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最終決戦、届かぬ刃


 視界の端に常に砂嵐のようなノイズが走っている。身体の感覚は希薄で、まるで深い海の底に沈んでいるように世界が遠い。


 私の本体である結晶には、修復不可能な亀裂が入っていた。本来なら今すぐにでも機能停止シャットダウンして不思議ではない状態だ。それでも私の意識がこうして繋ぎ止められているのは、ただ一つの執念によるものだった。


(見届けなきゃな⋯⋯。あいつらの、最後を)


 私は砕け散った鉄扉の残骸越しに、ボス部屋の光景を見つめていた。

 そこでは今、歴史に残るであろう激戦が繰り広げられていた。


 キィィィィンッ!!

 

 甲高い金属音が広いホールに響き渡る。魔王ゼノスの振るう身の丈ほどもある大剣。その一撃は城壁すら粉砕する威力があるはずだが、勇者アルドはそれを正面から受け止めてはいなかった。


 剣が振り下ろされる直前、わずかに身体を沈め、剣の腹を滑らせるようにして軌道を逸らす。

 流れるような「受け流し(パリィ)」一〇〇回以上の死によって、身体に叩き込まれた最適解の動きだ。


「遅いッ!」


 アルドが叫び、生じた隙へ即座に踏み込む。

 銀閃――魔王の脇腹、甲冑の隙間に切っ先が深々と突き刺さる。


「ヌゥ⋯⋯ッ!」


 魔王が唸り、バックハンドでアルドを薙ぎ払おうとする。

 その裏拳が届くより早く後方から飛来した氷の槍が、魔王の腕を凍結させて動きを鈍らせた。


「タイミング、完璧だ!」

「おう! 俺の盾もいつでもいけるぞ!」


 魔導師と重戦士の連携もまた、神業の域に達していた。言葉による合図などない。

 誰がいつ動き、どこで魔王が反撃してくるか。彼らはまるで譜面をなぞるように、完璧に把握していた。


(すごいな⋯⋯)


 私は、ノイズ混じりの視界で彼らの勇姿を追っていた。

 

 以前の彼らなら魔王の動作1つ、1つに対して「次は右だ!」「左だ!」と私がウィンドウを出して教えなければならなかった。

 それが今や彼らは私の指示ネタバレを必要としていない。

 

 魔王が目を光らせれば即座に鏡の盾を構える。肺が膨らめば炎耐性の結界を張る。

 尻尾が揺れれば全員が同時に跳躍する。


 その動きに迷いはなく、洗練され、美しいとさえ思えた。


(強くなったなぁ⋯⋯)


 ふとコアの奥がじんわりと熱くなるのを感じた。それは誇らしさであり同時に、どうしようもない寂しさでもあった。


 親離れしていく子供を見送る親の気持ち。あるいは、チュートリアルを終えて旅立っていくプレイヤーを見送る、初期NPCの気持ち。


 彼らはもう、振り返らない。一度も、このセーブポイントの方を見ようとはしない。背中には「もう戻らない」という決意が張り付いている。


(いいんだ。それが正しい)


 私は彼らのためにある設備だ。彼らが私を必要としなくなった時こそが、私の役目が終わる時なのだから。


「はぁぁぁぁッ!!」


 アルドの気迫の咆哮と共に必殺の一撃が魔王の兜を打ち砕いた。

 パリーンッ! 漆黒の金属片が舞い散り、魔王が大きくよろめく。


 HPゲージがあるなら、これで第二形態も終了。

 残るは一本。あと少し。あと少しで、この長い長い悪夢が終わる。


 ──そう、思っていた。

 

 私たちは、まだ知らなかったのだ。

 この先に待っているのが、データにない本当の絶望だということを。


「⋯⋯ク、ククク⋯⋯」


 膝をついた魔王の口から、低い笑い声が漏れた。それは今までの威厳ある王の声ではなく、もっとおぞましい、底知れない何かが鳴らす、軋むような音だった。


「見事だ。⋯⋯脆弱な人の身で、よくぞここまでたどり着いた。ここからは本気でいくぞ」


 魔王の身体から黒い煙が噴き出し始める⋯⋯いや、煙ではない。それは実体を持った「影」だ。

 足元の石床が影に侵食されてドロドロに溶け出していく。


「アルド、下がれ! 何かがおかしい!」


 重戦士が叫び全員が距離を取る。私のシステムログにも、かつてないほど激しい警告音が鳴り響いた。


 [ 警告 ]

 高エネルギー反応を検知。

 パターン照合⋯⋯該当なし。

 測定不能(Unknown)。


(なんだ⋯⋯? ログにないぞ、こんな変身!)


