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輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった―  作者: あすらりえる
第二章_翠玉と災禍の庭

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第53話:満ちる混乱の予兆

 レンから話を聞き終えた海里は、その腕に残る傷跡に視線を落としていた。


「……黒曜騎士団が俺を調査しに来たって?何で……」


「分かんねぇけど、バルトロメオとカミラって男女二人組だ。海里がいないと分かったらすぐに退いた」


「殺気はなかったんだよね?」


 リュカが問いかけると、レンは腕を押さえながら頷いた。


「ああ。二人とも本気じゃなかった。次に何してくるか分かんねぇってことで、エヴァンさんは長老のところに行ったぞ」


 海里は眉をひそめた。不確定な要素が混じり込み、状況は混迷を深めている。


「海里君、まずは薔荊蛇(しょうけいだ)の偵察した情報を皆に共有しよう。記録用の魔道具の映像も見せたほうがいいけれど、それは君たちに任せてもいいかな?」


 アルベールが偵察時にリアムから借りた記録用の魔道具を差し出してくる。


「あれ?アルベールは一緒に来ないの?」


 リュカが怪訝な顔を向けた。


「ああ、私はこのままリアムさんのところへ行くよ。薔荊蛇の素材と知識があれば、麻痺毒の対策ができるはずだ。情報を活かせるのは今のうちだからね」


 アルベールは採取した棘の欠片が入った魔法袋を懐から取り出した。


「長丁場になりそうだから、先に取りかかっておきたい。討伐前に形にしておかないとね」


「……分かりました。お願いします、アルベール先生」


 海里は魔道具を受け取った。アルベールが踵を返しかけた時、リュカはレンの傷をじっと見つめていた。


「レン、その傷……僕に治させてくれないかな」


「え?リュカ、治すって……?」


「アルベールに回復魔法を教わり始めたんだ。まだ上手くできないけど……実際の怪我で試させてほしい」


 面食らった顔のレンだったが、すぐに腕を差し出した。


「おう、いいぜ。俺で良けりゃ、いくらでも練習台になるよ」


「ありがと」


 彼女は両手を傷口にかざし、意識を集中させた。掌から淡い緑色の光がゆっくりと滲み出る。魔力を注ぎ込む感覚は掴めている。だが、そこから先が難しい。裂けた肉を繋ぎ合わせ、皮を再生させる。その過程を魔力で正確に制御しなければならない。


