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第五十八話:絶対零度の理 vs 炎の暴力

◆炎熱迷宮ゲヘナ・最深部『焦熱の玉座の間』/クロ視点


 玉座の間を満たしていた熱気が、一瞬にして別の「何か」に変質した。


 バルログが吠える。その咆哮は、もはや生物の喉から発せられるものではなく、煮え滾る大地の底が裂けるような地鳴りとなって空間を震わせた。


「……ッ!? 熱気が、さらに膨れ上がっただと!?」


 ジグが鋭く叫び、盾のように俺の前に立ちはだかる。


 視界が歪む。いや、空間そのものが溶け出しているのだ。


 バルログの肉体は今や、赤黒い魔力の炎に完全に飲み込まれ、その姿は一回り巨大な、不定形の『熱の化身』へと変貌を遂げていた。


「クロ様、緊急警告。バルログは自らを直接燃焼させ、自身の生命活動を代償に臨界点を超えるエネルギーを発生させています。……計測不能。周辺温度はすでに、岩石が気化する沸点を超えつつあります」


 ロクの報告は、絶望を予感させるに十分なものだった。


 バルログが放つ熱量は、もはや魔法という枠組みを逸脱している。


 この部屋に存在する酸素、水分、そして俺たちの肉体を構成するあらゆる物質を、根源から焼き尽くそうとする破壊の意思そのもの。


「ハハハハ! 見よ! これが絶対的な力だ! 効率だの、理屈だのという矮小な言葉と共に、灰すら残さず消え去るがいい!」


 バルログがその巨大な斧を振り上げる。斧身は超高熱によって白熱し、振り下ろされる前から空間に巨大な真空の裂け目を作り出していた。


「ジグ、ポヨ。……これ以上、近づく必要はない。これほどの熱量、力で抑え込もうとするのは無駄だ」


「クロ様!? ですが、あの攻撃をまともに受ければ……!」


「受けないさ。……奴が灼熱を誇るなら、俺は絶対零度をぶつけるだけだ」


 俺は懐から、これまでで最も緻密に魔法陣を刻み込んだ三枚の多重スクロールを取り出した。

 

「ロク、周辺の気圧操作を俺に同期させろ。……断熱膨張による急速冷却この空間の『法則』を強制上書きする」


「了解。……ご主人の意志に、演算リソースの全権を委任します」


 俺がスクロールに指先を触れた瞬間、魔法陣が青白い、凍てつくような光を放ち始めた。



◆北西迷宮・第五階層「ギルド支部前」/カイ視点


「ガハッ……!?」


 俺の身体は、石畳の上を数メートルも滑り落ちた。

 口の中に広がる鉄の味。視界が点滅し、左腕の感覚が麻痺している。


「……どうした、小僧。威勢がいいのは口だけか?」


 『白金の盾』のリーダー、ガルスが、汚れ一つない白銀の剣を肩に担ぎ、冷笑しながら歩み寄ってくる。

 強い。


 分かっていたことだ。Aランク冒険者。それは、俺たちDランクの駆け出しとは見ている世界が違う。


 エルドラさんの地獄のようなシゴキに耐え、自分たちが強くなったと思っていた。だが、本物の「強者」の暴力の前では、そのすべてが子供の遊びのようにあしらわれてしまう。


「カイ! もういい、逃げて!」


 背後でミナが叫ぶ。セラもレオも、すでに魔力が底を突き、膝をついていた。


 周囲には、住人たちの姿がある。だが、誰も動けない。ガルスの放つ威圧感が、広場全体を金縛りにしているのだ。


「……に、逃げるかよ」


 俺は折れそうな右腕を支えに、震える足で立ち上がった。


「ほう。まだ立てるのか。無駄な努力だということが、その足りない頭では理解できんらしいな」


「無駄……じゃねえよ。あんたたちは、この街を利権だの支配だのって言葉でしか見てない。……でもな、俺たちは違う」


 俺は、血の混じった唾を吐き捨て、ガルスを睨みつけた。


 温泉の温かさ、ケット・シーの笑い声、夜でも安心して眠れる清潔な宿屋。

 そんな、当たり前だけどどこにもなかった日常を、俺はこの街でもらったんだ。


「この街は……俺たちの、故郷のようなものなんだ。……あんたたちみたいな、土足で人の家に踏み込んでくる奴らに、好き勝手させてたまるかよ!」


「……死にたがりめ。ならば、その愚かな誇りごと切り伏せてやろう」


 ガルスが剣を上段に構える。


 その剣先から放たれる魔圧は、今の俺では到底防ぎきれるものではなかった。

 それでも、俺は一歩も引かなかった。

 

 もしここで俺が逃げれば、この街の「平和」という魔法が解けてしまう。

 でも、この街を守るのは、ここで生きてる俺たちの意地なんだ。



◆第十階層・雷雲の玉座


「……カイ……! もぉ、ダメっ、見てらんないよぉ!」


 リリは玉座の肘掛けを、メリメリと音を立てて握りつぶした。

 モニターに映るカイの姿は、ボロボロだった。それでも立ち上がろうとするその姿に、リリの胸が締め付けられる。

 

 なんで?

