第六十六話:亜人特区と、迫り来る理不尽
◆北西迷宮・地上エリア(入り口付近の森林)
月明かりさえ届かない、深い森の奥。
数十の影が、息を殺して身を潜めていた。
犬の耳を持つ者、猫の尻尾を持つ者。
彼らは獣人族。人間の国から迫害され、安住の地を求めて流浪する難民たちだった。
「……長老。もう、逃げられません」
狼人の青年が、絶望に染まった声で告げる。
森の周囲には、無数の松明が揺れていた。奴隷狩りの傭兵団が、包囲網を狭めているのだ。
「見つけたぞ! 亜人どもだ!」
「抵抗するなよ! 傷がつくと商品価値が下がるからなぁ!」
下卑た笑い声と共に、武装した傭兵たちが姿を現す。
獣人たちは老人や子供を庇うように円陣を組むが、武器は錆びたナイフや農具だけ。戦力差は歴然だった。
「……これまでか」
長老が天を仰ぎ、目を閉じた。
その時だった。
ドォォォォォン!!
轟音。
傭兵団の先頭にいた男が、見えない巨大な槌で殴られたかのように、真横へ吹き飛んだ。
「あ、が……!? な、なんだ!?」
舞い上がる土煙。その中から現れたのは、真紅の和装束に身を包み、二本の鋭い角を生やした鬼人。 ジグだった。
その背後には、統率された動きでホブゴブリン部隊が整列している。
「……我が主の庭で、騒がしいな」
ジグが静かに、腰の刀に手をかける。
ただそれだけの動作で、森の空気が凍りついたかのような殺気が走る。
「き、貴様は何だ! 俺たちは商人ギルドの依頼で……」
「知らぬ。消えろ」
一閃。
視認できない神速の斬撃。
傭兵たちの持つ剣や槍だけが、瞬きする間に切断され、地面に落ちた。
「ひ、ヒィィッ! 化け物だァ!」
戦意を喪失した傭兵たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
ジグは静かに刀を納めると、呆然とする獣人たちに向き直った。
「……怪我はないか」
「あ、ありがとうごぜぇます……。お侍様、あなた様は……」
「俺はジグ。この近くにある迷宮の警備を任されている者だ」
ジグは懐から通信用の魔道具を取り出す。
「ご主人。獣人たちを保護しました。……はい、すぐ近くに」
短い通信を終えると、ジグは長老を見据えて言った。
「俺の主が、お前たちに話があるそうだ。……そこで待っていろ」
◆対面と契約
数分後。 空間が歪み、一人の青年が森に現れた。
黒髪に黒目。飾り気のない服装だが、その身に纏う空気は、この場の誰よりも異質で、圧倒的だった。
この迷宮の主、黒瀬だ。
「……やれやれ。夜分に騒がしいと思ったら、随分と大人数での来客だな」
黒瀬は怯える獣人たちを値踏みするように見回すと、事務的な口調で切り出した。
「単刀直入に言うぞ。お前たち、住む場所と仕事を探してるんだろ?俺の迷宮で働かないか?住むところも迷宮の中に用意するぞ」
その言葉に、獣人たちの中に緊張が走った。
一人の狼人の青年――ガロウが、牙を剥いて前に飛び出す。
「ま、待て長老! 騙されちゃいけねぇ!」
ガロウは黒瀬を睨みつけ、震える指を突きつけた。
「こいつの匂いは『人間』だ! 人間はいつだって俺たちを騙す! 甘い言葉で近づいて、結局は奴隷にするか、魔物の実験台にするつもりだ!」
「ガロウ、よせ!」
「長老! 俺たちはもう散々見てきたじゃないか! こいつもさっきの傭兵どもと同じだ。場所が迷宮の中になるだけで、扱いは変わらねぇよ!」
ガロウの悲痛な叫びに、他の獣人たちも動揺し、敵意の籠もった視線を黒瀬に向ける。 だが、黒瀬は表情一つ変えなかった。 怒るでもなく、弁解するでもなく、ただ呆れたように鼻を鳴らす。
「奴隷か……。悪いが、一緒にしないでくれないか?」
「なっ……」
「奴隷制度なんてのは、コストパフォーマンスが悪すぎるんだよ。 無理やり働かせても生産性は低いし、すぐ死ぬし、管理コストも馬鹿にならない。 俺が欲しいのは、効率的に利益を生み出してくれる優秀な『スタッフ』だ」
黒瀬が指を鳴らすと、空中に青白いホログラムのウィンドウが展開された。
そこには、迷宮都市の求人リストがずらりと並んでいる。
「狼人族には、その体力を活かした『運送』と『警備』。 猫人族や小人族には、手先の器用さを活かした『清掃』や『軽作業』。 ハーピーには『空輸』。 ……どうだ? どれも今のウチには人が足りてない」
黒瀬は、まるで部下にタスクを割り振る時のように、淡々と条件を提示していく。