 今まで私たちは、魔王の行動を全て「死んで」学習してきた。

 ここから先は未踏の領域、一度も見たことのない第三形態の更にさき魔王の「ガチ(本気)」だ。


「遊びは終わりだ。⋯⋯絶望の深淵を覗くがいい」


 ズズズズズ⋯⋯ッ!

 

 魔王の肉体が膨張し人の形を捨て去っていく、鎧は弾け飛び中から現れたのは不定形の闇。

 無数の腕、無数の目、そして空間そのものを喰らい尽くすような巨大なあぎと


 魔王ゼノス・真の形態『虚無の化身』。


 その姿を見た瞬間、勇者たちの動きが止まった。生物としての本能が「勝てない」と警鐘を鳴らしたのだ。


 ヒュッ、と風切り音がした。


「え?」


 誰かの声が漏れた直後、防御の要である重戦士の身体が──大盾ごと、真横に弾き飛ばされた。


「ガハッ⋯⋯!?」


 壁に激突し、崩れ落ちる重戦士。速い、速すぎる。

 私の動体視力カメラですら、今の攻撃は見えなかった。


「回復を! 早く!」

「ダメだ、間に合わない⋯⋯!」


 聖女が杖を振るうが、それより早く無数の闇の触手が魔導師を襲う。展開していた魔法障壁が濡れた紙のように容易く引き裂かれた。


「ぐぁぁぁッ!!」


 悲鳴が響く。さっきまでの優勢が嘘のように崩れていく。パターン化された攻略など通用しない。

 そこにあるのは純粋で圧倒的な「暴力」だけだった。


(⋯⋯アルド!)


 私は必死に解析スキャンを試みるが、エラー表示しか返ってこない。

 

 勇者アルドが血走った目で剣を構え直す。その足が恐怖でガクガクと震えているのが見えた。


 戻る場所は、もうない。死んだら終わり。その事実が形を持った絶望となって彼らに覆いかぶさろうとしていた。


「せ、せめてバフを!」


 聖女がアルドに支援魔法を飛ばすが、その光はあまりにも頼りなかった。


「無駄な足掻きだ」


 不定形の闇──魔王ゼノスが、嘲笑うように触手を振るった。

 それは鞭のようにしなり、空間そのものを削り取るような軌道で勇者たちを襲う。


 圧倒的速度、残像しか捉えられない。ましてや、満身創痍の彼らに回避などできるはずがなかった。


「ッ!?」

「きゃぁぁッ!!」


 聖女の展開した障壁が一瞬で粉砕され、余波だけで吹き飛ばされる。

 アルドは獣のような勘でバックステップを踏み、なんとか直撃を避けた。

 

 しかし――ブシュッ、アルドの顔面から鮮血が噴き出す。


「ぐ、ぁぁぁぁッ⋯⋯!!」


 アルドが片目を押さえて膝をつく、かわしきれなかった切っ先が彼の左目を裂いたのだ。

 彼らのHPバーが見えるとしたら、全員がレッドゾーン。点滅どころか、あと一撃でゼロになる瀕死状態だ。


(ダメだ⋯⋯勝てない)


 私は絶望的な演算結果を弾き出していた。真の形態となった魔王は攻撃力、防御力、速度、すべてが桁違いだ。これまでの「パターン化」された動きではない本能のままに暴れる災害。攻略法など存在しない、純粋な暴力の塊。


 詰み(チェックメイト)だ。誰がどう見てもゲームオーバーの局面だった。


 なのに。


「⋯⋯まだだ」


 掠れた声が戦場に響いた。勇者アルドが⋯⋯片目を失い、血涙を流しながら、彼は剣を杖にして立ち上がった。


「まだ⋯⋯終わって、ない⋯⋯ッ!」


 その足はガクガクと震えている。恐怖か、ダメージか。おそらく両方だろう。

 それでも彼は剣の切っ先を魔王へと向けた。


「ほう。まだ立つか、人間」


 魔王の闇が興味深そうにうねる。


「何が貴様を駆り立てる? 希望か? 使命か? ⋯⋯無駄なことだ。貴様らの拠りセーブポイントは既に壊れた。死ねば、無に帰るだけだぞ」


「約束した、からだ⋯⋯!」


 アルドが叫んだ。彼は一瞬だけ背後の壊れた扉──その奥にいる私の方を振り返った気がした。


「あいつが、見ているんだ」


 アルドの声に熱が宿る。


「俺たちが帰ってくるのを信じて、命を削って送り出してくれた相棒が、そこで見ているんだ! だったら⋯⋯無様な死に方なんて、できるわけがねぇだろッ!!」


 ドンッ! アルドが地を蹴った。死に体とは思えない加速で彼は真正面から、死の嵐の中へと突っ込んでいった。


(アルド、やめろ!)


