第六十八話:更生プログラム開始
◆第5階層・迷宮都市
「ふあ〜、食った食った。マジでここのカツカレー最高だったな」
勇者パーティのリーダー、レンは満足げに腹をさすりながら、石畳の大通りを歩いていた。
その横を、巨漢のダイキと、杖を持った少女ミユが続く。
「デザートのパフェも神だったし〜。ねえレン、やっぱりこの迷宮のボス、殺さないで飼い殺しにしようよ」
「おう。俺たちの専属シェフも用意させなきゃな。逆らうようなら、手足を一本ずつ『断絶』して分からせてやるよ」
彼らは下品な笑い声を上げながら、通りがかりに道を譲ろうとして震えていたケット・シーの店員を、「邪魔だ」とばかりに足で小突いて蹴り倒した。
転がったケット・シーが痛みにうめくが、彼らは見向きもしない。
その光景を、広場の反対側から見つめる者たちがいた。
日課である特訓を終え、食事をとるために大通りへやってきた『夜明けの芽』の四人だ。
「おい、あいつら……」
レオが顔をしかめ、盾を持つ手に力を込める。
「ひどい……あんなことするなんて」
ミナが痛ましそうに呟く中、カイは頭に血が上るのをはっきりと感じていた。
この街は、彼らにとって大切な居場所だ。そこで懸命に働き、いつも笑顔で迎えてくれる従業員を、まるでおもちゃのように扱う連中を、どうして許せるだろうか。
「……何やってんだ、てめぇら!!」
カイは我慢の限界を超え、広場へと飛び出した。
レオ、セラ、ミナも慌てて後に続く。
「あ? なんだお前ら」
レンが歩みを止め、気だるげにこちらを振り返る。
「この街で何をしてる! ケット・シーに謝れ!」
「はぁ? 魔物に謝れって? 頭沸いてんじゃねーの。NPCが俺たちプレイヤーに口答えすんなよ」
レンが面倒くさそうに、カイへ指先を向けた。
直感的に、ゾクリと悪寒が走る。
「やめろ、小僧!」
カイが身構えるより早く、横から真紅の大剣が割り込んだ。
騒ぎを聞きつけて酒場から出てきた『紅蓮の牙』のグレンだ。その後ろには、聖女アリアとソフィアも険しい顔で控えている。
「Aランク冒険者、グレンだ。この街での狼藉は見過ごせねぇ」
グレンが全身から闘気を放つ。
さすがはAランク。空気が張り詰め、周囲の温度が数度上がったかのような錯覚を覚える。
だが、レンは鼻で笑った。
「Aランク? 知らねーよそんなローカルルール」
ヒュンッ。
レンが軽く手を振った。
グレンが牽制のために大剣で受け止めようとする。
――だが。
「……え?」
グレンの手から、大剣の「刀身」が消えていた。
折れたのではない。切断されたわけでもない。刃の根元から先が、空間ごと完全に『消失』していたのだ。
「な……ッ!?」
百戦錬磨のグレンが、目を見開いて硬直する。
名工が鍛え上げ、魔力を限界まで込めたAランクの武器が、なんの抵抗もなく消し飛ばされた。
「武器がないと何もできないの? ダッサw」
レンが嘲笑う。
その隙を突き、ダイキが前に出て、無防備になったグレンを強引に殴り飛ばした。
「がはっ……!」
巨躯のグレンが紙切れのように吹き飛び、広場の噴水に叩きつけられる。
「グレン様!!」
アリアが慌てて回復魔法をかけようとするが、ミユが杖を振ってかき消すような対抗魔法を放つ。
聖女の祈りすら、圧倒的で暴力的な魔力量の差によって物理的に握りつぶされた。
「無駄無駄。スペックが違うんだよ、スペックが」
絶望的な光景だった。
この迷宮の深層にまで到達したAランクの猛者たちですら、手も足も出ない。理屈が通じない。技が通じない。
彼らは、この世界のルールそのものを無視している。
「分析完了……ありえないわ」
後方で杖を構えていたソフィアが、震える声で呟いた。
その知的な瞳には、理解を超えた現象に対する純粋な恐怖が浮かんでいる。
「魔力の『収束』も『放出』のプロセスも存在しない。物理法則も魔力保存の法則も完全に無視しているわ……。魔法じゃない、あれは『事象の強制書き換え』よ。神の奇跡としか説明がつかない!」
「神の奇跡だぁ? そんなチャチなもんじゃねーよ。俺たちは『勇者』だからな」
レンが鼻で笑い、ミユが魔法の杖をくるくると回す。
「そっかー、ここの住人はNPCだもんね。チートスキルなんて理解できないよねー」
「くそっ……ふざけるなッ!!」
カイが剣を抜き、レンに向かって踏み込もうとした。
街の住人を傷つけられ、恩人であるグレンをコケにされた。その怒りが、圧倒的な力への恐怖を上回ったのだ。
だが――。
「あ?」
レンが冷ややかな目で、カイへ指先を向けた。
その瞬間。
エルドラとの地獄の特訓で極限まで研ぎ澄まされていたカイの『直感』が、脳内でけたたましい警報を鳴らした。
(――死ぬ!!!)
