第41話:蠢く思惑
海里がアウロラの森へ行く準備を進めているのと時を同じくして、リグリア王都に置かれた輪廻教団支部の一室。 簡素だが威厳ある肘掛け椅子に、七元徳『信仰』の鏡花は身を委ねていた。閉じた目蓋の裏で、彼女は深い思考の海に沈んでいた。
ふと、鏡花がゆっくりと目を見開く。その瞳は無機質な光を湛えたまま扉へと向けられた。
「入れ」
「はっ。鏡花様、失礼いたします」
扉を開けて入ってきたのは、漆黒の装束を纏った金髪の青年。襟元で鈍く輝く銀の十字架、そして以前、街頭で海里たちを呼び止めた時と変わらぬ、柔和な笑みを浮かべている。
鏡花に恭しく一礼したその男の名はゼイロン。
「……黒髪の転生者は見つかったのか?」
鏡花が淡々と問う。今の彼女にとって、リグリアでの本来の目的を除けば、吹き飛ばした村から逃走した転生者の捜索が優先事項だった。
「申し訳ございません。黒髪の男は見つかっておりません。……ただし、名医と呼ばれるアルベール医師の医院に出入りしている黒髪の患者を除けば、ですが」
「……あの男か。あれは好きにさせておけばいい。それよりも、第六転生者と目される男の所在が判明すれば、教団として利用価値を見出せるのだがな」
鏡花の言葉を受け、ゼイロンは一つの進言を申し出た。
「鏡花様。その第六転生者を探し出すため、捜索の前提条件を一度捨てたく存じます」
「ほぅ。続けろ」
「私見ですが、転生者は否応なく目立ちます。……直近の王都で目覚ましい活躍を見せている海里という冒険者。黒髪ではありませんが、彼には調査の必要があるかと」
「ヴェノム・ルカンを追い詰めたあの青年か……。先日、少し言葉を交わしたな」
鏡花の脳裏に、凄惨な戦場跡で必死に自分を呼び止めていた青年の姿が浮かぶ。
「彼は『雷針』ゼファーの依頼を受け、ルカンの毒を治療するため、エルフ族の住まうアウロラの森へ向かうようです」
その報告に、鏡花の無表情な顔にわずかな思案の色が差した。
「アウロラの森、か……。あそこは、我ら教団には近寄り難い場所だな。以前、『節制』が起こした騒動のせいで、エルフ族は我らをひどく忌み嫌っている。我らが行けば無用な騒動を招くだけだ」
「左様でございます。……ですので、今回は教団の信徒ではなく隠れ蓑を使います。素行の悪さで有名な黒曜騎士団に調査を依頼し、私がその中に潜り込みましょう」
鏡花の瞳に関心が宿る。
「お前の力なら容易いな。いいだろう。黒曜騎士団が起こす不祥事なら、すべて宰相殿の責任にできる。今のあの連中なら、我々が黙っていても騒動を起こすはずだ。……準備を始めろ」
「はっ! 直ちに」
「……もう一つ。隠れ蓑とする連中に、あの薬を渡せ。ついでだ、治験も行わせてもらう」
鏡花の口から出た意味深な指示に、ゼイロンは笑みを深めて応じた。
「承知いたしました。そちらも抜かりなく」
「件の青年が第六転生者なのか、そして利用価値があるかどうか――見極めはお前に委ねる、ゼイロン。私は宰相殿への打診を済ませた後、リグリアに来た本命の目的を進めるとしよう。……行け」
一礼したゼイロンが、鏡花の部屋を後にした。
再び静寂が戻った部屋で、鏡花は椅子に深く身を沈め、独りごちるように呟いた。
「……目の前にいたというのにな。ゼイロンに話すまで、疑念を持てないとは。やはり、私にはまだ、人を理解する経験が足りていないな」
その声には後悔も焦りもなく、ただ自身を冷静に評価するような響きだけがあった。鏡花は誰に語りかけるでもなく嘆息すると、再び深い思考の海へと落ちていった。
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「ふぅ。アウロラの森、か……」
アルベール医院には屋上がある。
夜の屋上は、アルベールにとって王都で発生する様々な喧騒から離れ、ただ一人の人間となれる憩いの場所だった。
だが、今宵の憩いの時間は、彼が予期していない訪問者によって唐突に破られた。
「いい夜だね、アルベール先生」
「――っ!?」
背後からの声に、アルベールは心臓を跳ねさせた。 そこには、一人の男が立っていた。
三十代に入ったばかりのように見える細身の体躯。柔らかな黒髪と親しみやすい顔立ちは、一見すれば好青年そのものだ。だが、その瞳の奥には獲物を見定めるような獰猛な光と、底知れぬ深淵が同居している。
彼はアルベールにとっては一人の患者だったため、嘆息してから応じた。
「……君か。私は! 君に! 何度も! 安静にしてくれと言ったはずだがね。わざわざ姿を見せたのは、今すぐ私に簀巻きにされたいから、ということでいいのかな?」
「おっと、それは勘弁してほしいな、先生」
男は、ひらひらと両手を挙げておどけてみせた。
「あなたの的確な治療のおかげで、斬られた傷もきれいに塞がった。この通り、もう身体に支障はない。そのお礼に、今夜は先生に贈りたいものがあってね」
