第12話:返却は受け付けません
アルベールの医院で診察を終えた海里は、アルベールの厚意に甘え、数日間、医院の一室を間借りしていた。
異世界に転生して以来、移動と緊張を強いられた海里にとって、久々に感じられる安息の時間だった。柔らかなベッドの上で眠ることで、彼の意識はすぐに深い眠りへと落ちていった。
とはいえ、ずっとアルベールの好意に甘えるわけにはいかない。アルベールと話しあった上で、彼に感謝を告げて、自力で生活基盤を築くことにした。
医院から王都の表通りへ一歩踏み出すと、喧騒が海里を包み込んだ。
行き交う人々の声を聞き、束の間の安息が終わり、再び現実が始まったことを理解した。
(生活基盤を築くと言っても、このままじゃ行き倒れるか、賊に身を落とすのが関の山か……)
もしそうなれば、王国騎士であるジュノアに斬られることになるのだろうか。そんな想像にそれは勘弁してほしいなと唸っていた時だった。
「……何に悩んでいるの?」
不意に背後から、聞き覚えのある柔らかな声がかけられた。
「俺がもし賊になったら、ジュノアに斬られそうで嫌だなと考えていたんだ」
振り向きもせず、思考をそのまま口にした海里に、声の主は絶句した。
「えっと、……なんで賊になる発想が出てくるのか理解に苦しむけれど。私は、海里を斬りたくなんてないんだけどな……」
困惑の混じった声に、海里はようやく我に返り、背後を振り返った。
「ジュノア?」
「気づくのが遅いわよ。医院を出たって聞いて、急いで探したんだから」
呆れたように肩をすくめるジュノアだが、その瞳には安堵が滲んでいた。海里が考え込んで立ち往生している間に、彼女はすぐ隣まで歩み寄っていたらしい。
「ジュノア……騎士の任務があるんじゃないのか?」
「まだ時間に余裕はあるわ。それより海里、あてもなく歩くのはやめなさい。まずは腰を落ち着ける宿を探すのが先決よ」
ジュノアはそう言うと、迷いのない足取りで歩き始めた。
「この辺りの区画は比較的治安がいいし、長期滞在に向いた宿も多いわ。さあ、ついてきて」
「あ、ああ……助かる。ありがとう」
彼女の道案内に、海里は素直に感謝した。
実際、海里は困惑していた。脳内にあるルクスの記憶は断片的で、海里が思いつかないことまでは教えてくれない。 頭の中の風景と、目の前の現実。彼にとって、隣を歩くジュノアの今の知識は、何よりもありがたかった。
ジュノアは海里の少し前を歩きながら、周囲に目を配っている。
「この通りは夕方になると少し騒がしくなるから、裏道の方にある宿がいいわね。あそこなら騎士団の巡回も多いから安心よ」
迷いのない足取りで路地を進んでいくジュノアの横顔を、海里はふと見つめた。どの時間帯にどの通りが荒れるか、どの裏道が安全か。それは騎士が巡回で覚える類の知識とは違う気がした。まるで、この街の裏側に自分の足で立っていた者の感覚に思えた。だが、今それを尋ねる理由は海里にはなかった。彼女が案内してくれているという事実だけで、十分だった。
その細やかな気遣いに触れるたび、海里の心から強張りが消えていく。
しばらく歩き、人通りが少し減った場所で、ジュノアは立ち止まった。そして、真剣な表情で海里に向き直った。
「海里。あなた、森で荷物をすべてなくしたのよね。暫くはこれで何とかなるでしょうから受け取って。当面、生活するには十分だと思うわ」
そう言って、ジュノアは、ずっしりとした重みを感じさせる麻袋を取り出した。じゃらじゃらと硬貨が触れ合う音が聞こえてきて、彼女は、それを海里の前に差し出した。
海里はためらった。こんな大金を受け取るわけにはいかない。
「さすがに受け取れない。俺だって働けば……」
麻袋を受け取ることをためらう海里に、ジュノアは少し考える素振りを見せた。
「あなたの意志は尊重するけれど、今すぐに解決する話じゃないわ。それに……」
そこでジュノアは、懐からルクスの水晶のペンダントを取り出した。
「これは、あなたが私に届けてくれたことへのお代。私にとっては、何物にも代えがたい大切なものなの。……だから、受け取って」
「……っ。ジュノア、その言い方はずるい。断れない」
海里は観念したように、ずっしりと重い麻袋を受け取った。ジュノアはいたずらが成功したように、くすくすと笑う。
「ふふっ、返却は受け付けませんからね」
「ところで海里、王都で調べごとをしたいって話だったけれど。……他の知り合いはいないわよね?」
歩みを緩めたジュノアの問いに、海里は今後の考えを話していく。
「ああ、いない。だから冒険者になろうと思う。実力で騎士団に入れるなら話は別だが、リグリアの外から来た俺じゃ、それは叶わないみたいだしな」
リグリア騎士団の門戸は、基本的には自国民に限られている。
「ええ……その通りよ。あなたが言うように、ギルドを介するのが一番現実的ね。魔物討伐や素材採取なら、相応の報酬が期待できるわ。……案内するわね、あっちよ」
ジュノアは騎士団本部とは逆方向、活気溢れる街の中心部を指差した。
「あなたの戦い方は森で見せてもらったもの。あの剣技なら、王都近辺の依頼で後れを取ることはないわ」
彼女は海里の剣の実力を認めている。 だが、どれだけ強くても、リグリアの外からやって来た異邦人に過ぎない。
冒険者ギルドを目前にしてジュノアが足を止めた。
「海里、いい? 冒険者の敵は魔物だけじゃない。王都に来る途中で遭遇したみたいに人との争いも避けられないわ。……危ないと思ったら逃げて。命を一番に考えて。お願い」
彼女の真剣な眼差しには、海里個人を案じる情が宿っていた。
「心配してくれてありがとう。ルクスが助けてくれた命だ、無駄にはしないよ。それに……命を大事にしないと、君に借りた金を返せないからな。必ず利子をつけて返しに行くよ」
海里が冗談めかして言うと、ジュノアは不服そうに頬を膨らませた。
「もう……返却は受け付けないって言ったでしょう?」
「ああ、聞いていたよ。君の優しさには感謝しているけど、これは俺の意地なんだ。無視させてもらうよ」
海里の意志表示に、ジュノアは呆れたように、けれど嬉しそうに笑った。
「ふふ、何よそれ。……でも、そういう律儀なところ、嫌いじゃないわ。わかったわ、期待せずに待ってるわね。もし本当に返すつもりなら……騎士団本部まで届けに来てね」
ジュノアはそう言い残し、別れを惜しむように一度だけ振り返ると、軽やかな足取りで白銀騎士団本部の方角へと駆けていった。
海里は彼女の背中が雑踏に消えるまで見送ってから、ジュノアの軍資金を手に付近の道具屋へ立ち寄った。 ルクスの記憶を頼りに、回復薬、野営道具……冒険に必要な備えを買い揃えていく。
準備を終えた海里は、覚悟を新たに、冒険者ギルドの重厚な扉を目指して歩き出した。




