第31話:招かれざる客
海里に一方的な憎悪をぶつけ、その恨みを晴らすはずだったバルドの行動は、血の匂いに釣られて現れた異形の魔物ルカンに右腕を食い千切られたことで終了した。バルドは出血の止まらない切断面を押さえながら叫び散らす。
「俺の……俺の腕ぇぇっ!!痛ぇ!痛ぇぇぇ!!」
止まらない血は瞬く間に彼のボロ服を深紅に染め上げ、激痛、逆恨み、そして理解を拒絶するような状況の連鎖。粗悪な回復薬の影響で既にひび割れていたバルドの理性が、ここで音を立てて完全に崩壊した。
「今度は魔物まで俺をコケにするのかぁ?あぁ!?ふざけんなよ!俺の腕を返せぇ!!!」
バルドは獣のような咆哮を上げ、千切られた自らの腕を貪り食うルカンへ、残った左手で殴り掛かろうとした。だが、彼の背後には別のルカンが音もなく忍び寄っていた。
「ぎゃぁあ!」
ルカンの群れにとって、バルドは目印だった。 全身に刻まれた無数の傷から濃厚な血の匂いを振りまき、あまつさえ大声で喚き立てて自身の居場所を主張している。それはルカンにとって、自ら餌に志願した肉塊でしかなかった。
続々と現れる獰猛な牙が、彼の両脚に、胴体に、次々と深く食い込んでいく。バルドの身体を、ルカンの群れが競い合うように覆い尽くしていく。
「ぎゃっ!やめ、やめろ!がっ!あっ!うぎゃああああああああああああッッ!!!!」
抵抗は意味を成さなかった。肉が裂ける鈍い音と、骨が砕ける嫌な響きが断末魔と交錯する。
「助げ、でぇ……」
最後に漏れたのは、海里への殺意でもリーファへの恨みでもなく、あまりにも人間らしい生への縋りだった。しかしその呟きも、ルカンたちの咀嚼音の中に無慈悲に掻き消されていき、やがて、バルドの声は完全に途絶えた。
残ったのは肉を引き裂き啜るルカンたちの荒い鼻息と、噎せ返るような鉄臭い匂い。海里を輪廻教団に売り飛ばすことを主導し、自らの不幸を他者に責任転嫁し続けたバルドの生涯は、彼自身が海里に強いた不条理をそのまま突き返された。
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凄惨極まりない結末を迎えたバルドを呆然と眺めていた海里たちは、それまでの戦いが嘘のように沈黙に包まれていた。
レンは思わず口元を強く押さえ、喉の奥から込み上げる不快感を必死に抑え込んだ。
「うっ……、悪りぃ。吐きそうだ……。何なんだよ、ありゃあ。普通の魔物じゃねぇだろ……」
「レン、気持ちは分かるけど今は前を見て。あの魔物、普通じゃないわ。……海里?」
リズの声に、海里は応えることができなかった。 バルドを貪り尽くしたルカンを、彼は険しい眼差しで見つめたまま微動だにしない。ルクスを死に追いやり、この異世界で生きていく真のきっかけが生まれたあの日、その中心にいたのは、間違いなくルカンだった。
「海里! しっかりして! 立ち尽くしてたら死ぬわよ!」
リズの叫びに、海里はハッと我に返った。頭を振り謝罪を口にする。
「……すまない。あの魔物に気を取られていた。あの魔物はルカン。俺が以前遭遇した時よりも遥かに数が多い。……まだ、増えるかもしれない」
海里の言葉に、レンが目を見開いて食ってかかった。
「知ってるのかよ!? 海里、あの魔物を!」
「……ああ。リグリアに来る途中で遭遇した。ゼファーさんの弟のルクスが命を落とした元凶だ。いつかまた遭遇するとは思っていたけど、こんなに早く遭遇するなんてな……」
吐き捨てるような海里の言葉に、リズは眉を吊り上げて不満を露わにした。
「騎士団も人が悪いわね! こんな化け物が現れる可能性があるなら、事前に周知を徹底させるべきだったんじゃないの? 被害が出てからじゃ遅いのよ!」
