第32話:家族の絆
雷光を纏う槍を構えたゼファーと、巨獣グリムボアの背で手綱を握るディラン。 ほんの少し前まで殺し合っていた二人の間には、言葉による合意など必要なかった。戦場を呑み込み始めた異形のルカンが現れた直後から、二人の意識はほぼ同時に、共通する脅威へと転換された。
ゼファーの雷槍が一閃されて、 飛びかかろうとしたルカンの眉間を正確に貫き、その勢いのまま後続の個体の肉を焼く。無駄のない研ぎ澄まされた連撃で異形の魔物を打ち払う。
対するディランもまた、 騎乗するグリムボアを操り、肉薄してくるルカンの群れを蹄で踏み潰す。頭上を狙う個体は、手にした棍棒の一振りで叩き落としていく。
背中を預け合うことなどなかった。 だが、互いの攻撃が他方の隙を埋め、結果として完璧な迎撃布陣を成してしまう。敵対する強者たちの意図しない連携がそこにはあった。
襲い来るルカンの第一波を退け、束の間の静寂が訪れる。ゼファーは槍を構えたまま、ディランに声をかけた。
「あなたたち賊を討伐する作戦だったのですが、神出鬼没な別な討伐対象まで来てしまった。……ディラン殿?」
声をかけられたディランは呆然としていた。ゼファーとの戦いの最中、自信に満ちていた表情を失い、悪夢の中に放り込まれたかのようだった。
「何でだ……?何で……この魔物がここにいやがる?」
全盛期を過ぎてなおゼファーを戦えていた男が、一瞬にして弱々しい人間になってしまったように見えた。
「ディラン殿、貴方はあのルカンを知っているんですか?」
ディランは顔を歪め、憎々しげな声で答えた。
「……忘れられるかよ!十年前、グランドヴェルク国境で俺のいた騎士団が壊滅した場所にも現れた魔物だ!」
「なっ……!?」
冷静さを保っていたゼファーを動揺させるには十分な情報であり、彼の目が大きく見開かれる。
十年前、リグリア最強を誇った騎士団が国境付近で壊滅した未解決事件。ゼファーの母である団長が帰らぬ人となり、生き残った父である副団長がその後リグリアを出奔するきっかけとなった、彼自身の人生を歪めた元凶。
その騎士団が壊滅した場所にルカンが現れていた。その事実はゼファーが求めて調べても得られなかった事件に唐突に新たな側面を与えた。
「あのルカンの群れに、私の両親と、あなたが所属した騎士団が壊滅させられたいうのですか?」
しかし、ディランの返答はゼファーの予想を裏切るものだった。
「……違うぜ『雷針』。数がどれだけいようが、あれにやられるほど団長たちはヤワじゃねぇ。あれは人為的に造り出された魔物で……騎士団を潰したのは、その造物主だ!」
「人為的……? どういう意味ですか!」
戦場の騒乱を忘れ、ゼファーは問い詰める。周囲のルカンへの警戒を怠らず、少しでも過去の謎を解き明かしたいという切実な願いがあった。
「俺が聞きてぇな。その造物主に騎士団の人間は次々やられた。負傷した俺を連れてお前の親父さんはリグリアへの報告のために、泣く泣く逃げたんだ!お前のお袋さんを殿に残してな!」
ディランの口から語られた事実は、ゼファーにとってあまりにも衝撃的だった。
「――ッ!!」
その直後、離れた位置から甲高い悲鳴が届く。リリィとロロの声だと気づいたディランは、ゼファーをもう見ておらず、リリィとロロの危機へと意識が向けられていた。
「話はここまでだ『雷針』。お前、まだ隠し玉があるんだろ? 上手くやって仲間の被害を減らすんだな。――あばよッ!」
「待てッ、ディラン殿!」
ディランは双子の危機への対処を優先し、それ以上ゼファーを顧みることなく、グリムボアを駆って走り去っていき、ゼファーはその場に立ち尽くす。
(父は……生き残った後、何故リグリアを出奔した?母は誰に殺された……?造物主とは……何者だ?)
