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古からの定め

 かつて。

 世界には魔法は存在しなかった。

  

 原初の人類は、世界中に満ちる〈環境魔力ルーン〉を感じとるすべを知らず、ゆえにその力の恩恵を受けることが出来なかった。

 世界が、いかなる力によって成り立っているのかも、知らなかった。

 世界は〈デウム〉によって形成された。

 デウムとは“創世の元素”。全ての生命、全ての事象の源である。

 デウムはルーン以上の高次元エネルギーだ。そもそもルーンさえも、デウムから生まれたものなのだ。

 

 太古のとある時代、このデウムを自在に操る技を手にした種族が現れた。

 彼らの、デウムを行使する技術こそ、魔法の原点である。

 その一族は、名をカドモン・ティタニールという。

 デウムの力によって、永きにわたり人類の頂点に君臨していたカドモン・ティタニールだったが、その栄華は王族間で勃発した戦により、壮絶な終焉を迎えた。

 わずかに生き残ったカドモン・ティタニールは、幾つかの氏族に別れて故国を離れ、世界ガールヴの各地に散った。

 以来そのほとんどが歴史の表舞台から消え、カドモン・ティタニールの存在は忘れ去られていった。



「だが、現代に至るまでの間、まったく子孫がいなかったというわけではない」

 クロードの講釈が淡々と続く。ゆらゆら揺れる焚き火の明かりに照らされ、魔導師の表情には、くっきりした陰影が浮かんでいる。

「アルジオ=ディエーダの原形組織は、カドモンの氏族が創設した。ゆえに歴代の協会総裁は、その血族子孫が継承してきたのだ。だが、その血も百五十年ほど前に絶え、現在の総裁は、教会の中枢部〈アーマ〉が候補者の中から選出している。この百五十年間、総裁一族以外のカドモンの末裔の存在が、確認された記録はない。協会も、他の氏族は絶えたのだろうと結論せざるを得なかったわけだ。しかし、そこに例外が現れた」

 クロードの視線は、弟子の少女に向けられる。例外とは、フィオレティア・ゲイブルズのことだった。


 フィオの胸元に刻まれているのは、カドモン・ティタニールの血を引く証――“シグナ”なのだ。カドモンの正当な子孫ならば、必ずこのシグナが身体の何処かに現れるのである。このことは、歴代アルジオ総裁の身体にも、シグナがあったことから証明された。

 彼女がカドモンのどの氏族の末裔なのか、そこまでは判っていないが、その血を引いているというだけでも一大事なのである。

 しかしながらフィオ自身、自分が古代の魔導一族の末裔であったことを、始めは知らなかった。

 フィオの存在は、世界のどこかに、まだカドモン氏族の子孫が生きている可能性がある、ということを如実に示すものだ。

 クロードとフィオは、アルジオの任務をこなしつつ、カドモン氏族の行方を追った。

 ところが情報は極めて少なく、何の手がかりも掴めぬ日々が続くばかりであった。

 共にカドモン氏族を捜し始めて五年。

 ようやく出会うことが出来た。

「それが、僕だと」

 視線を感じる。柳と深緑と、菫の視線を。

 リオンは誰とも目を合わせないように、揺れる焚き火を見続けた。炭になった薪の先がころりと崩れ、火の粉が蛍のように舞う。

 じとりとした柳色の視線を感じ、リオンは身じろぎする。

「左目に紋様があることは、知っていたんだろう? それが何を意味するのか、家族の誰からも聞いていないのか」

 リオンはすぐには答えなかった。だが、このまま黙秘を続けることは不可能だとも理解している。乾いた唇を何度か湿らせ、フィオの視線を気にしつつ、口を開いた。

「左目のことは、父さんから聞いた。どんな紋様なのかも、父さんが描いた図で知った。でも、それが何を意味するもので、どうして僕の左目にそんなものがあるのか、その理由は教えてくれなかった。ただ、『誰にも知られるな』とだけ。知られれば」

「知られれば?」

「僕は『行かなければならなくなる』って」

「どこへ」

「分からない」

「父親以外に、お前の目のことを知っているのは誰だ。母親は?」

「母さんは、物心ついた頃にはもういなかった。九つ上の兄がいるけど、兄貴が知ってるのかは分からない。その話をしたことはないから」

 クロードは、ふむ、と片眉を上げた。

「つまり、家族にはお前の他にシグナを持つ者はいなかった、ということか」

「あ……うん」

 そうだ。父にはシグナはなかった。兄にも紋様はない、と父が言っていた。シグナが刻まれているのはリオンだけだった。

「それなら、私と同じですね」

 と、フィオ。泣いたあとの目の下は、まだ腫れぼったい。クロードのコートを、身体に巻きつけるように羽織り、身体を丸めて座っている。彼女の側には、ゼファーが寄り添っていた。

