第7話:銀髪の女騎士
リーファの呼吸が緩やかになり、海里は安堵と同時に、この惨状の原因への問いを抑えられなかった。
「リーファ。 どうして村が、こんな有様になってしまったんだ?」
リーファは途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「バルドが連れてきた、……教団の女幹部の……逆鱗に触れてしまったの……」
海里は衝撃を受けた。顔から血の気が引いていくのが分かった。
「まさか……俺が逃げたからなのか? 」
自責の念が海里の心を支配する中、リーファは微かな力で海里の手を握り、優しく告げる。
「自分を責めないで……。それに……リグリアに協力している教団が、私たちを傷つけるなんて……思いもしなかったから……」
その言葉は、海里の心に新たな疑問の波紋を広げた。
「輪廻教団はリグリアで何がしたいんだ?」
「教団のことは、よく……分からないの。でも、王都の図書館なら、何かが……。……うっ……!」
リーファの顔が再び痛みに歪み、微かに呻き声が漏れた。
「悪い、リーファ。……無理をさせてしまった。俺が君を抱えるから、リグリアの王都へ向かおう」
海里はリーファの身体を抱き上げようとするが、彼女は首を横に振り、か細い声で制した。
「無茶よ……。王都までは、何日もかかる……。魔物も出るし、馬だってもう……。私は、足手まといになるだけ……。お願い、私を置いていって……」
「嫌だ、置いていかない」
迷いがなかったが、リーファの言うことも事実だった。負傷者を一人抱えて王都まで歩くのは無謀だろう。
だからといって、彼女を見捨てていく選択肢は存在しなかった。
「ふふ、強情な、人……」
意識を朦朧とさせていたリーファは、その言葉を最後に意識を失った。
リーファを連れて、海里がどうやってリグリアの王都へ向かうか考え始めた、まさにその時だった。
乾いた土を蹴る、複数の蹄の音が近づいてきて、白銀の甲冑を纏った一団が現れた。
「皆、止まって!」
村の惨状に気づいた一団の先頭にいたのは、凛とした声を発する一人の女性騎士だった。
彼女は海里とリーファに気づくと、馬上から素早く降りて近づいてきた。
まだ若い女性騎士は、長く伸ばした銀髪を、邪魔にならぬようポニーテールにして結んでいた。彼女の澄んだ青い瞳から、海里は彼女が心優しく、真摯な騎士という印象を感じた。
「あなたたちは、この村の人かしら? 私たちは白銀騎士団よ。風の渦を見て駆けつけたけれど、何があったのか教えてもらえる?……魔物の仕業には見えないけれど」
(俺と同じで異変を見て駆けつけたのか……)
女性騎士の問いかけに、海里は偽りなく答えることにした。
「俺も異変を見て駆けつけたんだ。……だけど、この少女、リーファが言っていた。教団の女幹部がやったと」
「教団の女幹部……。最近、リグリアの王都に来たっていう……。何故こんな場所に?」
女性騎士は考え込むが、海里は、構わず彼女に話しかけた。
「すまない。彼女を治療するために、一刻も早く王都へ運びたいんだ。……馬を、貸してはもらえないだろうか?」
海里の焦燥感に満ちた訴えに、女性騎士はすぐに顔を上げた。
「あ……ごめんなさい。もちろん構わないわ。予備の馬車を使いましょう。それなら揺れも少なく、安全に王都まで運べるはずよ」
彼女は周囲を見回し、指示を出した。
「 誰か、彼女を運ぶのを手伝って。……急いで、王都のアルベール先生の医院へ!」
女性騎士の声に応じ、一人の騎士が、丁重にリーファを抱き上げた。彼女は馬車に運ばれた。リーファを乗せた馬車は、荒れた道をものともせず、一足先に王都を目指して走り去っていった。
「ありがとう。本当に助かった……感謝する」
安堵した海里は女性騎士に感謝を伝えた。彼女が馬車を使わせてくれたおかげで、リーファの命はひとまず安心してよいと思えた。
「騎士として当然のことをしたまでよ」
女性騎士は去り行く馬車を見送ると、改めて海里を真正面から見つめた。
「ところで……あなたは何者かしら? この村の人ではないようだけど……」
疑うというよりは純粋な疑問。だが海里の背中には冷や汗が流れた。この村で監禁されて逃げ出したなどと言えるはずもない。
「……俺は海里。旅人だ」
咄嗟に出た言葉は、あまりに不自然だった。ボロボロの衣服に手ぶらの姿。だが、女性騎士は追求する代わりに、ふっと表情を和らげた。
「海里ね。……その格好、魔物に襲われたのかしら? 私はジュノアよ。よろしくね」
(ッ! ジュノア……。ルクスが、最後に呼んでいた……!)
