第28話:『雷針』VS『操魔』
外界と遮断された土壁の中で数多の叫びが渦を巻く。
圧倒的な物量を誇る魔物の鯨波に決死の奮戦を強いられる討伐隊。その光景をアジトの高台に陣取ったディランは涼しい顔で眺めていた。
「ははははは! 始まったなぁ。凄まじい光景だ、なぁ、『雷針』? 余裕ぶってていいのかよ。お前が連れてきた連中、このままじゃ全滅だぜ?」
ディランは不敵な笑みを浮かべ、すぐ傍らで立ち尽くすゼファーへと顔を向けた。だが、ゼファーの視線は眼下の混戦には微塵も動かない。その眼光はただ一人、ディランだけを見据えていた。
「私の連れてきた者たちはこの程度で崩れるほど脆弱ではありませんよ。それよりディラン殿。私は言ったはずです……貴方を捕らえ、その口から十年前の詳細を聞かせてもらうと」
ゼファーが淡々と告げた刹那、大気が震えた。 前触れもなく、青白い雷光がディランの頭上から容赦なく降り注ぐ。だが、ディランはそれを予想していたかのように、最小限の動きで身体を逸らした。真上から飛来した雷撃がディランの鼻先を紙一重で通り過ぎる。
「おっと! あぶねぇなぁ。狙った場所に寸分の狂いもなく落とせるとは便利な力だ」
雷撃が穿った地面からは、焦げ付いた土の匂いと共に、どす黒い煙が立ち上っていた。
「……さて。そう言うことなら、俺たちも始めようじゃねぇか! 来いッ!」
ディランの全身から、禍々しい紫色の魔力が迸り、アジト深奥の洞窟へと吸い込まれていく。その呼びかけに呼応し重厚な足音が響き渡った。 闇の中から巨体を揺らし、三体のオーガがゼファーを目掛けて猛進を開始する。
「……」
ゼファーは無言のまま、手のひらを一振りした。 目にも留まらぬ速さで放たれた三条の銀光。それは突進するオーガたちの分厚い肩口に、吸い込まれるように突き刺さる。 異変を感じたオーガの一体が首を傾げた、その直後、ディランへの雷撃とは比較にならない眩い雷撃がオーガ三体の頭上へ同時に炸裂した。
ぐ、おおおおおぉぉ……ッ!!!
轟音と共に放たれた極大の雷光は、オーガの強靭な皮膚を一瞬で焼き焦がし、その脳天を貫いた。三体の巨躯は、ゼファーの指先一つに触れることさえ叶わず、物言わぬ肉塊となって地面に崩れ落ちた。
「ちっ、足止めにもなりゃしねぇか……」
ディランは吐き捨てるように呟いた。魔物を一瞬で無力化されたことに、微かに苛立ちが混じる。
「相手が人間でなければ手加減する必要もありません。……ディラン殿、オーガ以外の魔物を傀儡にしてあるのでしょう? お早めにどうぞ」
涼しげな表情を崩さぬゼファーは、次の魔物を催促するようにディランを促した。
「仕方ねぇなぁ、全く」
ディランはぼやきながらも、その瞳から余裕は消えていない。
「……お前の自慢の雷が通用しねぇ、とっておきの出番だ。さあ、出てきな」
ディランの号令と共に、アジトの最深部から一際大きな地響きが轟いた。 現れたのは、オーガを凌ぐ巨躯を誇る異様な魔物。全身を黒い岩石のような硬質の皮膚で覆った、巨大な猪グリムボア。 体表を走るひび割れた赤い脈動と獰猛な赤い光を放つ瞳。そして顎からは、すべてをなぎ倒すべく湾曲した太く長大な牙が突き出ている。
「……グリムボアですか。珍しい。これほどの個体がこの森にいたとは」
「こいつは雷を弾く特異な性質を持っていてな。そう簡単には丸焼きにはできねぇぞ、『雷針』」
ディランは身を翻し、猛るグリムボアの背へと騎乗した。 岩のような巨躯と元騎士が一つになり、圧倒的な暴力の塊となって、ゼファー目掛けて突撃を開始した。
グリムボアの放つ咆哮は閉じられた檻のような戦場全体を震わせる。ゼファーは眼前に迫る岩石のような巨躯を最小限の動きでその突進を躱す。
