第五十話:空虚な剣と、加速する雷針
◆ギルド裏訓練場/クロ視点
石造りの高い壁に囲まれた訓練場には、張り詰めた沈黙が流れていた。
周囲の観覧席には、噂を聞きつけた冒険者たちが鈴なりになっている。その視線の先にあるのは、俺と、この支部の長であるバルドだ。
「……本気なんだな、支部長」
俺は腰の剣を抜き、軽く振って重心を確かめる。
この剣はグランの親父に打ってもらった特製品だが、俺自身の腕前は、お世辞にも「一流」とは呼べない。エルドラとの地獄のような特訓で、ようやく人並みに動けるようになった程度だ。
「本気じゃなきゃ、わざわざ仕事を放り出してこんな場所に来ねえよ」
バルドは背負っていた巨大な戦斧を片手で軽々と振り回し、肩に担いだ。
元Bランク上位。長年、修羅場を潜り抜けてきた男の放つ圧は、立っているだけで肌をチリつかせる。
「いいか、Bランクってのは、ただ魔物を倒せればいいランクじゃねえ。理不尽な事態に直面したとき、自らの力で、あるいは判断で、その場を支配できる者への称号だ。……お前さんにその資格があるか、俺の斧で試させてもらうぜ」
「……光栄だ。期待には応えるよ」
俺は深く息を吐き、意識を切り替える。
偽装魔法の出力を調整。Eランク相当に見せかけていた身体能力を、本来の「Aランク級」へと一気に引き上げる。
筋肉が膨張し、視界が極限まで冴え渡る。
俺のステータスは、目の前のバルドを遥かに凌駕している。だが――。
「始めッ!!」
バルドの咆哮と同時に、俺は地を蹴った。
客席の冒険者たちには、俺の姿が消えたように見えたはずだ。
俺は一瞬でバルドの懐に潜り込み、その首筋を狙って鋭い横薙ぎを放つ。
ガギィィィン!!
重い衝撃が腕に伝わる。
バルドは動いてすらいなかった。担いでいた戦斧の柄をわずかに傾け、俺の最速の一撃を正確に受け流したのだ。
「……速ぇな。だが、それだけだ」
バルドの斧が、下から上へと跳ね上がる。
俺は反射的に後ろへ飛んで回避したが、鼻先を鋭い風が掠めた。冷や汗が流れる。
(ダメだ。速度は俺の方が上なのに、先を読まれている)
俺が剣を振るう予兆を、彼は筋肉の動きや視線の微かな揺れから完全に察知している。俺の剣は、彼にとっては軌道の分かりきった攻撃でしかないのだ。
「どうした、クロ! 自慢の効率ってやつはどうしたぁ!」
バルドが踏み込んでくる。巨躯に見合わぬ、洗練された足運び。
俺は反射神経をフル回転させ、バルドの連撃をかろうじて剣で捌き、躱す。
火花が散り、金属音が鳴り響く。
俺が十発打ち込んでも、バルドは最小限の動きですべてを弾く。逆に、バルドの一撃を凌ぐだけで、俺の腕の骨は悲鳴を上げそうになる。
(これが、本物の武人の経験値か……)
俺が持っているのは「作られた数値」だ。
対するバルドの強さは、数え切れないほどの戦いの中で削り出された熟練の技術。
剣術という土俵で戦う限り、俺に勝機はない。エルドラとの訓練でマシになったとはいえ、数十年を武に捧げた男に、一朝一夕で追いつけるはずもなかった。
「……ふぅーっ」
俺は大きく跳躍し、バルドから距離を取った。
剣を鞘に収める。
「ほう。諦めるか?」
「いいえ。……自分に向いていないやり方で戦い続けるのは、時間の無駄だと思いまして。ここからは、俺のやり方でやらせてもらいます」
俺は懐から、紐で束ねられた厚手のスクロールを三枚取り出した。
ただの魔導紙ではない。俺が事前に膨大な魔力を注ぎ込み、緻密な「事象の数式」を書き込んでおいた、実行プログラムの塊だ。
「魔法か? だが、その距離でスクロールを開いて詠唱する暇があると思って――」
「詠唱は不要です。……実行命令を出すだけですから」
俺はスクロールに魔力を流し、空間に叩きつけた。
パリィィィン!
