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水の竜ミスト・アンフィビアン

 森の中は静謐な空気に満ちていた。湖を隔てているとはいえ、付近に大きな町があるとは思えない清廉さだ。

 鬱蒼と茂る木々の隙間から漏れる日光は、金色に輝く滝となって、森中に注がれている。何種類もの鳥のさえずりが重なって、合唱会が開かれているようだ。

 遠くの木陰で鹿の親子が草をみ、下生えの中から野兎が飛び出して駆けていった。                      

 

 一行は獣道を一列になって歩いていた。先頭はクロード、次にフィオ、しんがりはリオンが務めている。

 三人の横には、ドラゴンの姿のままのゼファーがおり、のしのしと丈夫な足で歩を進めていた。

 どこに向かっているのだろう。リオンは胸中で首を傾げる。見知らぬ森の中、歩いているのは獣道。宛てがあるとは思えない。

 ゼファーが言うには、「適当に歩いていれば向こうから呼び寄せてくれる」とのことだった。


「ねえ、訊いてもいいかな」

 黙ったまま歩き続けるのが辛くなってきたので、リオンは前を行くフィオに声をかけた。

「君は魔法を使う時、ちゃんと呪文を唱えるけど、教授は唱えたり唱えなかったりするよね。それって、どんな違いがあるの?」

 すると、フィオは少し身体を後ろに向けて、にこりと笑った。

「それはやっぱり、実力の違いです。私はまだ一人前とは程遠くて、きちんと形式に則ったやり方でないと、魔法を扱うことは出来ないんです。呪文は省略出来ないし、そもそも呪文がなければ魔法を発動させることが出来ません」

 フィオは目で、前方の師を示した。

「教授は、中級以下の魔法の発動に、呪文を必要としません。彼は魔導教会でも屈指の実力者で、かの〈英祖〉アスモデウス=オル・ダーラスに匹敵するほどでは、とも言われているくらいです。ちょっと性格面には問題がありますけど、魔法の才能に関しては天才的だということは、私も同意します」

 鈴の音のように耳に心地よいフィオの声で語られる、非常に興味深い話を、リオンは頷きながら聞き入った。

 先の戦いでクロードの実力は理解できたが、そこまで高い能力を秘めている人物だとは、思いもよらなかった。

「その、〈英祖〉って誰?」

「アルジオ=ディエーダ創設団の一員、稀代の魔導師オル・ダーラスのことです。その類稀な魔導の才を称えられ、ただ一人〈魔王アスモデウス〉の称号を得た人物でもあります。現在の魔法の体系化を成し遂げた偉人ですよ」

 リオンは魔法に関する知識が皆無だ。だから、そんな偉大な人物が歴史上に存在していたとは、まったく知らなかった。

「じゃあ、そんな教授ってそれだけ凄い人ってことなんだね」

「なーにが偉業だ。この馬鹿は凄いんじゃねえ、ただの変態だ」

 口を挟んだのはゼファーだ。

「いくら実力があったってな、人間としてなっちゃいねえんだよ。こいつは真性の厄介者さ」

「おい、そこのでかい猫。言うに事欠いてご主人様を厄介者呼ばわりとはいい度胸だな」

 それまで黙っていたクロードが、従魔ヴルの雑言を聞き咎め、指を突きつけた。

「適温の湯に叩き落としてお花の香りのする石鹸で洗ったあと、ふっかふかにブラッシングして幼児の群れに放り込んでやるから覚悟しておけ」

「あ、やめろバカ! ヒトの子どもにもみくちゃにされるのだけは勘弁してくれ!」 



 歩き始めて小一時間ほど過ぎただろうか。どこからか水の流れる音が聴こえてきた。それに伴い、あたりに薄く白い靄が出てきた。

 進むにつれ、水の音が近くなる。靄は徐々に濃度を増し、霧に変わった。

 いつの間にかリオン達の周りを、星のように光る蝶が何匹も飛んでいた。蝶は一行を囲むように飛んでおり、まるでこの先への案内をしているかのようだった。

 蝶に導かれた一行は、やがて沼の淵にたどり着いた。沼の対岸は霧に覆われて見えないが、かなり広い沼だと思われた。沼の西側には一筋の川が流れている。これが先ほどから聴こえていた流水音の元であろう。おそらくオルシワ湖につながっている。