だが、ディランが跨るグリムボアの動きは突進を躱されても終わらない。
アジトの高台を豪快に抉りながら突き抜けたグリムボアは、ディランを乗せたまま地上へと地響きを響かせて降り立つ。その着地の衝撃で地面が爆ぜ、砂塵が舞う。
「はっはははは! お前ら!道を空けなッ! 討伐隊の連中を纏めて踏み潰してやる!」
ディランの声に応えるように、賊たちが一斉に左右へ割れ、敵である騎士団と冒険者を正面に引き摺り出す。 グリムボアは地上に降り立つや否や、ディランの意志で味方を傷つけることなく、討伐隊だけを正確に抉り取る塊と化した。
「お、お頭だ! 行けぇッ! 奴らをなぎ倒してくれぇ!」
賊たちの士気が爆発的に跳ね上がる。グリムボアの巨体が通り過ぎた跡には、隊列を粉砕された討伐隊の無残な姿だけが残される。ディランはグリムボアを完璧に制御し、混戦の中でも敵の急所を的確に突き、長大な棍棒を振るって視線上の騎士の盾ごと腕を叩き折っていく。
精密かつ凶暴な蹂躙を止められる者はこの場にただ一人しかおらず、ゼファーが動いた。
高台から地へと降り立つその挙動は落雷そのものを彷彿とさせ、一瞬でグリムボアの背後へと肉薄する。 手に持った銀の槍が青白い魔力を帯びて鋭く突き出された。狙いはグリムボアの急所ではなく、その背に跨るディラン。
だが、ディランは振り返ることさえせず、手綱を引いてグリムボアの巨体を強引に捻らせ、同時に 岩石を穿つような火花が散る。必殺の刺突はグリムボアの硬質な皮膚に弾かれ、わずかに裂傷を刻むにとどまった。
「……ッ!」
「ははっ! 遅ぇんだよ、『雷針』!それじゃあ、俺に攻撃は届かねえぞ!!」
ディランが棍棒を真後ろへ一閃させ、ゼファーが槍の柄でそれを受け止める。その激突から放たれた衝撃波だけで、周囲にいた魔物や討伐隊の面々は堪えることが出来ず吹き飛ばされた。
誰一人としてこの二人の領域に足を踏み入れることはできない。ゼファーを援護しようとした騎士と冒険者たちが武器を構えるが、気圧されて近づくことすら叶わない。
白銀の鎧を纏い雷を操る王国の最高戦力『雷針』。 かたや岩石のような獣を自在に御しつつ戦場を横断する『操魔』。
閉ざされた檻の中心で、二つの力が衝突するたびに地面に新たな亀裂が刻まれていく。
跳躍していたゼファーは、着地と同時に銀の槍を旋回させ、雷光を凝縮した槍の穂先をグリムボアの頭部へと突きつけた。 しかし、解き放たれた雷撃は、グリムボアの岩石のごとき毛皮に吸い込まれ霧散していく。
「どうしたぁ、『雷針』! その程度か! 雷は効かねぇと言ったはずだぜ。お前の看板も、存外に軽いもんだなあ!」
ディランの嘲笑と共に、グリムボアが再び地を蹴った。蹄が地面を粉砕するたびに石礫が降り注ぎゼファーの鼓膜を叩く。
だが、ゼファーの瞳に揺らぎはない。彼は静かに息を吐くと、槍に纏わせていた雷を霧散させた。
「……硬い毛皮が邪魔して雷が効かないのなら、その下へ直接通すだけのことです」
ゼファーの全身が魔力で極限まで強化された身体能力により、蹂躙を運ぶグリムボアの突進を紙一重で回避し、次の瞬間、彼は電光石火の速さで巨大な獣の背後へと回り込んでいた。
手に構えた槍先にのみ、針のように鋭く高密度に収束された青白い雷光の火花が凝縮されている。
「はっ!」
短い声と共に放たれた一撃は、グリムボアの防御の薄い脇腹、硬い毛皮の隙間を、ゼファーの槍の穂先が正確に貫く。外側からの衝撃に無敵を誇るグリムボアとて、体内に直接高圧の雷を流し込まれれば無傷ではいられない。
ぎゅびいいいいいいい!!!