空間が割れるような音と共に、バルドの周囲に、幾何学的な模様の魔法陣が三層にわたって展開される。
それは従来の魔法陣とは明らかに異なっていた。円の中に無数の平行線が走り、中心部に向けて渦を巻くような、金属的な冷たさを感じさせる紋様。
「な……なんだ、この術式は!?」
バルドが警戒して斧を構え直す。
魔法陣から、ジジッ……と青白い放電が漏れ出し、異質な空気で満たされる。
一本の「鉄針」が、魔法陣の中心から創出され、宙に浮遊した。
「《電磁加速:レールガン》」
俺の言葉と共に、空間が激しく震えた。
三層の魔法陣がコイルのように機能し、中央の鉄針に凄まじい電磁誘導エネルギーを付与する。
ヒュゥゥゥゥ――ン!!
高周波の駆動音が響き、臨界点に達する。
「な、にッ――」
放たれたのは、光だった。
目にも止まらぬ速さで射出された鉄針は、音速を超え、衝撃波を撒き散らしながらバルドのすぐ耳元を通り抜けた。
――ズドォォォォォン!!
訓練場の背後にある、強化石材で造られた厚さ一メートルの防壁。
それが、一瞬で粉砕された。
土煙が舞い上がり、瓦礫が雨のように降り注ぐ。防壁には、直径二メートル近い大穴が穿たれていた。
静寂。
観覧席の冒険者たちは、今何が起きたのか理解できず、声を出すことすら忘れている。
バルドは――斧を構えた姿勢のまま、動けずにいた。
その頬には、通過した鉄針の熱と風圧によって、一本の赤い筋が刻まれ、そこから血が滲んでいる。
「……わざと外したのか?」
バルドが、掠れた声で言った。
「あなたを殺すのが目的じゃありませんから。でも……もし当たっていれば、今の防壁と同じ結果になっていたでしょうね」
俺はスクロールの残滓を捨て、肩の力を抜いた。
レールガン。
リリに使わせている術式を、使い捨てのスクロール形式にまで落とし込んだ、俺の隠し玉だ。準備には時間かかるが、一度起動すれば、防御魔法も鎧も無意味にする。
「……ガッハハハハ!」
バルドが突然、大声で笑い出した。
戦斧を地面に突き立て、両手を上げて降参のポーズをとる。
「まいった! 完敗だ! 剣術じゃ俺が上だが、あんな出鱈目な『飛び道具』を見せられちゃ、勝負にならねえ!」
バルドは俺の元へ歩み寄り、豪快に肩を叩いた。
「魔法ですらねえ、ただの死の投射か。……クロ、お前さんは本当に面白い奴だ。剣が下手なのは、単にそれを必要としていないからなんだな」
「できれば、剣一本で勝てるようになりたいとは、思っているんですがね。……でも、俺の仕事は結果を出すことだ。美学にこだわって成果を遅らせるわけにはいきません」
「ハッ! どこまでも効率主義か。……いいぜ、文句なしだ。Bランクへの昇格、俺が責任を持って承認する」
バルドは懐から、一枚の輝くカードを取り出した。重厚な冒険者証。
「今日からお前さんはBランク冒険者だ。……これで、『ゲヘナ』への通行証も、調査依頼の受領権も手に入った。望み通りだろ?」
「ええ。ありがとうございます」
俺はそのカードをしっかりと受け取った。
Bランク。これでようやく、外回りの「準備」が整った。
「だが、一つだけ忠告しておく」
バルドの目が、真剣なものに変わる。
「ゲヘナという迷宮は、お前さんみたいな理屈屋が一番嫌うタイプだ。あの迷宮はただひたすらに、力で、熱で、暴力ですべてをねじ伏せてくる。……今の電磁の矢が通用しなかった時、次の一手があるか。それがお前さんの生き残る鍵だ」
「……善処しますよ」
俺は不敵に笑い、ギルドの喧騒を背に訓練場を後にした。
出口で待っていたジグが「お見事でした」と深く頭を下げ、ロクが「演算通りの着弾誤差です。さすがはご主人」と淡々と告げる。
「さて、ジグ、ロク。ポヨ」
俺は新しく手に入れたカードを懐にしまい、東の空を見上げた。
そこには、陽炎の向こうに、赤黒い噴煙を上げる火山――『炎熱迷宮ゲヘナ』の姿が見える。
「いよいよ、本番だ。……迷宮を、俺たちのやり方で攻略しにいくぞ」
「「はっ!!」」