ゼファーの脳裏で、ディランの言葉が嵐のように渦巻いていた。衝撃が彼を揺さぶり立っていることさえ危うい。 だが、その時、騎士団員の悲鳴が彼の意識を現実に引き戻した。
「……ッ!」
ゼファーは個人的な感情を強引に押し込んだ。顔を上げた時、彼は再び指揮官の顔へと戻っていた。今は個人的な感情に溺れる暇は許されない。声を張り上げて、混乱の極みにある討伐隊の指揮を執り始める。
「負傷者を中央に集約! 動ける者は円陣を組み、護衛に回れ! 混乱して個別に食われるな、秩序を保て!!」
ゼファーの冷静な指示により混乱していた討伐隊員たちは、一斉に動き始める。過去の真実を追うのは、この混乱を生き延びた後だ。彼は槍を握り直し、迫り来るルカンに抗うため正面から見据えた。秩序を回復させることに全力を注ぎつつ、強大な一撃を放つために槍の穂先に、青白い雷光を収束させ始めていた。
□■□■□■□
ルカンの群れに追い詰められていたリリィとロロを救い出したのは、凄まじい勢いで肉薄したグリムボアの突進と、間髪入れずに放たれたイザベラの弓の連射だった。
「リリィ、ロロ! 無事かッ!?」
ディランがグリムボアから飛び降りるなり、リリィはその胸元に縋りつき、堰を切ったように泣きじゃくった。
「ディランパパぁ……! イザベラぁ……怖かったぁ、何なのよあいつらぁ!」
「……イザベラ、ディランパパ、ありがと。本当に死ぬかと思ったよ。傀儡魔法が効かない魔物なんて、初めてだ。ルカン……とか呼ばれてたけど、あの魔物一体、何なの?」
ロロは青ざめた顔で問う。傀儡魔法を無効化された衝撃は、肉体的な危難以上に双子を打ちのめしていた。
「あたしにも分からない。アリーナポリスでも、あんな悍ましい魔物は見たことなかったよ」
イザベラが苦々しく吐き捨てると、ディランが周囲を油断なく眺めながら応じた。
「そうだろうな。俺も十年前に一度、グランドヴェルクの国境で遭遇したきりだ。……ああ、その時も今のお前らと同じように、傀儡魔法が効かなくて焦ったもんだ」
「……そんなに危険なの、あの魔物は?」
怯えるリリィの頭を、ディランは無骨な手で乱暴に撫でた。
「数が多いし倒してもキリがねぇ。厄介なのは間違いねぇよ。……だがな、ありゃあ数が多いだけの雑魚だ」
「あの群れが雑魚だって!? ディラン、不本意だけど……騎士団も冒険者も巻き込んで戦わないと全滅するよ!」
イザベラの言葉は、ルカンの脅威に晒された戦場で生き残るための一つの正解だった。だがディランはその協力するという提案に即座に首を振った。
「バカ言うな、イザベラ。例えその場しのぎの共闘で生き残ったとしても、待ってるのは捕縛と、良くて牢獄行きだ。今のリグリアはクソ宰相イディウスが実権を握ってやがる。騎士団に協力したところで処刑される。それじゃあ、俺たちに先はねぇんだよ」
ディランにとって、今のリグリア王国は信じるに値しない。ゼファーをはじめとする騎士たちと協力する余地があっても、その上に立つ人間が一切信用ならない。賊の烙印を押された自分たちを待っているのは一時的な延命に過ぎない。
「じゃあ……じゃあ、どうするのパパ!? あんなのに喰われるなんて嫌だよぉ!」
泣きじゃくるリリィの頭をディランの手が撫でることで、少しだけリリィは落ち着きを取り戻す。
「……イザベラ。お前の白狼の脚なら、ここから逃げ切れるか?」
「無理だディラン。あのルカンは土壁の向こうにもいる。たとえこの子の脚でも脱出する前に喰いつかれて全滅する」
ディランの問いかけに、イザベラは白狼の毛並みを撫でながら、悔しそうに歯噛みする。
「そうか……そうだなあ」
イザベラの答えに、ディランは深く長い息を一度だけ吐いた。 過去の因縁と今の脅威、そして自らの命を天秤にかけ、彼はとっくに答えを出していた。
「……悪いなお前ら。完全に見誤った。どさくさに紛れて逃げるはずが、まさかあの魔物にまた出会うとはな。……イザベラ。万が一の時はどうするか、忘れてねぇな?」
その問いかけにイザベラは息を呑んだ。それは二人の間で交わされた全滅を避けるための最終手段。
「ディラン……!? まさか、あんた……」
「協力して生き残ろうとする連中は好きにさせとけ。俺は、お前ら三人さえ生き残ればそれでいい」
彼にとっては、戦場の混乱も騎士団の奮戦も、すべては家族を逃がすための手段に過ぎなかった。
「ディランパパ? 何言ってるの……? 何だか様子が変だよ」
「そうだよ、まるで、もう会えないみたいな……」
双子の不安げな声に、ディランの口角がふっと和らいだ。 孤児となって飢えて泣いていた幼い二人が、今では未熟ながら傀儡魔法を扱うまでになった。
(……ああ、生き残った価値はあったなぁ)
賊の首魁としての顔は消え、そこにはただ子供たちの行く末を案じる一人の父親の顔があった。
「イザベラ。リリィとロロを連れて逃げろ。そのための隙と時間は――俺が作る」
その言葉は逃れようのない決別を告げていた。




