第26話:閉じられた檻
燃えるような赤髪と黒い衣装で身を固めた女イザベラは、苛立ちを隠さぬ足取りでアジトの奥へと進んでいた。
通路は天然の洞窟を掘り広げたように薄暗く、湿った土の匂いが立ち込めている。ところどころで揺らめく松明の頼りない光に照らされるのは、野卑な笑いを浮かべてたむろする身なりの荒れた賊たちだ。
酒の悪臭と、王国への不満が渦巻く陰鬱な空間。その片隅には、傷だらけの身体の痛みに耐えかねたのか、空になった回復薬の瓶を最後の一滴まで啜ろうと必死に振っている薬物中毒者のような男もいた。身体中にまだ完全には癒えていないような痛々しい傷跡が走っていた。
(まったく……こんな掃き溜めの連中じゃ、騎士団や冒険者に勝てるわけがないね)
イザベラは冷ややかな一瞥を男に投げ、嘆息した。彼女にとって、このアジトにいる大半の連中は仲間などではない。唯一、背中を預けられるのは最奥にいる男と、双子だけだ。
突き当たりにある一際広い部屋。そこには賊の首魁ディランと、双子のリリィ、ロロの姿があった。 ディランは荒くれ者そのものの風体でありながら、どこか理知的な雰囲気を醸し出している。乱雑にまとめられた緑髪と全身の傷跡は、彼が潜り抜けてきた修羅場の数を示していた。
ディランは木製のグラスに注がれた安酒を喉に鳴らして飲み干すと、それを無造作に机へ置き、入ってきたイザベラに視線を向けた。
「どうだった、イザベラ。王都の様子は」
「最悪だよ、ディラン。この間の戦闘痕を辿って、騎士団がこの付近まで調査に来てた。あたしらを根絶やしにするために、騎士と冒険者の討伐部隊が組織されてる」
「はっ!ははは!賊相手に大袈裟なこった。誰が討伐部隊のリーダーだ?」
ディランはイザベラの報告を聞いても意に介さず、寧ろおかしそうに笑っていた。
「……『雷針』ゼファーだ」
その名を耳にした瞬間、ディランの笑みが消えた。一瞬だけ驚きに目を見開いた後、彼は再びグラスを口に運び、身体を微かに震わせ笑っているようだった。
そこで不安そうにディランに駆け寄ったのは、双子のリリィとロロだ。
「ごめんなさい、ディランパパ。この前、俺たちが冒険者を仕留め損なったから……」
「たくさん来られたら、オーガちゃんがいても負けちゃうかも……」
ディランは謝る双子の頭に、節くれだった大きな手を乗せて優しく撫でた。その眼差しは、賊の首魁のものとは思えないほど慈愛に満ちている。
「気にするな、お前たち。生きてりゃ予想外のことなんていくらでも起きる。……お前らが無事なら、それでいい」
その光景を見届け、イザベラは土壁に背を預けて腕を組んだ。
「それで、どうするんだいディラン? 『雷針』が直々に来るとなれば、数だけ揃えたって意味はないよ。討伐隊が来れば、このアジトの烏合の衆は各個撃破されて終わりだ」
「ああ、分かっている。ここにいる連中の大半は、クソ宰相の圧政で食い詰めただけの素人だ。騎士団と冒険者に勝てるわけがねぇ」
ディランは立ち上がり、机の上の空になったグラスを指先で弾いた。ゴロリと転がるグラスを冷ややかに見つめ、彼は方針を告げる。
「この大所帯じゃ、いずれ首が回らなくなるのは目に見えていた。……一度、掃除が必要だ。イザベラ、お前はこのアジトを囲むように、地面へ魔力を込めておけ。逃げ出すことを許さねぇ檻を作る」
「……ディランがやりたいことの意図は分かった。が、それだとあたしらも退路を失うよ?」
イザベラが眉をひそめると、ディランは口角を歪な形に吊り上げた。
「逃げ場がなけりゃ、どんな腰抜けでも必死に戦う。賊共を盾にして混戦に持ち込めば、その隙に俺たち少数が逃げ出す隙くらいは作れるさ」
