第六十二話:世界を救うマカロン&モンブラン
◆北西迷宮・第十五階層『虚空の玉座』/黒瀬視点
漆黒のドレス。背中には六枚の巨大な黒翼。
そして、この世の全ての理不尽と妖艶さを凝縮したような魔界の女王。
リリス。
「ああん、リリちゃんっ!!」
現れた女王は、威厳もへったくれもなく叫び声を上げると、音速を超える速度で玉座へ突進した。
「ママ!?」
リリが反応する間もなく、その華奢な体はリリスの豊満な胸の中に抱きすくめられた。
「寂しかったわぁ〜! なんでママに黙って家出しちゃったの〜? ママ、心配で近くのAランクの迷宮を三つくらい壊しちゃったじゃない!」
「ぐぇっ、く、苦しい……! 離してよママ! みんなの前で恥ずかしい!」
リリがジタバタと暴れるが、SSSランクの拘束はビクともしない。
黒い雷撃を放っても、リリスの肌には傷一つつかないどころか、「まあ、肩揉み上手になったわね」と喜ばれる始末だ。
俺は、部屋の隅でポカンと口を開けていた。
ナノが明滅しながら囁く。
「ご主人、想定外のエラーです。リリさんの母親が乱入してくるなんて、仕様書にありません」
「俺の人生設計図にもないよ……」
呆然としていると、リリスがふと真顔になり、リリの体を離してまじまじと見つめた。
「リリちゃん、魔力がすごく高まったわね。おかげで、私の魔力探知に引っかかってくれたわ。家出した時は豆粒みたいだったのに、立派な悪魔になってぇ……」
リリスは涙ぐみながらリリの頭を撫でる。
だが、次の瞬間。
彼女の雰囲気が一変した。
温度が消えた。
部屋中の空気が凍りつき、鏡面の床に霜が降りる。
リリスが、ゆっくりと首を回し――俺の方を見た。
「……で?」
その一言だけで、心臓が止まるかと思った。
殺気ではない。もっと根源的な、「捕食者」が「餌」を見る目だ。
「この貧弱な男が、ウチの可愛い娘をたぶらかした誘拐犯かしら?」
「ひっ……!」
俺は反射的に後ずさる。
言い訳をしようと口を開くが、喉が張り付いて声が出ない。
「あらあら、震えちゃって。可哀想に。でもねぇ、許さないわよ? リリちゃんをこんな暗い地下に閉じ込めて、こき使ってたんでしょ?」
リリスが優雅に右手を上げる。
その指先に、小さく、しかし直視できないほど高密度な「紅い光」が収束していく。
極大雷撃。
リリの黒雷が「Aランク上位」だとするなら、あれは……測定不能。触れれば原子レベルで分解される「死」そのものだ。
「待ってママ! ご主人は違うの! ボクを助けてくれた恩人で……!」
リリが必死に叫び、俺の前に割り込もうとする。
だが、リリスは慈悲深い微笑みで娘を制した。
「大丈夫よリリちゃん。悪い虫は、ママが駆除してあげるからね☆」
「やめてぇぇぇッ!!」
リリスの指が弾かれた。
紅い閃光。
音すらない。光が網膜に届くよりも早く、死が迫る。
――あ、死んだ。
俺の脳裏に、走馬灯が駆け巡った。
ブラック企業での連日の徹夜。
倒れたサーバールーム。
白い部屋で神様と契約したこと。
この迷宮で、ジグやロクたちと作り上げた日々。
カイたちが成長していく姿。
そして、リリと一緒に食べたマカロンの味。
(短い第二の人生だったな……。でも、前の人生よりずっと楽しかった)
俺は目を閉じた。
恐怖はない。ただ、やり残したことへの未練だけが少し。
(みんな、あとは頼んだぞ……)
感謝の言葉を心の中で呟き、消滅を受け入れようとした、その時。
キィィィィィィン!!
鼓膜を劈くような高周波音と共に、目の前で光が弾けた。
「……え?」
目を開けると、俺は生きていた。
俺の目の前に、幾重にも展開された緑色の光の障壁――『世界樹の盾』が輝いている。
そして、その中心に立つ、銀髪の背中。
「……まったく。相変わらず短絡的な女じゃのう」
涼やかな声。
障壁の向こうで、リリスの放った極大雷撃が霧散していく。
「久しぶりじゃな、リリス。挨拶もなしに我の別荘で花火を上げるとは、いい度胸じゃ」
エルドラが、扇子で煙を払いながら振り返った。
「え、エルドラさん……?」
俺は腰が抜けてへたり込んだ。
SSSランクの攻撃を、無傷で防いだ。改めて、この人のデタラメさを思い知る。
一方、リリスは目を丸くしていたが、すぐに顔をしかめた。
「……は? げっ、エルフのババア。なんでアンタがここにいるのよ?」
「誰がババアじゃ。お前も我と年齢そんなに変わらんじゃろうが!」
エルドラのこめかみに青筋が浮かぶ。
「あら、私は永遠の17歳(魔界換算)よ? 皺だらけの枯れ木と一緒にしないでくださる?」
「ほう……。言うようになったのう、メス豚が。
その減らず口、根元から引っこ抜いて肥料にしてやろうか?」
バチバチバチッ!!