「私も、家族の中で、私だけにこのシグナがありました」

「君は、シグナの意味は知ってた?」

「私もあとから知ったことです」

「要するにだ」

 クロードは立ち上がると、焚き火の前を行ったり来たりし始めた。そうしながら話す姿は、本当にどこかの学校の“教授”のようだ。

「たとえ正統なカドモンの末裔であろうとも、その誰しもにシグナが刻まれるわけではない、ということだ。おそらく、数世代に一人か二人程度だろう。そうやって生まれた者は、得てして強い力を秘めている。先祖返りのようにな」

「ずっと小さい頃に、母から聞いたことですが」

 フィオの瞳は、リオンをとらえたままだ。

「私の曽祖父にもシグナがあったそうです。ですが、シグナの意味――つまり、カドモン・ティタニールの子孫である、という事実は、母の世代にまでは伝えられなかったみたいです」

「思うに、カドモンが背負う業のために、あえて隠したのだろうな」

「カドモンの背負う業って?」

 リオンの問いに、クロードは立ったまま、“講義”を続けた。



 カドモン・ティタニールを滅亡に陥れた戦。それは、最後の王朝の王位継承者が引き起こした叛乱であった。

 彼は、カドモン・ティタニールによる全人類の統治、という大義を掲げ軍勢を結集し、父である王を討った。

 この叛乱で、彼はバーラムを従える技を駆使し、意のままに操った。

 父を討ち、圧倒的な戦力で勢力を拡大し続けたこの男は、〈アーリム(真世の王)〉と呼ばれた。

 激しい戦のさなか、この〈アーリム〉を倒すべく、別の王族が将となり、少数の仲間を率いて立ち上がった。

 叛乱戦争の終末期は、この王族率いる抵抗派との、熾烈な攻防戦が繰り広げられた。

 戦いの果てに、ついに抵抗派は〈アーリム〉を追い詰めた。しかし彼を倒すまでには至らなかった。

 抵抗派の将は、我が身もろとも〈アーリム〉を封印。長く続いた叛乱戦争は、ようやく終わりを告げたのである。



「が、戦いは終わったものの、一つの因果がここで生まれた。善と悪、光と闇、表と裏、白と黒。二つの勢力の対立関係だ」

 舌が回るにつれて、クロードの語り口調は、ますます講義らしくなっていった。リオンは彼の背後に、黒板の幻影を見た気がした。

「〈アーリム〉を支持する一派は〈銀の眷属〉、その抵抗派――つまり人類を〈アーリム〉の脅威から救った救世主だな、これを支持する一派を〈あおの眷属〉と呼ぶ。これらの対立関係は、一族が滅びたあとも続いた。もはや宗教抗争だ。時代が変わるにつれて、二つの眷属は次第に表舞台から姿を消した。しかし、近年〈銀の眷属〉と思われる連中の活動が目立ってきた。奴らは自分達を〈アーリマン〉と呼んでいる」

「〈アーリマン〉……?」

「そうだ。奴らにとっては、〈銀の眷属〉以外のカドモンは宿敵。その子孫は絶やすべき火種なのだ。本人に自覚があろうがなかろうが関係ない。〈あおの眷属〉である以上は、誰であろうと敵だ。その逆もまた然り」

「じゃあ、つまり、カドモンの子孫は、敵対している眷属と戦う運命にあるってこと?」

「俺は『運命』などという言葉は嫌いだがな。望むと望まないのとに関わらず、起こるべくして起こることはある。お前のシグナがフィオと同じものなら、お前は〈あおの眷属〉の子孫だ。かつてのアルジオの総裁もそうだった」

 だからか、と、リオンは理解した。

 初対面のクラト・スタンウッドに、言いようのない嫌悪感を抱いたのは、彼がバーラムに限りなく近しい位置にいたからだ。

 クロードの講釈を参照すると、バーラムを操る技を編み出したのは〈銀の眷属〉。リオンが本当に〈碧の眷属〉の子孫であるならば、バーラムとそれを操る者は敵であると、本能が判断したとしてもおかしくはない。

