第19話:王国の歪み
いつの間にか横にいて、話しかけてきたリズに対して海里は疑問の声を上げた。
「リズ……声をかけるタイミングを見計らっていたって、いつから横にいたんだ?」
「んー?そうね、一時間くらい前からじっと見ていたわ」
「……何でその時点で話しかけないんだ?」
さらに疑問を重ねる海里に、リズはけろりとした顔で応じた。
「海里がすごく集中しながら頭をうんうん唸らせてたから。邪魔したら悪いと思ったのよ。一区切りついたみたいだから声をかけただけ」
「……そっか、それは悪かった」
海里は脱力して椅子に座り直した。
きっと、唸り声を上げる男の横でじっとそれを見つめるリズの姿は、周囲から見れば相当に奇異な光景だっただろう。
「それで、海里は何をそんなに悩んでいたの?」
リズはテーブルに肘をつき、海里の顔をじっと覗き込んだ。
「……この間の教団の青年のことが引っかかってさ。黒髪の男を探していると言っていただろ? あれから、教団が何なのか、大陸で何が起きているのか、自分の目で確かめたくなったんだ」
「それで一人であんな山のような本を?」
「ああ。断片的な知識は頭にあるんだが、それが本当に正しいのか確信が持てなくて。歴史書で裏を取りたかったんだ」
海里は熱を逃がすようにこめかみを揉みほぐした。
「ふぅん……確かに、あの青年の態度は気味が悪かったわね。教団が転生者を探しているなら、その目的くらいは知っておきたいのは分かるわ」
リズは少し考え込む素振りを見せてから、不敵な笑みを浮かべた。
「よろしい。ならば情報通たるこの私が、あなたの疑問を潰してしんぜよう!」
「……好きなのか? その芝居がかった口調」
リズの動きがぴたりと止まった。沈黙が数秒、周囲の静寂がやけに耳に障った。
「…………」
リズは真顔のまま、無言を貫いた。全く感情が読めなかった。
海里が気まずさに耐えかねて深呼吸を一度したところで、彼女は唐突に窓の外を指差した。
「海里、もう夕方だって気づいてる?」
「えっ?」
言われて初めて、窓から差し込む光が濃い山吹色に染まっていることに気づいた。時計の針は無情に回り続けていたらしい。
「早い時間からずっと図書館にいたでしょう? 平気そうに見えて、海里があの教団の青年にどれだけ動揺していたか、よく分かったわ。思った以上に根が深そうね。いいわ、かかってきなさい。あなたの疑問、私が一つ残らず潰してあげるわ」
「やっぱり好きなのか?その口調……」
リズは真面目な顔で頷き、そして不敵に笑った。
「こういう口調で喋ると、皆驚いてくれるから好きなのよ」
海里は肩の力を抜くと、手元の資料を指した。
「じゃあ、まずリグリア王国の現状について教えてくれ」
海里がそう切り出すと、リズは椅子の背もたれに体を預け、視線を斜め上に向けた。
「……今のリグリアは、実質的に宰相イディウスの支配下にあるわ。先代の王を追放した後、まだ物心もつかない幼い孫を王位に就けてね。実権を奪うには、これ以上ないほど都合の良い傀儡でしょう?」
いきなりの不穏な爆弾発言に、海里の眉が跳ねた。
「傀儡にする……。そんなことが起きてるのか」
「それだけじゃない。宰相イディウスの失政で貧富の差は広がるばかりよ」
リズは机の上を指でなぞり、冷めた声で続けた。
「王都の暮らしに絶望して逃げ出し、自分たちで村を作る人たちが後を絶たない。冒険者ギルドにそんな人たちの依頼が時々入るわ」
(……滅んだロルカ村の人たちが、あんな辺境で暮らしていたのは、そういう理由もあったのか)
政治の腐敗の影響は辺境の村にまで大きく影を落としていたのだ。
「その発端は十年前の事件よ」
