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第五十四話:捨て駒の将軍と、利権の天秤

◆炎熱迷宮ゲヘナ・第五階層/クロ視点


 熱気が「壁」となって押し寄せてくる。


 第五階層――そこは、溶岩の熱を直接動力に変換している巨大な『鍛錬場』のような空間だった。


 周囲の壁には歪な鎖が打ち付けられ、そこかしこで魔物たちが、自らの魔力を無理やり搾り取られるための装置に繋がれている。


「……趣味の悪い場所だ。魔力を生産する効率よりも、苦痛を与えることを優先しているように見える」


 俺が眉をひそめると、前方の暗がりから地響きのような足音が響いた。


「グハハハ! 侵入者がここまで来るとはな! 我が主、バルログ様への手土産にちょうどいい!」


 現れたのは、全身を赤黒い重装鎧で包んだ、四メートル近い巨躯の鬼――『獄炎の将軍』オウガ・ジェネラルだった。その手には、自身の背丈ほどもある巨大な戦槌ウォーハンマーが握られている。


 だが、俺が目を止めたのはその将軍の「装備」ではない。彼の周囲を取り囲む、怯えた様子の下位魔物たち――『小鬼インプ』や『火炎犬ヘルハウンド』の群れだ。


 彼らの首には、将軍の魔力と直結した『隷属の鎖』が繋がれていた。


「行け! 肉壁ども! 奴らの魔力を削り取れ!」


 将軍は手に持った鎖を乱暴に引き寄せると、怯えるインプたちを俺たちに向けて「投擲」した。空中で魔力を無理やり暴走させられたインプたちは、断末魔のような悲鳴を上げながら、生体爆弾となって突っ込んでくる。


「っ……! クロ様、下がってください!」


 ジグが抜刀し、飛び込んできたインプを叩き落とそうとするが、俺はそれを制した。


「待て、ジグ。殺すな。……ロク、広域に『沈静のことわり』を展開しろ。爆発の引き金となる魔力の熱動を強制停止させる」


「了解。――《魔力熱力学第二法則:エントロピーの抑制》」


 ロクの周囲に青い幾何学模様が広がる。


 突っ込んできたインプたちが俺たちの数メートル手前で力なく地面に落ちた。自爆の予備動作として高まっていた魔力が、ロクの干渉によって急速に冷却・安定化したのだ。


「な……!? 我らの自爆命令を無効化しただと!?」


 将軍が驚愕に目を見開く。彼は舌打ちすると、今度は足元のヘルハウンドの首を掴み、盾にするように構えた。


「ならばこれならどうだ! この獣の命を盾に、貴様らの首を叩き潰してやる!」


 魔物を爆弾として使い、今度は盾として使い捨てる。

 その光景に、俺の中の『迷宮主』としての我慢が限界に達した。


「……無能な指揮官ほど、部下の命を数字としか見ない。お前のような奴が上に立っているから、この迷宮の運営は破綻しているんだよ」



◆北西迷宮・第五階層「冒険者ギルド支部」


 迷宮都市の空気は、今日も一見平和だ。


 けれど、その平和に“地上の泥”を混ぜようとする連中は増えていた。


 新設されたギルド支部の応接室。商人組合代表の初老の男・ハバーと、ギルド本部から来た監察官の女が、一枚の書類を挟んで火花を散らしている。


「……ハバー殿。重ねて言うが、この第五階層での専売権は認められない。ここは特区。ギルドの規約が優先される」


「規約、規約と……。規約で腹は膨れませんぞ、監察官。流通を安定させるなら我らの網が必要だ。ギルドが店を選別するなど自由競争に反する」


 言い争いの芯は単純だ。営業許可と、税収と、独占。


 ハバーは鼻で笑って続ける。


「そもそも、迷宮の主にこの階層をもっと広げさせればいい。人が増えれば金も回る。……我らが交渉してきてやろうか?」


 監察官が即座に切り捨てた。


「無理だ。迷宮主の存在は一度だけ確認されているが、接触手段がない。呼び出しも、窓口も、交渉の場も存在しない。迷宮はさらに深くなっていて、現状は十層に辿り着けた者ですら迷宮主に会えたという報告はない」