視えない刃が首筋にピタリと当てられているような、絶対的な死の気配。
体が、指先一つ動かなくなった。恐怖で硬直したのではない。生存本能が「これ以上動けば空間ごと首を消される」と理解し、肉体に強制的なロックをかけたのだ。
「……ッ、ぁ……」
冷や汗が全身から噴き出し、剣を握る手がカタカタと震える。
前に出たいのに、足が石のように重い。
「なんだ、ビビって固まっちゃったか。つまんね」
レンはあくびを噛み殺し、カイから興味を失ったように視線を外した。
「まあいいや、雑魚狩りは飽きたし。早くボスのとこ行って、俺たちの専属シェフにする契約結ばせようぜ」
「だねー。あ、ボスが女の子だったら私のメイドにしてあげるのもいいかも!」
三人の勇者たちは、怯えきった周囲の視線を気にも留めず、楽しそうに笑い合いながら第6階層へと続く階段へ向かって歩き出した。
カイは、彼らの背中をただ見送ることしかできなかった。
己の無力さが、悔しさが、ギリリと唇から血を滲ませる。
「……ごめんニャー……」
足元で、蹴り飛ばされたケット・シーが震えながら泣いていた。
この温かい街が、理不尽な暴力によって蹂躙されていく。
◆迷宮核の間/黒瀬視点
「……」
俺は、モニターの向こうで起きている惨状を、無言で見つめていた。
手元のコーヒーカップには細かいヒビが入り、今にも握り潰してしまいそうだ。
「ご主人。バイタルサイン、血圧および心拍数が危険域に達しています。深呼吸を」
影から現れたナノが、警告音を鳴らしながら俺の肩に触れる。
「あいつら……」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、地を這うように冷え切っていた。
「俺の街を……俺の大切な客と従業員を、ゴミみたいに扱い上がって」
ブラック企業時代、俺が最も憎んだもの。
それは「立場や権力を傘に着て、現場の人間を使い潰す理不尽なカスハラ」だった。
他者の尊厳をゲーム感覚で踏みにじるあの勇者たちは、俺にとって「絶対に許してはいけない存在」そのものだ。
「ナノ、奴らのスキルの解析結果は出たか」
「はい。第1階層からの挙動データを基に推定しました」
ナノが空中に三つのウィンドウを展開する。
「レンの『空間断絶』。対象を空間ごと消去する絶対攻撃ですが、発動には『視認』と『明確な殺意(意思)』がトリガーになっている確率が高いです。
ダイキの『絶対防御』。物理・魔法による『ダメージ』は無効化していますが、熱や冷気、酸欠といった『環境要因そのもの』を無効化できるかは未知数です。
ミユの『無限魔力』。枯渇しないだけであり、一度に放出できる『出力の最大値』には上限があると思われます」
「……なるほどな」
俺は口元を歪めた。
無敵に見えるシステムにも、必ず仕様の穴(脆弱性)はある。
「チートにはチートをぶつける……なんて、頭の悪い真似はしない。あいつらは自分たちを『ゲームの主人公』だと勘違いしている。なら、ゲームには必ず存在する『理不尽な初見殺しギミック』と『システム側からの強制イベント』で分からせてやる」
俺はコンソールを叩き、第6階層以降の設定を高速で書き換え始めた。
「パーティだから調子に乗るんだ。あいつらの能力は、盾、矛、砲台として互いの弱点をカバーし合っている。……なら、分断する。個別の『特別研修ルーム』へご案内だ」
カタカタとキーを叩く音が、静かな核の間に響く。
俺の迷宮で、パワハラもカスハラも許さない。
お前らが無視した「理」という名の暴力で、その驕りを根底からへし折ってやる。
◆第6階層への扉/勇者パーティ視点
第5階層の奥、第6階層へと続く重厚な扉の前に、レンたち三人は立っていた。
「この先からボスエリアかな? なんか熱気がすげーんだけど」
レンが扉の隙間から漏れる熱風に顔をしかめる。
「マグマのステージっしょ? ダイキが前に立てば熱ダメージも無効化できるし、私が氷魔法で冷やしながら進めばヨユーヨユー!」
ミユが杖を振り回しながら笑う。
ダイキも「俺の防御は完璧だ。お前らは後ろをついてきな」と胸を叩いた。
緊張感など微塵もない。
彼らにとって、この世界は自分の欲望を満たすための「ゲーム」であり、自分たちはその「主人公」なのだから。
だが。
『――ようこそ、クソガキども』
不意に、空間全体に冷徹な男の声が響き渡った。
「あ? なんだ?」
レンが眉をひそめた瞬間、彼らの足元の床が幾何学模様に発光した。
『食事のマナーもなってないが、攻略のマナーもなってないな。
これより先、パーティプレイは禁止だ。
まずは個人の実力を見せてもらおうか』
「は? な、なにこれ!?」
「体が……光ってる!?」
ミユとダイキが悲鳴を上げる。
システム側からの強制転移魔法陣。
レンは舌打ちをして、足元の床を『空間断絶』で消そうとした。
「チッ、小細工しやがって! こんなの消えろ!」
だが、発動のトリガーとなる「視認」と「思考」が完了するよりも早く、目眩ましの閃光が視界を覆い尽くす。
『更生プログラム、開始だ。
たっぷりと反省してこい』
視界がホワイトアウトし、三人の意識は強制的に分断された。




