序
解き放て、と、誰かが言った。
男なのか、女なのか。大人なのか、子供なのか。はたまた老人か。なんとも特徴のつかめない声である。
耳元で囁かれたかのごとくにすぐ近くで聴こえるのに、声の主である“誰か”の姿はどこにも見当たらない。
――ああ、夢か。
そう自覚した途端、急に目の前の景色が開けた。
目もくらむほど高い空に、悠然と浮かぶ真っ白で厚い雲の群れ。純白の砂の大地には、数ケル=セトルほどの水が湛えられ、鏡のように青天を映し出している。
地平線に隔てられていなければ、どちらが天でどちらが地なのか分からなくなりそうだ。
周囲にはなにもない。建造物はおろか、山や木々さえもない。
吹きつける風は啼きもせず、足が水を跳ね上げても音は立たない。
白い世界には、ただ天と地があるのみだった。
この場所は、もちろん知らない。実際に訪れたことなど一度もない。
それなのに、心のどこかでは「懐かしい」と感じていた。深い深い記憶の奥底に、この風景があるのだ。
今までに何度も同じ夢を見たから、そのように感じるのだろうか。
――いいや、そんなんじゃない。
一歩踏み出して、前に進もうと試みる。もう一歩。また一歩。
しかしどれだけ足を動かしても、どこにもたどり着きはしない。歩いているのはたしかなのだれど、少しも進まないのだ。
途方に暮れていると、また、
解き放て。
誰かが言う。
なす術もなく、天を振り仰ぐ。
吸い込まれそうな青い空を見つめていると、足元の地面がぽっかりと口を開ける。
真っ逆さまに落ちていく。
この夢は、そこで終わる。