その非情な作戦に、イザベラも納得したように唇を歪めた。
「あぁ、そういうことかい」
意思疎通を交わしているディランとイザベラに、リリィとロロがやや不満そうに頬を膨らませる。
「ディランパパとイザベラ。二人だけで話を進めないでよ」
「そうだよ!僕たちだっているんだからさ」
ディランは双子に向き直り、二人に優しく、それでいて真剣な口調で伝える。
「悪い悪い。……お前たちにも大仕事があるぞ。ゴブリンや狼どもを傀儡魔法で掻き集めておけ。今回は質より数だ。敵が来たら存分に暴れさせてやれ」
「分かった、ディランパパ!」「今度こそ、あいつらを倒してやる!」
リリィとロロが海里たちへの逆襲を誓って叫ぶ。
「ああ、それでいいぞ二人とも」
海里たちへの逆襲を誓う双子の声を、ディランは満足そうに受け止めた。 血と酒の匂いが染み付いた掌で、もう一度二人の髪に触れる。
賊を討伐するための正義の到来を前に、元騎士が描いた図面通りに、獲物を待ち受ける準備は着々と整いつつあった。
□■□■□■□
白銀騎士団と冒険者ギルドによる、総勢百名に及ぶ合同討伐部隊。 王都の門を背にした一行は、賊のアジトへと続く道を突き進んでいた。
先頭を行くのは、白銀騎士団長ゼファー。迷いなく進んでいく彼の背中は討伐隊全体の道しるべとなり、彼がいるという事実だけで全体の士気が高まっていた。
陽光すら遮る樹々は進むほどに部隊の緊張感を高めていく。沈黙が続く中、騎士たちは整然と歩を進め、冒険者たちはそれぞれの武器を握り直す。
海里はレンとリズと共に、冒険者側の隊列の中ほどを歩いていた。これまでは多くて二人~三人で森を抜けてきた。百人が揃って同じ方向へ歩く、その地面を伝う振動が、妙に落ち着かなかった。そんな緊張を覚える中、ふと、隣を歩くレンが声を潜めて海里に声をかけた。
「なぁ、海里。さっきから視線を感じると思ったら……あっちの綺麗な女騎士がずっとお前のことを見てるぜ。知り合いか?」
「え?」
レンが顎で示した先。騎士団側の隊列に視線を向けると、そこには馬に揺られるジュノアの姿があった。彼女の瞳は海里を捉えて離さず、身を案じる深い憂いと、その活躍を期待する複雑な色が浮かんでいる。
「……ジュノア」
視線がぶつかったことに気づくと、ジュノアは表情を綻ばせ、すぐに前方の森へと視線を戻した。
「……あの女騎士がジュノアって人なんだ。 海里も隅に置けないわね。あんな美人に熱い視線を送られるなんて」
リズが杖を抱え直し、茶化すような視線をジュノアへ向けた。
「熱い視線って……いや、俺とジュノアはそういう関係じゃ……」
「はいはい、わかってるわよ。でも、あの人の隣で槍を回してる赤髪の男……あっちの視線はあんまり穏やかじゃないわね。海里、あなた、あっちにも何かしたの?」
リズの言う通り、ラルフは槍をくるくると器用に回しながら、時折、海里に視線を向けていた。彼を初めて見る二人からすれば不穏に見えたのだろう。
「……あいつはラルフだ。色々あって決闘したけど、頼りになる味方だよ」
海里の答えに、レンとリズは顔を見合わせた。自分たちの知らないところで、海里が騎士団と深く関わっていることを実感させられていた。
「騎士と決闘って……何で、そんなことになったんだ?」
「大方、あのジュノアって人を巡って争ったんじゃない?」
「あー、そういうことかぁ」
「……違う……断じて違う」
軽口を叩きあうレンとリズに、 海里が溜息混じりに否定する横でレンがニヤニヤしながら海里の肩を叩き、リズは面白そうに杖を弄ぶ。海里は戦いが始まる前から疲労を覚えていたが、同時に戦場へ向かう緊張感を、彼らの言動が和らげてくれていた。