「悪く言わないでやってくれ、リズ。ルカンを目撃したのは俺だけだったんだ。目撃証言が少なすぎて、存在を疑う声すらあった。混乱を避けたかったんだろう……結果として、これ以上ない最悪のタイミングで現れたけどな」
海里は剣の柄を指が白くなるほど強く握りしめた。 脳裏に蘇るのは、自分を生かすために瀕死の状態でルカンへと立ち向かったルクスの背中。 海里は苦い感情を飲み込み、血の匂いに狂い、新たな肉を求めて蠢き始めたルカンの群れを睨みつけた。
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一方、バルドの凄惨な最期を目撃したリリィとロロは、これまでの不遜な態度が嘘のように顔を青ざめさせていた。
「お、おじさんが……死んじゃったよ。リリィ、あんなの……」
「わ、分かってるわよ、ロロ! で、でも……あの気持ち悪いのが沢山いれば、騎士団も冒険者も、みんなやっつけて……くれるわ!」
恐怖を打ち消すように叫んだリリィは、ルカンを新たな傀儡として利用せんと考えた。操ることしか知らない双子は、ルカンという存在の危うさを理解していなかった。
「馬鹿! やめろ! ルカンを刺激するなッ!!」
海里の警告が響くが、それは遅かった。 二人の指先から放たれた傀儡の魔力糸がルカンの群れへと伸びる。しかし、これまで数多の魔物を操ってきた傀儡魔法の手ごたえは返ってこなかった。
「……えっ!?」
放たれた傀儡魔法の魔力は、ルカンの斑模様の皮に触れた瞬間に霧散した。支配されるどころか、その干渉を不快な刺激と受け取ったルカンの赤い目が、一斉に双子を射抜く。
「ひっ!な、何で……? 何で傀儡魔法が効かないのよッ!? きゃあああああああああッ!! 来ないで! こっちに来ないでぇぇぇ!!!」
「リリィ!? ……や、やめろ、この化け物ッ! う……うわああああああッ!!」
飢えた瞳をギラつかせ、弾かれたように襲いかかるルカンの津波。 パニックに陥ったリリィとロロは、もはや海里たちへの攻撃を継続する余裕などなかった。二人の魔力操作が疎かになり、大半の魔物たちから傀儡の糸が断ち切られる。
主の意志を失った魔物たちは、虚ろな目のまま棒立ちになり、逃げることも戦うことも忘れた抜け殻へと成り果てた。そして、動きを止めた無数の肉を、ルカンの群れが咆哮と共に食い散らかし始める。
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「に、逃げるわよロロ! ここはもうダメよ!」
「う、うん!イザベラと、ディランパパは?」
リリィとロロは悲鳴を上げながら、まだ自分たちの支配下にあるわずかな魔物を肉壁としてルカンに差し向け、海里たちを無視して逃げ出していく。
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混乱が拡大する中、生存を懸けた狂乱が戦場を塗り潰していく。 外へ逃げ出そうと必死に土壁をよじ登る賊の一団がいた。だが、彼らが安堵の溜息を漏らす間もなく、崩れた土壁の向こう側から無数のルカンが雪崩のように押し寄せてくる。
「出られた……! 出られたぞッ! ぎゃあああああああッ!!」
歓喜は一瞬で断末魔へと反転する。壁の向こう側で待ち構えていたルカンの群れに引きずられ、賊たちは土埃と共に土壁の向こうへと消えていった。
また別の賊たちはアジトの奥深くへ逃げ込むことで難を逃れようとした。強固な壁と闇の中に身を潜めれば助かる。その浅はかな希望は、ルカンの土中を移動するという生態の前に無惨にも打ち砕かれる。
「ここは安全だ、ここまで来れば……っ。な、何だ、地面が……!?」
アジトの地面が水面のように波打って盛り上がる。直後、足元から突き出した無数の牙が賊の股ぐらを、腹部を、顎を下から喰い破った。密室となったアジトの奥からは、逃げ場を失った者たちの悲鳴が壁に反響しながら虚しく響き渡る。