リズはそこで一度言葉を切って海里を見つめた。
「グランドヴェルク国境で、当時最強と謳われた三つあった騎士団のひとつが壊滅した。生き残りはたった二人。事件の発生場所が悪くて、対外関係はボロボロになって、無理をして事態を収めた建国者も、今は老齢で寝たきり……」
「……騎士団の壊滅、か」
海里は手元の古びた本に目を落とした。
「残された二大騎士団、白銀と黒曜の立場も複雑よ。特に黒曜騎士団は、最近は素行の悪さが目立っていて評判は最悪。そのツケがまともな白銀騎士団の方に回っているのが実情ね」
リズは吐き捨てるように言い、鼻を鳴らした。
「素行の悪い騎士、か……。街の人間も不安だろうな」
「そう。それで事件以降、戦力不足という名目で、宰相イディウスが招き入れたのが……輪廻教団よ」
リズが窓の外を指差した。その先、夕暮れの街並みの中、教団の紋章が刻まれた旗が誇らしげにたなびいていた。その旗を見上げる市民の中に、祈るように胸に手を当てている白装束の者が何人かいた。
(五十年前の第一転生者を知るわけもないのに、何故それを信奉できるんだ。救いを求めているのか、それとも別の何かがあるのか……俺には理解できない)
「……その教団だけどさ」
海里は喉に引っかかっていた疑問をぶつけた。
「第一転生者を倒したはずの第二転生者が、なんで復活を望む教団の教皇をやってるんだ? 矛盾しすぎだろ」
「教皇は姿を見せないから、真意は誰にも分からないわ。でも……」
リズは少し声を潜めた。
「その下にいる聖女が各地を回って信徒を増やしている。救いを求める人には、聖女の存在は魅力的な救世主に映るんでしょうね」
「……聖女」
海里はその響きに冷たいものを感じたが、リズは話を続けた。
「教団はこの一年で急激に動き出したわ。七元徳と呼ばれる最高幹部たちがいて、長らく空席だった二つの席に第四・第五の転生者が就いたという噂よ」
(一から五……の他の転生者。それなら俺は第六転生者ってことになるのか?)
そこで海里は一つ、欠落している数字に気づいた。
「なぁ、リズ。第三転生者は? 三番目はいないのか?」
その質問に、情報通を自称するリズが少し困ったように眉を下げた。
「……三番目については有力な情報がないのよ。でも、教団がわざわざ第四・第五と呼称しているということは、三番目が存在するという根拠を掴んでいる、ということよ。それから、今話した七元徳の一人がこの王都に来ているわ」
「ああ、それは聞いて知っているよ」
騙され、捕らえられたロルカ村を吹き飛ばした教団の女幹部。それが教団最高幹部である七元徳の一人。その人物が同じ王都の中にいる。その実感が、じわりと背筋に染み込んでくるような重さを覚えさせた。
「……ありがとうリズ。助かった。でも、どうして詳しく知ってるんだ?」
「ん~……秘密!乙女には情報源の一つや二つ、あるものよ」
いたずらっぽく笑うリズに、海里は半ば予想していた回答に苦笑した。
「じゃあ、もう一つ。……『雷針』ゼファーという騎士について、どれくらい知っている?」
リズは少し意外そうに眉を上げた。
「『雷針』ゼファー? 今のリグリアで最強の騎士の一人よ。近日中に遠征から戻ってくるはずだけど……憧れてるの?」
「……いや、そういうわけじゃないんだ」
海里は視線を彷徨わせた。 ゼファー。ルクスの兄。彼の記憶の中でジュノアと並んでいた存在。 不意に鼻の奥がツンとした。
(兄さん……、ジュノア……ごめんよ)
海里の耳に、ルクスの最期の穏やかな声が聞こえた気がした。
遠からず出会うことになるだろう、ルクスの兄。海里は夜の帳が下りつつある王都の空を見上げ、まだ見ぬその人物に想いを馳せた。