そしてたどり着いた 賊のアジトは、山塞型と呼ぶべき歪な形をしていた。もとは緩やかな丘に過ぎなかったであろう地形が、幾度もの土魔法による増築を経て、巨大な土の砦と化している。幾重にも穿たれた洞窟の入り口は奥の見えない闇が広がり、獲物を待ち受ける怪物の口のようにも見えた。
「あれが賊のアジトか……」
海里の呟きは、背後で高まる討伐隊のざわめきに呑み込まれていく。
「こんなデカいアジトを、よくもこれまで見過ごしてきたもんだ。俺の目も節穴になったか?」
ラルフが舌打ちをしながら槍の柄を叩いた。その声には、賊という存在を甘く見ていたことへの自身への苛立ちが含まれている。
「王都から離れているだけでなく、この森自体が天然の防壁となっていたのでしょうね」
ジュノアはアジトの各所に目を走らせ、既に戦闘開始後の乱戦の影響を考え始めていた。
討伐隊が開けた場所に集まり、その異様な威圧感に気圧されそうになった、その時だった。
「こんな森の中まで、わざわざご苦労なことだな! リグリアの白銀騎士団に、冒険者ギルド。チンケな賊相手に随分な大所帯だ。いささか張り切りすぎなんじゃねぇのか?」
入り組んだアジトの奥から嘲笑が響き、賊の首魁ディランが姿を現した。彼の出現を合図に、アジト各所の入り口から何十、何百という賊と、傀儡にされた魔物たちが瞬く間に湧き出し、討伐隊と向かい合うように展開した。
ディランの不遜な態度に応えるように、ゼファーが静かに一歩、また一歩と前へ出た。白銀の鎧を纏ったゼファーの静謐な佇まいは、荒々しく野卑なディランの姿と見事に対照をなしていた。
「張り切るくらいで丁度いいんですよ。あなたのような元騎士が首魁を務め、魔物を操る使い手を複数抱えた集団が相手なら尚更です」
ゼファーは務めて冷静な声で、ディランを見据えた。
「加えて、この巨大な砦を築き上げる能力。もはや、あなたが言うようなチンケな賊ではありません。明確な脅威であると判断し、全力で対処する……それだけの話です。『操魔』ディラン殿」
「ははっ! 懐かしい呼び名を出してきやがる。俺はもう、お前たちの身内に数えられるような騎士じゃねぇんだぞ」
ディランは顔を歪め、嘲笑と、どこか場違いな郷愁が混ざり合った声で続けた。
「『雷針』よぉ……俺がいた騎士団の団長と副団長。あの人たちの息子が、随分と立派になったもんだなぁ!」
緑髪の下の顔に浮かぶのは隠しきれない複雑な感情だった。ゼファーの姿にかつての仲間の面影を見たのか。ディランの瞳には、かつての騎士としての誇りと、それを捨てた者の哀愁が揺れている。
「……私のことを、そこまで知っているのですね」
「知らないはずがあるかよ。当時の団長たちには、そりゃあ世話になった。お前の親父さん……当時の副団長が助けてくれなきゃ、十年前の時点で俺も死んでたからな」
ディランは遠い過去の記憶を辿るように目を細めた。
「あなたは私の両親の身に起きたことをよく知っている生き証人です。……それも私がこの作戦の指揮を引き受けた理由の一つですよ」
「涙ぐましいねぇ。あの団長たちの息子が、今やリグリアを代表する騎士の一人か。十年も経てば世代も変わる。だが……」
ディランはそこで一拍置き、しごく真面目な顔で告げた。
「弟の方は存外に脆かったようだな」
ルクスの死を把握している言葉。ゼファーの瞳が一瞬だけ細められたが、彼はすぐに指揮官の顔を取り戻す。
