第18話:空白の歴史
冒険者としての生活が始まって数週間。
海里は王都の宿を拠点に、堅実な依頼をこなす日々を送っていた。その中でも、薬草採取の常連依頼主であるアルベールとの関係は、海里にとって特別なものになりつつあった。
「いやぁ、本当に、本当に助かるよ海里くん。まさかこれほど鮮度の良い薬草を、予定よりも早く届けてもらえるなんてね……」
目の下に隈を刻んだアルベールは薬草を受け取りながら何度も頭を下げた。心底救われたという表情だ。
「いえ、魔物の討伐以来の道中で手頃な群生地を見つけただけですから。……それよりアルベール先生は休んだ方がいいですよ。隈が酷いです」
「はは……そうだね。君が質の良い素材を持ってきてくれるおかげで調合が捗りすぎて、ついね。ありがとう、君は本当に信頼できる冒険者だ」
アルベールの感謝に、海里は少し照れくさそうに頬を掻いた。
その後も、リズやレンと共にパーティを組んでいくつかの依頼をこなした。リズの状況判断と、レンの豪快なメイス。二人の実力は海里にとって何よりの教本となった。
一つ一つの仕事をこなす内に、海里の名は堅実な仕事をする男へと、リグリアの王都の中で浸透し始めていた。
その一方で、あの初依頼の日に遭遇した傀儡の魔物や賊の姿を見かけることはなかった。嵐の前の静けさのような平穏が、王都の日常を流れていた。
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ある日、冒険者の依頼が落ち着いた海里は、王都の図書館へ足を運んだ。以前から行こうと考えていたのに、異世界の生活に慣れるのに手一杯で、そのタイミングがなかった。
今日ここに来たのは、先日遭遇した教団の青年がきっかけだった。あの青年は黒髪の男を探していると言っていた。教団が何故転生者を探しているのか、そして何をするつもりなのか。ルクスの記憶には断片的な知識はあるが、自分の目で確認しなければ気が済まなかった。
図書館の門をくぐろうとした時、思いがけない声が海里を呼び止めた。
「海里。ここで何をしているの?」
「リズ!? なんでここに……」
そこには、いつもの魔道士の装いのリズが立っていた。彼女は驚く海里を見て、ふっと悪戯っぽく口元を緩める。
「私は本の虫なのよ。調べ物をするならここが一番だもの。……それで、海里は何の用?」
「……この国の歴史を調べたくて。リグリアに来て日が浅いから、基本を知っておきたいんだ」
海里の言葉に、リズは待ってましたと言わんばかりに得意げな表情を作ると、芝居がかった所作で胸を張った。
「よろしい。ならば王都図書館の常連にして、情報通たる私が、迷える後輩に手解きをしてしんぜよう!」
「……何だその、古臭い芝居みたいな口調は……」
海里は呆れ顔を見せながらも、彼女の教えたがりな一面にどこか安心感を覚えた。二人は軽口を交わしながら館内へと足を踏み入れた。
図書館の内部は巨大な棚が幾重にも並び、綺麗に並ぶ膨大な蔵書が、この国が積み上げてきた歴史の深さを感じさせた。
本来なら、異世界から来た海里にこの世界の文字は読めないはずだ。しかし、それをルクスの記憶が補完した。見慣れぬ記号の羅列が、意味を持った言葉として脳内に直接流れ込んでくる。
(……本当に、ルクスには助けられてばかりだな)
もし彼がいなければ、自分は入り口で立ち尽くしていただろう。
リズは海里の横で目録を指し示しながら、補足するように言った。
「この図書館は、五十年前の第一転生者との戦いが終わった後に建てられたの。建国者が大陸全土の知識を散逸させないために集めたものだそうよ」
「五十年前、か……」
「ええ。じゃあ、私は自分の研究に役立ちそうな魔導書を漁ってくるわ。海里も、目当ての情報に辿り着けるよう祈ってるわ」
リズは颯爽とした足取りで魔法学の区画へと消えていった。 一人残された海里は、改めて目の前の本棚を見上げた。
「……まずはその第一転生者について調べてみるか」
海里は調べものに没頭できる状況を歓迎した。 ルクスの記憶という地図を頼りに、まずはこの世界の歴史における最大の異物、五十年前に存在した第一転生者の正体、そしてアステル大陸の成り立ちから辿り始めた。
(五十年もの間、悪名を残し続けているんだ。資料は沢山あるだろう)
目録から目星をつけ、分厚い歴史書や公的記録を次々と机に運び込んだ。しかし、ページを捲り始めた海里の手は、次第に速度を落とし、やがて止まった。
「……なんだ、これ」
思わず独り言が漏れた。
期待していた詳細な記録はどこにもなかった。様々な本を読み進めても、そこにあるのは、
