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輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―  作者: あすらりえる
第二章_翠玉と災禍の庭

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第60話:コソ泥への最適解

 炎に包まれた書庫の上部は黒煙を吐き続け、里の空気を不吉に染め上げていく。


 レンとリズが消火を試みる中、慌てた様子で外へ飛び出してきたアルベールとリアムの顔が驚愕と焦燥に強張っていた。


「なんてことだ……!何故?」


「皆さん、すみません!中にあるものを運び出すのにご協力をお願いします!」


「レン!上で燃えてる炎は私が何とかするから、あなたはリアムさん達の手伝いをお願い!」


「って、水魔法は使えないだろ?どうするつも……。あ、もしかして、あの魔道具か?」


 疑問を呈しかけたレンは、リズの意図を察した。それを肯定するようにリズが不敵に笑う。


「そういうこと!自分の出した炎に使うつもりだったのにね!さぁ、行って!」


「おぅ!」


 アウロラの森行きを決めた際、彼女は道具屋シモンの店で延焼対策の魔道具を購入していた。リズは懐から小さな透明の小瓶を取り出す。炎を扱うからこそ、その恐ろしさを知る彼女の備えだった。


 リズに任せて問題ないと確信したレンは書庫の内部に舞い戻った。アルベール、リアムと協力し、特に貴重な文献を運び出していく。


 作業を始めて暫く経った頃、レンの視界の端で何かが動いた。


(気のせいか?)


 一瞬のことで目の錯覚かと思えた。しかし一度感じた違和感は拭えず、レンは再びその場所に視線を向けた。だが、そこには棚に収められた無数の書物があるだけだった。


 暫く眺めていた時、景色が陽炎のように揺らぎ、本棚の一部が不自然に揺れた。直後、数冊の古めかしい書物が忽然と消えたのをレンは目撃した。


「何か……いる?」


 呟きと同時に、レンの脳裏にエヴァンと里を見回った際に出会ったバルトロメオとカミラの姿が浮かんだ。この炎も書物の消失も黒曜の仕業だと直感した。


(でも、あの二人は姿を隠して火をつけるような奴らじゃなさそうだったけど……)


 奇妙な確信を抱きつつ、手近な木製の椅子を掴み上げた。レンがそれを力任せに振りかぶる動きにリアムが驚愕の声を上げた。


「レンさん、何を!?」


「あの場所に何かいます!」


 叫びと共に椅子を全力で投じた。木製の椅子は唸りを上げて飛び、何もなかったはずの空間に鈍い衝突音を響かせた。


『痛いじゃないですか。椅子を投げてくるなんて野蛮ですねぇ』


 苛立ちを含んだくぐもった声が聞こえた直後、黒光りする鎧を身に着けたエーリッヒが姿を現した。見覚えのない金髪の男だった。


(あの二人……じゃないか)


 己の直感の正しさと、この騒ぎの主が、あの二人ではないことに安堵を覚えた。男が姿を現した時、アルベールとリアムもエーリッヒを既に見据えていた。


 リアムが軽蔑を込めてエーリッヒに問いかける。


「私が管理する書庫に火を放って野蛮なのはどちらかしら?何故こんな真似をしたの?」


 エーリッヒは椅子をぶつけられた頭部から僅かに血を流していたが、無造作に手で拭うと、心外だと言わんばかりに肩をすくめた。


「……ここには貴重な書物や魔道具が数多く存在していますね。だというのに、このような場所に押し込められて日の目を浴びることもない。嘆かわしい!実に!実にもったいない!」


 芝居がかった身振りで語気を強める。彼の足元には衝撃で取り落とした数冊の古書が散乱していた。


「答えになっていないわね。価値を理解していながら、何故火を放つという発想に繋がるのかしら?」


 書物を焼失させかねない矛盾した行動をリアムは糾弾した。


「ここにいた人数が多かったからです」


「は?何言って……」


 リアムのみならず、レンもその意図を測りかねた。


 エーリッヒの独白は続く。


「建物の中にいた皆さんが邪魔でした。火を放てば外に出てきてくれると思いました。そのおかげで書物や魔道具を保護することができた。そのまま逃げるか、消火に専念してくれれば良かったのに、戻ってくるとは。焼け死にたいんですか?」


