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小さな同行者

 セプトゥスへは、ひたすら街道を南下すればよい。

 クロードは夕べ、ゼファーに運ばせるつもりでいたが、それは日が落ちていたからこその手段だ。夜陰に乗じて、町から少し離れた所にでも降りればよかった。

 しかし太陽が昇ってしまえば、それは叶わない。白昼堂々、ドラゴンが町の上空から飛来した日には、住民らが世の終わりの如くに騒ぐだろう。場合によっては攻撃してくるかもしれないのだ。

 それにセプトゥスは飛空船港のある町である。当然のことながら周囲空域には飛空船空路がある。いくら飛翔能力の優れたドラゴンであるとしても、船との接触事故を起こす可能性はゼロではない。姿を見られれば、やはり船内の人々の不安を煽る事になる。

 事際、その昔他国にて、一頭の天棲ドラゴンと飛空船との接触事故が起きてしまったことがある。これは一大事件として、世界的なニュースとして広まった。

 そういう理由で、昼はゼファーにドラゴン化を命じないのか。クロードにも社会的ルールを守るつもりがあるのかと、リオンは意外に思った。

 が、フィオの説明では、理由は他にあるという。

 魔導師は、簡単に自分の手の内を見せるものではない。従魔ヴルは魔導師の戦力の一つだ。普段から真の姿をさらしていては、いざという時の切り札にならない。魔導師は皆、出来る限り自分の使い魔の正体を隠すのである。

 ちなみに従魔ヴルを持つことができるのは、一人前と認められた魔導師に限られる。フィオはまだまだ一人前には程遠い、というのがクロードの判断だという。

 そういう諸事情から、こうして徒歩でセプトゥスを目指しているのだった。

 


 出発してから一時間半ほど過ぎたあたりで、林に行き当たった。街道は林の中に続いていた。

 地図を確認したが、ネズの木の印はなかった。

 野鳥のさえずりと、木々の間をすり抜ける風の音が、耳に心地よい。穏やかな道行きであった。

 しかし……。


「ちょっと待った!」

 突然ゼファーが声を上げた。耳がピンと立っている。

「どうした」

 主が訊くと、ゼファーは緊張を孕んだ声色で、

「嫌な匂いがする。妙な声も聴こえるな。こっちだ」

 答えて、たっと駆け出した。

 ゼファーは迷わず林の中に入り、その小さな姿は緑の下生えに紛れ込んだ。草から突き出た黒い尻尾を目印に追いかけて、クロードを筆頭に林に分け入って行く。やがて彼らの鼻にも、異様な臭気が感じられるようになってきた。