憩いの時間を邪魔されたことに加え、その原因が悩みの種の一つである治療中に度々姿を消す厄介な患者だと理解し、アルベールの語気は自然と強くなっていた。
「はぁ。私に贈りたいものだって?一体何を言って……」
怪訝そうな声を出すアルベールに対し、男は笑みを崩さない。その瞳は、アルベールの内面の苦悩すら見透かすかのように。
「是非、受け取ってほしい。先生の目下の苦悩を解決するかもしれない、価値あるものをね」
「……妙なものなら……君、本当に簀巻きにするからね」
「ああ、もちろんだ。それじゃ、早速――」
男が指をパチリと鳴らす。
次の瞬間、アルベール医院の屋上へ向かって、夥しい数の樹の根が突然生えてきた。まるで意思を持つかのように、根は蠢き、蛇のように滑らかに移動する。一本、また一本と、生き物のように絡み合い、やがては人の胴よりも太い、巨大な一本の幹のようにまとまっていく。
「これは......!」
アルベールは驚愕に目を見開く。医学に精通する彼の目の前で、男が自然の摂理を無視して樹々を操っている。
「俺の魔力は樹木を操ることに適性が強くてね。まぁ、それは重要ではなくて、見てほしいのはこっちさ」
男はそう言い、視線を樹の根の先に向けさせた。やがて、その樹の根は、まるで巨大な手のひらのように、何かを抱え上げてきた。それは、木の繊維が複雑に絡み合った大きめの繭状の物体。彼は、その大きな木の繭をアルベールの目の前に静かに下ろした。
驚きと緊張で見つめるアルベールの前で、木の繭がゆっくりと開いていく。中から現れたのは、淡い青い光を放つ氷塊。そして、その氷の中に閉じ込められていたのは、おぞましい姿をした魔物ルカンだった。
「これは……話に聞いていたルカン!?どうやってこれを……?」
アルベールは驚愕の声を上げた。このルカンの持つ毒こそ、今のリグリアで猛威を振るい、多くの患者を苦しめている元凶。
男は、アルベールの反応を楽しむように穏やかに笑う。
「氷漬けになったルカンの氷像が複数あったから、そのうちの一つを俺が拝借したんだ。先生にとって良い刺激になると思ってね。治療してもらったお礼として持ってきたんだ」
男の言葉には、このルカンの氷像を手に入れることが、いかに容易であったかという態度と、アルベールの苦悩に配慮する感情が混じり合っていた。
「寝る間も惜しんで治療法を求めているアルベール先生に、俺からの贈り物だ。これがあれば、きっと研究も捗るだろう? 知的好奇心の強いあなたなら、喜んでくれると思ってね」
男は、盗品を届ける泥棒とは思えぬほど穏やかに微笑んだ。
ルカンの氷像を前に、アルベールは複雑な感情を抱く。彼の脳裏に、ルカンの毒に苦しみ、今の自分では手を施すことができない患者たちの姿が浮かぶ。
目の前の氷漬けの魔物から、その治療法を見つけ出せるかもしれないという期待。それと同時に異形の魔物と呼ばれるルカンを調査したいという個人的な知識欲を刺激される。
しかし、今はその時間はない。
「折角持ってきてくれたところすまないが、アウロラの森に行くことになってね。すぐには調査できなそうだ」
「おっと、タイミングが悪かったか」
男は仕方ないとばかりに肩をすくめた。
「……確かに、これがあれば魔力を乱す毒の性質を解明できるかもしれない。だが、それが分かったところで、打ち消す材料がなければ解毒薬は完成しない。 だから、私はアウロラの森へ行くよ」
「それなら、帰って来てから調査するでもいいだろう」
「ああ、そうさせてもらうよ」
アルベールは、目の前の男に得体の知れない畏怖を覚えつつも、その行為の根底にある奇妙な善意を感じ取っていた。これほどの力を持ちながら、なぜ自分のような街医者にこうまで恩義を感じているのか分からない。
「……君は一体、何者なんだ?」
これまで患者の素性を問うまいとしてきたアルベールだったが、今回ばかりは尋ねずにはいられなかった。
「俺の名前は以前も伝えた通り、設楽だよ。あなたに怪我を治してもらったことに恩義を感じているただ一人の患者だ」
設楽は、悪戯っぽく笑い、アルベールの問いを軽やかに受け流した。
月夜の屋上でのアルベールと設楽の邂逅。アルベールはアウロラの森への出立を前に、新たな運命が動き出したことを感じていた。
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海里は昏睡し続けるジュノアを救うため、唯一の希望である翠玉の涙を求めて、エルフ族の住むアウロラの森へと旅立つ。
その裏では、海里の知らぬ幾多の思惑が蠢き始めていた。
別人のように変貌した幼馴染にして、冷徹な七元徳『信仰』の鏡花、暗躍を始める配下のゼイロン、そして謎の男、設楽。
それらの意思はやがて巨大な渦となり、海里と、彼の周囲の者たちの運命を激しく揺さぶる未来へと導いていく。




