第六十話:真のボスの座
◆迷宮第十階層・雷雲の玉座/黒瀬視点
「……さて」
俺は、迷宮核の前に浮かぶホログラムコンソールを指で弾き、眩しすぎる数値を見つめた。
【最大魔力容量:23,000】
【現在魔力残量:22,980】
炎熱迷宮ゲヘナを吸収合併し、サーバーの物理スペックが三倍近くに跳ね上がった。エンジニアとしてこれほど興奮する瞬間はない。
予算は潤沢。リソースは余りあるほどにある。
だが、問題は「どこから手をつけるか」だ。
「ご主人、目が成金になってますよ」
「失礼な。これは戦略的設備投資の検討をしている目だ」
ナノのボケにツッコミをしつつ、俺は脳内で開発ロードマップを描く。
第十一から十五階層の元ゲヘナ階層の改修。魔物用福利厚生施設の見直し。迷宮都市のインフラ拡張。あるいは俺自身の更なる強化の適用……。
「……フン。迷うことなどあるまい」
玉座の端に、腕を組んで立っていた大男が鼻を鳴らした。
バルログ。俺の下に降ったとはいえ、その傲岸不遜な態度は変わっていない。
「この迷宮の最深部を我が炎で満たせばいい。どんな小賢しい人間どもが来ようとも、我が玉座に辿り着く前に蒸発させてやろう。この俺こそが、貴様の迷宮の最後の砦に相応しい」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、空気が「黒い雷」に弾かれた。
「――ちょっと待ちなさいよ。新入りの分際で、随分な物言いじゃない」
玉座の背後から、四枚の漆黒の翼を羽ばたかせてリリが降りてくる。
その赤い瞳は、明らかに不機嫌の極致だった。
「バルログ。あんた、勘違いしてない? ここをここまで大きくしたのはボクとご主人なの。ボクがこれまで、どれだけ最後の砦としての顔を守ってきたと思ってるのよ!」
「女子供が吠えるな。迷宮の格とは恐怖の深さだ。貴様のような小娘が座っているから、調査団ごときに扉を叩かれるのだ」
「なっ……! 殺すわよ、この脳筋ヒゲダルマ!」
「やれ。貴様の雷など、我が熱で掻き消してくれるわ」
バチバチと火花を散らすリリと、周囲の空気を歪めるほどの熱気を放つバルログ。
完全に『旧・北西迷宮組』と『旧・ゲヘナ組』の文化衝突だ。しかもこれは、組織の根幹に関わる「序列」の問題だった。
「あのさ、二人とも。今は大規模アップデートの会議中なんだから……」
「ご主人! こいつに言ってやってよ! ボクがラスボスでしょ!? なんでこんな新入りに最深部を任せなきゃいけないの!?」
リリが詰め寄ってくる。その必死な顔を見て、俺は考え込んだ。
確かに、リリの功績は大きい。だが、スペックだけで見ればバルログの質量は無視できない。組織図をどう書き換えるか。
「ふむ……。面白いではないか」
部屋の隅で、お気に入りのフォンダンショコラをつついていたエルドラが、顔を上げて口元を緩めた。
「黒瀬よ。迷宮の主として、理屈で序列を決めるのもよいが……魔物には魔物の納得のさせ方がある。ちょうど良い機会だ。この膨大な魔力を使って、迷宮の試験を行えばよかろう」
「試験……ですか?」
「うむ。勝った方を十五層のラスボスに、負けた方を十層の中ボスにするのじゃ。そうすれば、冒険者にとっても難易度のグラデーションが整う。……お主、効率的なシステム運用が好きなのじゃろう?」
エルドラの言葉に、リリとバルログの視線が重なった。
「いいわよ。受けて立つわ。……その代わり、ご主人」
リリが俺を真っ直ぐに見据える。その瞳には、今までにないほどの覚悟が宿っていた。
「ボクに魔力を投資して。五千……ううん、この際だから魔力一万をボクに全振りしてよ。ボクが一番本物だってことを証明してやるわ」
「一万……!? 正気か!? ゴブリン何百体分のリソースだと思って……」
「リリにそれだけの器があるのは、お主も分かっておろう?」
エルドラが追い打ちをかけるようにニヤリと笑う。
俺は迷宮核のコンソールと、リリの瞳を交互に見た。
魔力一万。現状の魔力の半分近くという膨大な量だ。
だが――俺は、俺のためにここまで働いてくれた彼女の「意地」に応えたかった。
「……分かった。リリ、お前にベットする」
俺はコンソール上の『リリ・強化シークエンス』を選択し、一気に魔力一万を注ぎ込んだ。
「実行命令――承認」
ドクンッ!!
