嫌われていると思っていた婚約者は、私のためにすべてを壊していた ~辺境で再会した彼は、幻だと思った私を溺愛した~
私はこの王国の王太子の婚約者でした。
子供の頃に決められた私との婚約を王太子は嫌っていたのかもしれません。
それに、私は気づかなかった。
ただ、ずっとあなたを大好きだっただけ。
ある時から、婚約者は放蕩三昧の日々で、王太子の地位を剥奪されて辺境に送られてしまう。
その頃には、私も、もうあなたを好きだなんて言えなくなってた。
私は新しく王太子になった第二王子の婚約者になる。
けれど、あなたが私の為に自分を壊していた事を知った。
だから、私も自分を壊す——。
◆◇◆
セレスティア王国、王都セレニスのルミエール王宮に私は呼ばれていた。
第一王子で王太子のアルベルトの婚約者として子供の頃から王宮には出入りしているけど、呼び出されるなんて事は滅多にない。
きっと大変なことが起こっているんだ。
嫌な予感に胸の鼓動が速くなった。
アルベルトの普段の態度から予想は出来た。
私と彼は同じセレスティア王立貴族学園に通っていたけど、いつの頃からか学園で見かける事はなくなった。
私は二年生で、彼は三年生だから、もうすぐ彼は卒業なのに。
噂では夜な夜な遊び回っているらしく、先生たちも困り果てているという。
それとは別に王太子教育も途中で放棄してしまっていると聞いた。
それに、私と出かけた先では私をほったらかしにして、いつの間にか別の女性と仲良くなっていて、私を置いて帰ってしまったことがあった。
側近や召使がそばにいるから帰れなくなる事はないけど。
それに私が抗議するとまるで私が悪いように口汚く罵られた。
公式な夜会でも婚約者をそっちのけで女性といるのは当たり前になっていた。
私は、夜会で気を使ってくれる友人達と過ごしていた。
挙句に未成年なのに酔っ払って調度品を壊すと言う大失態を見せた。
ほったらかしにされていたとは言え、婚約者の私はとても恥ずかしい思いをした。
「アリアンナ! 君も呼ばれたのか」
声をかけてきたのは婚約者アルベルトの弟の第二王子のセドリックだ。
「セドリックも何も知らないの?」
「ああ、たぶん兄さんのことだと思うけど」
セドリックは私と同じ歳で、アルベルトの一歳年下だ。
金髪碧眼で王子様らしい容姿で、活発そうで人懐っこい印象を受ける。
実際に、昔からセドリックの方が活発で、問題を起こしそうなのもこっちだと思っていたのに。
アルベルトは、黒髪に碧眼で静かだけど優しそうな容姿で、ひとつ年上なこともを除いても落ち着いて聡明で理知的な男の子だった。
それが、ここ一年でまるで人が変わったようになってしまった。
王の前にはアルベルトがいた。
私アリアンナとセドリックの他には、王宮の重鎮が数人並んでいる。
王がアルベルトに王太子からの退位を伝える。
「公爵令嬢のアリアンナ・ベルシュタインとの婚約も解消とする」
私は息が止まる。
子供の頃、大好きだったアルベルト。
大きくなって婚約者だからって私が腕に巻き付いて歩くのに困ったように笑って付き合ってくれた。
ある日、キスしてくれた時はすごく嬉しかった。
たくさんの思い出を重ねた大事な人だったのに……変わってしまった。
出かけて、三度目に外に置いて帰られた時に、急速に目が覚めていったわ。
もう、あなたなんか好きじゃない。
でも、アルベルトの背中を見ていると、少しだけ悲しい。
「新しい王太子はセドリック・セレスティアとし、公爵令嬢アリアンナ・ベルシュタインを婚約者として迎える」
とんとん拍子に決まってしまう。
「アルベルト・セレスティアはイシュガル辺境領送りとする」
……!
まさか! 辺境送りになるとは思っていなかった。
「アルベルト!」
そう呼びかけたい衝動に駆られたけど、王の前ではまずいと、手を握って自制した。
立ち上がったアルベルトは、私を一瞥して出って行った。
悲しそうな瞳と裏腹の、満足そうな唇があった。
◆◇◆
王や重鎮たちの前から下がって、王宮の中を駆け回ってアルベルトを探すけど見つからない。
アルベルトの王宮はすでに封鎖されていて入れなかった。
「兄さんはもう馬車で辺境に向かったらしいんだ……」
セドリックが教えてくれる。
「え?」
「そんなの、辺境送りになるのを知ってたみたいじゃない……」
「たぶん、兄さんは知ってたんだよ。……むしろ……」
むしろ……?
