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左目の秘密

「はー、緊張した」

 マレイスの沼から離れ、霧も晴れたところで、ゼファーは猫の姿に変わった。うんと伸びをし、凝り固まった筋肉をほぐそうとしている。

「ねえ、ゼファーは前からあの方を知ってたの?」

 フィオの質問に、ゼファーは首を振った。仕草が人間じみている。

「いや、初対面だ。けど種属なら分かる。ドラゴンってのは、見ただけで、そいつがどのくらい生きてて、どんな地位にいるのかが分かるのさ」

「あのサンショウウオは何歳だ」

 クロードの不躾な言い回しに、ゼファーは牙を見せた。

「馬鹿! 失礼なこと言ってんじゃねぇ! せっかく気前よく通してくれてんのに。あのドラゴン、たぶん数万年は生きてる。水棲だけでなく、竜属全体から見ても相当な位にいるぞ。間違っても戦い仕掛けていい相手じゃねぇな」

「強いの?」

 弟子のこの問いには、師が答えた。

「ドラゴン社会は年功序列、縦のつながりが強い。おまけに歳をとればとるほど力が増す。何千何万年と生きるドラゴンに、たった数百歳の若造が逆らうなど許されない、ということだ」

「優しい御方で運が良かったんですね、私達」

「うむ。電撃喰らわして感電している隙に、あの鱗一枚くらい剥がしてくるべきだったな。貴重な研究材料になったのに」

 真面目に悔しがるクロードに、ゼファーは呆れて言った。

「速攻で食われちまえアホンダラ。お情けで見逃してもらったんだよ。マレイスにとっちゃ、俺らなんかカスだぜ」

「なに!? それは聞き捨てならんな。戻って決闘を申し込むか」

「お前本当に一回死んだ方がいい」

 リオンは仲間達の賑やかしい会話を、後ろからついて行きながら、ぼんやりと聞いていた。

 

 マレイスの謎かけのような言葉が、頭から離れない。

 

 ――奇妙な星の元に、

 ――その筋が渦を巻いて、そなたに絡みついておる。

 ――内なる声に耳を傾けなさい。

 ――恐れてはならぬ。

 

 マレイスは、リオンの中に何を視たのだろう。答えを教えてくれなかったのはなぜなのか。

 どこともつかない方向を見つめ、ドラゴンとの不思議な“会話”を、頭の中で反芻した。


「リオン、どうかしましたか?」

 目の前にフィオの心配そうな顔が現れ、リオンははっと我に返った。

「あ、いや、別に」

 マレイスに言われたことを打ち明けようか。リオンは迷ったが、黙っていることにした。打ち明けて、何かの答えに辿り着くのが怖かった。

「それより、この先どう行けばいいのか分かる? マレイスは『使いに案内させる』って言ってたけど」

「あれが使いだろうよ」

 クロードが顎で進行方向を指した。

 見ればリオン達の行く先に、あの光る蝶が一匹だけ、ひらひらと舞っている。蝶は淡い星の光を放ちながら飛び、羽ばたくたびに、きらきらと美しい鱗粉を散らした。

 蝶は、リオン達を待つように飛んでいたが、近づくと離れていった。こうして森の出口まで連れて行ってくれるようだ。

 ドラゴンの使いの蝶に導かれ、一行は森を進んだ。道中では何の異変もなく、安全だった。



 やがて日が傾き、頭上の木々から燃えるような暮れの光が射し始めた頃、リオン達は無事に森の外に出た。

 空は藍色に染まり、陽が落ちていく地平線だけが赤々と太陽に照らされていた。白い雲の群れが暮れの光を受けている。

 蝶がゼファーの周りを舞い飛んでいる。 

「ここはハイメルとは反対側の平原だとよ。東に行けば街道に出られるらしい」

 蝶は告げるべきことを告げ、役目を果たすと、その場でふっと消えた。

「ハイメルの反対側か。ちょうどいい。街道に出て南下すればセプトゥスだ」

 クロードは足元のゼファーに命じる。

「もうすぐ陽が落ちる。夜闇にまぎれれば姿を見られることもないだろう。ゼファー、運べ」

「はいよ」

 ゼファーの身体がぶるっと震え、変身が始まる。

 その時、再びあの異変がリオンを襲った。

「待って!」

 叫ぶリオンの声に、ゼファーの変身が止まった。

「なんだよ」

「いや、その……」

 左目が痛みを帯びてきた。目の周りが熱くなる。痛みは急に激しくなり、リオンを苦しめた。

「また、目が痛いんですか?」

 片膝をつくリオンの側で、フィオも膝を折る。

 三度目の痛みは耐え難いものだった。いっそのこと、この左目を抉り出してしまいたいほどだ。

 痛みと共に、悪意の接近も感じられた。


(来た……!)