「給与は迷宮通貨できっちり支払う。衣食住も保証してやる。福利厚生も完備だ。 その代わり、俺の迷宮には従ってもらう。 ……信じるか信じないかは自由だが、ここを追い出されれば、待っているのは野垂れ死にか、さっきの傭兵たちに捕らえられるかだぞ?」
「っ……それは……」
ガロウが言葉に詰まる。
反論の余地のない、残酷なまでの正論だった。彼らにはもう、行くあてなどどこにもない。
「……下がりなさい、ガロウ」
長老が前に出た。
その瞳には、深い悲しみと、一族の命を背負う者としての苦渋の決断が宿っていた。
「長老! ですが……!」
「周りを見るんじゃ。傷ついた者、腹を空かせた子供たち……。我らはもう、限界なんじゃよ」
長老は黒瀬を見上げ、ゆっくりと膝をついた。 それは、誇りを捨ててでも「生」を選んだ、指導者の姿だった。
「迷宮の主よ。……我らには、貴方様の手を取る以外の道は残されておりません。 たとえここが地獄の一丁目であろうと、飢えて死ぬよりはマシでごぜぇます」
「長老……」
獣人たちが次々と頭を垂れる。
悔しさに涙を流す者もいたが、誰も反対はしなかった。生きるためには、この男に従うしかなかったのだ。
「……賢明な判断だ」
黒瀬は小さく頷くと、長老の手を取って立たせた。 その手つきは、支配者が下僕を扱うそれではなく、対等な相手に対するそれだった。
「商談成立だな。 ようこそ、俺の迷宮へ。……安心しろ。ウチは『ブラック』な使い方はしない主義だ」
「は、はぁ……?」
意味が分からず戸惑う長老に、黒瀬はニヤリと不敵に笑って言い放った。
「骨が折れるまで働け、とは言わんさ。 骨が折れたらポーションで治してやるから、定年まできっちりこき使われてくれよ?」
その冗談めかした、けれど実利的な言葉に、長老は背筋が寒くなるのと同時に、奇妙な安堵を覚えた。
少なくともこの男は、自分たちを「無意味に殺す」ことはしないだろうと直感したからだ。
こうして、迷宮都市に新たな、そして少し複雑な事情を抱えた住民が加わった。
◆第5階層・迷宮都市/数日後
迷宮都市の風景は、劇的に変わりつつあった。
「へい! 荷物お運びしますよ!」
「そこのお兄さん、靴磨きいかがっすかー!」
大通りでは、狼人の青年たちが重い荷物を軽々と運び、路地裏では猫人の少女たちがテキパキと清掃を行っている。
空を見上げれば、ハーピーたちが籠を抱えて飛び回り、上層階の宿屋へ焼きたてのパンを届けている。
「……すごいな」
通りを歩いていたカイは、その光景に目を細めた。
最初は驚いていた冒険者たちも、今では彼らの存在を当たり前に受け入れている。
彼らの仕事は丁寧で、安く、そして早かったからだ。
「便利になったわよねぇ。重い戦利品も、ウルフ便に頼めば拠点まで運んでくれるし」
ミナが感心したように言う。
獣人たちの参入により、迷宮都市の物流とサービスは飛躍的に向上していた。
人間と亜人が、互いの得意分野を活かして共生する。
それは、理想的な社会の縮図のようだった。
だが、それを面白く思わない連中もいた。
◆商人ギルド支部・支部長室
「……ふざけるなッ!!」
商人ギルドの重鎮ボグスは、報告書を床に叩きつけた。
「今月の売り上げが3割減だと!? どういうことだ!」
「は、はい……。最近、冒険者たちがギルド直営の運送サービスを使わず、獣人たちの個人配送を使っていまして……。あちらの方が安くて早いと評判で……」
「清掃業務も、我々が派遣していた人足より、獣人の方が隅々まで綺麗にするとかで……契約を打ち切られる店舗が続出しております」
部下たちの報告に、ボグスの顔が怒りで赤黒く染まる。
商人ギルドは、これまで第5階層での商売を独占し、高額な手数料を搾取してきた。
だが、黒瀬が獣人たちを直接雇用し、個人商店と直接取引させたことで、ギルドを通さない「中抜きなしの経済圏」が生まれてしまったのだ。
「おのれ……獣人族め。我々の既得権益を何だと思っている!」
ボグスは、窓の外で働く獣人たちを憎々しげに睨みつけた。
「亜人ごときが、人間の市場を荒らすなど言語道断。
……おい、実力行使に出るぞ」
「は? し、しかし、迷宮内での暴力は……」
「表立ってやるわけがないだろう。
奴らは我々が管理する法律上は、人権などないのだ。
捕獲して、地上へ売り飛ばせばいい。そうすれば邪魔者は消え、我々の懐も潤う」
ボグスは歪んだ笑みを浮かべた。
彼は知らなかったのだ。
この迷宮において、最も怒らせてはいけない相手が誰なのかを。
◆広場での騒乱
その日の夕方。
仕事を終えて居住区へ戻ろうとしていた獣人たちを、武装した男たちが取り囲んだ。
商人ギルドが雇った、闇ギルドの荒くれ者たちだ。