二人の間に、目に見えるほどの火花が散る。
空間が悲鳴を上げ、第15階層の鏡面床に亀裂が走る。
「……リリ」
俺は小声で、隣で震えているリリに話しかけた。
「あの二人、知り合いなのか?」
「……うん。太古の昔からのライバルというか、犬猿の仲というか……。ママとエルドラ様が揃ったら、地図が書き換わるって言われてるの」
「地図が書き換わる……?」
「物理的に」
その言葉の意味を理解する間もなく、第二ラウンドのゴングが鳴った。
「消えなさい、ババア!!」
リリスが六枚の翼を広げ、無数の闇の槍を射出する。
一本一本が、最上級魔法クラスの威力を持った即死兵器だ。
「枯れろ、メス豚!!」
エルドラが手を掲げると、床から巨大な樹木の根が隆起し、槍を叩き落としつつリリスへ襲いかかる。
ズドォォォン!! ガギィィィン!!
轟音。振動。衝撃波。
俺たちが必死に作った『虚空の玉座』が、子供の積み木のように崩壊していく。
「や、やめてぇぇぇ!」
リリが悲鳴を上げる。
だが、二人の耳には届かない。
「ハッ! 鈍ったんじゃないの、エルドラ! 昔より魔力のキレが悪くてよ!しかも、体も丸くなったんじゃない?」
「フン! お前こそ、子育てで所帯染みたか? 殺気が丸くなっとるわ!」
次元の違う魔法合戦。
空間が歪み、重力が狂い、天井が落ちてくる。
俺とリリ、ナノは部屋の隅の、わずかに残った安全地帯で縮こまるしかなかった。
「ご主人……これ、どうしますか……?このままじゃ、第15階層どころか、迷宮全体が崩落します……!」
ナノが絶望的な計算結果を弾き出す。
「止めるって言っても……どうやって!?」
力では絶対に勝てない。話も通じない。
このまま指をくわえて、俺の城が更地になるのを見ているしかないのか?
その時。
ポヨが、俺の足元で「ポヨーン」と何かを吐き出した。
それは、白い箱。
俺がエルドラへの手土産として、ケット・シーに特別に作らせておいた『最高級・生搾りモンブラン』の箱だった。
「……これだ」
俺の脳内で、電流が走った。
力で勝てないなら、欲望で釣るしかない。
エルドラの弱点は「甘味」だ。そして、リリの反応を見る限り、その母親であるリリスも……?
「賭けるしかない……!」
俺は箱を掴み、立ち上がった。
崩れ落ちる瓦礫を避け、暴風が吹き荒れる戦場の中心へ向かって叫んだ。
「エルドラさぁぁぁん!! おやつだァァァッ!!」
俺は渾身の力で、モンブランの箱を二人の頭上高くへと放り投げた。
その瞬間。
エルドラの動きが止まった。
リリスへと放とうとしていた極大魔法『世界樹の審判』を強制キャンセルし、彼女の紫の瞳が、宙を舞う白い箱一点に釘付けになる。
「むっ! あれは……限定、生搾りモンブラン!!」
エルドラの顔色が、戦闘中よりも真剣なものに変わる。
「馬鹿者! あんな放り方をしたら、クリームの層が崩れるであろうが!」
ヒュンッ!