 やや開けた場所の手前で、ゼファーの尻尾が止まった。

 クロードはリオンとフィオに、「ここにいろ」と手で示し、ゼファーのいるところまで一人進んでいった。

 クロードはゼファーの側に立つと、腰と顎に片手をそれぞれ当て、じっと何かを見下ろした。そこに何かがあるらしい。

「何かあったの?」

 声をかけ、リオンが近づこうとすると、

「来るな!」

 すぐさまクロードが制した。

 主をその場に残し、跳ねるようにゼファーが駆け戻ってきた。

「どうしたの」

 フィオの問いかけには答えず、ゼファーは再び先に立って歩き始めた。

「あっちはあいつにまかせとけ。俺達はこっちだ」

 訳の分からないリオンとフィオは、互いに顔を見合わせ、首を傾げあう。とりあえずは従魔と魔導師の指示に従うより他にない。

 再び草間に揺れる猫の尻尾を追い、二人が辿り着いたのは、濁った水を湛えた狭い沼のほとりであった。クロードが残った場所から、200クルク程度離れたあたりだろうか。

 その沼の近くに、一台の小型ビークルが停まっていた。

 否、停まっているというよりは、倒れているといった方が正しい。機体の前方は、沼縁の泥に沈んでいて、その機体の表面には、無数の爪痕が残されていた。

 何かに襲われたのだ。ビークル内には誰もいない。

 バーラムが、と、リオンは戦慄した。しかしバーラムであれば左目が痛んだであろうし、地図を信じるならば、この林にはネズの木は生えていないはずである。

「来てくれ。ここから声がするんだ」

 ゼファーはビークル機体側面にある、荷台の蓋を前足でひっかいた。

 リオンとフィオは側に駆け寄り、耳を近づける。確かに弱々しい声のような音が聴こえた。

 リオンは慌てて蓋の取っ手を持ち、手前に引いた。

 中には荷物は入っていなかった。その代わり、小さな女の子が、両膝を抱えてしくしく泣いていたのである。

 女の子は四歳か五歳ほどの年だろうか。顎までの長さの栗色の巻き毛で、赤とベージュの縦縞柄のエプロンワンピースを着ている。

 荷台の蓋が開いたことに驚き、顔を上げた。両目を見開き、リオンとフィオを見つめているその目は、髪と同じ栗色である。

 リオンは女の子を怖がらせないよう、そっと手を差し伸べた。

「大丈夫だよ、おいで」

 女の子は差し出された手に、一度は怯え、びくっと身体を震わせた。

 リオンは彼女が警戒を解き、自分から出てきてくれるのを待った。無理矢理引きずり出すような真似は、決してしてはならない。

 やがて女の子は、その小さな手でリオンの手を握り、そろそろと荷台の中から出てきてくれた。

「こんにちは」

 リオンは女の子と目線を合わせ、できるだけ柔らかな口調を心がけて話した。

「僕はリオン、彼女はフィオ、この猫はゼファー。君の名前は?」

「……マリエット・アンバー」

「偉いね、ちゃんと苗字も言えるんだね。どこか痛いところはない?」

 マリエットは首を横に振った。柔らかい巻き毛が、ふわふわと揺れた。

 マリエットの視線は、リオンからフィオへ、そしてゼファーへと移った。猫に興味を持ったのか、ゼファーから目を離さない。

 すっと手を伸ばし、ゼファーの頭を撫でる。猫に触れて心が和らいだのか、マリエットが微笑みを見せた。

 頭を撫でられているゼファーは、やめてほしそうに目を細めている。が、相手が年端もいかぬ人間の子であるためか、じっとこらえていた。

 リオンとフィオは顔を見合わせた。

 この状況から推測されるのは、マリエットにとっては残酷な事実であった。

 さくさくと草を踏み分け、クロードが姿を見せた。彼は少し離れた所で立ち止まり、指先を曲げてリオン一人を呼んだ。

 リオンはマリエットをフィオに任せ、クロードの側に行った。

 マリエットの存在に気付いたクロードは、一瞬複雑な表情を見せた。そこにどんな感情を含んでいるのか、リオンには読み取れなかった。

「あの子、ビークルの荷台の中に隠れていたんだ。名前はマリエット・アンバー」

「……そうか」

「教授、ひょっとしてさっきの場所に……」

「ああ。二人分の遺体があった。おそらく両親だろう。だいぶ食われて、原形をとどめていなかった」

「食われてって……」

 あまりに無惨な最期に、リオンは眉をひそめた。

「バーラムの仕業? そうだとしたら、まさかスタンウッドが」

「いや、違う。おそらくグールハウンドだ」

 グールハウンドならリオンも知っている。バーラムと野犬との間に誕生したと言われる生物だ。姿形は野犬に近く、その性質はバーラムに寄っている。しかしながらグールハウンドは、ネズの木の群生地帯に棲息するという、バーラムの生活制限に囚われていない。つまり、バーラムの凶暴性を持ちながら、その行動範囲には制限がない生き物なのだ。

 獲物と見なせば自分より大きな動物であろうと、群れを成して襲い食う。ある意味では、バーラムよりも恐ろしい生き物だ。

 アンバー一家は、運悪く空腹のグールハウンドに行き会ってしまったのだろう。

 マリエットの両親は、娘をグールハウンドから守るために、ビークルの荷台に隠した。そしてグールハウンドを娘から遠ざけようと、囮になったのではないか。

 グールハウンドの足の速さに、人間は簡単に追いつかれてしまう。あえて囮になったのは、自分達を食わせて連中の腹を満たし、次の狩場へ向かわせようとしたのでは。

 グールハウンドは、一つの狩場で満腹になったら、狩場を別の場所に移す。そうして、もとの狩場には、しばらく戻ってこない。その習性を利用して、娘を救う可能性に賭けたのかもしれない。

 リオンは後方を振り返った。マリエットは片方の手をフィオとつないでおり、もう片方の手でゼファーの尻尾を触っていた。

 その無邪気な様子に、リオンの心は痛む。

(両親のこと、どう言えばいいんだ)

 起きた事実ありのままを伝えるわけにはいかない。人が獣に食われて死んだなど、大の大人でも衝撃が強い。ましてや相手は幼い児童。“両親の死”という現実を、理解できるとも思えなかった。

「あの子に何て言えばいい?」

 助けを求めて、リオンはクロードに教えを乞うた。

「言う必要はない。言ったところで理解できるものか」

「そうだよね。でも、親がずっと姿を見せなかったら、寂しがるし、きっと泣くよ」

「なら真実を話すか?」

「いや、それは……」

 リオンは言葉に詰まった。やはり隠しておくより他にない。

 フィオがマリエットの手を引き、こちらにやってきた。ゼファーもマリエットの傍らに寄り添っている。フィオは無言でクロードとリオンを交互に見た。表情からすると、何が起きたのか、おおよその見当はついているようであった。

 クロードがかすかに首を振ると、フィオはぎゅっと両目を閉じた。

「ママは?」

 マリエットの声は、消え入りそうにか細かった。

「パパは?」

 フィオはマリエットの前に膝をついた。

「パパとママね、迷子になっちゃったの。マリエットが捜しに来てくれるの、きっと待ってるわ。私達と一緒に迎えに行きましょう」

 マリエットは大きな瞳をしばたたかせ、じっとフィオを見つめていたが、やがて「うん」と頷いた。

 クロードがビークルの方へ近づいていった。彼は運転席に乗り込み、なにやらごそごそと、あちこちを探り始めた。

 やがて戻ってきた彼の手には、茶色い物が握られていた。皮製の財布だ。

 クロードは財布の中から、折りたたんだ紙を抜き出した。それを開き、紙に書かれている内容に、ざっと目を通すと、リオンとフィオにも見せた。

 役所にも届け出る住所証明である。身元証明書として、たいていの世帯主が持ち歩いているものだ。

 これによると、マリエットの父親はニール、母親はメリーサといい、住所はセプトゥスにあった。

 リオンは住所証明に目を通すと、クロードに向かって頷いた。

「セプトゥスの警備隊に届けよう。マリエットの家と、親戚がいないか調べてもらえるよ」

 警備隊業務の中には、行方不明者の捜索や保護なども含まれる。ベイルゼンでは、住民の失踪などという事件が起こったためしはないので、リオンがこの業務に当たったことはない。

 セプトゥスに着いたら、警備隊に彼女を保護してもらう。知らない大人達に囲まれる中、帰らぬ両親を待ちわびるマリエットのことを思うと不憫でならない。   

 身元を引き受けてくれる親族でも見つかれば、多少は安心するだろうが、親を亡くした慰めにはならないだろう。


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