 なんであんなに弱いのに、立ち上がるの?


 リリなら、あの『白金の盾』なんて、デコピン一発で塵も残さず消し飛ばせるのに。

 

「エルドラさん! お願い、もう行かせて! あいつら、ご主人の大切な街を……! カイたちを……!」

 

「……座っておれ、小娘。今のおぬしの魔圧は、五層の住人すら皆殺しにするぞ」


 エルドラさんは、いつものように優雅に紅茶を啜っている。

 でも、その瞳は笑っていなかった。彼女もまた、モニターの中の光景を、射抜くような鋭い視線で見つめている。


「でも、このままじゃカイたちが殺されちゃう! ご主人の言いつけなんて、もういいよ!」


 エルドラさんは、静かにカップを置いた。


「カイはこのエルドラが稽古をつけてやってるのじゃぞ?見ておれ。痛みを知り、それでも守り抜いくからこそ、真の強者になる。……この戦いこそが、あやつらの強さを一段上のステージへと押し上げる、最後の一欠片なのじゃよ」


 リリは、モニターに映るカイの瞳を見た。

 ボロボロで、今にも倒れそうなのに。

 

 その瞳の中にある光は、今まで見たどんな宝石よりも、美しく輝いていた。

 

「……カイ……頑張れ……。頑張れぇッ!」


 リリは、祈るように両手を組み、その「守る者たち」の意地を見守ることしかできなかった。



◆炎熱迷宮ゲヘナ・最深部/クロ視点


「――《多方向光子干渉:レーザー冷却による絶対零度》」


 俺の呟きと同時に、世界から「動き」が消失した。    

 バルログが振り下ろした巨大な斧。その周囲を、俺が放った幾条もの青白い光の束が包み込む。


 俺が展開した理は、熱そのものを力で抑え込むことではない。


 熱の正体――すなわち物質の「振動」に対し、対向するベクトルを持つ魔力光子を衝突させ、その運動エネルギーを直接奪い取る。    


 レーザー冷却。  


 本来は原子レベルの微小な世界で使われる技法だが、魔法という演算ブースターで拡張すれば、それは「熱」という概念そのものを凍結させる神の業となる。


「……な……!? 光だと……!? 熱が……我が炎が……一瞬で静止したというのか……!?」


 バルログの驚愕の声が、極寒の静寂に響いた。  

 白熱していた斧の刀身が、光に触れた箇所から一瞬で輝きを失い、どす黒い質感へと変貌する。


 それだけではない。バルログの周囲に展開されていた「熱障壁」そのものが、分子レベルで運動を止められ、目に見える『氷の結晶』となって空間からバラバラに剥がれ落ちていった。


「力には限界があるが、理に限界はないんだ。……バルログ、熱とは物質の乱れに過ぎない。その乱れを整列してやれば、お前の炎はただの止まった石と同じだ」


 俺は一歩、バルログの足元へと踏み込んだ。    


 今、俺たちの周囲は、地獄の業火に包まれながらも、俺の射程内だけが原子の震えすら許さない『絶対零度』の静寂に支配されている。  


「ロク、第二工程へ。……超低温による『熱収縮脆化』を確認しろ」


「確認済み。……ご主人、ターゲットの組成物質は、激しい熱振動の停止により極めて脆弱なガラス状態へと移行しています。……今です」


「ジグ、行け!」


「はっ……!!」


 ジグが、銀色の閃光となって跳んだ。  


 彼の剣は、もはやバルログの熱に歪められることはない。    


 キンッ。    


 清脆な音が、最深部に響き渡った。  


 ジグの放った一閃。それは、バルログの巨大な斧に触れた瞬間――。    


――パリィィィィィィンッ!!    


 かつて無敵を誇った『獄炎の断罪者』が、まるで薄い氷の細工物のように、粉々に砕け散った。  


「ば、馬鹿な……!? 我が、武具が……破壊不能の斧が……!!」


 バルログが膝をつく。  


 最強の武器を失い、絶対零度による急激な組織収縮で全身の機能がフリーズし、指一本動かせなくなる魔人。    


 俺は、懐から最後の一枚のスクロールを取り出した。  


「……さて、バルログ。不採算部門の整理を終わらせようか。……ロク、レールガンの換装、用意はいいか?」


「……いつでも。出力、最大固定。ロックオン完了です」

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