エルドラが消えた。
神速の移動。リリスの攻撃を紙一重でかわし、空中で回転しながら箱を優しくキャッチする。
着地はスライディング。箱には振動一つ与えない、完璧な所作だった。
「ふぅ……危ないところじゃった」
エルドラが額の汗を拭う。
その隙だ。
「リリ! 今だ!」
俺の合図に、リリが反応した。
空間転移。
リリは一瞬でリリスの目の前に出現した。
「ママ! 口を開けて!」
「え? リリちゃん、急にな――んぐっ!?」
リリは、手に持っていた特製マカロン(フランボワーズ味)を、リリスの口に突っ込んだ。
リリスの動きが止まる。
口の中に広がる、甘酸っぱいフランボワーズの香りと、濃厚なバタークリームのコク。サクサクとした生地の食感。
「……んん〜ッ♡」
リリスの頬が、とろけたように緩んだ。
背中の黒翼から殺気が霧散し、代わりにピンク色の幸せオーラが漂い始める。
「な、なによこれぇ……!魔界の『常闇の果実』より甘くて……天界の『蜜』より濃厚じゃない……!」
リリスは口元を押さえ、恍惚の表情で震えた。
「美味しい……! リリちゃん、これ、どこで手に入れたの!?」
「ここの迷宮の特産品だよ! ご主人が作らせたの!」
リリが胸を張る。
リリスの視線が、再び俺に向く。
だが今度は、殺意ではない。獲物を見る目でもない。
まるで、宝の山を見つけた盗賊のような、ギラギラとした欲望の目だった。
「……貴方、これが作れるの?」
「は、はい……。部下の職人たちが……」
「そう。……悪くないわね」
リリスは舌なめずりをした。
「いいわ。この『マカロン』とやらの味に免じて、今日のところは命だけは助けてあげる」
助かった。
俺はその場にへたり込んだ。
エルドラは既に箱を開け、モンブランを頬張っている。
リリスは「もっとないの?」とリリにねだり、追加のマカロン箱を抱きしめている。
世界最強の二人が、スイーツの前でだけは大人しくなった。
崩壊しかけた第15階層の惨状と、幸せそうに菓子を食べる二人の魔女。
シュールすぎる光景だ。
「……助かった……」
俺が呟くと、影からナノが出てきて、ジト目で俺を見下ろした。
「ご主人……」
「なんだよ」
「ご主人、完全に『スイーツで魔物を使役するテイマー』ですね。しかも対象がSSSランク限定の」
「……そんな職業、胃がいくつあっても足りねえよ」
俺は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
◆迷宮第15階層・応接スペース(急造)/ 黒瀬視点
その後、俺たちは崩れていない床にテーブルセットを広げ、奇妙なお茶会を開いていた。
「ふん。相変わらず甘いだけの女じゃな、リリス」
エルドラが紅茶を飲みながら煽る。
「あら、アンタこそ糖分の摂りすぎでふっくらしてるじゃない」
リリスがマカロンをかじりながら言い返す。
口喧嘩は続いているが、先ほどのような殺し合いの空気はない。甘味が緩衝材になっているようだ。
「で? ママはどうしてここに来たの?」
リリが尋ねると、リリスは真面目な顔(口元にクリームがついているが)に戻った。
「そうそう、忘れるところだったわ。リリちゃん、貴女にお見合いの話があるのよ」
「ぶッ!」
リリが紅茶を吹き出した。
俺も吹き出しそうになった。
「お、お見合い!?」
「ええ。魔界の有力貴族、ベリアル家の三男坊よ。ちょっと頭は悪いけど、魔力だけは高いわ。貴女もそろそろ身を固めて、立派な魔族として――」
「イヤよ! 絶対イヤ!」
リリが立ち上がって叫ぶ。
「ボクにはもう、心に決めた居場所があるんだから!」
「居場所?」
リリスが首を傾げる。
リリは俺の方を見て、それから迷宮の壁を見渡した。
「ボクは、この迷宮のラスボスなの。
ご主人と一緒に、ここを世界一の迷宮にするって決めたの。
だから帰らないし、結婚もしない!」
リリの宣言に、リリスは目を丸くした。
そして、俺をじろりと睨む。
「……貴方、娘に何をしたの? 洗脳?」
「してません! 雇用契約を結んだだけです!」
「雇用……? 悪魔の娘を?」
リリスは呆れたようにため息をついたが、その瞳には少しだけ安堵の色が見えた。
娘が自分の意志で道を選んだことへの、母親としての複雑な心境だろうか。
「まあ、いいわ。
リリちゃんがそこまで言うなら、少しだけ様子を見てあげる。
ただし!」
リリスは指を立てた。
「私もここに住むわ」
「は?」
全員の声が重なった。
「だって心配じゃない。こんなエルフのババアがいるような場所に、娘を一人で置いておけないわ。
それに……ここのお菓子、魔界より美味しいし」
本音が漏れている。
「断る!」
エルドラが即座に叫んだ。
「我の平穏な隠居ライフを邪魔するな! お前がおると空気が淀むのじゃ!」
「あら、大家さんはこの男でしょ?貴女に拒否権なんてないわよ〜だ」
リリスは俺の腕に絡みつき、豊満な胸を押し付けて上目遣いをする。
「ね? いいでしょ、大家さん♡家賃なら払うわよ? 『魔界の秘宝』とか、『禁断の呪具』とか……」
「(……物騒な家賃だな)」
俺は冷や汗を流しながら、ナノに視線を送った。
ナノは「諦めてください。SSSランク二人の接待こそ、究極の管理職の仕事です」という顔をしている。
こうして。
俺の迷宮には、最強の顧問エルドラに加え、最恐の親バカ魔王リリスまでが常駐することになった。
最大魔力容量23,000。
最強の防衛システム。
そして、制御不能のSSS級迷宮主。
俺の胃痛は、迷宮の規模拡大と共に、指数関数的に悪化していくのだった。