 ドン! と大地が揺れ、土埃が舞い上がった。暮れる陽を背に、巨体が聳え立つ。

 逆光で正確な容姿は判らないが、そのシルエットはまるで昆虫である。ゼファーのドラゴン形態と同じほどの大きさの、昆虫型バーラムだった。

 その足元にあの男、クラト・スタンウッドが立っている。

「やあ、待っていたよ」

 スタンウッドは銀縁眼鏡を指先で押し上げた。

「君のことだ、ひょっとしたら森の主を怒らせて食われたのではないかと思ったが、ドラゴンを従えていて運がよかったな」

「また新しいバーラムか。次から次へと豪勢なことだ。たまには自分の身体一つで戦ってみたらどうだ」

 クロードは挑発的に嗤う。

「遠慮しておくよハーン。私は信念を貫き会得したこの技術をもって、君を殺したいのだよ」

「そんなに俺が気になるのか。俺のことを考えると、歯がゆくて夜も眠れない。そうだろう」

「ああ、その通りだ。ハーン。君を殺したくて気が狂いそうだよ」

 それまで冷静だったスタンウッドが、感情と共に一気に魔力を解放した。風圧化した魔力が悪意を孕んで、リオン達に押し寄せる。

 バーラムの前足が、クロードの頭上に振り下ろされた。瞬時にドラゴンに戻ったゼファーが、主をかばって受け止める。

 受け止めた前足を、ゼファーが噛み千切る。バーラムが奇声を上げた。

 怒り狂ったバーラムは、もう片方の前足を横に振るい、リオン達をもろとも薙ぎ払おうとした。

 迫るバーラムの攻撃を、クロードが魔法の障壁で防いだ。しかし、その重い一撃に、クロードがよろめく。

「だからお前の性格は嫌いだというのだ!」

 怒声を吐くクロードの魔力が、バーラムの前足を弾き返した。

 クロードは間髪入れず、スタンウッドとバーラムに炎の矢を無数に放った。

 スタンウッドが杖をかざし、魔法障壁を張る。障壁と炎の矢が相殺された。

 クロードはスタンウッドと、ゼファーはバーラムと、互いに一歩も退かない攻防が繰り広げられる。

 フィオは師に加勢したいだろうが、身動きできないリオンの側から離れられないでいた。



 リオンは、左目の痛みに苦しみ続けていた。

 バーラムが現れたのに、痛みが消えない。感覚が麻痺し、意識が朦朧としてきた。

 クロード達の壮絶な魔法戦が、遥か遠くの出来事のように見える。音もよく聴こえない。

 リオンの五感は、世界から遮断された。自分の荒い息遣いだけが、不気味に耳に響く。

 薄れた視界に、バーラムと、それを操る人間の姿が映る。


 ――あれは、


 失いかけた視覚が蘇り、敵の姿だけを鮮明にとらえた。


 ――あれは、“敵”だ。


 頭の中で、そうはっきりと認識した。

 バーラムは敵だ。倒すべき邪悪だ。そのバーラムを操る人間もまた、排除すべき対象だ。

 

 ――内なる声に耳を傾けなさい。


 内なる声、白い世界のあの声が言う。


 ――解き放て。


 痛みが消えた。

 そこから意識が途切れた。



       *



 目を開けると、そこには懐かしい顔があった。

 無骨で不器用だが、温かくて優しい父の顔が。

 ああ、よかった父さん。側にいてくれたんだね。

 怖かったんだよ、とても怖かったんだ。

 父の様子がおかしい。哀しげに歪んでいる。


 ――お前の目の秘密を、誰にも知られてはいけない。


 父の硬い手が、リオンの左側の頬を撫でる。


 ――知られてしまえばお前は、行かなければならなくなる。


 行くってどこへ? 僕がどこへ行くと言うの。


 ――行けば、もう戻れない。


 どこへも行かないよ、ここにいるよ。


 ――不憫な子だ。

 ――生まれてきたばかりに。


 父の顔が、一層苦痛に満ちたものになる。

 ねえ、父さん。どうして泣いているの。

 どうして。

 

