察し、ほう、と息を漏らす。

「〈連絡帳〉の通りですね、うん。ここに製作者ソルトのマークあり、と。おそらく間違いないでしょうね」

 頷きながら、ヨナスは鍵をテーブルの中央に置いた。

「これは何の鍵なんですか?」

 カップに両手を添えたまま、フィオが尋ねた。

「この鍵は、ここセプトゥスの地下に造られた、ある部屋の鍵です。十五年前に造られ、以来誰も入室した記録はありません。鍵を設置し、部屋を封じたあと、その鍵はここではない別の場所で保管されることになりました。誰の注意も向かないような、辺境の地に。それがベイルゼンの司堂だったというわけで……あ、失礼、リオン君」

 故郷を「辺境の地」と表現されたことに気を悪くしたのでは、と気遣うヨナスに、

「いえ、本当に田舎なので、気にしないで下さい」

 リオンは言った。

「回りくどいぞヨウナシ」

 クロードが不機嫌な顔で、空になったカップを彼に突き出した。

「鍵がどこに保管されていたのかなど、どうでもいい。モノは見つかったのだ、鍵が造られた理由を言え。その部屋と十五年前の〈降臨の儀〉が、どう関わる」 

ヨナスは、脇に置いてあるティーポットを取り、カップに紅茶を注いだ。

「ヨナスです。これ言ったら、あなた絶対怒るでしょ。そして僕に八つ当たりするんでしょ。もういいです、目に見えてるので白状しますよ」

 憂鬱そうに、ヨナスはティーポットを元の位置に置いた。

「セプトゥス支部に造られた地下室ですね、そこには“あるもの”が保管されているんです。正確に言うと、その“あるもの”が保管されている場所に行くための〈移動魔法陣〉が描かれているだけの部屋なんですが」

「ヨウナシ、さっさと言え。さもなくば」

「ああ、分かりました分かりました! いいですか、〈移動魔法陣〉を通じて辿り着く先は〈セレンクメル〉です。そこに保管されているものは、〈扉の石〉なんですよ」

「なんだと!?」

           

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