「アルベルトは、辺境送りになりたかったの……?」
最後に見たアルベルトの表情は、口角が上がって満足そうだった。
あれは計画通りにいったからだったの?
セドリックの婚約者になってからは楽しい。
「アリアンナ、帰ろう」
学園の朝も帰りも同じ馬車に乗る。
王宮の横の公爵邸で私が降りて分かれる。
アルベルトがおかしくなる前もこうだった気がする。
目の前には金髪のセドリックがいる。
黒髪のアルベルトじゃない。
なのに、子供の頃から大好きだったアルベルトが忘れられず、セドリックがアルベルトのような気がしてくる。
アルベルトの事は好きじゃなくなったはずなのに……。
「アリアンナは俺といる時に、どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるんだ?」
馬車の中で、セドリックに聞かれる。
「なんでもないわ……」
「たぶん、アルベルトが忘れられないんじゃないのか?」
セドリックに言われてドキッとする。
「アリアンナは子供の頃からアルベルトが好きだったし」
「でも、アルベルトは変わってしまったの。別れる前にはもう好きじゃなかった……」
「もし、アルベルトが変わらなかったら、今も好きだったんじゃないのか?」
「それは……」
アルベルトが変わって置き去りにされた時のことを思い出す。
その三回目——。
別人のように見えた——。
あれがなければ今でもアルベルトを好きだった?
「うん、好きだったと思う……」
でも、そんなの今更言っても仕方ない。
「僕が、アルベルトなんだ」
「え?」
セドリックがアルベルト。
私はポカーンとする。
魔法の存在は知っているけど、身体を入れ替える魔法?
「いつから……?」
それは一年前……アルベルトがおかしくなり始めた頃からだった。
◆◇◆
私、アリアンナには聖なる力がある。
それは、愛する人とその一族に加護を与えるものだ。
我がベルシュタイン公爵家の令嬢には時々この能力を持つ娘が生まれて、王太子に嫁ぐことが決められていた。
セレスティア王国では、聖なる力を持つ聖女が王妃になった代は、より繁栄すると信じられていた。
聖女とは言われてはいるけど、自分の加護の力は見えないから、周りの言い方が大袈裟に感じる。
それでも王太子のアルベルトと結婚することが決まっているのは嬉しかった。
けれど、この聖女の力がアルベルトと結婚するための障害になったらしい。
アルベルトは王の前妻の子だった。
婚約者がいた王が反対を押し切って結婚したのが、アルベルトの母親だったが、子を産んですぐに亡くなり、すぐに王も本来の婚約者と再婚したから、アルベルトもその現王妃の子だとみんなが思うようになっていた。
そして、昔に起きた王位継承を巡った兄弟間の争いにより、長子が王位を相続するのが決まりで、アルベルトが王太子になる。
「俺も本当の母親がいる事は知っていたけどあまり気にしていなかったんだ」
自分が本当のアルベルトだと言うセドリックが話す。
「2年前くらいから、母親の親族を名乗る者たちが本来のアルベルトの身体だった俺に接触して来るようになったんだ。理由は実の母が滅んだ邪神を崇めていた王国の末裔で、邪神を復活させたい一族が、君——アリアンナの聖なる力に目をつけたんだ。
俺が断ると、アイツらはセドリックを仲間に引き込もうとした。アイツらはセドリックの手を借りて、俺アルベルトとセドリックの身体を入れ替えた。一度はアイツらに協力するつもりだったセドリックだけど、考え直して、アルベルトになった自分が王位を剥奪され婚約者から外れて、全て俺——セドリックに譲る道を選んだんだ」
「……あなたが、本当にアルベルト様なの?」
にわかには信じられないけど、わからなかったアルベルトの態度の変化に説明がつく。
「もう、あんな事はしないの?」
「あれは、セドリックがやった事だよ。俺は絶対に君を傷つけない」
セドリックの姿のアルベルトの言葉に私は安心する。
前に、アルベルトに抱きついていたようにセドリックの身体に抱きつく。
でも、違和感にすぐ気づいた。
この人は、私がキスしたアルベルトじゃない、私が戻って来て欲しいアルベルトじゃなかった。
ただ、もうそれは言えない。
「愛してるよ、アリアンナ。ずっと、また君と抱き合いたかった」
「……私もです。アルベルト様」
ずっと、小さな頃から私が好きだったアルベルトはこの人だから——。
◆◇◆
——一年前。
俺、セドリックは、アルベルトの体を手に入れていた。
これでアリアンナは俺のものになる……。
アリアンナがアルベルトに向かって——俺に向かって駆けてくる。
長い茶色の髪を風になびかせて、ドレスの裾がふわりと揺れる。
「アルベルト様」
俺に追いつくと、左腕に両手を絡めて抱きついてくる。
「お会いしたかったです……」
走ったからなのか、少し息を切らして頬を赤らめてアルベルト——俺を茶色の瞳で見つめる。
可愛い!