「それで、教授とフィオは、ずっとカドモンの子孫を探し続けていたってわけ? その〈銀の眷属〉と戦うために」

「もともと〈銀の眷属〉と対立していたのはアルジオだ。フィオの出現は想定外だった。だが実在する以上、因果からは逃げられん。こちらが戦いを望まないとしても、向こうはそうはいくまい」

「僕にどうしろと?」

 クロードが足を止め、フィオは居住まいを正す。

 彼らが何を望むのか。ここまでの話を聞いたリオンには、容易に察することが出来た。けれど――。

「リオン」

 フィオの口調は、改まったものになっていた。

「私達に協力してくれませんか? あなたの力を貸して下さい」

「力って……、僕にはそんな力は」

 世界を支配しようとした眷属と戦うなど、そんな大それたこと、自分に出来るはずがない。

「お前が敵のカドモンだと奴らに知れたら、必ず殺しに来るぞ」

 クロードの言葉に、リオンは顔をしかめた。

「死にたくないなら協力しろって言いたいの? それって脅しじゃないか」

 我ながら棘のある言い方だと思ったが、取り消すつもりはなかった。

 だが、フィオの反応が気になって、彼女の方をちらりと見る。フィオは複雑そうな表情で、リオンとクロードを見比べたあと、静かに俯いた。

 急に罪悪感がこみ上げてきて、リオンは自分が恥ずかしくなった。

「その、いきなりな話だから、すぐには決められない。もう少し考えさせてくれないかな」

 フィオが顔を上げた。リオンは彼女の目を、正面から受け止める自信がなく、わずかに目線をそらした。

「考えるのはいいが、猶予はないぞ」

 クロードはその場に腰を降ろした。

「今回の一件、カドモンの問題と無関係ではない」

「どういうこと?」

「その鍵、おそらく十五年前の出来事に関わるものだ。十五年前、とある糞馬鹿野郎が、封印された〈アーリム〉の復活を目論み、〈降臨の儀〉を行った。儀式はアルジオによって阻まれ失敗に終わり、当事者のそいつは死んだ。スタンウッドは、その〈降臨の儀〉を執り行なおうとしている」

 焚き火が消えかけていた。もうとっくに深夜を過ぎている。

 クロードが片手をかざすと、消えかけた炎が、再び赤々と燃え始めた。

「スタンウッドが〈アーリマン〉かどうかは、この際どうでもいい。だが、おそらく協力者がいる。そいつが〈アーリマン〉だろう」



 朝日が昇り、簡単な朝食をとって、セプトゥスに向け出発した。

 初秋の少し肌寒い空の日の出は美しいものだったが、絶景を楽しむゆとりなど、今のリオンにはなかった。

 セプトゥスへと続く広い街道を、陰鬱な気分で歩く。クロード達とは少し距離を置いて、一人先に立って歩いている。


(どうしろっていうんだよ)


 昨晩聞かされた事実を、どう受け入れていいのか分からない。古代魔導の一族の末裔だとか、それゆえに戦う定めにあるとか、リオンの手に余る話だ。

 それが真実であったとしても、なんの能力もない自分が、どうやって戦えばいいのか。

 クロードは、昨日のバーラムはリオンが一撃で倒した、と言っていたが、その力も使い方が分からなければ意味はない。

 なによりも、怖い。

 自分が普通の人間と違っていたことが。身の内に秘められていた力が。戦わなければならないことが。その敵に命を狙われる宿命が。


(どうすればいいんだよ)


 こんなことになるとは想像もしなかった。

 頻繁に見ていた、あの奇妙な夢は、このことを意味していたのだろうか。

(僕は、僕はただ……) 

 目を伏せたまま歩いていると、足元に黒い毛玉が寄って来た。

「なにふてくされてんだよ。若いんだから、背筋伸ばして歩け」

 ゼファーはリオンの歩調に合わせ、ちょこちょことついてくる。

「ふてくされてるわけじゃないよ。ちょっと考え事してただけさ」

 そう弁解し、意識的に背中を伸ばす。

「まあな。急な話で混乱するのも分かるけどよ」

「正直、どうしたらいいのか分からない。力になりたいのは山々だけど、僕じゃ大したこともできないだろうし。僕はまだ、全然弱いから」

 実力の無さは痛感している。魔法を使わずとも、フィオの方が戦力として上なのは、無視できない現実だ。

 黒猫の尾が、しなやかに左右する。

「そうは言うけどお前、誰だって初めから強いわけじゃないんだぜ。フィオなんか、あんな細っこいのに、五年間あの馬鹿のスパルタに耐えてきてんだからな」

 それは、フィオの芯の強さがあってこそであろう。もしクロードに何か教えを請うて、その見返りが罵詈雑言と激しい特訓であったなら、リオンは耐えられる自信がなかった。

「あのの気持ちも察してやれよ。今までカドモンの末裔だってことで、一人で重荷を背負わされてたんだぜ。自分だけしかいないっていうのは、結構きついもんさ。俺はそれ、解かるからよ」