『第一転生者とは、五十年前のアステル大陸において未曾有の災厄をもたらした、悪しき存在である』
といった、あまりに抽象的で毒にも薬にもならない記述ばかり。
名前も性別も、具体的に何をしたのかも、すべてがぼかされている。意図的に歴史からその情報を削り取ったようだ。
(これじゃ、何も分からないのと変わらない。大陸中の知識が集まっているという割に、肝心なところが空っぽだ)
数時間にわたる格闘の末、唯一得られた収穫は、その第一転生者を打ち倒したのがリグリア王国の建国者とその仲間たちであったこと。
そして、その討伐者の中に第二転生者と呼ばれる人物がいたという事実だけ。 だが、その第二転生者についても、第一転生者と同様に名前すら記されていない。
(転生者が、転生者を倒した……? 同郷で殺し合ったのか?……それにしても、なぜここまで徹底して情報を消す必要があるんだ)
ルクスの記憶にある国の成り立ちは正しいのに、そこから一歩踏み込もうとした途端、空白に突き落とされる。 海里は役に立たなかった本の山を脇に押しやった。
次に彼が手に取ったのは、大陸全土の現状を記した資料だった。だが、今度は情報の少なさではなく、その密度に、海里は眩暈を覚えた。
過去の転生者の空白とは逆に、現代の大陸情勢は海里の脳が悲鳴を上げるほどの熱量を持って迫ってきた。
(……まずは、今いるリグリアか)
現在地のアステル大陸東部、リグリア王国。
開いたページには、栄えある建国の歴史より、現在の混迷が色濃く記されていた。建国者が病に伏しており、宰相が実権を握っていること。
そして、十年前の惨劇。国境付近で三つ存在する騎士団の一つが壊滅したという事件は、ルクスの記憶でも暗い影を落としていた。
(内憂外患、か。ルクスやジュノアが暮らす国は、俺が思う以上に内側から腐り始めているようだな……)
大陸北に目を向ければ、かつて第一転生者に奴隷として酷使された人々の国であるグランドヴェルク連邦がある。
魔法が使えないという一点のみで虐げられた歴史は、今も消えない憎悪となり、かの国は輪廻教団を激しく拒絶している。
次に大陸西部のヴァルハイト聖国。 海里はそこで、一際大きな衝撃に指を止めた。
(……第二転生者が、教皇として今も生きている!?)
五十年前の戦いの当事者が存命であるという事実。
そして、その国こそが輪廻教団の本拠地であること。第一転生者を倒したはずの者が、なぜその復活を望む教団を創設したのか。矛盾した事実に理解が及ばなかった。
南方のアリーナポリス自由都市連合は、金さえあれば何でもできるという奔放な気風で知られている。そして、リグリアとアリーナポリスの中間に位置する広大なアウロラの森はエルフ族の聖域であり、白銀騎士団団長の『雷針』ゼファーと個人的な交友関係を持つと記されていた。
そして大陸中央、地図の真ん中に広がる空白地帯『星蝕の地』。資料によれば、かつて大陸で最も栄えた王国の跡地だという。今や濃密な瘴気が吹き荒れる魔境と化しているとも記されていた。
(地図の真ん中に、巨大な穴が空いているみたいだ。第一転生者が何をしたのかは分からないけど、その傷跡は五十年経っても残っているんだな……。一人の人間が大陸の中心を、五十年経っても人が住めない場所に変えた。……転生者というのは、それほどのものなのか)
一気に情報を飲み込んだ海里は、耐えきれず机に突っ伏した。
ルクスの記憶にあった断片的な知識が一本の線に繋がっていく。情報の海に溺れるような感覚に、頭が沸騰しそうだった。
(……気になることが多すぎる。今日はもう切り上げて、宿で頭を冷やそう)
海里がそう結論付け、椅子を引こうとしたその時だった。
「海里、すっごく熱心に調べていたわね。目が回ってるみたいだけど大丈夫?」
「うわっ!? ……リ、リズ!?」
すぐ真横から聞こえてきた声に、海里は椅子をガタつかせて飛び上がった。見れば、いつの間にか横に立ったリズが、小首を傾げて海里の顔を覗き込んでいた。
彼女がいつからそこにいたのか、調べごとに没頭していた海里は、その気配にすら気づかなかった。リズは海里の過剰な驚きっぷりに楽しげな声を漏らす。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「……心臓に悪いだろ。せめて足音くらいさせてくれ」
「これでも結構、足音は鳴らしていたつもりなんだけど? 海里があまりに難しそうな顔で本と睨めっこしてたから、声をかけるタイミングを見計らっていたのよ」
そう言ってリズは、海里の机の上に積み上がった、分厚い歴史書の山に目を向けた。




