四十九話:迅速の清掃者
◆宿屋の一室/クロ視点
窓から差し込む朝日は、王都付近のそれよりもどこか鋭く感じられた。
俺は寝台の上に広げた地図を指でなぞりながら、今日一日の行動予定を頭の中で組み立てる。横ではポヨが「ポヨ、ポヨ」と微かな音を立てながら、俺の着替えを体内で温めてくれていた。
「準備は整ったか?」
俺が声をかけると、部屋の隅で直立不動の姿勢をとっていたジグとロクが、同時に頷いた。
「いつでもいけます、クロ様。この街の周辺にある魔物の巣、そのすべてを本日中に片付ける所存です」
髪を揺らし、ジグが静かに答える。鬼人へと進化した彼の佇まいは、もはや一国の近衛騎士をも凌駕する威厳を放っている。
「周囲の状況、および魔物の分布状況の確認を終了しました。……ご主人、いえ、クロ様。本日の行程における、最も時間のかかる要因を特定。それは魔物との戦闘ではなく、移動にかかる時間です」
ロクが淡々と告げる。彼女の言葉使いも、外の世界に合わせて「機械人形」としての不自然さを抑えさせたが、その中身にある冷徹な合理性は変わっていない。
「移動時間か。確かに、今の俺たちの足なら魔物を見つけるまでが一番の手間だな。だが、それも今日で終わりだ。一気に実績を積み上げて、ギルドの連中に俺たちの実力を認めさせる」
俺たちが目指すのはBランク。
そこに至るための最短の道は、地道な依頼を一つずつこなすことではない。「誰もが不可能、あるいは面倒だと投げ出した案件」を圧倒的な速度で完遂し、ギルド側の評価を強制的に引き上げることだ。
「よし、行こう。まずはギルドで、滞っている依頼をすべて引き受けてくる」
◆冒険者ギルド支部
朝のギルドは、戦場のような活気に包まれていた。
あちこちで冒険者たちが大声を張り上げ、今日の獲物について議論を交わしている。そんな喧騒の中を、俺たちは迷わず受付へと進んだ。
「あ、クロさん! おはようございます!」
受付嬢のリアナが、俺たちの姿を見るなりパッと顔を輝かせた。昨日の今日だ。Fランクから一日でCランクへ飛び級した「黒の職場」の名は、すでにギルド内でも噂の的になっている。
「おはよう、リアナさん。早速だが、今日の分の依頼を選ばせてもらいたい」
「はい! Cランクの依頼をいくつか用意しておきましたが……」
「いや、出ているCランクの『討伐依頼』、それを全部だ」
俺の言葉に、リアナの手が止まった。周囲で聞き耳を立てていた冒険者たちの間にも、一瞬の静寂が広がる。
「……全部、ですか?」
「ああ。この街の周辺にある、魔物の大量発生や巣の駆除に関する案件、それを一括で引き受けたい。場所が近いものなら、まとめて片付けた方が手間がないからな」
「で、ですが……。それらは複数のパーティが協力して、数週間かけて行うような規模ですよ? いくら皆様が凄腕でも、こなせる量ではありません」
「いや、大丈夫だ……もし、達成できなくても、自己責任。ギルドにとっては悪い話じゃないだろ」
「それはそうですが……」
リアナは渋々と頷き、五枚の依頼書が、カウンターに並べられた。
内容は、『嘆きの沼のヒドラ討伐』、『大樹の森の巨大蜘蛛駆除』、『廃村に居座るオーク軍団の掃討』、その他二件。
どれもが腕に覚えのあるCランク冒険者でも、単独では尻込みするような難件ばかりだ。
「おいおい、冗談だろ……」
「あの野郎、死ぬ気か? それともただの馬鹿か?」
野次馬たちの声を背に受けながら、俺は依頼書をポヨに飲み込ませた。
「じゃあ、夕食の時間までには戻るよ。……ジグ、ロク。行くぞ」
「「はっ!」」
◆第一の標的:嘆きの沼
街から東へ数キロ。腐敗した水と、不気味な霧が立ち込める「嘆きの沼」に俺たちはいた。
ここを支配しているのは、九つの首を持つ巨大な蛇――『ハイドラ』だ。その再生能力は凄まじく、並の剣士が首を跳ねても、すぐに新しい首が生えてくるという厄介な相手だ。
「クロ様。奴の生命反応を確認。沼の底で、獲物を待っているようです」
ロクが指さした先の水面が、ボコボコと大きく波打った。
現れたのは、家一軒ほどもある巨躯を持つ、醜悪な多頭蛇だった。
「シャァァァァァッ!!」
九つの首が、一斉に威嚇の咆哮を上げる。
普通なら、ここで火魔法を使って切り口を焼くのが定石だ。だが、それでは首が九つもある以上、時間がかかりすぎる。
「再生が売りの魔物か。……なら、再生という機能そのものを止めてやればいい」
俺はポヨのストレージから、特別に調合した液体が入った瓶を取り出した。
「ジグ、奴の注意を引いてくれ。ロク、広範囲に酸性度を上げる粉末を撒け。この沼の水を、一瞬で変質させる」
「御意!」
ジグが風のように駆け出した。
水面を蹴り、ハイドラの首が届かない高さまで跳躍する。
「ここだぞ、化け物」と冷徹に告げながら、一本の角から威圧を放つ。ハイドラの九つの首が、一斉に空中を舞う銀髪の戦士へと吸い寄せられた。
「今だ、ロク!」
「散布開始。……沼の成分を特定。アルカリ性から一気に強酸性へ傾けます」
ロクが空中に魔法陣を描くと、白い粉末が雪のように沼へと降り注いだ。
ジュワァァァ……と、水面から不気味な煙が上がる。
ハイドラの皮膚が、自らの住処であった沼の水によって焼かれ始めた。
「ギャァァァッ!?」
苦悶するハイドラ。再生しようとするが、切り口だけでなく、全身が酸によって絶え間なくダメージを受けているため、再生の速度が追いつかない。
「仕上げだ。……《瞬間的大気組成変更:高濃度酸素充填》、そして――《火種》」
俺が指をパチンと鳴らす。
ハイドラの周囲だけ、酸素の密度を極限まで高めておいた。そこに小さな火花が散れば、何が起こるか。
――ドォォォォォン!!