迷宮全体が、物理的な衝撃に揺れた。
迷宮核から溢れ出した紫紺の魔力が、奔流となってリリに流れ込む。
「っ……、ぁ、ああああああああああッ!!」
リリの体が光に包まれる。
見た目が劇的に変わるわけではない。だが、彼女を中心に、空間が内側へと圧縮されていくのが視える。
姿は変わらないがオーラの質が違う。これまでの彼女が『SR』なら、今の姿は、確率を歪めてでも手に入れるべき『SSR』の風格。
光が収束したとき、そこに立っていたリリは、静かに指を鳴らした。
パチッ。
ただそれだけの動作で、大気が焦げ、玉座の間の岩壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「……準備完了よ。さあ、始めようか。脳筋おじさん」
「……フン。見かけ倒しでなければよいがな」
バルログの目が、初めて本気の殺気を帯びた。
◆仮想化訓練エリア
俺たちは、アップデート用の空き領域として確保してあった、広大で平坦な仮想フロアへと転移した。
俺とエルドラ、そしてナノは高台の観覧席から見守る。
「戦闘、開始だ」
俺の声が合図だった。
「死ねぇぇぇッ!!」
バルログが地を蹴った。
その巨躯からは想像もできない瞬発力。一振りで山を砕く巨大な戦斧が、赤い尾を引きながらリリの頭上へと振り下ろされる。
ヒュゴォォォォッ!!
風切り音じゃない。空気が圧縮され、爆発する音だ。
――ズドォォォォォン!!
斧が地面を叩き、クレーターを作る。
だが、リリの姿はそこにはなかった。
シュンッ。
空間魔法による微小転移。リリはバルログの死角、上空十メートルに音もなく出現していた。
「遅いわよ」
リリの手から、極太の黒い雷が放たれる。
バチィィィッ!!
直撃。バルログの重厚な鎧を焼き、岩肌のような皮膚を焦がす。
だが、バルログはたじろぎもしない。
「その程度かぁ!!」
バルログの全身から噴き出した魔力炎が、雷を強引に掻き消した。
熱。圧倒的な熱だ。
バルログの周囲の気温は、瞬く間に数千度に達し、空気が気化して凄まじい衝撃波を撒き散らす。
「(……まずいな)」
俺はコンソールの数値を読み取って顔をしかめた。
「リリの空間魔法と雷魔法は完璧に噛み合ってる。だが、バルログの魔力密度が高すぎる。リリの攻撃を通す前に、バルログの放つ放熱のダメージがリリの体力を削り始めてるぞ」
画面上のリリの耐久値が、ジリジリと減っていく。
バルログは熱力学的な絶対優位にある。立っているだけで周囲の物質を崩壊させるその熱量は、リリの繊細な魔力構築を物理的に阻害していた。
「勝つためには『魔導レールガン』を当てるしかない。だが……」
「バルログも馬鹿ではないわい。あの攻撃の恐ろしさは身を以て知っておる。チャージのための予備動作を見せた瞬間に、全力で潰しに来るじゃろうな」
エルドラの言う通りだった。
リリが距離を取り、レールガンの魔法陣を展開しようとする気配を見せた瞬間――
「させるかァッ!!」
ドォォォン!!