 私の思考こころが叫ぶ。無茶だ。それは勇気じゃない、特攻だ。


「オオオォォォッ!!」


 アルドの剣が閃く――魔王の触手を一本斬り飛ばし、本体へと迫る。

 だが、届かない。魔王の身体から無数の棘が射出され、アルドの身体を貫いた。


「ガハッ⋯⋯!?」


 肩を、太腿を、わき腹を。鋭利な闇の棘が貫通し、アルドの動きが止まる。

 

「⋯⋯終わりだ」


 魔王が無慈悲に告げた。巨大な闇の腕がアルドの身体をゴミのように薙ぎ払う。


 ドッシャアァァァン!


 アルドの身体がボールのように転がり、仲間の元へと弾き飛ばされた。

 彼はピクリとも動かない。剣は折れ、鎧は砕け散っている。


「アルド⋯⋯!」

「嫌⋯⋯嫌ぁぁぁッ!」


 聖女が彼に覆いかぶさるが、治癒魔法の光は灯らない。魔力枯渇(ガス欠)だ。


 魔王ゼノスの巨体が空中に浮き上がり周囲の闇が集束し、頭上に巨大な黒い太陽のような球体を形成していく。


「貴様らの抵抗には敬意を表そう。これで幕引きだ」


 高密度の魔力反応。私の解析システムが警告音すら上げずに結論を表示した。


 [ 分析 ]

 対象:広範囲消滅魔法ヴォイド・エンド

 威力:測定不能(無限)

 回避:不可能

 防御:不可能

 生存確率:0.00%


 終わる。あの一撃が放たれれば勇者たちは塵一つ残さず消滅する。

 そして、その余波はセーブ部屋まで届き、私(結晶)もまた粉々に砕け散るだろう。


 勇者たちは、互いに寄り添うように固まった。もう逃げようとはしなかった。逃げ場がないことを悟ったのだ。彼らは最期に私のいる方角へ視線を向けた。


「⋯⋯ごめん」


 アルドの唇が、音もなく動いたのが見えた。


「約束、守れそうにない」


 その顔は、泣き出しそうに歪んでいた。死ぬことへの恐怖ではない。

 私の期待に応えられなかったことへの悔恨の表情だった。


 ──ふざけるな。


 私の奥底で何かが切れる音がした。


 約束? 守れない? そんな顔をして死ぬのか?

 ここまで頑張って、泥水をすすって、何十回、何百回も死んで、ようやくここまで辿り着いたのに?

 ここで終わり?


 (嫌だ)


 私は拒絶した。

 システムが弾き出した『生存確率0%』という数字を。

 運命だとか、物語の結末だとか、そんな決まりきったレールを。


 (私は⋯⋯セーブポイントだぞ)


 セーブポイントの役割は何だ? プレイヤーを癒やすことだ、プレイヤーを守ることだ。

 そして何より──「不可能を可能にする(リトライさせる)」ことだろうが!


 リスポーン機能は壊れた。回復機能も停止した。なら、どうする?


(あるじゃないか。まだ、ここに)


 私は自分の「コア」を意識した。私の存在そのもの。自我を維持し、この世界に「セーブポイント」として存在するための根源的なエネルギーの塊。


 これを全部、魔力に変換すれば⋯⋯ただの回復魔法じゃない。

 ルールを書き換えるほどの、デタラメな奇跡を起こせるんじゃないか?


 [ システムによる介入 ]

 警告:コアエネルギーの変換を検知。

 これは「自己崩壊(自殺)」に該当します。

 管理者権限により、操作をロックします。


 赤い警告ウィンドウが私の視界を埋め尽くす。

 うるさい。黙れ。管理者は私だぞ。


 ロックを解除。⋯⋯全権限、強制執行オーバーライド


 [ システム ]

 却下します。実行すれば個体としての自我あなたは消滅します。


(知ったことか!)


 私は心の中で吠えた。

 

 消滅? 上等だ。彼らが死ぬのをただ見ているくらいなら石ころに戻った方がマシだ。

 私の命も、魂も、これからの未来も、全部くれてやる。

 だから。


(勝てよ、アルド⋯⋯!!)


 私はシステムのエラーコードをねじ伏せ、たった一つのコマンドを実行した。


『コマンド承認:──リミッター解除。最終術式ラスト・オーダー、起動』


 ピキィィィィンッ!


 砕け散る寸前の青い結晶から、世界を塗り替えるほどの黄金の光が噴き出した。

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