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第五十五話:構造の死角

◆炎熱迷宮ゲヘナ・第七階層/クロ視点


 目の前に広がるのは、幾重にも折り重なった溶岩の断層と、入り組んだ天然のトンネルだった。


 第七階層――ここは、熱気に加えて「迷路」としての機能を持たされた場所だ。壁そのものが熱を帯びた磁鉄鉱を含んでおり、方向感覚を狂わせる微弱な磁場が発生している。


「……厄介だな。普通に進めば、数日は足止めを食うように設計されている」


 俺はロクが投影する地図マップを眺めた。


 地図上では、俺たちは巨大な臓物のような迷路の中をのたうち回っている。バルログの野郎、力でねじ伏せるだけでなく、侵入者の「時間」を奪うという陰湿な真似もしているらしい。


「クロ様、背後より追撃の魔力反応。第六階層で逃した『火炎翼竜』の群れです。この迷路に不慣れな侵入者を、背後から追い詰める算段でしょう」


 ジグが抜刀し、暗い通路の先を見据える。


 逃げ場のない細い通路での挟み撃ち。冒険者にとっては悪夢のような状況だ。


「まともに付き合う必要はない。……ロク、この壁の向こう側の構造はどうなっている?」


「スキャン完了。……驚くべきことに、この壁を一直線に三十メートル貫通させれば、第九階層へと続く昇降路の直上に出られます。バルログは、管理用の通路を隠蔽する目的で、意図的に壁を厚くしているようです」


「管理用通路か。……なら、そこが最短ルートだな」


 俺は立ち上がり、赤く熱せられた岩壁に手を触れた。


 普通なら、爆破魔法で強引に穴を開けるところだ。だが、この深度で無闇に爆発させれば、落盤や溶岩の噴出を招く恐れがある。リスク管理の観点からは下策だ。


「力で壊すんじゃない。……『理』を流し込んで、砂の城のように崩してやる。ジグ、支えを頼むぞ」


「はっ!」


 ジグが俺の背後で剣を構え、周囲の警戒に当たる。

 俺は懐から、特定の周波数を刻んだ『振動のスクロール』を取り出した。


「《共振の理:構造崩壊》――実行」


 俺が魔力を通すと、魔法陣から微かな「音」が漏れ出した。

 それは耳には聞こえないほどの超高周波。


 岩石を構成する粒子、その一つ一つが持つ固有の振動。俺は魔法によってその振動を増幅し、岩壁の結びつきを内部から引き剥がしていく。

 

 ――ビキッ、ビキビキビキッ!!


 耳障りな震動と共に、一二〇〇度の熱にも耐えていた強固な岩壁が、まるで乾いたクッキーのように脆く崩れ始めた。

 