身体に電流が走ったように痺れた。
完全に俺に甘えて全てを委ねるように見上げる、こんなアリアンナの顔を見たことがない。
俺が——セドリックが好きになったアリアンナの何倍も可愛い。
二人、腕を組んだまま歩く。
アリアンナはアルベルトの腕に手を置いたまま話し続けている。
アリアンナとアルベルトにとってはこれが日常だったんだ。
ズキっと胸が痛む。
アリアンナは、俺——セドリックのことだって嫌いじゃなかった。
友達として微笑んでくれて、たくさん話した。
でも、アルベルトとはもっと近くて——。
今は、俺がアルベルトなのに何も知らない。
——きっと、もうキスもしてる。
そう思って、アリアンナの話が途切れた時に、唇を奪ってみる。
「な、何するんですか、アルベルト様!」
アリアンナは大慌てだった。
——初めてだったのか。
俺はもう一度、今度はアリアンナの肩を掴んでしっかりキスした。
「ん……ぷはっ!」
唇を離すと、息を止めていたらしいアリアンナの可愛い吐息が漏れた。
「……アルベルト様!?」
真っ赤になって戸惑っている。
「愛してるよ、アリアンナ」
俺が言うとアリアンナはますます真っ赤になる。
そして俯いて小さな声で言った。
「……私も、愛してます……アルベルト様」
アリアンナは言った後に、俺の反応を見ようと俯いたまま上目遣いで俺を見る。
仕草が可愛すぎる。
俺は微笑んだ。
アルベルトならそうするだろうから。
でも本物の俺、セドリックの心は泣いていた。
アリアンナが見ているのはアルベルトだから、普段見れないほどに可愛ければ可愛いほど、俺は傷ついた。
二人は俺の知らないところでこんなにも深く愛し合っていたのか。
——だから、俺はこの関係を壊すことにした。
この身体のアルベルトが王太子でなくなれば、次はセドリックが王太子だ。
セドリックの中身は本物のアルベルト、アリアンナが本当に好きな相手だ。
アリアンナを本物のアルベルトに返す——。
◆◇◆
最初に置き去りにされた時、私が悪かったんだと思った。
アルベルトはその日ずっと優しかったから。
初めてキスした同じ週に、観劇に出かけた劇場でアルベルトはずっと私の事を気にしてくれた。
「暑くない?」とか「飲み物は?」とか、今までに何度も来ている劇場なのに、特別アルベルは優しかった。
身体にもずっと触れていて、アルベルトの熱が伝わってきてずっとドキドキしていた。
だから、キスして欲しいと思ってしまったの。
はしたないとは思ったけど言ってしまう。
「アルベルト様、キスして下さい」
アルベルトは微笑んでキスしてくれた。
嬉しかった。
でも、それから、席をたったアルベルトは戻って来なかった。
探しに特別席の外に出ると、アルベルトが女性と劇場から出るところだった。
劇場の大階段の上から見ている私に、アルベルトは気づいて一瞥するとそのまま出て行った。
キスしてと言ったのが、やっぱりダメだったんだわ。
私はずっと泣いていた。
翌日、私はすぐにアルベルトに会いに行って謝った。
アルベルトはまた出かけようと言ってくれてホッとした。
数週間後に、王都で人気の高級カフェにアルベルトと一緒に行く。
やっぱり、優しくてホッとしたけど、いつもより触れられる事が多くて、キスも多かった。
みんなに見られるのが恥ずかしいから、やめて欲しいと言ったら、アルベルトを怒らせてしまった。
お客として来ていた女性の腰を抱いて、私を置いて帰ってしまう。
置き去りにされるのは、2回目だった。
「あれは、王太子のアルベルト様よね? アリアンナ様は捨てられたみたいね」
ヒソヒソと噂されて、置いてい行かれた私は惨めだった。
後でアルベルトに抗議すると、「キスして欲しがっていたのは君だろう。俺に恥をかかせたのは君の方だ」と言われる。
キスして欲しがったのは前回で、はしたなかったと謝ったのに。
ただ、いつでもキスが嬉しかったのは本当だから。
それでも人前ではやめてとお願いしたら、罵られた。
それでもまだ、私に悪い部分があったんだと思った。
ただ、3回目に置き去りにされた時は違った。