 あまりにも意味不明な物言いに、アルベールは信じられないという表情を浮かべた。


「君はリグリアの騎士だろう?何故、このような盗みを働くんだ?騎士団に属していれば生活に困ることはないはずだが……」


「その通りです。しかし、それは労働の対価にすぎません。わざわざアウロラの森まで来た労苦に見合う報酬として、価値あるものを拝借するくらい構わないでしょう?」


「見下げ果てた人間性ね……」


「違いますよ。私は燃えてしまいそうな価値あるものを()()して、その価値を正しく理解できる適切なところへ()()しようと思っただけです」


 理解を拒む論理に、レンの怒りが沸点に達した。


「自分で火をつけたくせに盗みを正当化できるわけがないだろうが!」


「残念ですね。騎士団に属する私と冒険者とでは、物事を解釈する思考回路に埋められない隔たりがあるようだ」


 エーリッヒは肩をすくめ、わざとらしく嘆息した。


「この野郎、さっきから好き放題言いやがって!」


 土魔法を発動し、メイスを土塊の金棒へ変化させたレンが戦意を剥き出しにする。エーリッヒは薄ら笑いを浮かべ、懐から短剣を取り出した。


「気づかれた以上、あなた達は全員ここで始末しなければなりません」


 魔力を帯びた霧が噴き出し、エーリッヒの輪郭をぼかし始める。


「その霧魔法で景色に同化して忍び込んできたんだね」


「その通りです!私の魔法は隠密や暗殺にうってつけなんですよ!」


 アルベールの指摘に答える声が霧の中に消え、自信に満ちた声が響き、書庫の中を濃密な霧が白く塗りつぶそうとした時だった。


「あんたが霧魔法に自信を持ってるのは分かったけど、それにしても油断しすぎなんじゃない」


 いつの間にか消火を終えたリズの声が室内に響いた。


「は?」


 呆けたエーリッヒの声が反響するが、それに構わずリズが手に持った小瓶の蓋を開けると、霧が吸い込まれて消えた。


「は?霧の魔力が吸い込まれて……?」


 暗殺の機会を狙い移動していたエーリッヒは驚愕に立ち尽くした。そこでようやく彼は外の火が既に消し止められている事実に気づいた。


 間の抜けた声を上げるエーリッヒに、リズは心底面倒そうに説明する。


「これは気体を吸引できる魔道具よ。森で延焼被害を出さないように用意しておいたの。まさか、盗人が放火した火を吸い込むとは思ってなかったけど……」


 リズが小瓶を軽く振ると、中には書庫を覆いかけた濃霧が凝縮されて揺らめいていた。別の小瓶には吸い込まれた炎が灯り、赤々とした光を放っている。


 エーリッヒは動揺を隠せぬ声で喚いた。


「一度、私の霧を吸い込んだくらいで何だというんです!?まだ私の魔力は尽きたわけではない!」


 エーリッヒが魔力を練り、書庫内を霧で満たして隠れようとするが、リズは肩をすくめ、淡々とした口調で告げた。


「馬鹿ね。私の用意してきた小瓶はまだ数があるのよ」


「ぐっ!」


 霧魔法を容易に封じられ、エーリッヒは奥歯を噛み締め、悔しげに唸った。


「今度は私と話すことに集中しているけど、やっぱりあんた周りを見ていなさすぎじゃない?もうやっちゃっていいわよ、レン」


 リズの視線はエーリッヒの背後を捉えていた。


「おぅ!」


 真後ろからの返答にエーリッヒが驚愕して振り返る。そこには土魔法を纏わせたメイスを構えるレンが立っていた。


「待っ――」


 会話に気を取られた隙に背後へ回り込まれていたエーリッヒ。その制止を聞き入れることなく、レンはメイスを振り下ろした。


「ぐべええええええええ!!」


 醜い叫び声を上げ、エーリッヒは床に叩きつけられた。


 這いつくばり、どうにか起き上がろうとする彼のもとへ、硬い靴音を響かせてリズが歩み寄る。その目に怒りを宿した彼女は静かに告げた。


「あんたね。霧魔法の水分で貴重な書物を濡らすなあっ!!あんたの言う価値あるものがふやけて読めなくなっちゃうじゃない!」


挿絵(By みてみん)


 リズは怒りに任せ、魔導士用の杖を鈍器代わりにエーリッヒの頭部へ思いきり振り下ろした。


「ぶべらっ!」


 もう一度、床へ突っ伏したエーリッヒだったが、すぐに勢いよく起き上がった。


「ばあああああああッ!!」


 顔を屈辱に歪ませた彼は、レンとリズを無視し、非戦闘員のアルベールとリアムへ狙いを定めた。


 短剣を手に迫るエーリッヒに対し、医師と賢者は動揺を見せない。懲りずに霧を発生させて周囲と同化したエーリッヒは、より抵抗の少なそうなリアムへと肉薄した。


(あの二人の冒険者は正面からやるのは面倒です。だが、非戦闘員の二人を人質にすれば、私に攻撃は出来なくな……)


 霧と同化して姿を消したはずのエーリッヒを、首を僅かに傾けたリアムが見ていた。


(!?何故、私の位置が分かって……!?)