 リュカの額に汗が浮かんだ。光は揺らぎ、傷口の周囲が僅かに塞がりかけるが完全には閉じない。


「っ……だめだ。ここから先が……」


「いや、すげぇよ。痛みは明らかに引いてる。ちゃんと効いてるぜ」


 レンが励ますように言ったが、彼女の表情は険しいままだった。


 立ち去りかけていたアルベールが戻ってきた。


「良い調子だよ。痛みの緩和と表層の止血はできている。最初としては十分だ」


 アルベールは彼女の手の上から自らの手を重ね、光を注いだ。数秒と経たず、レンの腕は跡形もなく塞がった。


「うおっ、さすがアルベール先生。きれいに治った」


「リュカちゃん。焦らなくていい。回復魔法は魔力の量ではなく精度の問題だからね。君はまだ、その練度を磨く段階だ」


「……うん。ありがとう、アルベール」


 彼女は小さく頷いた。その瞳には次こそはという意思があった。


 アルベールはもう一度だけ彼女を振り返った。


「良い調子だったよ、リュカちゃん」


 それだけ言って、今度こそアルベールはリアムのいる書庫へと向かっていった。



 □■□■□■□




 集会所には海里、レン、リズ、リュカ、シルフィア、エヴァン、そして長老イストールが揃っていた。


 海里が記録の魔道具を起動すると、偵察時に記録された薔荊蛇の映像が淡い光となって空中に投影された。


 樹々をなぎ倒しながら移動する全身に棘と深紅の薔薇を纏った巨大な蛇の姿。移動した地面から這い出るように咲く薔薇と、支配下に置いた薔薇を寄生させた魔物たちの姿。


 その姿を知る者も初めて見る者も、映像越しにも滲み出る異様な威圧感に息を呑んでいた。


「でけぇ……」


「……これが薔荊蛇。私が故郷を出ている間に棲みついてくれるなんて良い度胸してるじゃない」


 シルフィアが静かに呟いた。


「聞いていた通り、近くにいるだけで身体が痺れました。リアムさんが話していた薔荊蛇の前で動けなくなったら餌食になるって言葉の恐ろしさを実感させられました」


 海里が偵察の結果を淡々と報告するが、その声には押し殺した緊張が滲んでいた。


「長老様、エヴァン様。前に討伐に失敗したときよりも薔荊蛇の棲み処が里に近くなっていました。放っておけば、いずれは薔荊蛇(しょうけいだ)が里にも来ます」


 とリュカが補足した。


「まったく……忌々しい魔物だな」


「今、アルベール先生がリアムさんと一緒に麻痺毒の対策に取りかかっています。偵察時に採取した棘の欠片から打開策がないか研究を始めてくれています」


 映像が消えて集会所に沈黙が降りた。


「さて、薔荊蛇は問題じゃが別の問題が持ち上がった。エヴァンよ、頼む」


「はい。先刻、黒曜騎士団の者が二名、里に侵入し偵察を行っていた。私とレン、それにシルフィアがそれぞれ接触した後、撤退していったが……」


 シルフィアがエヴァンの報告を引き継いだ。


「私が接触した女はこちらを傷つけるつもりはなかった。でも、目的を聞いても答えなかった。姿を隠す魔法の精度はかなり高いわ」


「レンと私が接触した男のほうは、正面から打ち合ってレンの攻撃を止めた上で引いた。二人とも実力はある」


 エヴァンが険しい顔で補足し、そのあとにリズが疑問を呈する。


「海里はイディウスに会ったことあるの?」


「いいや。会ったことないし、顔も知らない」


「……だよね。一人の冒険者でしかない海里を名指しでイディウスが調査させようとする理由があるとしたら……」


 実際、海里にはリグリアの実権を握る男に目を付けられる理由が皆目見当もつかなかった。そこへ口を挟んだのはシルフィアだった。


「教団が絡んでるんじゃないかしら?イディウスは教団をリグリアに招き入れた存在だったわよね?」


「ええ、そう。それから、ずっと教団とは協力体制にあるはず……。リグリアに今来てる七元徳(しちげんとく)が何か言ったのかしら?」


「『信仰』の鏡花ね。この前、ルカンと戦った場所にも来ていたけれど、正直、得体が知れない女だったわ」


(――ッ!)


 鏡花の名が出た瞬間、海里の胸が激しく波打った。


「海里、平気?大丈夫?」


 リュカが心配そうに顔を覗き込んできた。


「ああ、俺は平気だ」


「ん~。海里を調査したい目的は分かんないけど、とにかく、イディウスと七元徳の意志が働いた結果、黒曜騎士団が動いているんでしょうね。今のあいつら嫌い……」


「それ前も言ってたよなリズ。今はって事は前は違ったんだよな?」


「そう。黒曜団長の『黒鋼(くろはがね)』がグランドヴェルクの国境に行ってから、段々様子がおかしくなってきたのよ。遭遇した二人組だけとは思えないし、多分そのおかしくなった原因も来てるんじゃないかしら」


「誰が来てそうなんだ?」


「副団長のレナート。イディウスと繋がりがある噂のある男でクズよ」


 リズがレナートの人物像を吐き捨てるように告げた。


「薔荊蛇討伐の準備を進めていたというのにな。だが奴らをまるきり無視することも悪手だろうな。イストール様、奴らの動向は併行して追う形でよろしいですね?」


 方針を尋ねられたイストールは頷き、次いでエヴァンに視線を送った。


「うむ。黒曜騎士団の動きは放置できぬが、深追いして里の守りを手薄にするわけにもいかぬ。数名を選び、森に入った騎士団の動向を追わせよ。ただし、接触は避けさせろ。あくまで監視に留めよ」


