第五十一話:権力者たちの晩餐会、あるいは狐と狸の化かし合い
◆王都・王宮 密談の間
北西の迷宮が「国家特異認定」を受けてから数週間。王都の喧騒は、以前にも増して不穏な熱を帯びていた。
豪奢な装飾が施された、窓一つない密談の間。そこでは王国宰相と、軍部の重鎮である将軍が、一枚の報告書を囲んでいた。
「……将軍、この『第十階層』の記録をどう見る」
宰相の問いに、強面の将軍は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「『雷の悪魔』、ですな。報告によれば、Aランク冒険者のグレンがデコピン一撃で意識を刈り取られたとか。……ふん、笑えん冗談だ。我が国の精鋭騎士団であっても、あれに正面から挑めば蒸発は免れん」
「左様。だが、注目すべきは破壊力ではない。迷宮の意図だ」
宰相は、報告書に記されたリリのセリフ――「次は、万全の状態で来なさい。そうしたらもう少しは楽しませてあげる」という部分を指で叩いた。
「殺せる相手をあえて生かして帰す。これは慈悲ではない。王国に対する『いつでもお前たちの首を飛ばせる』という強烈な圧力だ。管理者は、我々の恐怖をコントロールしているのだよ」
「恐ろしい男ですな、その迷宮の主は……」
宰相は、深く椅子に背を預けた。
彼らにとって、迷宮主は、圧倒的な武力と底知れぬ知略で王国を翻弄する「稀代の策士」として映っていた。
「あの『雷撃』の技術、何としても手に入れねばならん。近衛の隠密部隊を『商人』として第五階層に潜り込ませろ。迷宮の構造を盗み、あわよくば管理者をこちらの傀儡に据え替えるのだ」
王国の権力者は、自分たちが巨大な爆弾の隣で踊っているとも知らず、その爆弾を自分の懐に収める方法ばかりを考えていた。
◆王都・聖教会 地下大聖堂
同じ頃、聖教会の深部でも、同様の密談が行われていた。
白煙が立ち込める中、豪奢な法衣を纏った枢機卿が、数人の審問官を前に声を潜めている。
「……聖女アリアの報告書には失望した。あの迷宮を『神の慈悲に満ちている』などと表現するとは」
「しかし枢機卿、あそこには『死者が出ない』」
「黙れ!」
枢機卿が机を叩く。
「教会が管理せぬ迷宮など、それはただの呪いだ。特にあの『カレー』という料理……食べた者が虜になり、何度も足を運ぶという。あれは信仰心を削ぎ落とす禁忌の魔術に違いない。そしてあの『ラッシー』なる白い飲み物……あれこそ聖水として高値で売るべきものだ」
枢機卿の脳内には、迷宮を聖地として認定し、巡礼者から多額の布施を巻き上げるシステムが出来上がっていた。
「不浄浄化の名目で、審問官を派遣せよ。迷宮の主を異端として断罪し、あそこの奇跡の管理権を教会が接収するのだ。神のため、そして何より……教会の財政のためにな」
聖職者たちは、神の意志を隠れ蓑に、迷宮という名の「金の成る木」を独占しようと企んでいた。
◆王都・高級社交クラブ
そして、最も直接的に欲望をぶつけ合っていたのは、商人組合の会頭と、冒険者ギルドの本部総帥だった。
最高級のワインを傾けながらも、二人の目は一切笑っていない。
「会頭、単刀直入に言おう。第五階層の市場、あれの運営権はギルドが持つ。お前さんたち商人組合に口出しさせるつもりはない」
「おやおや、総帥。冒険者の方々に商売のいろはが分かるとでも? あそこは我が組合の商人が独占的に出店することで、最大限の利益を生めるのですよ。……それを認めるなら、利益の一割を、ギルドに献上してもいい」
「フン、一割だと? 舐めるな。あそこはもはや一つの国家に等しい。あそこの場所代だけで、どれだけの金が動くと思っている」
彼らはチェスの駒を動かすように、迷宮のフロア図を眺め、自分たちの利権をどう切り分けるかの議論に没頭していた。
彼らにとって冒険者は「金を運んでくる駒」であり、迷宮は「無限に湧き出す金山」でしかなかった。
◆迷宮・第五階層「憩いの広場」
王都でドロドロとした欲望の嵐が吹き荒れているなど、迷宮の住人たちは知る由もなかった。
「平和だニャ〜」
ケット・シーの店員が、陽だまりの中で欠伸をしている。
その前を、冒険者たちが「ここのマカロン、マジで美味いな!」と笑顔で通り過ぎていく。
訓練場では、カイたち『夜明けの芽』が、エルドラの無慈悲な特訓を受けていた。
「遅い! 今の踏み込みでは、我が一撃で死んでおったぞ!」
「ぐわぁぁぁ! し、師匠、もう一回お願いします!」
「ふむ、根性だけはあるようじゃな。よし、これが終わったら新作のミルフィーユを試食させてやろう。……あくまで我が食べきれなかった分じゃぞ?」
エルドラは、黒瀬が作り上げた環境を最大限に満喫しながら、ついでに若者たちの才能を趣味で開花させていた。
◆第十階層・雷雲の玉座
そして最深部では、留守を預かる最高執行責任者のリリが、山のような在庫管理表を前に頭を抱えていた。
「もぉ〜! ご主人がいないと、マカロンの入荷予定とか、ドロップ品の回収スケジュールとか、全然分かんないよぉ!」
四枚の黒い翼をイライラと羽ばたかせながら、リリはコンソールの前で唸っている。
彼女にとっての最大の敵は、王国の騎士団でも教会の審問官でもなく、事務作業という名の怪物だった。
「……あ、お腹空いた。そうだ、この前ご主人が教えてくれた魔法の再利用法を試してみよう」
リリは、第十階層に設置された予備の『魔導レールガン』の砲身に手を当てた。
王国の宰相が国家を滅ぼす禁忌の兵器と恐れていたその機構に、リリは微弱な魔力を流し込む。
バチッ。
超伝導加速によって発生した局所的な熱。
リリは、その砲口に……串に刺したマシュマロをかざした。
「おっ、いい感じに焦げ目がついた! これ、焚き火より火加減が楽だね」
王国の軍事バランスを左右する砲口が、今、少女のおやつを完璧に焼き上げていた。
◆国境付近・街道/黒瀬視点
その頃、東方の「炎熱迷宮ゲヘナ」を目指して進んでいた俺は、ふと足を止めた。
「……? なんだ、急に背中が寒くなったな」
「クロ様? 風邪でしょうか。ポヨの体内に予備の防寒着がありますが」
ジグが心配そうに覗き込んでくる。
「いや、大丈夫だ。……なんというか、誰かに勝手に期待されたり、とんでもない勘違いをされているような、嫌な予感がしただけだ」
「ご主人、演算によれば、それはフラグという現象の可能性が高いです」
影から聞こえるロクの冷静な声に、俺は苦笑いした。
「勘弁してくれよ。俺はただ、平和に迷宮を運営するために、ちょっと外回りをしてるだけなんだからな」
王都の権力者たちが企む利権争い。
教会の野望。
商会と冒険者ギルドの思惑。
それらすべてが、自分が不在の間に迷宮を侵食しようとしていることに、俺はまだ気づいていなかった。
「よし、先を急ごう。明日はゲヘナの外郭に到着する」
俺は、赤く燃える山の影を目指して歩き出した。
平和な職場を守るための「出張」は、いよいよ本番の戦いへと突入しようとしていた。