 その言葉に、ハバーの頬が引きつる。


 応接室の端で、腕組みしていたバルドが、低く笑った。


「ガッハハ。交渉ってのは、相手が席に座ってくれて初めて成立する。ここは迷宮の腹の中だ。席が用意される保証もねえ」


「なら、どうするのです!」


「どうするもこうするも……」


 バルドの笑みが消える。


「ルールを守って、機嫌を損ねない。それだけだ」


 監察官は書類を押さえ、視線を落とした。


 彼らはまだ理解していない。


 第五階層そのものが、迷宮主の設計した装置であることを。

 人が増え、商売が増え、行き交いが増えるほど――迷宮が静かに、確実に強くなることを。



◆炎熱迷宮ゲヘナ・第五階層/クロ視点


「……ジグ、あいつを孤立させろ。周りの魔物たちは傷つけるな」


「心得ました!」


 ジグが銀色の残像を残して疾走した。

 彼は将軍の攻撃を一切受けず、その周囲に繋がれた鎖だけを、針の穴を通すような精密な剣技で次々と断ち切っていく。


「貴様! 我らが所有物に触れるな!」


 将軍が戦槌を振り下ろすが、ジグの速度には追いつかない。

 自由になったインプやヘルハウンドたちが、困惑した様子でその場に立ち尽くす。


「ロク、仕上げだ。あいつの核を狙撃しろ。……ただし、一撃で仕留める必要はない。心を折るのが先だ」


「了解。――《加速の理:指向性衝撃波》」


 ロクの兵装コンテナから、目に見えないほど速い空気の弾丸が放たれた。

 それは将軍の肩、膝、そして手首を正確に撃ち抜き、重厚な鎧を紙のように貫く。


「ギ、ガァァァッ!? この我が、このような名もなき冒険者に……!」


 手足の自由を奪われ、膝をつく将軍。

 鎖から解き放たれた魔物たちが、自分たちを虐げてきた上司を、怯えと憎しみの入り混じった目で見つめている。


 俺はゆっくりと将軍の前に歩み寄り、冷たく言い放った。


「お前は、こいつらの命をゴミのように扱った。だが、俺の世界では……部下の離職は、経営者にとって最大の損失なんだよ。お前のようなコスト感覚のない指揮官に、この階層を任せるわけにはいかない」


「く、殺せ……! バルログ様がお前たちを焼き尽くす……!」


「殺さないさ。……ただ、お前には『再教育』が必要だ」


 俺は周囲の魔物たちに向き直った。

 彼らは、俺が自分たちを食べるか、あるいは新たな奴隷にするのではないかと震えている。


「……怖がらなくていい。俺はあそこの無能とは違う。俺の迷宮に来れば、使い捨てにされることはない。……『福利厚生』という言葉を知っているか? 三食昼寝付き、適切な休憩、そして何より、自分たちの命を誇れる仕事を与えてやる」


 魔物たちが顔を見合わせる。


 彼らには、「福利厚生」なんて言葉は理解できないだろう。だが、俺から溢れ出す穏やかで強大な魔力が、彼らに安心という未知の感覚を伝えていた。


「ポヨォ!」


 ポヨが俺の影から飛び出し、お腹を空かせた小鬼たちに、自分の体内で保存していた新鮮な果実を差し出す。

 小鬼たちが、恐る恐るそれを口にする。


「……クロ様。彼らの心が、バルログから離れていくのを感じます」


 ジグが感銘を受けたように呟く。


「当たり前だ。誰だって、自分を殺そうとする上司より、飯をくれる主の方がいいに決まっている」


「了解しました。……ご主人、今の演説は少しだけ『悪い勧誘員』のようでしたが、効率的には満点です」


 ロクの毒舌をスルーし、俺は迷宮の深部を見据えた。


 地上の人間たちが「紙の上の利益」を奪い合っている間に、俺は着実に「現場の資産」を奪い取っていく。


 炎熱迷宮の魔物たちは、今、初めて「恐怖」ではない「希望」という名の毒に侵され始めていた。

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