「承知しました」


「もう一つ。万一に備え、里の出入り口周辺の警戒を強化する。子供たちを里の中心部から出さぬよう、各所に伝達するんじゃ。害意ある者と判断する」


 エヴァンが頷くと、イストールは立ち上がり、全員を見渡した。


「薔荊蛇の討伐準備は予定通りに進めねばならぬ。アルベール殿とリアムの研究の成果を待ちつつ、各自、準備を進めておくれ」


 会議が終わり、それぞれが動き出し、海里は集会所を出ながら、隣を歩くレンに呟いた。


「……薔荊蛇の討伐準備をしながら、黒曜騎士団の動きも気にしないといけない。余裕がないな」


「だな。採取で来たのに、やることが一気に増えたよな」


 レンは治ったばかりの腕を軽く回しながら答えた。


「でも、優先順位はイストールさんの言う通りだ。薔荊蛇を何とかしないと、俺たちが森に来た目的も果たせない」


 海里は頷いたが、引っかかるものはあった。


 黒曜騎士団は、この後どう動く?何を仕掛けてくる?それが分からなくて気持ち悪い。嫌な予感を振り払うように海里は歩調を速め、薔荊蛇の討伐準備を手伝い始めた。


 二人の視線の先では、エヴァンの指示を受けた数人のエルフたちが里の入り口から出ていくのが見えた。




 □■□■□■□




 エルフの里から十分な距離を取った森の中。木々の隙間から漏れる光がまだらに地面を照らす中、レナートとゼイロンは二人きりで言葉を交わしていた。


「さてゼイロンさん。バルトロメオとカミラの報告は聞いての通りです。肝心の海里は里にいなかった。しかし、収穫がなかったわけでもない」


 レナートの口元に薄い笑みが浮かぶ。


「あの二人が拾ってきた情報は、なかなか興味深いものでした。薔荊蛇という異形の魔物の討伐準備を進めているとのことでしたね」


 ゼイロンが音もなく影から姿を現し、静かに相槌を打つ。


「ええ。気づかれた上に海里には接触できなかった。同じ手はもう通じないでしょう。バルトロメオたちの隠密は優秀ですが、エルフたちの感知能力もまた侮れない」


 レナートは肩をすくめたが、その表情は依然として余裕を保っていた。


「どうしたものかと思いましたが、この薔荊蛇という魔物の存在はむしろ好都合です」


「と、仰いますと?」


 ゼイロンはとぼけた声で問いかける。だが、その口元には既にレナートの意図を察した笑みが刻まれていた。


「分からないふりをしないでください。あなたも同じことを考えているのでしょう?あの冒険者たちとエルフたちは薔荊蛇の討伐のために森の奥深くへ向かうはずです。彼らの移動の手間を省いてあげようではありませんか」


 レナートは計画を悪びれもせずに語り始めた。


「私たちで薔荊蛇を里へ連れてきてあげれば彼らは戦わざるを得なくなる。そうすれば、海里という冒険者も否応なくその力を見せることでしょう」


「ふふ、あなたも大概人が悪いですね、レナート殿。しかし、その思考は嫌いではありませんよ」


 ゼイロンが愉快そうに笑った。


「ゼイロンさん。魔物を誘き寄せるのに有効な道具を持っていませんか?」


「ありますよ。その役目に特化した設置型の魔道具が」


 ゼイロンはその仕組みを説明し始めた。二つ一組で片方を薔荊蛇の棲み処に設置して起動させれば、もう片方を終点として、その間にいる魔物ごと誘き寄せることができるのだと。


「教団には多才な方がいるようですね。その魔道具をバルトロメオとカミラに持たせます。カミラの隠蔽魔法なら薔荊蛇の棲み処まで辿り着けるでしょう。もう片方は私が里の近くに配置します」


「ご自身で?」


「ええ。配置するだけではなく、その近くで待機します。薔荊蛇が到達した時に海里がどう動くか、この目で確認しなければ意味がない。見通しの良い高台にでも陣取りますよ」


 レナートは自信に満ちた声で言った。


「ですが薔荊蛇が到達するまでには時間がかかるでしょう。その間に海里が里を離れていては意味がない」


 レナートはヘルマンとエーリッヒの名を口にした。


「そこで、あの二人に里で騒ぎを起こさせます。エーリッヒには里の中で混乱を作らせ、ヘルマンには子供でも攫わせればいい。海里たちが対処に追われている間は里を離れるわけにはいかなくなります。海里を里に釘付けにしておくための手段ですね」