爆発、というよりは、猛烈な「燃焼」がハイドラを包み込んだ。
高濃度酸素下での炎は、鉄すらも一瞬で焼き切る。ハイドラの九つの首は、悲鳴を上げる暇もなく、その根元から一気に炭化し、崩れ落ちた。
「ふむ……。少しばかり火力を上げすぎたか」
俺は煙が晴れた後の、真っ黒に焦げたハイドラの残骸を見つめた。
素材としては使えないが、今回の目的は「最短での討伐」だ。これなら再生する余地など微塵もない。
「次へ向かおう」
◆第二の標的:廃村のオーク軍団
次に俺たちが向かったのは、山裾にある廃村だった。
かつては平和な村だった場所だが、今は百体近いオークたちが居座り、砦のように改造されている。
「クロ様。正面から突撃すれば、殲滅できますが……いかがしますか?」
ジグが腰の剣に手をかけ、いつでも行けるという構えをとる。Bランク上位の実力を持つ彼なら、オークの一団など草刈りも同然だろう。
「いや、ジグ。お前の力はもっと上の連中のために温存しておけ。ここは、もっと『楽』なやり方でいく」
俺は村を囲む森の地形を確認した。
村は窪地にあり、風は山から下りてきている。
「ロク、粉塵の準備は?」
「完了しています。……微細な小麦粉、および可燃性の木屑。ポヨのストレージにある在庫の三割を使用します」
「十分だ。風上に配置してくれ」
俺たちは風上の高台に移動した。
ロクが魔法陣を広げ、大量の白い粉を風に乗せて村へと流し込む。
「なんだぁ? 空から粉が降ってきてるぞ?」
「飯か? これ、食えるのか?」
オークたちが呑気に空を仰いでいる。村の中は、あっという間に真っ白な粉で満たされた。
空気中に可燃性の微粉末が一定の濃度で浮遊している状態で、火種を与えればどうなるか。
「《着火》」
俺が放った小さな火球が、村の入り口に落ちた。
――カッ!!
音すらない、光の膨張。
次の瞬間、廃村を丸ごと飲み込むような大爆発が巻き起こった。
粉末のすべてが爆薬と化し、オークたちの砦は、その主たちもろとも粉々に粉砕された。
「……なるほど。力を使わずとも、理を知ればこれほどの破壊を生み出せるのですね」
ジグが、炎に包まれる村を見下ろし、感嘆の声を漏らした。
「戦いじゃない。これは、ただの処理だよ。さて、残りの三つもサクサク終わらせるぞ」
◆冒険者ギルド支部/夕刻
ギルドの中は、一日の仕事を終えた冒険者たちで再び賑わい始めていた。
そこへ、朝と変わらぬ、汚れ一つない姿の俺たちが足を踏み入れた。
「……おい、あいつら」
「帰ってきたのか? どうせ無理だと気づいて諦めたんだろ」
そんな嘲笑を無視して、俺はリアナのいるカウンターへと向かった。
そして、五つの依頼の討伐証――ハイドラの牙、巨大蜘蛛の脚、オークの首飾りの束などを、机の上に無造作に並べた。
「全部、終わったぞ。完了報告だ」
リアナの動きが、再び石のように固まった。
彼女だけではない。周囲で冷やかしていた冒険者たちのジョッキが、床に落ちて割れる音が響く。
「……え? 五つ、全部? まだ日は暮れていませんが……」
「移動に時間がかかったが、現地での作業は数分ずつだ。確認してくれ」
リアナは震える手で討伐証を一つずつ手に取り、その「鮮度」を確かめた。
どれもが今日、それも数時間以内に仕留められたものであることは明白だった。
「信じられません……。Cランクの案件を、一日に五つも? それも、これだけの難件を……。あ、あの……死傷者は?」
「見ての通りだ。全員、怪我一つない。……それより、リアナさん」
俺はカウンターに身を乗り出し、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「これで、『Cランク』としての実績は十分だろう? 次は『Bランク』だ。……可能か?」
リアナが答える前に、ギルドの奥から重厚な足音が響いた。
現れたのは、支部長のバルドだ。彼は俺の前に並んだ討伐証を見つめ、次に俺の顔を、そして俺の背後に立つ二人を、値踏みするようにじっと観察した。
「……お前さん達、一体何をしたんだ?」
「ただの効率的な処理ですよ、支部長。無駄な戦いを避け、結果だけを求めた。それだけです」
「効率だと? 冒険者の仕事を処理だと言い切るか……だが、結果は本物だな。これだけの手腕を見せつけられてまだ未熟だなんて言えるほど、俺も老いぼれてはいねえ」
バルドは豪快に笑い、俺の肩を叩いた。
「リアナ! 本部に報告を入れろ。『黒の職場』のBランクへの昇格試験を特例で認めるとな! 俺自身がこいつらを試験する!」
「は、はい! 了解しました!」