もう、アルベルトのことなんて好きじゃなくなっていた。
◆◇◆
アルベルトの身体でアリアンナに初めてキスした後、嫌われるために1回目に出かけた時は置き去りにして帰ってこようと決めたていた。
ただ、最後に俺がアリアンナの婚約者になれたら、したかったことを全部やった。
手をつないだり腰に手を回してずっと彼女に触れて、ずっと彼女のことを考えていたい。
彼女に尽くして、そばにいる事を認めて欲しい。
「アルベルト様、キスして下さい」
そう言われて、彼女に俺を認めてもらえた気がした。
呼ばれた名前はアルベルトだけど、アリアンナは今の俺にキスして欲しがってる。
最後になるだろうと思って、アリアンナにキスした。
そのまま嫌われるために、アリアンナを残して他の女性と帰った。
なのに、アリアンナ俺に謝って来た。
「私がはしたなくキスして下さいなんて言ったから、嫌いになったんですよね?」
涙をこぼしながら謝る彼女を慰めた。
俺を認めてくれたキスを謝って欲しくない。
だから、また出かけようなどと言ってしまった。
それからは、夜な夜な遊びに出かけてアルベルトの評判が落ちるようにする。
そして、アリアンナとまた出かける。
久しぶりに会うアリアンナは可愛い。
夜に会う女性とは全然違う。
アリアンナだけが純粋な存在に見えた。
出かけた先のカフェでみんなの前でアリアンナにキスした。
恥ずかしがってる姿が可愛かった。
嫌われる為に嫌がられるように触れてキスした。
嫌がられる事は、本当なら絶対にしないと思ったけど、アリアンナの嫌がる姿も可愛い。
「みんなが見てます、やめてください!」
俺に恥ずかしがりながら怒って可愛い。
けど、これは嫌われるためにやっていることだった。
「俺が、君の嫌がることをしてるっていうのか?」
俺は怒って席を立った。
アリアンナが驚いている。
近くに夜に会う女性がいた。
声をかけて一緒に出て行く。
アリアンナが傷付いた顔をした。
その顔は可愛くない。
アリアンナに嫌われなきゃいけないから。
今度は後からアリアンナが抗議してきた。
ただ、アリアンナのせいだと言い続け、「俺の婚約者なら、俺のいう通りにしろ。他の女の方が従順だ」と言った。
アリアンナはショックを受けて、それでも「アルベルト様の為ならなんでもしますけど、人前では控えて下さい」と言う。
なんでもするって……まだ、アルベルトの事が好きなのか。
これだけやっても嫌いになってくれない。
アリアンナはどれだけアルベルトが好きだったんだ。
なんでもするなら、どこまでやれば嫌いになるか試してみたっていい。
俺を「嫌い」だと言って裸で泣いてるアリアンナを想像してみて、俺の心が抉られる。
アリアンナを罵って追い返す。
まだ、俺を好きだと瞳が言っていた。
だから、三度目の置き去りをした——。
◆◇◆
三度目に置き去りにされたのは、休日の図書館だった。
誰もいない特別資料室で私とアルベルトは勉強していた。
でも、特別資料室は入ってくる人が今はいないだけで、貸切というわけではない。
特別資料室の下に見える、たくさんの巨大な本棚が並ぶ普通の図書館の利用客は学園のテスト前でもあり多かった。
「キスしてくれ、アリアンナ」
唐突にアルベルトが言う。
誰もいないし、人前じゃない。
「なんでもする」と言ったのは私だった。
キスなんて自分からするのは、初めてだった。
座って机に向かって勉強してるアルベルトの横に来て、アルベルトの方を向く。
アルベルトが私を見ていて、心臓が飛び出してきそうなほどに跳ね上がる。
アルベルトの肩に手を置い唇を近づけて、重ねた。
一瞬でパッと離す。
恥ずかしくて全身が真っ赤になってるいるのが分かった。
アルベルトも驚いて照れたような表情を見せた。
けれど、次に意地悪そうに薄く笑って目を細める。
「次は、服を脱いで見せて」
アルベルトの発した言葉が頭に入って来なかった。
「俺のためなら、なんでもするんだろう? 誰も見てないんだ、出来るだろう」
やっと意味が理解できた。
でも、だからって、ここで服を脱ぐなんて……!
