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第五十六話:暴走する魔力と、静かなる窒息

◆炎熱迷宮ゲヘナ・第九階層「絶望の焦熱門」/クロ視点


 大気が震えている。


 それは単なる熱気による陽炎ではない。眼前に立ち塞がる百体の精鋭――バルログ直属の近衛兵『フレイム・ガード』たちが放つ、異常な魔力のうねりだった。


 重厚な鎧の隙間から、どろりとした赤黒い光が漏れ出している。奴らの皮膚は内側から焼かれ、沸騰した魔力が血管を駆け巡っているのが見て取れた。


「……バルログ、貴様。そこまでやるか」


 俺は奥歯を噛み締めた。

 迷宮内に響き渡るバルログの傲慢な声。


『ハッハッハ! 侵入者どもよ、我が精鋭の最期の輝きを拝むがいい! 塵一つ残さず燃え尽き、我が玉座へ至るための供物となれ! さあ、捧げよ! その魂を、絶大なる爆炎に変えてな!』


 フレイム・ガードたちの魔力回路に過剰な負荷をかけ、その肉体ごと爆発させる――。


「クロ様、下がってください! 奴らの魔力、もはや臨界点を超えています! これほどの数が一斉に弾ければ、この階層そのものが消し飛びかねません!」


 ジグが鋭い声を上げ、俺の前に立ちはだかる。


 彼の銀色の髪が、周囲の熱気でチリチリと逆立っていた。鬼人としての本能が、目前の「事象」に最大級の警鐘を鳴らしているのだ。


「ジグ、構えるな。剣では爆発は止められない」


「しかし……!」


「ロク、座標の固定は済んだか?」


 俺の問いに、背後で淡々と演算を続けていたロクが、青い瞳を一瞬だけ明滅させた。


「完了。……クロ様、百体すべての『呼吸の同調』を捉えました。発動まで残り、十五秒。……十、九、八……」


「よし。力には理を、熱には静寂を」


 俺は懐から、墨のような漆黒の紋様が刻まれた特製のスクロールを取り出した。


 普通、爆発を防ぐなら強力な結界を張るか、あるいは水魔法で冷却するのがこの世界の常識だ。だが、それでは「爆発のエネルギー」そのものと正面衝突することになる。


 俺が狙うのは、もっと根源的な「ことわり」だ。

 どんなに激しい炎も、どんなに巨大な爆発も、それを成立させるためには「火種を育む空気」が必要になる。


「《火種の理:沈黙の領域(真空展開)》――実行!」


 俺が魔力を通した瞬間、スクロールが灰となり、周囲の空間に不可視の「壁」が展開された。

 

 シュンッ、と。

 耳が痛くなるような、奇妙な静寂が訪れた。

 

 爆発の直前、眩い光を放ち始めていたフレイム・ガードたちの体が、急激に色を失っていく。


 彼らの周囲から、「燃焼」を助けるための空気が一瞬で排除されたのだ。火種がどれほど激しく燃えようとしても、それを支える理が消失した空間では、炎はその形を保つことすら許されない。


「……ガ、ハッ……!?」


 自爆の衝動に駆られていた魔物たちが、苦しげに胸を押さえて崩れ落ちた。


 爆発が止まったのではない。爆発という事象そのものが「不成立」として処理されたのだ。


 行き場を失った熱量は、真空の断熱効果によって行き場を失い、魔物たちの体内へと押し戻され、彼らの意識を一気に刈り取っていった。


「ポヨ、拾い上げろ。衝撃を与えないように」


「ポヨォ!」


 ポヨが巨大なクッションのように広がり、酸欠と過負荷で意識を失った魔物たちを優しく受け止める。

 

「……理を奪うことで、死すらも無効化する。クロ様、やはりあなたの戦いは、この世界の誰とも違いますね」


 ジグが、信じられないものを見る目で俺を見つめた。


「戦いじゃないと言ったはずだ。これは、無能な経営者が引き起こそうとした『事故』の未然防止だよ。……さて、バルログ。お前の『手駒』は、すべて俺が保護キャッシングしたぞ」