バルログが地面を砕いて突進する。
まるで噴火そのものが襲ってくるような圧力。リリは展開しかけた魔法陣を霧散させ、慌てて転移で回避する。
「っ……あっつぃ……、喉が焼けそう……!」
リリが毒づく。転移した先の場所でも、すでにバルログの熱波が先回りしている。
彼女の黒い服が、熱風で端から焦げ始めている。
長期戦になれば、リリの体力が先になくなる。それは目に見えていた。
このまま距離を取って戦えば、ジリ貧だ。
レールガンのチャージには数秒かかる。その数秒を、この化け物は絶対に許さない。
――その時、リリがニヤリと不敵に笑った。
「……いいわよ。だったら、お望み通り近寄ってあげる!」
「何ッ!?」
リリが転移のベクトルを変えた。
逃げるのではなく、自らバルログの至近距離――『死の領域』へと飛び込んだのだ。
狂気の沙汰だ。バルログの周囲は、文字通りの地獄の釜。触れるだけで肉が蒸発する領域だ。
「ははぁ! 狂ったか小娘ぇ!!」
バルログの斧が横に薙がれる。
防御不可能な範囲攻撃。
ヒュンッ。
リリはそれを、首の皮一枚の転移で回避し――そのままバルログの懐、胸元へ出現した。
「くらいなさいッ!」
リリの拳に、黒い雷が収束する。
素手による打撃。
バヂィッ!! ジュウゥゥゥ……!
雷撃の音と共に、肉の焼ける嫌な音と匂いが、観覧席まで届く。
「……っ、痛っ……あはは、熱いじゃないの、おじさん!」
「貴様ぁッ!!」
リリは、雷を纏った拳でバルログの岩肌を殴り続ける。
一発殴るごとに、リリの拳の皮膚が焼け、火傷が広がっていく。
それでも、彼女は退かない。
「リリ!?」
俺が思わず身を乗り出す。
だが、見てとれた。
リリの背後、遥か後方の空中で――二体のインプが、必死に魔法陣の座標を固定し続けているのを。
「(まさか……自分を囮にして、チャージ時間を稼いでいるのか!?)」
通常、レールガンはリリ自身が照準と魔力供給を行わなければならない。
だが、彼女は魔力供給ラインだけを維持し、照準と固定をインプに丸投げし、自分自身はバルログの意識を釘付けにする「餌」になっているのだ。
「チャージは……ボクの痛みで買ってあげる……!!」
リリは至近距離でバルログの攻撃を回避し、受け流し、殴り合う。
バルログの蹴りがリリの腹部をかすめる。肋骨が軋む音がする。
それでも、彼女は不敵に笑う。
「効率最悪ね……でも、これが今のボクにできる、一番勝てる方法なのよ!」
リリの全身がボロボロになっていく。翼は焼け落ち、意識が熱で朦朧とし始めている。
バルログの斧が、リリの脇腹を浅く裂いた。鮮血が熱で瞬時に蒸発する。
「終わりだァァァッ!!」
バルログが、リリの逃げ場を塞ぐように、広域の爆炎魔法を溜め込む。
逃げれば追われる。転移しても範囲外には出られない。
ゼロ距離からの最大火力。
だが、リリの口角が吊り上がった。
「――チェックメイト」
リリが指を鳴らした瞬間。
シュンッ。
彼女の姿が、バルログの真後ろへと掻き消えた。
バルログの目の前、がら空きになった正面の空間に――
チャージを完了し、青白く、いや、黒く輝く一本の『魔導レールガン』が、吸い込まれるような銃口を向けて待機していた。
「な……ッ!?」
バルログが目を見開く。
斧を振り下ろす動作に入っていた彼は、回避行動が取れない。
「消えなさい」
背後から、リリの冷徹な声が響く。
バチィィィィィィィィンッ!!!!
