守られるだけの石じゃない
目の前にはボロボロの背中があった。歪んだ鎧、焦げ付いたマント、隙間から滲む鮮血。
魔王の巨躯に比べれば、あまりにも小さく頼りない背中だ。
それが今の私にはどんな城壁よりも巨大に見えた。
「⋯⋯愚かな」
魔王ゼノスが鬱陶しそうに目を細める。彼にとって勇者など羽虫も同然なのだろう。現に、先ほどの一撃でアルドは瀕死のはずだ。立っていることすら奇跡に近い。
「その玩具を壊せば、貴様らは二度と蘇らない。地獄の輪廻から解放してやろうというのだ。感謝こそすれ、邪魔をする道理などなかろう?」
魔王の理屈はある意味で正しい。
ここを壊せば彼らは「死」の恐怖から解放される。いや、正確には「死んだら終わり」という当たり前の世界に戻るだけだ。
「⋯⋯だから、だ」
アルドは口元の血を乱暴に拭った。そして震える足で一歩、前へ踏み出す。私を背に隠すように。
「俺たちはこいつに守られてきた! 甘えてきた! 泣き言を聞いてもらって、美味い飯を食わせてもらって、何度も何度も命を拾ってもらった!」
彼の剣がカチリと音を立てて構えられる。その切っ先は、魔王の喉元へ真っ直ぐに向けられていた。
「俺たちは弱い! すぐ死ぬし、すぐ心が折れる! ⋯⋯だけどな!」
アルドが吼える。腹の底から絞り出した、魂の咆哮が狭い石室を揺らした。
「ここから先は、一指たりとも触れさせねぇ!! ここは俺たちの、大事な場所なんだよッ!!」
(アルド⋯⋯)
視界が滲んだ。ただの設備だぞ⋯⋯私は。
お前たちがクリアするための道具でシステムの一部だ。
なのに、お前は⋯⋯。
「救えぬな」
魔王が無造作に腕を振り下ろした。先ほど結界を粉砕した、あの一撃だ。人間が受ければ肉片も残らない。
ガギィィィンッ!!
凄まじい衝撃音が響き、火花が散る。アルドの剣が砕け散る──ことはなかった。
「ぐぅッ!?」
「一人で、格好つけてんじゃ、ねぇぞバカ野郎ッ!!」
アルドの横に重戦士が並んでいた。彼の持つ大盾がアルドの剣ごと魔王の腕を受け止めていたのだ。
ミシミシと骨が軋む音が聞こえる。血管が切れ、鼻から血が噴き出す。それでも二人は退かない。
「私たちだって、大家さんにはお世話になってるんだから!」
「家賃(魔力)なら払う! だから立ち退き命令は却下だ!」
後衛の聖女と魔導師も、私のすぐ側まで駆け寄っていた。
この距離なら魔法など撃てない。彼女たちは自らの身体から直接魔力を放出し、前衛の二人を支える「防壁」となったのだ。
四人が私の周りを囲んでいる。全員が満身創痍、それでも彼らは背中で語っていた。
『安心しろ、お前には指一本触れさせない』と。
──ふざけるな。
私は自分自身の情けなさに腹が立った。何がセーブポイントだ。何が管理者だ。
利用客に守られて、おめおめと生き延びてどうする。
私は石だ。剣は振れない。魔法も撃てない。だったら私がやるべきことは一つしかないだろう!
(全部持っていけ!!)
私は内部の魔力回路を全開にした。
温存していたSPなど、もう知ったことか。
修復用の予備エネルギーも、維持管理用の魔力も、すべて燃やせ!
『スキル発動:──《攻撃力超特大上昇》』
『スキル発動:──《防御力超特大上昇》』
『スキル発動:──《痛覚遮断》《リミッター解除》《全ステータス極限強化》⋯⋯!!』
ブゥゥゥンッ!!!
石室が真紅の光に包まれた。
癒やしの青い光ではない。命を削って敵を殺すための戦いの光だ。
「な、んだ、この力は⋯⋯!?」
「身体が、燃えるように熱い! 力が溢れてくる!」
アルドたちの身体から、噴き出すようなオーラが立ち上る。
私の全存在を懸けたバフだ。今の彼らは勇者じゃない。修羅だ。
「うォォォォォォッ!!」
「押し返せェェェェッ!!」
狭い石室での泥仕合それは技術も戦術もない。ただの意地と意地のぶつかり合い。
そして、守るべき「家」を背負った彼らの力は、魔王の圧力をわずかに凌駕した。
「ぬ、ぐ⋯⋯ッ!?」
魔王ゼノスの巨体が、ズルリと後退する⋯⋯その表情に初めて焦燥の色が浮かんだ。
「いけぇぇぇぇッ!!」
私の魂の叫びと共に四人の武器と魔法が、魔王の漆黒の鎧へと叩き込まれた。
ドォォォォォンッ!!