「おい、そこの犬っころ。ギルドへの登録料が未払いだぞ」
「払えないなら、体で払ってもらおうか!」
男たちが、猫人の少女の腕を掴む。
「や、やめてください!」
「離せ! 俺たちは黒瀬様と契約しているんだぞ!」
狼人の青年たちが止めに入ろうとするが、男たちは剣を抜いて威嚇する。
「うるせえ! 亜人に人権なんざねえんだよ!」
騒ぎを聞きつけ、カイたちが駆けつける。
「やめろ! この街で何をしてるんだ!」
「引っ込んでろ、冒険者! これは商人ギルドの管轄だ!」
ボグスが部下を引き連れて現れ、尊大な態度で宣言した。
「この者たちは、商業法違反の犯罪者だ! これより拘束し、強制退去させる!」
「そんな理屈が通るかよ!」
カイが剣に手をかける。一触即発の空気。
だが、その時だった。
『――通告』
街中に設置されたスピーカーから、無機質な声が響き渡った。
『当迷宮における居住権および労働権は、迷宮主との直接契約によってのみ保証される。
商人ギルドの主張する商業法は、第5階層においては適用されない』
「な、なんだこの声は!? どこから……」
ボグスが狼狽える。
次の瞬間、広場の石畳が青白く発光し始めた。
『検知完了。
対象:商人ギルド構成員、および実行犯。
罪状:住居侵入、誘拐未遂、業務妨害、および迷宮主への背信行為』
「な、何を言って……」
『これより、対象者を迷宮から【強制退去】させ、今後の【再入場】を永久に禁止する』
「はぁ? 永久追放だと? バカを言うな!
我々がいなくなれば、この街の物流は止まるぞ! 我々はこの街の支配者なんだぞ!」
ボグスが喚き散らす。
だが、迷宮主の声が、冷徹に響いた。
『――勘違いするな。
代わりなどいくらでもいる。
俺の迷宮から退場するのは、お前たちの方だ』
カッッッ!!!
魔法陣が眩い光を放つ。
「う、うわぁぁぁぁぁぁッ!?」
ボグスたちの体が、光の粒子となって分解されていく。
それは死ではない。強制転移。
彼らは装備も財産もそのままに、迷宮の外――何もない荒野へと弾き出された。
そして、二度とこの迷宮の門をくぐることはできなくなった。
世界最大の市場を、自らの手で失ったのだ。その経済的損失は、死よりも重い罰となるだろう。
「……消えた」
カイが呟く。
広場に静寂が戻り、そして獣人たちの歓声が爆発した。
邪魔者は消えた。
商人ギルドの撤退により、第5階層は真の意味での「自由市場」となった。
◆王都へ続く街道・勇者の馬車
一方その頃。
平和を取り戻した迷宮とは裏腹に、世界を揺るがす最大の「バグ」が接近していた。
王都から北西へと続く街道を、豪華な馬車が進んでいた。
護衛には近衛騎士団。だが、彼らの表情は緊張に強張っている。
なぜなら、彼らが護衛している対象が、常識では測れない存在だからだ。
馬車の中では、異質な存在感を放つ三人の若者が、スナック菓子を食べながら談笑していた。
「あー、ダルい。マジで馬車とかケツ痛くなるんだけど」
スマホのような端末をいじりながら文句を言うのは勇者レン。
彼は窓の外に見える巨大な岩を指差した。
「邪魔だな、あれ」
「レンくん、またやるの〜?」
隣でクスクス笑うのは、魔法使いのような格好をした少女、ミユ。
「いいじゃん。レベル上げの足しにもなんねーけど」
レンが軽く手を振る。
詠唱もない。魔力の溜めもない。
ヒュンッ。
一瞬で、街道を塞いでいた岩山が「消失」した。
破壊されたのではない。空間ごと抉り取られ、虚無へと消えたのだ。
チート能力①:【空間断絶】。
あらゆる防御を無視し、対象を空間ごと切断・消去する絶対攻撃。
「相変わらずデタラメだな、レンは」
呆れたように言うのは、巨漢の少年、ダイキ。
彼は、どんな攻撃を受けても傷一つつかない【絶対防御】の持ち主だ。
そしてミユは、魔力が枯渇することのない【無限魔力】を持つ。
彼らは、異世界から召喚された日本人。
この世界の理を無視して力を振るう、正真正銘の「勇者」たち。
「で? 今度のクエスト、どこだっけ?」
「なんかー、北西にあるダンジョン?
生意気な迷宮主がいるから、ボコってこいって王様が言ってたよ」
「へー。迷宮主か」
レンは欠伸をしながら、遥か彼方に見える迷宮の方角を見た。
「ま、どうせまたワンパンで終わるっしょ。
さっさとクリアして、王都でうまい飯でも食おうぜ」
彼らにとって、この世界の命はゲームのNPCと同じ。
黒瀬が積み上げてきた論理も、カイたちの努力も、彼らには関係ない。
ただの「攻略対象」でしかないのだ。