 ゼファーの声のトーンが、少し沈んだ。

 リオンは、彼とミスト・アンフィビアンのマレイスとの会話を思い出した。彼が生まれた時には、ほとんど仲間は残っていないと言っていた。

「ゼファー、君と同じ種属のドラゴンは?」

「母親と、群れの雌何頭かしか見たことねぇな。同じ年に生まれた幼竜は、他にいなかった。竜属ってのはな、繁殖能力が他の生き物より極端に低いのさ。俺の種属は特にな。幼竜期は体力もねぇし、群れから離れたら生きていけねぇ」

「そうなんだ……」

「ああ。俺が成竜になって群れから独立して、それ以来同種属に会ったことはねぇな。このままきっと、かわいい雌にも出会えねぇで、あの馬鹿に死ぬまで使われるんだぜ」

 と、ゼファーは小さな牙を見せて笑った。

 リオンはゼファーの言葉の中に潜む、深い悲しみに触れた気がした。

 竜属は数千数万の永き時を生きる。人間に置き換えれば、おそらくは二十代前半くらいと思われるゼファーは、まだ六百年ほどしか生きていない。彼はこの先、気の遠くなるような年月を、たった一頭で生きていかなければならないかもしれないのだ。

 今はクロードがいる。だが、当然のように、人間であるクロードは、ゼファーより先に死んでしまう。いつかまた、ゼファーはひとりになってしまうのだ。


 一人は、寂しい。


 父が逝き、兄とも離れて暮らし、一人も慣れたように思っていたが、時々無性に寂しくなることはある。

「ゼファー。君はどうして教授の従魔ヴルになったの?」

 少し話題をそらすと、黒猫はちらりとリオンを見上げた。

「お前、俺たち幻獣と魔導師とが、どうやって主従関係を結ぶか知ってっか?」

 知らないので、素直に首を横に振った。 

「ま、よく言う“契約”ってやつを交わすのさ。けど、これは魔法を知らねえ奴らには、結構誤解されてる。お前“契約”って聞いて、血を使ったり、生贄を差し出したり、魂を売り渡したりって、そんなおどろおどろしいこと想像しただろ」

「うん。違うの?」

「ああ。意外だと思うだろうけど、俺たちが交わす“契約”ってのは、要するに“約束をする”ってことなんだよ。血も生贄も魂もいらねえ。幻獣は魔導師に仕える代わりに、その見返りを自由に要求することが出来る。ただし一つだけな。その約束が有効な限り、幻獣は従魔として魔導師に仕える。約束が果たされない時は、従魔は一方的に契約を解くことが出来る」

「それってつまり、口約束ってこと? その、契約書とかも必要なく?」

 そんな簡単に、主従関係を結ぶことが出来るものなのだろうか。それでは従魔という立場に不満を持った幻獣の方が、「約束は果たされない」と勝手に決めつけ、契約を解除してしまう恐れもあるのではないだろうか。

 疑問を口にすると、ゼファーはからからと笑った。

「そりゃお前の言うとおりだわな。そんな約束、こっちから無かったことにしちまうってのも、多分可能だと思うぜ。けどな、手に触れられる証の無え約束でも、口にすると威力を発揮するもんよ。自分に対する誓いでもあるから、約束が反故にされねえ限り、従魔は魔導師に仕える。幻獣は、交わした約束は必ず果たすことを誇りにしてるって奴らが多い。だから、従魔から裏切ることはない、裏切るのは、いつだって魔導師の方さ」

 ゼファーの口調は皮肉めいていて、彼自身の本意は、薄いカーテンに仕切られた向こう側に、隠れているように思えた。

 言葉だけで交わし成立させた契約を保つため必要なのは、お互いの信頼であろう。そして、その信頼を信じる強い心が。

「ゼファー、君は、教授とどんな約束をしたの?」

 傍若無人な魔導師と、孤独な若きドラゴンの間を結ぶ絆がどんなものなのか、リオンは知りたいと思った。 

 けれど、

「そういう野暮なことはな、訊くもんじゃねえよ」

 黒猫はふふんと笑ってはぐらかし、それ以上は答えてくれなかった。


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