「……な!? これほど分厚い岩盤が、ただ触れただけで……」


 ジグが驚愕に目を見開く。


「どんなに硬い物質にも、必ず弱点となる『揺れ』があるんだよ。……よし、穴が開いたぞ。ロク、ポヨ、突入だ!」


 崩れ落ちる岩の粉塵をポヨが吸収し、俺たちは一気に壁の向こう側へと飛び込んだ。

 そこには、バルログが厳重に隠していたはずの、最深部へと直通する広大な縦穴が口を開けていた。



◆北西迷宮・第五階層「迷宮都市」


 新設されたギルド支部の周辺は、今日も冒険者や商人で賑わっている。

 だが、その賑わいの中には、毒を持った針のような視線がいくつも混じっていた。


「……昨夜の件、聞いたか? 商会の倉庫に、王国の隠密が忍び込んだらしい」

「ああ、お返しに教会が騎士たちの飲み水に『真実を語る薬』を混ぜようとしたとか……」


 酒場の影で、スパイたちが互いの足を引っ張り合う。


 王国は迷宮の軍事技術を欲し、教会は迷宮の管理権を狙い、商人組合は流通の独占を望んでいる。


 彼らは表向きは協力者のふりをしながら、主のいないこの場所で「次なる支配者」の椅子を巡って暗闘を繰り広げていた。


「おい、そこのアンタ! その荷物、中身を見せてもらおうか!」


 ギルド支部の前で、王国の制服を着た兵士が、一人の行商人の襟元を掴んだ。

 行商人の正体は、商人組合が送り込んだ工作員だ。


「な、何をなさる! これはただの干し肉だ!」


「嘘をつけ、隠し持っている迷宮の触媒を出すんだ! ……さもなくば、迷宮の安全を脅かす賊として捕らえるぞ!」


 一触即発の空気。周囲の冒険者たちが遠巻きに見守る中、兵士が剣に手をかけたその時。


「――そこまでにしておけ。この街の『平和』を乱す奴は、客でも許さない」


 低く、だが芯の通った声が響いた。


 現れたのは、かつての頼りない新人の面影を完全に消し去った、カイたち「夜明けの芽」の三人だった。


 彼らの腰には、グランが打った一級品の武具が輝き、その身から漏れ出す魔力は、数週間前とは比較にならないほど練り上げられている。


「……『夜明けの芽』か。ガキが首を突っ込むな、これは王国の――」


「王国のなんだって? ここは冒険者ギルドの支部だ。……それに、この街で、勝手な真似はさせない」


 カイが静かに一歩踏み出す。

 その瞬間、凄まじい圧が兵士たちを襲った。


 実戦と、エルドラによる地獄の特訓によって培われた『威圧』。


「……っ!? このガキ、何だこのプレッシャーは……!」


 兵士たちは舌打ちし、掴んでいた手を離した。

 彼ら工作員にとって、カイたちは予想外に強力な障害となっていた。


 そんな騒ぎを、広場の噴水近くにあるカフェのテラス席から、優雅に眺めている者がいた。


「ククク……。あやつら、随分と成長したのう」


 エルドラが、お気に入りのモンブランを口に運びながら、満足そうに目を細める。


「エルドラ様、助け舟は出さないのですか? あの工作員たち、放っておけばいずれリリ様のいる十層まで手を伸ばそうとしますニャ」


 隣で茶を淹れるケット・シーの店員が尋ねる。


「我か? まさか。あのような矮小な人間どもの争い、我の指先を動かす価値もない。……それに、黒瀬がおらん間のこの街を守るのは、リリの仕事じゃ」


 エルドラは、一欠片のクリームも残さずにモンブランを完食した。


「生き残るか、死ぬか。それもまた運命。……我はただ、黒瀬が戻った時に、この街がどの程度汚れているかを楽しみに待つだけよ」


 彼女の瞳には、慈悲も怒りもない。ただ、上位者としての絶対的な「傍観」があるだけだ。

 だが、その背後で、彼女の魔力が微かに都市全体を覆っている。


 それは守るためではない。ただ、自分の「お気に入りのカフェ」が壊されるのを嫌っているだけのこと。……結果的に、それが都市の防波堤となっているのだが。



◆炎熱迷宮ゲヘナ・第七階層・最下部/クロ視点


 壁を抜けて垂直の昇降路を滑り降りた俺たちは、ついに第八階層の入り口へと到達した。


「……ショートカット成功だな。予定より十時間は短縮できた」


「クロ様、さすがに壁を壊して進むというのは……バルログも今頃、玉座で泡を吹いているのではないでしょうか」


 ジグが苦笑しながら、装備についた岩の粉塵を払う。


「泡を吹く暇があるなら、もっとセキュリティをまともにすればいいんだ。……さて、次は第九階層。バルログの直衛隊が待ち構えているはずだ」


 俺は、さらに熱気が増す奥底を見据えた。


「行くぞ。……この非道な地獄の主に、効率的な運営の仕方を教えてやる」


 俺たちは、さらなる熱の渦へと飛び込んでいった。

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