……最近のアルベルトはおかしい。
夜な夜な遊びに出かけていると聞く。
私を置いて別の女の人と一緒に帰ってしまったり……。
思えば、私に初めてキスした時からおかしかったのかもしれない。
でも、私はまだあなたが好きだから——。
「ここからじゃ、下の図書室から見えるかもしれません。……奥に来て下さい」
私は立ち上がって、アルベルトの手を引く。
アルベルトは一瞬、驚いていた。
後は、私の方が恥ずかしくて、アルベルトを見ていない。
奥の資料の詰まった本棚の間で、私は自分の服に手をかける——。
ガラッ
「ここになら、お探しの本があるかもしれません」
司書の女性が利用客と入ってくる。
私は脱ぐのをやめた。
でも、本棚の間に立つ私とアルベルトの雰囲気は異様だったと思う。
司書と利用客に見られると、不審がられているのがわかった。
すぐに探していた本が見つかり、二人は出て行こうとする。
続きをしなければいけないと思うのに、手が震えた。
「もういい。その程度の気持ちしかないから、君は信用出来ない」
アルベルトは言うと特別資料質問を出て行く。
しばらくして、さっきの司書の女性と外に出て行くところが見えた。
下にいた侍女が来る。
「アリアンナお嬢様、アルベルト様は帰って行かれました……これで、三度目です」
机に向かって泣き続けていた私。
もう、アルベルトの事を好きとは言えなくなっていた。
◆◇◆
私は新しく婚約者になった第二王子のセドリックの腕に抱きついていた。
アルベルトにはよくやっていた事だから、身体が入れ替わっても中身はアルベルトなんだから、何も変わってないはずなのに、全然違う。
私はアルベルトの腕に巻き付いているつもりなのに、考えているのはセドリックのことばかりだ。
本当のセドリックなら、私はこんな風に腕に絡みついたりしない。
歳が同じで学園ではいつも一緒のクラスで、婚約者の弟だから、一番仲がいい友達で、本当の弟みたいな存在だった。
「アリアンナは今日も兄さんの馬車で登校したのか?」
「セドリックも一緒の馬車に乗ってくればいいのに。二台も馬車を使うなんて税金の無駄遣いよ」
「アリアンナの家に行くと遠回りだし、同じ王宮でも広いから、兄さんの所に行くのは遠いんだよ」
他愛無い会話を毎日してただけ。
なのに、セドリックは私の事が好きだったの?
私を好きだから、アルベルトの身体になって、私にキスした。
すごく優しくて、私の知ってるセドリックじゃなかった。
それなのに、私がアルベルトの一族に利用されないように、アルベルトの身体のまま嫌われるように仕向けて、王太子の地位を剥奪されたの?
私が本当に大好きな、セドリックの身体になってしまったアルベルトと一緒にいられるように——!
「俺の身体で、セドリックとキスしてたね」
セドリックの身体になったアルベルトが言う。
「アリアンナ、君が俺を好きだからキスに喜んでいたのは知ってるよ。でも、嫉妬は抑えられなかった」
セドリックの顔で私を見つめる。
「俺も、キスしていい?」
私にはわからないなかった。
今言ったのはアルベルトだけど、顔はセドリックで。
セドリックは、アルベルトの体になる前から私にずっとキスしたかったの?
知らなかったセドリックの気持ちが、アルベルトの言葉を借りて伝わって来るような気がする。
アルベルトといるのに、セドリックの事ばかり考える。
「アリアンナは運動は苦手だなぁ。なんでも下手だ」
「髪が枝に絡まってる。伸ばしすぎなんだよ」
「アルベルトが長い方が好きって言ってるって? 限度があるだろ」
あの時も、あの時も、あの時も、私を好きだったの?
思い出すセドリックは、笑っているのにどこか寂しそうで、手を差し伸べたくなる。
アルベルトとしたようにキスしたい——。
でも、目の前にいるセドリックは?