「目標が里にいるうちに薔荊蛇を到着させると。二段構えですね」


「ええ。うまくいけばヘルマンたちが騒ぎを起こした時点で海里が力を見せるかもしれない。そうなれば薔荊蛇は追い打ちになります。どちらに転んでも海里は対処を迫られます」


 レナートは満足げに目を細めた。


 ゼイロンは自身の足元の影に手を差し入れ、煤けた香炉のような魔道具を二つ取り出し、レナートに手渡す。


「ありがとうございます。それでは始めましょうか」


 二人は残りの四人が待つ場所へと戻っていった。




 □■□■□■□





 レナートから命令を受けたバルトロメオとカミラは、魔物寄せの香を手に森の奥地へと向かう準備を始めていた。他の三人と十分に距離を取ってからカミラが小さな声で口を開いた。


「……薔荊蛇とやらを里に呼び寄せろですって。私たちはルカンと戦ってないし、あの人は異形の魔物を過小評価しているとしか思えないわ。エルフたちが総出で対策に動いているほどの脅威なのに……」


「分かっているさ、カミラ。あの人にとっては、エルフも冒険者も己の出世のための道具に過ぎない」


 バルトロメオは苦々しく呟いた。


「……団長なら絶対にこんな命令は出さない」


 カミラの手が微かに震え、絞り出すような声に怒りが混じる。


「人の良心を踏みにじる真似は、あの人が最も嫌うことだわ。私たちの剣は守るためにある——そう教わったのに、今やっていることは何なの……」


「俺たちが団長の下で学んだことと、レナート副団長に強いられていることは真逆だ」


 バルトロメオは拳を握りしめた。


「……何度も考えた。団長に直接報告できないかと。だが……」


「無理よ。レナート副団長はイディウス宰相との繋がりを使って王都への報告を全て握っている。独断で国境の砦に向かおうとすれば脱走と見なされるわ。そうなれば私たちだけじゃない。家族が……」


 カミラの言葉が途切れた。二人とも幾度も同じ絶望に突き当たっていた。


 バルトロメオは重く息を吐いた。


「……分かっている。今は逆らえない。だが、カミラ。一つだけ約束してくれ」


「……何?」


「もし薔荊蛇の棲み処へ向かい、あの魔物を目の当たりにして、俺たちの手に負えない化け物だと分かった時は。レナートの命令よりも自分たちの判断を優先する」


 カミラは足を止め、バルトロメオを注視した。


「……里に警告するということ?」


「ああ。レナート副団長に背くことになる」


「背いたら私たちの家族が危険に晒されるわよ。イディウス宰相の権力があれば、罪の捏造なんて容易だわ」


「それでもだ。目の前で人が大勢死ぬのを黙って見ていたら、俺たちは団長に顔向けできなくなる。一生だ。家族を守るために誰かを見殺しにし続けるなら、俺たちはもう騎士じゃない」


 長い沈黙の後、カミラは静かに頷いた。


「……分かったわ。騎士でなくなったら団長の元にいる資格すら失うもの。この任務を終えたら、何としてでも団長に直接会いに行く方法を考えましょう。報告経路が塞がれているなら、自分たちの足で行くしかないわ」


「ああ。約束だカミラ」


 二人は拳を合わせた。魔物寄せの香を握りしめ、二人は薔荊蛇の棲み処へと足を踏み出した。


挿絵(By みてみん)




 □■□■□■□




 バルトロメオとカミラが去った後、レナートはヘルマンとエーリッヒへ次の命令を告げた。


「さて、あなた達にも一仕事してもらいますよ」


「具体的には何をすればいいんですかねぇ?」


 エーリッヒが目を細めて問う。


「里の連中の注意を引き、混乱を起こしてください。海里という冒険者が里を離れられぬよう釘付けにしてもらいたい」


「私の好きにやっていいので?」


「やり方はお任せします。エーリッヒ、あなたなら内部で自在に動けるでしょう。ヘルマンは……そうですね、エルフの子供でも攫えばいい。海里を里に繋ぎ止める材料にもなるでしょう。薔荊蛇が到着した時、彼が不在では意味がありませんからね」