 

 リオン達が沼のほとりに立つと、光る蝶達はひらひらと水上に飛び去っていった。蝶は淵から五クルクほど離れた所に突き出た、大きな岩の周りをぐるぐる回ると、一斉に姿を消した。

 間もなく水面がゆっくりと盛り上がり、巨大な影が沼の中から現れ、大岩の上によじ登った。

 同時に霧が薄く晴れて、大岩の上に登ったものの正体を明らかにした。

 それは大岩と同じほどの大きさで、丸っこい形をしていた。表面はつるりとしていて、四肢は太く短く、ごつごつした鱗が少し生えている。胴より長い尾は水の中に浸かったままで、その尾から頭部にかけて、短くも鋭く尖った角がびっしりと生え並んでいる。

 凹凸のないのっぺりした顔には、申し訳程度の小さな目と、相反した大きな口。

 例えるならば、巨大なサンショウウオだ。奇怪な巨大生物の出現に、リオンとフィオは後ずさって、自然と身を寄せ合った。クロードは全く動じておらず、それどころか興味深そうに「ほう」と声を上げるほどだった。

 サンショウウオの大きな口が薄く開き、赤黒い口腔が垣間見えた。

「何やら騒がしいと思うて出てみれば、これは珍しい客人まろうどじゃ」

 森の主であるドラゴンの声は意外にも穏やかで、柔和な老人を思わせるようなゆったりとした話し方であった。

 ゼファーが頭を低くし、いつものちゃきちゃきした口調を抑えて、厳かに言った。

「ミスト・アンフィビアン、すいません、縄張りと知らずに侵入しちまいました。争いに来たんじゃねぇんです」

 ミスト・アンフィビアンというのが、沼のドラゴンの種属名なのだろう。 

 ゼファーの謝罪を受け、ドラゴンの小さな目が、より一層細められた。

「おお、懐かしきかなクラウド・スプリット、〈雲を貫きし者〉よ。幼き森の子、われがそなたの同胞はらからを最後に見たのは、はて、いつの頃であったろうか」

「俺が生まれたのは六百年前です。その時は、もう仲間はほとんど残ってませんでした」

 ゼファーの深緑の目が、一瞬寂しげに曇った。

「そなた、名は」

「ゼファーといいます」

「ヒトに仕える身であるか」

 ドラゴンの目がクロードに向く。クロードは動じることなく、黙ってドラゴンを見据えている。

 ミスト・アンフィビアンはそれからしばらく、リオン達一人ひとりをじっくりと観察した。初めにクロードを見て、そのまま視線をフィオに移す。最後にリオン。気のせいか、リオンを見つめる時間が、他の二人より長かったように感じた。

「ふむ……」

 沼のドラゴンの喉が、遠雷のように唸った。

「そなたらが何ゆえこの森を訪れたのか、その経緯いきさつは森の木々から教えてもろうた。悪しきモノどもに追われ、まっこと難儀であったの。しかしながら、そなたらとともに降ってきた、あの鉄の塊はいかがしようぞ?」

「あれか。あれならいらん。どうにでもしろ」

 ゼファーより先に口を開いたクロードが、ぞんざいな物言いで答えた。他人の所有物を乗り回した挙句、大破させた側の言い分ではない。

 クロードの横柄な態度には、ゼファーだけでなく、リオンとフィオもひやひやさせられた。無礼な人間の言葉に、ドラゴンが機嫌を損ねないか気が気でない。

 しかし沼のドラゴンは怒ることなく、丸くてつるつるの胴体を揺らし、くっくっと笑うのだった。

「さすがに竜を従える者は、吾を恐れることもないようじゃ。竜の主、そなた、ヒトの身には余るほどの力を持っておるな。使い道をあやまてばその身を滅ぼすことにもなろう。気をつけなされ」