 僕の首を絞めるの。



       *



 目を開けると、そこには満天の星空が広がっていた。

 冷たいものを感じて、左の頬をなでる。涙だ。拭って、大きく息を吐いた。

「気がついたか」

 クロードの声がしたので、そちらに顔を向けた。

 焚き火がはぜるその向こうに、魔導師は片膝を立てて座っていた。コートは着ていない。彼の黒いコートは、リオンの身体にかけられていた。

 焚き火の側では、黒猫ゼファーが背中を丸めていた。

 フィオはリオンの側にいて、上体を起こすリオンに手を貸してくれた。

「具合はどうですか? まだ気分が悪いですか」

「いや、今は別に」

 気分は悪くなかった。ただ、身体が少し震えている。

「フィオ、スタンウッドとバーラムはどうなったの。僕は一体……」

「覚えてないんですか?」

「うん」

 フィオは困ったようにクロードを見た。

 クロードはしばし黙っていたが、やがて口を開いた。

「バーラムはお前が倒した。一撃でな。スタンウッドには逃げられた」

「え……?」

 リオンは耳を疑った。

「倒したって……僕が? そんなのありえないよ」

「だが事実だ。お前の放出した魔力が、バーラムを消滅させた。覚えてなかろうが、ありえなかろうが、実際に起きたことだ」

「そんな……」

 否定意見を求めてフィオを見た。フィオは桜色の唇を結び、一つ頷いた。

「そんなはずない。だって僕は魔導師じゃないんだ」

「自分の魔力に気付かず、ごく普通の人間として過ごす者は少なくない。そういう連中は、何かの弾みで魔力が開花することがある」

「僕もそれだって言うの?」

「お前の場合は特殊かもしれん」

 クロードが腰を上げる。ゼファーが主の動きを目で追う。

「言え。お前、何を隠している」

「か、隠すって、何を」

「闇市でお前の目が痛んだ時に敵が現れた。今回もそうだ。呪文もなく、バーラムを一撃で倒した。お前は何者だ。隠し事があるなら言え」

「し、知らないよ。何も隠してなんかない」

 クロードの柳の目が、心を探っているようで落ち着かない。

「なら質問を変える。お前、身体のどこかに紋様がないか」

 心臓がつかまれた気がした。

(どうしてそれを)

 リオンは動揺を抑えようとしたが、クロードは見逃さなかった。

「あるんだな」

 答えるべきか迷った。黙っていると、フィオが顔を覗きこむ。

「あるんですね、紋様」

 クロードが焚き火を迂回し、近くに寄ってきた。

「見せろ」

「……嫌だ」

「なぜだ」

「紋様なんかない」

 ――お前の目の秘密を、誰にも知られてはいけない。

「見せたくない理由を言え」

「嫌なものは嫌なんだ」

 リオンは頑なに拒否した。

「お願いです、見せて下さい」

「フィオ、君までどうして」

「とても大事なことなんです。あなたにとっても、私にとっても」

「君に?」

 フィオは頷き、少し頬を染めた。そしてためらいがちに、衣服の襟ぐりを握り、リオンに胸元をさらした。

 息が止まりそうだった。フィオの白い胸元に、見覚えのある紋様が刻まれていたからだ。

 紋様の形状は、どう表現していいのか分からない、奇妙なものだった。曲線と鋭角で構成されていて、何かが翼を折りたたんでいるように見えないこともない。

「この紋様が、あなたの身体のどこかにありませんか?」

 フィオは、リオンが紋様を見たのを確認すると、素早く胸元を隠した。彼女にとっては勇気のいる行動だったはずだ。

「そ、それは。フィオ、君のそれは」

「生まれつきのものです。お願い、紋様を見せて」

 フィオは恥ずかしさを押し殺して、自分の紋様を見せた。しかし、それでもリオンの決心がつかない。

 クロードの舌打ちが聴こえた。 

「ええい、煮えきらん奴め。言いたくないならこっちが探してやる。脱げ」

「は?」 

「脱げ。身体検査だ」

「い、嫌だ!」

 リオンはクロードのコートをはねのけて立ち上がった。

「あっ! 俺のコートを! そうか、脱ぎたくないなら俺が脱がしてやる。そこになおれ」

 とんでもないことを言い、クロードは奇妙な手つきでじりじりと距離を詰めてきた。

「そっちの方が嫌だ! その手やめろよ!」

「自主的に脱ぎたくないのなら、脱がすしかなかろう。手短に済ませてやるからおとなしくしろ」

「手短とか意味ないよ!」

「お前、女に胸元さらさせておきながら、往生際が悪いぞ! 女にそこまでやらせたのだ、お前は全部脱がす!」

「変態魔導師! ゼファーなんとかしてよ!」

 リオンは従魔ヴルに助けを請うた。だが黒猫は無情にも、首を横に振るのである。

「悪いなリオン。たしかにこりゃ一大事なんだ。お前の紋様が確認できなきゃ、話が前に進まねぇのさ」

 フィオまでも思いつめた表情で、じっとリオンを見据えている。

「ごめんなさいリオン。でも本当に、本当に大事なことなんです」

「何が大事なんだよ! 三十路男に服脱がされる方が一大事じゃないか!」

 こういている間にも、三十路男は着実に距離を詰めてくる。

「三十路男に服脱がされたくないなら、十代の女ならどうだ。フィオ、俺が抑えるから、お前がやれ」

「ええええええええ!?」

 リオンが動揺した隙に、クロードが背後に回って羽交い絞めにした。

 さすがにこの作戦では、フィオも抵抗するだろう。そう期待していたが、

「リオン、これで嫌われても仕方ありません。覚悟は決めました」

 予想外の結果だ。

 リオンはクロードの拘束を解こうともがいたが、魔導師のくせに格闘家並みにしっかりと締めつけていて、逃げられなかった。

 フィオの手がリオンの上着に伸びた。

 その時、菫の瞳が、リオンの左目に引き寄せられた。覗き込むように、穴が開くほど見つめてくる。

 フィオの吐息が頬に当たるほど、二人の顔が近づいた。

 その菫の瞳に、みるみる涙があふれる。

「……あった」

 細く、ほのかに熱を帯びた指が、リオンの左目尻に触れる。

「やっと……やっと、見つけた」

 囁くように言うと、フィオはリオンの胸に顔をうずめ、声を殺して泣くのだった。


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