第8話:星屑の慰め
ロルカ村の村人たちの遺体を火葬する作業が一区切りついた。
騎士たちは簡素な携帯食で夕飯を済ませた。海里もその場に加わらせてもらい、共に食事を摂った。炎が夜の闇にゆらめき、静かながら重い空気が辺りを包んでいた。
食事を終えた騎士たちが野営の準備を整え、休息を取り始めた頃、海里は今後について思案していた。
(王都に着いたら、ジュノアの言葉通り、リーファが運ばれたという医院で俺も身体を診てもらおう……。それから教団とこの世界の歴史も調べよう。鏡花のペンダントが光って治癒できたことは……流石に分からないよな……?)
彼の視線は、無意識のうちに懐の形見のペンダントに向けられていた。
その時、視界の端でジュノアが、他の騎士に短く何かを告げるのが見えた。
彼女の手にあったのは、一本の松明だ。
(ジュノア……? どこへ行くつもりだ)
彼女は周囲を一度見渡すと、吸い込まれるように暗い森の奥へと足を踏み入れていく。
異形の魔物がどこに潜んでいるか分からない闇。ルクスを死に追いやった場所だ。
(まさか、ルクスの痕跡を探すつもりじゃないよな? こんな夜更けに、どこで彼が亡くなったかも知らないのに……)
暗がりへ消えていく彼女の背中が、酷く儚く見えた。
拭い去れない胸のざわつきを抑えられず、海里は静かに彼女の後に続いた。
ジュノアを追ってしばらく進むと、前方に人の気配を感じた。ジュノアだ。
彼女は膝の前で両手を組み、座り込んでいた。それ以上、森の奥へ進もうとする様子はない。
海里は、自分の心配が杞憂に終わったことに安堵し、静かに森から出ようと踵を返そうとした、その瞬間だった。
「ひっく……、うっ」
静寂を破って聞こえたのは、ジュノアの押し殺したような嗚咽。海里は動きを止め、立ち尽くした。
彼女の肩は、鎧を纏っているとは思えないほど小さく、細かく震えていた。すすり泣く声に合わせて、肩当ての装甲がカチカチと虚しく音を立てる。
「……ルクス……本当に、本当に死んじゃったの?……うぅ……ふっ、……ぐす……もう、会えないの……?」
その声は、悲痛な響きを帯びて彼女の苦しみを物語っていた。海里はあまりにも悲痛な気配を前に、木陰から見守ることしかできなかった。
親しい人間が、自分のいない場所で、突然、非業の死を遂げる。海里自身も幼馴染を目の前で失った。ジュノアの悲しみは、痛いほど理解できた。
出来ることがない以上、盗み聞きするべきではない。海里は踵を返そうとした。しかし、ジュノアの嗚咽に動揺し、注意が散漫になっていた。足元の枯れた木の枝を踏みしめて音を立ててしまった。
(しまったッ!)
そう思ったが、もう遅かった。その音に、ジュノアはピタリと泣き止み、振り返っていた。
「誰?……海里、君だったんだ……」
声の主が海里だと分かると、ジュノアは警戒を解いた。
「本当にごめん、ジュノア。盗み聞きするつもりはなかったんだ……」
観念した海里は、謝罪の言葉を口にしながら、静かに木陰から姿を見せた。
嗚咽を聞かれたにも関わらず、ジュノアは海里を咎めるようなことはしなかった。
「……大丈夫よ、私の方こそ、見苦しいところを見せてしまって、ごめんなさい」
ジュノアはそう言って、再び膝に顔をうずめた。海里は、そんな彼女の姿を見て、静かに話す。
「見苦しいわけがない。大切な人が死んでしまったんだ。……泣くのは、当たり前のことだよ」
海里の声は、どこか自分にも言い聞かせているように静かだった。
「海里……」
ジュノアはゆっくりと顔を上げた。月光に照らされた彼女の瞳はまだ涙で濡れていたが、海里の眼差しに、自分と同じ痛みを知る者の色を見た。
騎士団の仲間の前で弱音は吐けない。けれど、ルクスの最期を看取ったこの青年の前でなら、不思議と虚勢を張らずにいられた。
「……ごめんなさい。変ね、今日会ったばかりなのに。……誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれないわ」
ジュノアは先ほどよりは幾分か柔らかな微笑を浮かべた。海里は何も言わず、ただ静かに彼女の隣へ腰を下ろした。
海里は懐に手を入れ、ずっと渡せずにいたものを取り出した。
「ジュノア。……これを、渡さないといけない」
ルクスが最期まで握りしめていた繊細な羽根の刻まれた水晶のペンダント。海里はそれを、彼女の手のひらにそっと乗せた。
「ルクスが最後まで離さなかったものだ。……君に、渡したかったんだろう」
ジュノアは息を呑み、震える指先でそれを受け取った。
裏側に刻まれた「―ジュノアへ―」という文字。それに気づいた瞬間、彼女は耐えきれなくなったようにペンダントを胸元で強く握りしめた。
「これ……ルクスが、私にどう渡そうか悩んでいたって、人伝てに聞いていたの。ずっと、ずっと欲しかった……」
その時だった。
海里の懐で、鏡花の形見のペンダントが静かに熱を帯び始めた。黄金色の光が夜の空気に溶け込み、二人の間に、おぼろげな人影を編み出していく。
「「ルクス……!?」」
それは、あまりに鮮明な残像だった。最後に海里が見た、ルクスの穏やかな笑顔。
ジュノアは反射的に、光の中の彼へ手を伸ばした。だが、指先が触れる直前、ルクスの姿は夜風にさらわれて霧散した。
後に残ったのは、網膜に焼き付いた暖かな光の余韻だけだ。
「……笑って、いた」
絞り出すようなジュノアの声に、海里は我に返った。彼女は自分の指先を見つめたまま、震える声で続ける。
「魔物と戦っていたと聞いて……きっと、苦しんで逝ったんじゃないかって、そればかり怖かった。……でも、あんな風に笑える最期だったなら……」
彼女は一度強く目を閉じ、溢れ出そうになる涙を堪えるように、深く、深く息を吐き出した。
「……ありがとう、海里。本当に……」
「いや、俺にもよく分からないんだ。……ただ、彼が最後に君の名を呼んでいたから。その強い想いが、今も宿っていたのかもしれない」
潤んだ瞳で見つめてくる彼女の横顔は、儚くも、どこか凛とした強さを取り戻しつつあった。
「大切な人を失うのは……苦しくて、耐え難いことだから。君の姿が、他人事には思えなくて……」
「海里……あなたも、誰かを?」
「ああ……」
海里は自嘲気味に口角を上げた。
脳裏に蘇るのは、あの日、自分の腕の中で冷たくなっていった鏡花の姿だ。誰かを救いたいと願うこの衝動は、あの時の無力感への、せめてもの抗いなのかもしれない。
目の前で幼馴染を失った海里と、自分のいない場所で大切な人を失ったジュノア。
同じ痛みを抱えた二人は、どちらからともなく、ぽつり、ぽつりと語り始めた。それは会話というよりも、互いの傷口を確かめ合うような静かな時間だった。
森を抜ける夜風が、二人の吐息を星空へと運んでいく。 語り終える頃には、その冷たい風さえも、少しだけ心地よく感じられた。