四人の英雄の全力全開の一撃と魔王の闇が衝突し、狭い石室の中で魔力の暴風が吹き荒れた。
本来なら、彼ら如きが魔王を押し返せるはずがなかった、しかしここは私の体内。
私の全存在を賭けたバフと、この場所が本来持っている「浄化の特性」が、魔王の闇を拒絶したのだ。
「ぐ、ぬぅ⋯⋯ッ!」
魔王ゼノスが、たたらを踏んで後退した。その背中が破壊された扉の枠を越え、再びボス部屋側へと押し出される。
「不愉快な⋯⋯! なんと悍ましい光だ!」
魔王は吐き捨てるように唸った。彼にとってこのセーブポイントに満ちる「癒やしと清浄の魔力」は、猛毒のガスの中にいるようなものだったらしい。
鎧に入ったダメージで隙間から立ち上る瘴気が、ジュウジュウと音を立てて浄化されていく。
「興が削がれた。⋯⋯これ以上、その狭苦しい鼠穴で戯れるつもりはない」
魔王は踵を返した。負け惜しみにも聞こえるが彼の判断は正しい。
広大なボス部屋で戦えば彼は100%の力を出せる。わざわざ不利な地形(私の目の前)で戦う理由はない。
そして、タダで帰るような甘い相手ではなかった。
「──ツケは払ってもらうぞ」
去り際に魔王は振り返りもせず、黒い剣を一閃させた。
放たれたのは物理的な斬撃ではない。視認することすら難しい、紫色の呪詛の刃。
それは安堵で一瞬だけ気を緩めた勇者たちの隙間を縫い、真っ直ぐに私へと飛来した。
(しまッ──)
防御スキルを展開しようとしたが、処理落ち(ラグ)が発生した。
先ほどの限界突破バフで、CPUがオーバーヒートしていたのだ。
ピシッ。
硬質な、けれど決定的な破砕音が、勇者たちの背後で響いた。
「え⋯⋯?」
聖女が振り返る。魔王の姿は既に闇の奥へと消えていた。残されたのは静まり返った石室とボロボロの勇者たち。
そして──
ピキ、パキパキパキッ⋯⋯!
私の身体(結晶)の中央に、深淵のような亀裂が走った。
[ システム・エラー ]
本体の深刻な損傷を確認。
損壊率:35%
魔力貯蔵庫:破損。
リスポーン機能:⋯⋯維持不能。
視界が明滅する。ノイズが走り、世界が断片的にしか認識できない。まるで接触の悪いブラウン管テレビになった気分だ。
(あー⋯⋯これ、ヤバいやつだ)
私は自分の身体を見下ろすことはできないが感覚でわかる。大切なものが、ヒビの隙間からポタポタと漏れ出している。それは私の血液であり、寿命であり、そして彼らを蘇らせるための「奇跡の源」だった。
「石さん!?」
「嘘だろ、おい! ヒビが⋯⋯光が消えていくぞ!」
勇者たちが血相を変えて駆け寄ってくる。聖女が必死に回復魔法をかけてくれるが無意味だ。
私は生物じゃない。構造物が壊れたのだから治癒魔法で直るわけがない。
(泣くなよ、聖女ちゃん。せっかくの美人が台無しだぞ)
私は彼女を慰めようとして、自分がもう「温かい光」を出せないことに気づいた。
明滅する光は弱々しく、今にも消え入りそうだ。
現状を整理しよう。魔王は撃退したが私はほぼ壊れた。
機能の八割が停止していて今の私にできるのは、残りカスの魔力を使って、簡単なメッセージを表示することくらいだ。
(伝えなきゃな)
私は覚悟を決めた。いつか来ると思っていた終わりが、今日だったというだけのことだ。
ジジッ⋯⋯ジ、とノイズ混じりの音と共に、空中に文字を浮かべる。
いつもの鮮やかな青色ではない。赤く、歪んだ文字だ。
『ツギ シンダラ ナオセナイ』
アルドが息を呑む。
『コレガ サイゴ ノ イノチ』
その言葉の意味を、彼らが理解できないはずがなかった。今まで彼らが無茶できたのは私がいたからだ。どんなに無様に死んでも、必ずここで目が覚めるという保証があったからだ。
その保証は、今ここで消滅した。
沈黙が落ちた。絶望してもおかしくない状況だ。だって次こそが本当の「死にゲー」の始まりなのだから。
しかし。
「⋯⋯そうか」
アルドの声は、静かだった。彼は剣を鞘に収めると、ゆっくりと私に近づき亀裂の入った表面に手を触れた。
「十分だ。⋯⋯今までが、恵まれすぎていたんだ」
彼の手の温もりが、冷え切った私の身体に伝わってくる。
「お前がいたから、俺たちはここまで強くなれた。魔王の動きも見切った。今の俺たちなら、あいつを倒せる」
アルドは振り返り、仲間たちを見た。彼らもまた頷いていた。
その顔に恐怖はない。あるのは退路を断った者だけが持つ、澄み切った決意だ。
「ありがとう。俺たちの、最高の相棒」
アルドが私の亀裂を優しく撫でる。それは別れの挨拶だった。
「行ってくる。⋯⋯今度こそ、吉報を待っていてくれ」
彼らは背を向けた。もう、おにぎりをねだることも弱音を吐くこともない。
ボロボロの装備のまま、けれどその背中は最初に出会った時よりも何倍も大きく、輝いて見えた。
ゴゴゴゴゴ⋯⋯。
破壊された扉の向こう、深淵なる闇へ。
四人の勇者が踏み込んでいく。
戻ってくる保証はない。死んだらそれまでの正真正銘、これが最後の戦いだ。
(⋯⋯行ってらっしゃい。どうか最高のエンディングを見せておくれよ)
私は消え入りそうな意識の中で、精一杯の輝きを放って彼らを見送った。
「セーブポイント」としての役目は終わった。
ここからは、「物語の結末」を見届ける観客として、彼らを信じる番だ。