 俺は最深部へと続く巨大な扉に手をかけた。

 そこに宿る熱は、もはや俺の手を焼くことすらできないほど、弱々しいものになっていた。



◆北西迷宮・第五階層「ギルド支部前」


 一方その頃、北西迷宮の第五階層では、これまでにない不穏な空気が漂っていた。


 迷宮内に設置されたギルド支部の正面。そこでは、王都から送り込まれた高ランクパーティ『白金の盾』の五人の男女が、横暴な振る舞いを続けていた。


「おい、この店。魔物が店番をしているとはどういうことだ。不潔極まりない。即刻、商品を置いて店を畳め」


 リーダー格の男――金色の縁取りがある豪華な鎧を纏った男が、ケット・シーの店員を冷たく見下ろした。

 ケット・シーは、自分が丹精込めて焼いたマカロンの箱を抱え、困惑したように震えている。


「そんな……。私たちはここで、ご主人様からお許しをいただいて商売をしてるニャ……」


「ご主人様? どこの馬の骨か知らんが。迷宮の主が公に姿を見せん以上、この都市の秩序はギルド本部と王国の法によって管理されるべきだ。魔物の勝手は許されん」


 男の言葉に、周囲の冒険者たちが不快そうに眉をひそめる。だが、相手はAランクの精鋭だ。逆らえば自分の身も危ういという事実に、誰もが口を閉ざしていた。


 彼ら外来者にとって、この迷宮は自分たちが支配すべき新たな領土でしかなかった。


「……そこまでだ」


 凛とした声が響いた。

 群衆を割り、四人の若者が歩み寄る。


「……? 誰だ、小僧」


 『白金の盾』のリーダーが、カイを鼻で笑った。

 カイは静かに腰の剣に手をかけ、真っ直ぐに男を見つめ返した。


「この迷宮で活動している冒険者だ。あんたたちがどれだけ偉い冒険者か知らないが、ここで勝手な真似をすることを俺たちは認めない。今すぐマカロンの代金を払って、店員さんに謝れ」


「ハッ! ガキが正義の味方ごっこか? いいか、俺たちはギルド本部からの特命で動いている。迷宮という場所で、誰が管理の責任を取るというのだ。俺たちが秩序を守ってやっているんだぞ」


「……秩序?」


 カイの横で、レンが冷たく言い放つ。


「あんたたちがやってるのは、ただの略奪だ。俺たちが活動するこの街の平和を、あんたたちみたいな人間に汚させない」


「そうだ! ここは俺たちの家なんだ! 出ていけよ!」


 周囲の居住冒険者たちからも、次々と賛同の声が上がり始めた。


 彼らは「運営者」ではない。だが、この迷宮が提供する「平和」と「環境」を愛し、ここを自分たちの迷宮だと信じている。


「……ふん、話し合いは無駄なようだな。実力で分からせてやる必要がある」



◆炎熱迷宮ゲヘナ・最深部


 俺たちは、第九階層の静寂を抜け、ついに最後の大扉の前に立っていた。

 扉の隙間からは、もはや熱ではなく、どろりとした「怨念」のような魔力が漏れ出している。


「準備はいいか」


「はい。いつでも」


「再起動……攻撃シーケンス、スタンバイ。……ご主人、扉の向こうに、バルログの心拍を確認。動揺しているようです」


 ロクの報告に、俺は不敵な笑みを浮かべた。


「……だろうな。自分の常識が通用しない相手が、一歩ずつ近づいてくる。経営者にとっては、倒産の前夜みたいな気分だろうさ」


 俺は扉に手をかけ、一気に押し開いた。


 ゴォォォォォン……!


 重厚な轟音と共に、赤く燃え盛る玉座の間が姿を現した。

 中央に鎮座するのは、全身から怒りの炎を噴き上げる魔人、バルログ。


「さあ、バルログ。……お前の運営にはムカついてるんだ。お前の迷宮核を吸収して、魔物たちを解放してやる」

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