 居場所を正確に把握されている事実にエーリッヒの思考が止まる。非戦闘員と侮っていた女エルフから放たれる古強者(ふるつわもの)の気配に、彼の本能が警鐘を鳴らしていた。


 エーリッヒが動揺で動きを止めた瞬間、リアムの手にはいつの間にか魔導士用の長杖が握られていた。彼女はその杖を軽く振り上げ、水平に凪いだ。こぉーん、という小気味よい音が響き、杖の先端がエーリッヒの顎を正確に叩いていた。


「が、っ……あ」


 威力こそ高くはなかったが、脳を直接揺さぶられた衝撃にエーリッヒの視界が白む。膝が笑い、全身の筋肉が制御を失って霧魔法の維持が不可能になった。


 平衡感覚を失いながらも、どうにか短剣を振り上げようとしたエーリッヒの前にアルベールが立った。彼は白衣のポケットから茶色い液体の入った小瓶を取り出し、蓋を開けて投げつける。


 エーリッヒは短剣でその小瓶を叩き斬った。砕け散った瓶から飛び散った液体が、凄まじい粘着性を持って彼の右腕と鎧を癒着させた。


「なん……何です、か!?この液体はぁ!?」


「里に来る途中で採取した樹液ですよ。あなたが刃物を持っていると危険なので、鎧から剥がせなくしました」


 アルベールは淡々と答えた。


 非戦闘員を含む誰一人として傷つけられず、一方的に無力化された現実に、エーリッヒの自尊心はズタズタになっていた。しかし口を突いて出るのは戯言でしかない。


「四人でよってたかってリグリアの騎士の私にこんな仕打ちを!!多勢に無勢を恥ずかしいと思わないんですか!?」


「「「「……」」」」


 四人は一瞬言葉を失い、各々が感想を漏らす。


「ふむ。医者としては彼の思考回路が非常に興味深いが……自己中心的な論理と被害者意識の塊だ。頭が大丈夫かと心配になるよ」


 アルベールは困惑を滲ませ、ため息をついた。


「長く生きているけれど出会ったことがないタイプだわ。ここまで屈折した考えを持てるなんて、ある意味同情するわね」


 リアムが軽蔑と哀れみを込めて呟く。


「世界には種族を問わず、理解不能な阿呆が存在するのね。それが分かったのが収穫だわ」


 リズはエーリッヒの存在を切り捨てた。


「なぁ、お前ってこの程度なのか?黒曜騎士団といっても実力に随分個人差があるんだな」


「どういう……意味です?」


 ぎりぎりと歯ぎしりをしていたエーリッヒが、レンの疑問の意図が理解できずに問い返す。


「言葉通りだよ。先に遭遇した二人組は本気じゃなかった。あの二人は魔法なしでも戦う術を持っていそうだったけど、お前は違うよな。霧魔法を封じられたら打つ手がないのか?」


「ふざけるなぁ!脅されて副団長に従うしかないバルトロメオ、カミラと私を一緒にするなぁ!!」


「そういうことか。道理でお前とあの二人が全然違うわけだ。……ついでに言えば鍛錬不足だな」


 四人全員から憐れむような眼差しと言葉を向けられ、エーリッヒの薄っぺらな自尊心は耐えきれず、ついに決壊した。


「あ!?ああ、あああああああああああああ!!私を馬鹿にするなあああああああああああ!!!!」


 逆上し、覚束ない足取りのまま奇声を上げてレンに飛びかかった。


「もう倒しちゃっていいよな?」


 もう一度ため息をついたレンは、リズに同意を求める。


「ん!いいわ」


「二人とも、少し待ちたまえ」


 リズが頷いたところで、アルベールが制止をかけた。


 飛びかかってくるエーリッヒに対し、アルベールは白衣のポケットから赤い粉末の入った別の小瓶を取り出して投げつけた。


「ぶふぅ!!」


 顔面付近で小瓶が弾け、エーリッヒは悶絶する。刺激性の粉末を浴び、飛びかかる勢いを失ってその場に立ち尽くす。


 その隙を逃さず、レンが足払いで体勢を崩した。書庫の入口側へ倒れたエーリッヒと入れ替わるようにレンがやや内側に陣取る。


 その瞬間を待っていたかのように、リアムがレンに声をかけた。


「レンさん、お客様にお帰りを促す場所は外でお願いしますね」


 リアムは既に扉の前へ移動しており、書庫の扉を静かに開いた。


「わっかりましたぁ!リアムさん!」


 レンはメイスを大きく振りかぶった。貴重な書物を雑に扱われた怒りを帯びたリズの声が響く。


「やっちゃえ!」


「待っ――!」


 エーリッヒが再度制止の言葉を発しようとしたが、レンの声の方が早かった。


「おぅ!吹っ飛べ、コソ泥野郎――ッ!!」


 レンのメイスが倒れていたエーリッヒの胴体へ勢いよく叩き込まれた。


挿絵(By みてみん)


「ぶげぇ!」


 吹き飛ぶエーリッヒは数回床を跳ねながら、リアムの開けた扉を通過した。そのままエルフの里の最上部から遥か下方の湖に向かって真っ逆さまに落ちていく。


「あああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」


 絶叫はあっという間に遠ざかり、聞こえなくなった。


 レンが建物の外へ飛び出し下方を確認すると、落下したエーリッヒが大きな水柱を立てて湖の中へ消えたところだった。


「レン、お疲れさま!」


 リズがレンに駆け寄り、その肩を軽く叩いた。


「消火ありがとよ、リズ。これでようやく静かになるな」


 エーリッヒによる書庫への放火と盗みの騒動は、当人が湖に沈むという形で幕を閉じた。

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