「忠告痛み入る。だがこの俺が、俺自身の力の使い方を間違うなどという失態を犯すことは断じてない。何故ならこの俺はクロード=クラウディオ・ハーンだからだ」

 根拠の見当たらない自信を、自信をもって主張するクロードの姿勢は、相手がドラゴンであろうとも、微塵も揺るがなかった。

 ミスト・アンフィビアンの小さな目は、次にフィオに向けられた。

「娘、そなたからは古き血の匂いがする」

「お、お分かりになるのですか?」

 ドラゴンの言葉に、フィオは戸惑い、身じろぎした。

 リオンは“古き血の匂い”の意味が分からず、一人首を傾げた。

「そなたはいずれ、その血が招く定めの奔流に飲まれるやもしれん。じゃが、目を閉じても、耳を塞いでもならぬ。しかと目を開き、耳を澄ませよ。さすれば道は開けよう」

「はい。お言葉、胸に刻みます」

 フィオは表情を強張らせながらも、丁寧に礼を述べ、頭を下げた。

 沼のドラゴンの言葉が途切れたのを見計らい、ゼファーが口を開いた。

「ミスト・アンフィビアン。森を騒がせてすいません。けど、俺達は森を出たいだけです。このまま見逃してくれませんか」

 ミスト・アンフィビアンはゼファーに顔を向け、歳若いドラゴンをじっと見つめた。

 やがて彼は、

「よかろう」

 と答え、尻尾で水面を叩いた。

「吾、ミスト・アンフィビアンのマレイス、そなた達の通行を認めよう。しかし、森はそなた達の道行きを邪魔だてはせぬが、そなた達に何が起ころうとも干渉せぬ。そのこと、忘れぬよう」

「ありがとうございます」

 ゼファーは一層頭を垂れた。フィオもそれに倣ってお辞儀をする。

「では、もう行きなさい。我が使いに案内あないさせよう。見失うでないぞよ」

 森の主との会見は、そこまでだった。ゼファーは静かに後退してから方向転換し、クロードとフィオもきびすを返した。

 リオンも仲間達に続こうとした時、


(待ちなさい)


 頭の中で声が響いた。

 振り返ると、マレイスの小さな双眸が、真っ直ぐにリオンを射ていた。


(僕、ですか)


 驚きながらも意識だけで応じてみた。マレイスには充分伝わったようだ。

 リオンは仲間達を呼ぼうと前を向いた。ところがどうしたことか、皆、動きをぴたりと止めている。

 リオンとマレイス以外の時間が、止まってしまっていた。

(そなた、奇妙な星の元に生まれたようじゃ。そなたの周りに筋が見える。たくさんの筋じゃ。その筋が渦を巻いて、そなたに絡みついておる)

(それはどういう意味ですか)

(今は申せぬ。いずれ解かるであろう。かつて、そなたと同じ星を負うた者達がおった。ある者は光と共に歩み、ある者は闇に喰われた。そなたは、そのどちらになるのであろうな)

 リオンにはドラゴンの言葉が理解できなかった。

 光と共に? 闇に喰われた? それは何を意味するのか。

(内なる声に耳を傾けなさい。己の真実を知りたいのならば、恐れてはならぬ)

 内なる声。それは、あの夢の中の不思議な声のことか。なぜそのことをドラゴンは見抜いたのだろう。

 リオンは数秒の間、物思いにふけった。そしてマレイスに尋ねようと顔を上げたが、すでにドラゴンの姿は、大岩の上にはなかった。

「こら、何を呆けている」

 後頭部を叩かれた。振り返ると、クロードがやぶ睨みで拳を掲げている。

「ついて来ないのなら置いていくぞ」

「あ……ごめん」

 クロード達には、先ほどのドラゴンとリオンの会話が、なかったことになっている。時間が止まっていたのだから当然ではあるだろうが。

(どうして僕に……)

 リオンは最後に一度だけ、沼を振り返った。ドラゴンが顔を出してくれはしないかと。

 だが、淡い期待は叶わず、森の主はもう戻ってこなかった。


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