内側から内臓を焼かれる苦悶に、グリムボアが全身の毛を逆立てて狂ったように暴れ出した。その暴走に、ディランの顔から余裕が消え失せる。
「ちぃっ!」
ゼファーは暴れる巨躯から素早い身のこなしで距離を取り、舌打ちをしたディランへ疑問を問いかけた。
「……ディラン殿。貴方はなぜ、騎士を辞めて賊に身を落としたのですか。その腕があれば、今も騎士として十分に活躍できたはずだ」
「ははっ、何を言ってやがる……」
ディランは荒々しく笑いながらも、その言葉の端々には隠しきれない郷愁が滲んでいた。
「俺がいた騎士団は十年前に壊滅した。善王は失脚し、今じゃクソ宰相が実権を握り、王座は飾りも同然だ。……そんな国に捧げる義理なんて、とうにねぇのさ。俺はイディウスの失政で溢れた孤児や逃亡者を束ね、自分たちの力で生きる道を選んだだけだ」
「……それは結果論に過ぎない。貴方は己が絶望を理由に国を見限っただけです」
「そう言うなよ、『雷針』……」
ディランの口元に自嘲気味な笑みが浮かぶ。
「国のために戦ったお前の母親も弟も死に……俺を救った親父さんも国を出て行方不明だ。お前ほどの力を持った奴が、家族が誰もいなくなったこの国に尽くす価値があるのか!? なぁ、答えろよ『雷針』ッ!!」
決して嘲る口調ではなく、何故お前はそこにいるのかと問うディランの叫びが、閉ざされた土壁の中に虚しく響き渡った。
「……」
黙して答えないゼファーに、ディランは傷の影響で鳴き声を上げるグリムボアを傀儡の魔力で従わせ、再びゼファーを轢き潰すための凶器へと変えた。
グリムボアは鼻息荒く、石礫を撒き散らしながら、何度も何度も、ゼファーに突進を仕掛ける。その突進はゼファーの動きを封じるための連続攻撃となり、ゼファーは紙一重で躱し続ける。
今のゼファーの真の敵は、グリムボアではなくディランの語る言葉だった。ゼファーが答えを求め続ける国境で起きた十年前の事件の詳細。その生き証人の語る言葉が、冷静であろうとするゼファーの心を抉り続ける。
「ふぅ……」
ゼファーは一呼吸ついた後、ディランの目を真っすぐ見据えて告げた。
「……私が今ここに立っているのは、リグリアの騎士だからです。そして、貴方がかつて背を預け合った男女の息子だからです」
ディランは、そんなゼファーの言葉を愉快そうに、本当に愉快そうに聞いていた。ゼファーの姿を見るその瞳には、かつての仲間の面影と、それを守るために戦う青年の姿が、歪な形で映り込んでいた。
「たとえこの国に家族がいなくとも、私は白銀騎士団長としての責務を捨てる理由にはならない。賊となった貴方がリグリアに害を為すのであれば、私はただ、一人の騎士として貴方を止める。それだけです」
「ははっ!やってみろよ『雷針』!!家族のいないリグリアに尚も尽くすならよ、もういない団長たちに代わって、俺がてめぇの力をしっかり見極めてやるよ!」
ディランが手綱を強く引くと、グリムボアが前脚で激しく地面を削り、巨大な牙をゼファーに向けて突き出した。
「それは光栄ですね。貴方のような偉大な先達から評価してもらえるとは、嬉しくて涙が出そうですよ」
「真顔で言ってんじゃねえよ、気持ち悪ぃ……」
ディランは、ゼファーの表情と声の乖離を不敵に笑って応じた。 ゼファーの握る長槍が青白い雷光を纏い、グリムボアの側面を掠める。
対するディランが駆るグリムボアは、獣の荒々しさを保ちながらも、彼の意志を完璧に反映した精密さを兼ね備えてゼファーへと迫りくる。
やがて、ゼファーの槍先がディランの胸元を射抜かんと放たれる必殺の刺突。 避ける隙はない。そうゼファーが確信した刹那、グリムボアが主の思考を読み取ったかのように猛然と首を跳ね上げた。岩石の如き硬質な牙が、雷の穂先を力任せに弾き飛ばす。
「……なるほど。傀儡魔法で操るだけではない。魔物の反射神経を、貴方の神経系へ直結させているのですね。先の攻撃を振り返りもせず防げたのは、それが理由ですね」
戦い続けていたゼファーが納得したように呟く。全盛期を過ぎ、肉体的には衰えが見えるはずのディランだが、その意識は眼下の巨獣と完全に溶け合っていた。
「傀儡魔法をただ操るだと思ってんなら、おめでてぇな。今のこいつは俺の肉体そのものとも言える。お前の槍がどこを向いているか、俺の肌より正確に教えてくれるぜ!」
「魔物との同調……。流石に『操魔』の名を冠するだけのことはあります。貴方自身の衰えを、獣の野性で補うとは恐ろしい」
「だからよ! その顔で言ってんじゃねえ! そういう理屈っぽいところまで、あの団長夫婦にそっくりじゃねぇか!」
咆哮と共に迫る巨躯。ゼファーはその突進を最小限の挙動でかわし続ける。
「血の繋がった家族ですから。……当然でしょう」
「ああ、全くだ……! そういう面白みのねぇ強さが、たまらなく懐かしいんだよ!」
ディランが吼えると同時に、グリムボアの重い蹄が大地を叩き割った。 ゼファーの槍から放たれた極大の雷光と、獣の質量を全霊で乗せたディランが駆るグリムボアの突進が、土壁の檻の中の空気をねじ切るように真っ向から衝突した。
互いの信念と魔力の奔流が火花となり、それが散るたびに閉ざされた檻は激しく鳴動する。二人の怪物の衝突は、周囲の喧騒を置き去りにし、その激しさを極限まで高めていく。