目の前の女性が、ルクスが最後に想っていた相手だと知り、海里の表情が痛切に歪む。
「君が……ジュノアさん?」
「そうよ。……どうかした?」
ジュノアが不思議そうに首を傾げたその時、彼女の青い瞳が、海里の腰に下げられた一振りの剣を捉えた。
「……ルクスの、剣?」
震える声が、静寂に落ちた。 彼女は吸い寄せられるように一歩踏み出し、その剣を、そして海里の顔を交互に見つめる。
「どうして、あなたがそれを持っているの……? 私たちはルクスから森の異変を報告されて増援に来たのよ。……ねぇ、彼に会ったのね? 彼は今、どこにいるの!?」
冷静だったジュノアの瞳に、波打つような不安が広がる。
海里は、その切実な問いかけに対し、俯いて、痛切な事実を告げた。
「ルクスは……死んだ。俺を、助けてくれたんだ……。自分の命より優先して……」
海里は奥歯を噛み締め、震える声で言葉を継いだ。
その直後、周囲の空気が凍りついた。
彼らにとってルクスは、ただの増援対象ではなかったのだろう。 信じられないというように首を振る者もいた。
そして、ジュノアの反応がないことを訝しんだ海里が、恐る恐る顔を上げると、彼女の顔は蒼白になっていて、鎧が音を立てるのが分かるほど激しく震えていた。
「え?……死ん、だ? 誰が?……ルクスが……死んだ……?」
彼女の声は、まるで遠くの出来事を口にしているかのように、現実味のない響きを帯びていた。
「おい、ジュノア!しっかりしろ!」
ショックでジュノアの身体が大きくふらついた。周囲にいた他の騎士が、慌てて彼女の身体を支えた。
身体を支えられたジュノアは、絞り出すような声で海里に向かって言った。
「海里……詳しく……教えて」
ジュノアは一度目を閉じ、震える呼吸を吐き出した。次に目を開けた時、その瞳には溢れ出しそうな涙を堪えていた。
「ルクスに、何があったのか……聞かせて」
「……分かった……話すよ」
どんな言葉も、今の彼女には辛いものにしかならない。それでも、伝えないわけにはいかなかった。
海里は、ジュノアと一緒にやって来た騎士たちに、ルクスとの出会いと別れ、その一部始終を語っていく。
自分が監禁されていたこと、転生者であることは伏せながら、あの森で一人の騎士がいかに気高く戦い、自分という人間を救って散っていったか。一言一言噛みしめるように語り聞かせた。
海里の話を聞き終えたジュノアは、しばらくの間、何もない空間を凝視していた。 その指先は、革の手袋が軋むほどきつく握りしめられている。
「……そう。異形の、魔物……。聞いたこともないわ……。戻って、報告しないとね……」
彼女の声は、どこか遠くから響いているように虚ろだった。 王国への報告義務を口にしながらも、彼女の視線は定まらず、思考を無理やり任務へ繋ぎ止めているのが見て取れた。
海里は、そんな彼女の痛々しさに胸を締め付けられながら切り出した。
「ジュノアさん、それに騎士の皆さん。俺の判断で、ルクスをその場に葬ったことを謝罪させてほしい。本来なら、あなた方の手で弔いたかったはずだ……」
「……っ、あ……」
謝罪を受けた瞬間、ジュノアの瞳が激しく揺れた。 溢れそうになる何かを、彼女は喉の奥で無理やり飲み込む。
「……ジュノアでいいわ。謝らないで、海里。あなたがしてくれたことは、……私にとっても救いだった。彼の遺体を野晒しになんて……そんなの耐えられないもの。そのままならきっと、魔物に喰い荒らされていたわ」
彼女は一度強く目を閉じ、次に開けた時には、無理やり作った騎士の顔で海里を見つめた。
「海里、あなたはこれからどうするつもり?」
(懐の中に、ルクスが最後まで握りしめていたものがある。……だが、今ではない)
周囲には騎士たちの目がある。これは、人目のある場所で渡すものじゃない。海里はそう感じ、懐に触れかけた手を静かに下ろした。
「俺は、王都へ行くつもりだ。調べたいこともあるし……リーファのことも心配なんだ」
「それなら、私たちと一緒に来るといいわ」
迷いのない即決だった。
「身分を証明できるものは襲撃で失ってしまったのでしょう? 騎士団の同伴なら門もスムーズに通れるから、私がそう取り計らうわ」
「いいのか? 俺は……どこの誰とも分からない旅人だぞ」
自嘲気味に呟いた海里に対し、ジュノアはふっと微笑み、彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「そんな顔でルクスの最期を語る人に……悪い人はいないわ。私はそう信じたいわ」
ジュノアは一度言葉を切り、海里の腰の剣へ視線を落とした。
「それに、彼が命を懸けて救った人を放っておいたら、きっとひどく怒られてしまうもの」
ジュノアは優しく包み込むような声音で続けた。
「王都に着いたら、あなたもアルベール先生の診察を受けて。……今夜はここで野営をするけれど、その前に。まずは、この村の人たちを弔いましょう」
彼女の静かな号令に、騎士たちは言葉を発せず、ただ重々しく頷いた。
「俺も手伝う」
海里は、事切れている村長エルドリックの目を静かに閉じた。 自分を売ろうとした相手であっても、今はもう物言わぬ亡骸に過ぎない。
(……あんたたちなりの事情があったんだろうな)
複雑な感情を無理やり飲み込み、海里は村の広場へと遺体を運び始めた。
立ち込める煙と、土を掘る音。 静寂の中、騎士たちと海里の動きだけが、失われた命への敬意を示すかのように響いていた。
夜の帳が降りる前に、せめて安らかな眠りにつかせてやりたい。 誰もが、その一心で作業に没頭していた。