中身は、大好きなアルベルトなのに……。
「身体はもう元に戻らないの?」
キスへの返事の代わりに聞いていた。
「一度だけの秘術らしい」
アルベルトが悲しく微笑む。
「だから、アリアンナには、セドリックの身体を好きになって欲しい」
アルベルトが悲しそうに、切実に言う。
「それとも、アリアンナは、俺の身体が——容姿が好きだったのか?」
ゴクリと唾を飲み込んだ。
外見が好きだから、アルベルトと入れ替わったセドリックが好き……そう言えたら、いいのに。
嘘でも、そう言おうか……。
でも、私の本当の気持ちは——。
「私は、セドリックが好きなの」
外見じゃない、セドリックの優しさが好き。
私を想い続けてくれて、自分を壊してでも守ってくれた。
アルベルトは俯いて地面を見た後に、見上げて言う。
「俺じゃ、セドリックには、敵わないな……」
◆◇◆
俺が、イシュガル辺境領に来て半年だ。
これから本格的な冬が来て、屋敷から一歩も出れない日が続くらしい。
最後になるかもしれないと思って、丘の上を目指す。
崖のように急な斜面に洞穴がある道を登ってたどり着く高い丘の上では、会いたい人の幻が見えるんだとか。
霧が濃く出る場所で、霧の中で木や岩を見間違えるんだろう。
それで、足を踏み外して大怪我したり死んだりする者がいる。
危険だから行くなと言われても、見間違いでいいから会いたかった。
もう一度、会えたら死んでもいい。
アリアンナ——。
丘の上まで行くとだんだんと霧が濃くなってきた。
でも、アリアンナには会えなかった。
本当に会えるとは思っていない。
幻を見る程には、俺はまだ精神を病んでない。
残念ながら、身体も心も健康そのものだ。
そのまま来た道を下って帰る。
ますます霧が濃くなる。
毎日通ってなければ、足を道から踏み外してた。
慣れていても、道の横の洞穴で休んだ方がいいだろう。
「……リック!」
声が聞こえて聞こえた。
すぐそばで。
「セドリック!」
霧に阻まれて、でも、手の届く距離にアリアンナがいた。
やっと会えた幻だ。
自分で思っていた以上に、俺は精神を病んでいたらしい。
アリアンナを抱きしめる。
「きゃ! え!? セドリック!?」
アリアンナが俺の名前を呼ぶ。
俺はアルベルトの身体になっているから、アリアンナがセドリックなんて本当の名前を呼ぶはずがない。
幻は俺に都合が良く出来ているらしい。
洞穴に幻を連れて行き、霧で濡れた服を脱がせた。
洞穴には霧が入り込まないから、アリアンナがよく見えた。
想像よりずっと綺麗だった。
ただ、何故か髪が短い。
足の先まであった髪が、肩に届くくらいの長さになっていた。
それも可愛い。
俺は短い方が好きだって、昔からさりげなく何度も伝えてた。
アリアンナがアルベルトの好みを無視して短くする事なんてなかったけど、幻なら俺の好きに出来る。
「……セドリック!」
アリアンナは俺にしがみ付いて、俺の名前を呼ぶ。
「アリアンナ、愛してる。ずっとセドリックの身体の頃から、君だけを愛してる。兄さんじゃなくて、俺を好きになって、俺だけを愛してくれ。アリアンナは俺のものだから、一生、永遠に離さない」
俺も幻になら本当の事が言えた。
君と兄さんにどれだけ嫉妬していたのかとか、君のどんなところに欲情しておかしくなりそうだったとか、言えなかった事を全部言った。
幻のアリアンナは真っ赤になりながらも、
俺を受け入れてくれる。
幻でも、なんて可愛いんだろう。
「セドリックがそんなに私を想っていてくれて、恥ずかしいけど嬉しい! 愛してるわ」
幻のアリアンナはずっと俺を肯定し続けてくれる。
地面が硬い事だけが気になるが、幻だから大丈夫だろう。
何度も何度も身体を重ねた。
途中で、洞穴の中に昔から常備してある乾燥した枝で焚き火をたいて服を乾かす。
幻の服も一応は乾かすように置く。
風の流れで決まった場所に焚き火を作れば洞穴の中に煙が来ないようになっていた。
「セドリックすごいわ。もうイシュガル辺境領にはすっかり慣れたのね。私も早く慣れないと! 一生、ここでセドリックと暮らすんだから!」
幻のアリアンナの言う事は、俺に都合が良くてひたすら可愛い。