音が置き去りにされた。
音速を超えた重質量の鉄杭が、至近距離からバルログの巨躯を正面から撃ち抜いた。
電磁加速の衝撃波が、仮想フロアの床を粉々に粉砕し、バルログを後方の壁まで押し込む。
ズドォォォォォォン!!
爆煙が舞い上がり、瓦礫が雨のように降り注ぐ。
静寂が訪れた。
煙が晴れる。
そこには、胸の中心に大きな風穴を開けられ、膝をつくバルログの姿があった。
心臓を少し逸れた位置。だが、再生能力が追いつかないほどの、理外のダメージ。
「……が、はっ……馬鹿な……。至近距離での、捨て身の囮だと……?」
バルログは信じられないものを見る目で、よろよろと歩み寄ってくるリリを見た。
リリもまた、満身創痍だった。服はボロボロ、手足には酷い火傷。美しい黒髪もチリチリに焦げている。
だが、その瞳には勝利者の傲岸な輝きがあった。
「……言ったでしょ。ボクが……この迷宮の……顔なんだから」
リリはそう言い切ると、その場に力なく座り込んだ。
「よし、戦闘終了だ」
俺は高台から飛び降り、二人の元へ駆け寄った。
即座に、ポヨの体内から最高級の回復ポーションを取り出し、二人に浴びせる。
「リリ、よくやった。一万の投資、お釣りが出るくらいの大金星だ」
「……へへ、当然でしょ……。ご主人、マカロン……二十箱……ううん、百箱追加だからね……」
リリは満足そうに目を閉じ、ナノの用意した担架に運ばれていった。
俺は、膝をついたまま動けないバルログに向き直った。
「……バルログ。結果は出た。異論はないな?」
「…………」
バルログは、折れた斧の柄をぎりりと握りしめた。
屈辱。怒り。
だが、それ以上に――自分を真っ向から打ち破ったリリへの、奇妙な敬意が、その赤い瞳に宿っていた。
力こそ全て。その信念を持つ彼にとって、リリが見せた覚悟と破壊力は、認めざるを得ないものだったのだ。
「……認めよう。第十五層の王座は、あの小娘の器だ。我が炎、奴の雷の前には届かなかった」
バルログは重い首を縦に振り、俺を睨み据えた。
「だが……黒瀬、貴様だけはまだ認めん。理屈とハッタリで我らを使うなど、吐き気がする。……いずれ、その首を我が炎で焼き切ってやるからな」
「はは、手厳しいな。……まあ、いいさ。お前の不満は、俺の『運用実績』で黙らせてやる」
俺はバルログの肩を軽く叩いた。
これで、組織の新しいレイヤー(階層構造)が固まった。
【第十階層守護者(中ボス):バルログ】
【第十五階層守護者:リリ】
暴力と熱量の地獄を抜け、最後にたどり着く空間の女王。
冒険者たちにとっては、これ以上ない絶望の階段だろう。
「さて、ナノ」
「はい、ご主人。……あ、もしかして」
「ああ。組織の骨組みが決まったなら、次は中身の構築だ」
俺はコンソールを開き、残った魔力一万三千を画面上に並べた。
「本日付で、大規模アップデート『ゲヘナ・リファクタリング』を本格的に改修する。
第十一層から第十四層までの環境構築、魔物の再配置、そして新たなギミックの実装……。
世界一ホワイトで、世界一過酷な迷宮を作るぞ」
迷宮核が、二万三千の容量を得て、これまでにないほど深く、力強く脈打った。
第一層から第十五層まで。
罠、街、極寒、灼熱、そして最強の守護者たち。
俺の『城』は、今この瞬間、この世界で唯一無二のプラットフォームへと進化したのだ。
「さあ……誰が最初に、この第十五層まで辿り着けるかな?」
俺はモニターに映る、地上で修行に励むカイたちの姿を眺めながら、静かに、そして誰よりも不敵に笑った。