「……情報収集能力も高い。ますます見逃すわけにはいきませんね。そのまま十年前の国境で起きた事件の詳細も語っていただきたい」
ゼファーは私情を切り捨て、リグリアの騎士団長の一人として、未だ詳細が明らかでない事件の情報をディランに求めて対峙した。
「はははははは! そいつは今語る必要はねぇだろうよ。俺は賊でお前は騎士。うまく俺を捕まえて聞き出してみるんだな!」
ディランは高笑いと共に、互いの陣営のリーダー同士の視線が火花を散らす。高まる戦意は個人の因縁では収まらず、軍勢同士の全面衝突の時が近づいていく。
だが、その場の全ての者が戦意が昂っているわけではない。大半が烏合の衆である賊たちは、王国騎士の最高峰の一人『雷針』ゼファーを間近に見たことで開戦を待たずして瓦解しかけていた。
「お、お頭ぁ! あんな化け物相手にできるわけねぇ! 俺は……俺は逃げる、あぎゃっ!」
一人の賊が逃げ出そうと数歩踏み出した刹那、 雷光が突き抜け、男の体は衝撃で撥ね飛ばされ、焦げた匂いと共に土の上に転がった。
逃走の意思すら許さぬ雷光は連続して降り注ぎ、逃走を試みていた数名の賊を一瞬にして沈黙させた。
「逃げられると思わないでください。……ここは、既に戦場なのですから」
ゼファーの声はどこまでも冷静で、彼が力のほんの一部を見せただけで、戦場は静まり返る。『雷針』という異名を知ってはいても、その実力を直接見たことがある者は、同じ騎士団の者たちしかいない。同じ討伐隊側の冒険者は『雷針』という騎士の存在に畏敬を、そしてそれと相対する賊は底知れぬ恐怖を抱いた。
賊の首魁ディランは、目前で繰り広げられた雷光の裁きに不敵な笑みを深くした。
「それが『雷針』の由来か。恐ろしいもんだな」
恐ろしいと言いながらディランは動揺していない。ゼファーの力を目の当たりにしてもなお、ディランの余裕は揺るがない。
「……まぁ、これ以上の話は必要ねぇだろう。わざわざ王都からお越しいただいた騎士や冒険者の皆々様を、これ以上お待たせするわけにはいかねぇからな。最高の歓待を始めてやろうじゃねぇか」
その異様な自信が戦場に冷たい風を吹かせ、討伐隊と賊、両者の戦意が臨界点に達した瞬間、彼は声を張り上げた。
「イザベラ、始めろッ!!」
「ああっ!了解だよ……ッ!」
ディランの合図に、弓を背負ったイザベラが身を低くして、魔力を両腕に集束させてから地面へと叩きつける。 次の瞬間、練り上げられた魔力の奔流が一気に流し込まれた。
異変は、戦場となる賊のアジトの外縁から始まった。
アジトを取り囲む広大な地面が、地下から激しく鳴動し始めたのだ。地鳴りが響き渡り、討伐隊と賊、双方の足元がうねる。土の塊が生き物のように盛り上がり、凄まじい勢いで垂直に立ち上がっていく。
それは瞬く間に空を覆うかのように土の壁へと変貌した。 討伐隊の通ってきた道も、アジトの周囲の森の風景、そのすべてを遮断するように、高さ十メートルを超える土の障壁が円を描いて隆起する。
地鳴りが止み、舞い上がった土埃が風に流されたとき、討伐隊の周囲の鬱蒼とした森の風景は消え去り、あるのは巨大な土壁だけ。
逃げ場を失ったことで討伐隊に微かな動揺が走り、 対照的にディランは策が成ったことで笑みを浮かべる。
いま、この場所は外界から完全に切り離された檻へと変貌した。 逃走を許さず、慈悲を排除し、ただ生存のみを賭して殺し合うためだけに設えられた戦場。
「……さぁ、始めようか。騎士に冒険者ども!!誰が生き残れるか、この閉じられた檻の中で踊ってみせろよ!!」
ディランの不敵な呟きと共に、土壁に覆われた閉じられた檻の中で決戦の幕が上がった。