「今はまだ覚えなくていい。俺に君をずっと抱かせてくれ」
首筋に縋り付いて言う。
アリアンナは恥ずかしいそうに目を合わさないけど、わかりやすくうなづいた。
俺は欲望のままに激しく抱きしめた。
そして、霧が晴れた。
幻のアリアンナがまだいる。
◆◇◆
「帰れ、アリアンナ! ここは君のいる場所じゃない!」
セドリックが冷たい、
「あんな事までされて、もう帰る場所なんてないわ」
洞穴での事を思い出しただけで赤くなってしまう。
「君が言わなきゃ大丈夫だ。兄さんなら知らないふりしてくれる」
アルベルトの身体でセドリックが言う。
「アルベルト様には、セドリックが好きって言ってしまったの。でも、アルベルト様なら全てを受け入れて、私の事を大事にしてくださるわね」
「に、兄さんに言った!?」
セドリックが動揺してる。
「アルベルト様には、『セドリックに捨てられたたら帰って来るんだよ。本当に君を愛しているのが誰か教えてあげるよ』と言われたわ」
セドリックが固まってる。
「アルベルト様が言った事が本当なの? セドリックよりアルベルト様の方が私を好きなの?」
「それは絶対にない! 俺が誰よりも君を愛してる! でも、だから! 辺境なんかに君を置いておけない……!」
セドリックが熱く語る。
「でも、もう私、辺境に追放されて来ちゃったの。アルベルト様に協力してもらって、夜会で醜態を晒して、もう王都にはいられないの」
セドリックがまた驚く。
「なんで、兄さんが協力するんだ!? 聖女の力があるから、俺とアリアンナが結ばれるわけにいかないだろう!」
「それも、髪を王都の城に送る事で解決したの。聖なる力は髪に宿るから、切って城に置いて来たから、加護は王様たちにあるのよ」
私が肩までの長さになった髪に触れてにこりと笑うと、セドリックが絶句する。
「俺と君が結ばれる為に、みんなが動いてるみたいだ……!」
セドリックが頭を抱えてる。
「そうなるように、私がお願いしたのよ」
「なんで……?」
セドリックが本当に分からないって顔をして私を見る。
「私が、あなたを愛してるからよ、セドリック」
「あり得ない!?」
セドリックが大声で言う。
「なんで、セドリックがわかるのよ」
「ずっと君を見てたんだ! わかるに決まってる!」
私は胸が締め付けられる。
セドリックは本当に私を見ていてくれてた。
私が知ってる。
だから、私はあなたを好きになったんだもの。
「見てなかったじゃない……辺境に追放されてからは私を見てくれなかった。だから、セドリックは知らないのよ、私がどれだけあなたを好きになったのか」
セドリックが私を見た。
「すぐにわかるようになるから、私の部屋に案内して、セドリックと同じ部屋でもいいわよ」
セドリックが目を逸らす。
「変わったな、アリアンナ。兄さんと一緒の時はあんなに従順だったのに……」
「今、一緒にいるのはセドリックだし。セドリックに従順だった事なんてないもの。それに、私を帰そうとする人に従順になんてなれないわ」
セドリックがハッと驚く。
私はセドリックの腕を両手で抱きしめる。
「私に、従順になって欲しかったら、私を離さないのよ!」
◆◇◆
アリアンナが俺の腕に絡みついてる。
かつて、アルベルトに絡み付いたのと同じように。
だけど、アルベルトに見せたような甘えるような表情じゃない。
俺に怒ってる。
捨てられたないように必死でしがみついて、俺の気持ちを知ろうとしてる。
アリアンナが俺を見てる——。
可愛い。
俺だけを見る彼女を誰にも渡したくない。
「……洞穴では、あれでも手加減してたんだ。でも、屋敷では手加減しないから」
「え!?」
アリアンナが真っ赤になってる。
もう、返事なんて関係なく閉じ込めておくつもりになってる。
逃げたくなっても、もう遅い。
アリアンナが口を開く。
「うん、お願い、セドリック」
恥ずかしがってるくせに、俺をじっと見てる。
可愛すぎて——。
やっぱり、逃げられないのは、俺の方だった。
「俺の部屋に行こう」
「うん」
冬中ずっと。
これが、壊れていない、本物の君と俺だから——。