傀儡の支配から放たれた魔物の群れもルカンの牙に喉笛を裂かれ、ただの肉塊へと成り果てていく。意志を欠いた魔物は、ルカンという異形の格を知らしめるための供物と化す。
ルカンにとって、高潔な騎士も、勇猛な冒険者も、卑劣な賊も、そして抜け殻となった魔物も、等しく動く餌でしかない。 慌てふためき、喚き散らす行為は、飢えたルカンたちに自らの居場所を知らせる合図にしかならない。
生きとし生ける存在のすべてが餌へと格下げされた土壁の中で残された選択肢は二つ。 絶望的な確率に賭けて逃走を試みるか、あるいは、武器を握り直してルカンの群れを迎え撃つか。そのどちらもが茨の道でしかなかった。
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海里たちから少し離れた場所で、ジュノアとラルフ、そしてイザベラは、ルカンの襲撃に晒されていた。
ジュノアは鋭利な水刃を閃かせ、ラルフは炎の槍を旋回させて、四方から飛びかかるルカンを斬り伏せ、焼き払う。だが、ルカンの群れは絶え間なく溢れ出し、死体を踏み越え、生きた肉であるジュノアたちに執拗に襲いかかってくる。
ラルフは荒々しい息を吐きながら、滴る汗を拭う間もなく槍を突き出した。
「こいつらがルカンか……! 一匹一匹はそこまでじゃねぇ。だが、何だこの数は! 倒しても倒しても、キリがねぇ!」
「……ええ。数が異常だわ。この土壁の中にいる以上、私たち皆が奴らにとっての餌でしかないようね」
ジュノアは冷静に状況を分析し、すぐ近くで白狼と共にルカンの迎撃を続けるイザベラに問いかける。
「イザベラ、あなたたちはルカンのことを知っていたの? ――これも、あなたたちの狙い通りなのかしら?」
「……あんな気色悪い化け物を知ってるかだって!? 冗談じゃないよ! あんなの、あたしたちの計画に……ない……ッ!!」
イザベラは心の底から嫌悪を滲ませて叫ぶと、迫るルカンに巨大な石礫を叩きつけ、手にした弓で次々と眉間を穿つ。それでもなお肉薄してくる個体には、白狼がその爪でルカンの胴体を抉り、鋭い牙で喉笛を噛みちぎる。
もはや、討伐隊と賊という対立構造は体を為していなかった。 生存のために否応なしに背中を預け合い共通の脅威を退ける。ここで戦える人間の数が減れば、次に食われるのは自分たち自身だと生存本能が告げていた。
その時、戦場に切迫した悲鳴が響き渡った。
「ッ!! リリィ! ロロ!? ……くそっ!!」
それが双子の声だと瞬時に悟ったイザベラは、ジュノアたちへの警戒をかなぐり捨てた。ジュノアに一度視線を向けたイザベラは、白狼を双子の声がした方角へと向かわせて去っていった。
イザベラが離脱した時、ラルフの炎の槍が一体のルカンの腹を深く裂いた。 臓物がドロリと地面に零れ落ちたというのに、その個体は血飛沫を上げてジュノアへと飛びかかった。
「……なっ、あの傷で死なねぇのかよ!?」
「はっ!」
空中でルカンを縦一文字に斬り捨てたジュノアに、ラルフが焦燥を帯びた声を上げた。
「ジュノア! 俺たちは海里と合流するぞ! ルカンについてはあいつが一番詳しいはずだ!」
「ええ! 行きましょう!」
二人は海里の魔力を追って走り出した。 背後を走るラルフの脳裏には、一つの疑問がこびりついて離れない。
(……一体一体はそこまで強い魔物じゃねぇ。ただ数が多いからって、あのルクスが……あいつが致命傷を負わされるほどなのか?いや、今考えることじゃねえ!)
実際にルカンを目にして浮かんだ疑問は簡単に拭えない。
不吉な疑問を無理やり頭の隅に追いやり、ジュノアとラルフは死地からの脱出路を求めて戦場を駆け抜けていく。