 レナートが淡々と説明すると、ヘルマンの目がぎらりと光った。


「いいぜ、簡単な仕事だ。ついでに可愛い女エルフでもいると最高なんだがなぁ」


 ヘルマンは個人的な欲望を隠そうともしなかったが、レナートは気にする素振りも見せなかった。動機が何であれ、駒として機能すればそれでいい。


「エルフの里には歴史的に貴重な書物や魔道具が眠っているはずですからねぇ。私は色々と物色させてもらいましょう」


 エーリッヒもまた自身の欲望を隠さなかった。


「結構。ただし、あなた達が返り討ちにあったとしても私は助けに行きませんからね。それは理解しておいてください」


 レナートの発言を聞いても、ヘルマンは鼻で笑い、エーリッヒは軽く肩をすくめた。どちらも真に受けた様子はない。


「では動いてください。期待していますよ」


挿絵(By みてみん)


 二人が里に向かって姿を消した後、レナートも動き始めた。ゼイロンの姿は既に影に溶け、そこにはない。レナートは一人、里を見下ろせる高台を目指して歩きながら計算を続けていた。


(駒が騒ぎを起こして海里を縛り付け、その間に薔荊蛇を呼び寄せる。私は高みの見物といきましょう。完璧だ)


 切り立った高台からは、足元の森の向こうにエルフの里が垣間見えた。


 レナートは魔物寄せの香の片方を、里に近い位置へ設置した。微かに甘い香りが立ち上り、風に乗って森に溶けていく。設置を終えたレナートは高台に戻り、満足げに呟いた。


「……見通しはいい。薔荊蛇がやって来るまでは、ヘルマンたちの騒ぎで退屈はしないでしょう」


 彼は懐からゼイロンに渡された薬瓶を取り出した。不気味な光沢を放つ赤黒い液体を手のひらの上で転がす。


「ふふ。この薬の出番はなさそうですけどね」


 レナートは口元に卑しい笑みを浮かべ、計画が動き出す瞬間を待ち始めた。




 □■□■□■□




 里から少し離れた森の中。エヴァンに送り出された三名のエルフが木々の間を音もなく移動していた。精霊の導きを頼りに痕跡を辿っていた三人の足が不意に止まる。


 霧だ。


 この森では見たことのない灰色の粘つくような霧が足元から這い上がってくる。精霊の囁きが途絶えた。


「っ、戻れ!これは自然の霧じゃな――」


 先頭のエルフが叫びを上げた瞬間、灰色の塊がその声を呑み込んだ。


 霧の中から伸びた太い腕が男の顔面を鷲掴みにする。身体強化魔法で膨張した籠手が頭蓋を軋ませ、そのまま地面に叩きつけた。土が抉れる鈍い音と共にエルフの身体が力なく弛緩する。


「ひょろいなぁ、エルフってのは」


 ヘルマンが掴んでいた顔を放し、無造作に五指を開閉させた。


 残る二人は霧の中で方向を見失い、互いの位置すら把握できずにいた。靄の奥から短剣の閃きが走り、一人が膝から崩れ落ちる。もう一人は背後から首筋に刃を押し当てられ、抵抗する間もなく意識を断たれた。


「動けなくしておけばいいですかね」


 霧の中からエーリッヒが姿を現し、短剣の血を拭った。


「チッ。つまらねぇ仕事だ。さっさと里に行こうぜ」


 三名が横たわる静寂の中に、灰色の霧だけが澱んでいた。




 □■□■□■□




 エヴァンは里の入口に立ち、険しい表情で森を凝視していた。


「……まだ戻らないのか」


 送り出した偵察のエルフ三名。黒曜騎士団の動向を追わせ、監視に徹するよう命じていた。だが予定時刻を過ぎても一人として帰還しない。


 森を熟知した彼らが道に迷うはずはなかった。精霊に感知を求めても三人の気配は一切返ってこない。それは精霊の及ばぬ事態を意味していた。


 エヴァンの表情に苦い影が落ちる。


(先刻の二人には殺気がなかった。だが――)


 森の奥から、微かな鉄錆の匂いが風に乗って届く。棲み処を広げながら徐々に里に迫る薔荊蛇と黒曜騎士団。二つの脅威により、アウロラの森に混乱の予兆が満ちようとしていた。



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