第四十六話:8000の壁と冒険者への決意
◆迷宮核の間/黒瀬視点
「――クソッ、やっぱりダメか」
俺は、迷宮核の前に浮かび上がるホログラムウィンドウの数値を指で弾き、深いため息をついた。
画面に表示されているのは、ここ数週間の魔力推移の集計グラフだ。
【最大魔力容量:8000】
【現在魔力残量:7982】
【迷宮成長率:0.00%(停滞中)】
「ご主人、どれだけリロードしても数値は変わりませんよ。不具合じゃなくて、これが今のこの迷宮の『仕様』なんです」
横でふよふよと浮かぶナノが、慰めるような、あるいは現実を突きつけるような無機質な声を出す。
「分かってる。分かってるんだが……この『カンスト』画面を見るのが一番精神にくるんだよ」
8000。
かつては想像もできなかった巨大な数字だ。
第1階層のゴブリン数体から始まったこの迷宮は、今や全10階層を数え、第5階層には迷宮都市まで備えたAランク級の特異認定迷宮へと成長した。
だが、その成長はピタリと止まっていた。
どれだけ多くの冒険者が訪れ、どれだけ多くの魔力を落としていっても、最大容量の数値が「8000」から一ミリも動かない。
「前世でもあったな……データベースのレコード数が上限に達した時のあの絶望感。サーバーを物理的に増設しなきゃいけないのに、予算も権限もない時のあの感覚だ」
「今の状況をエンジニア用語で言えば、スケーラビリティの限界ですね。この辺境というローカルサーバーで稼働させている以上、これ以上のスペックアップにはシステムそのものの抜本的な見直しが必要になります」
ナノの言葉は正解だった。
迷宮は、ただ魔力を集めれば無限に大きくなるわけではない。
そこを訪れる冒険者の「魂の質」、つまりランクの平均値が迷宮の『格』を決定し、その格が最大容量の天井を決める。
今のこの迷宮には、FランクからAランクまで幅広い客層が揃っている。
だが、更に成長するには、次のステージへ引き上げるだけの「VIPユーザー(Sランク級)」が必要なのだ。
「止まっているということは、死を意味するんだ。外の連中は俺の迷宮を『利権の塊』だと思って狙ってる。このまま足踏みしていれば、いつか物量や圧倒的な個の力に押し潰される」
俺は椅子に深く背を預け、天井を見上げた。
平和な日常を守るためには、常にアップデートを続け、敵の予想を上回る存在であり続けなければならない。
これは、迷宮運営という名の、終わりのない運用保守なのだ。
◆隠れ家カフェ「ノワール」
場所を変え、俺は第5階層のプライベートカフェにいた。
静かなジャズが流れる中、円卓の向かい側では、銀髪の美女がフォークを忙しなく動かしている。
「ふむ、この濃厚とろけるフォンダンショコラというやつは……罪深い味じゃな。中の温かいチョコが、我の冷徹な心を溶かしていくようじゃ」
SSSランク迷宮主、エルドラ。
彼女は最近、俺が開発した現代風スイーツの「デバッグ(試食)」という名目で、ほぼ毎日ここへ入り浸っている。
少しふっくらしてきた気がするのは言わないでおこう。
「エルドラさん、相談があるんですが」
「8000の壁の話か? この前聞いたぞ」
彼女は口元のチョコを上品に拭い、紫色の瞳で俺を射抜いた。
「言ったはずじゃ。迷宮の器は『魂の質』に依存する。これ以上望むなら、もっと質の高い餌を用意するか……あるいは、直接『器』を奪いに行くしかない」
「『喰らう』……迷宮同士の共食いですね」
「うむ。迷宮主同士の生き残り競争じゃ。相手の迷宮に乗り込み、その迷宮核を破壊、あるいは吸収することで、相手が積み上げてきた最大容量とシステムを丸ごと自らのものにできる」
エルドラは楽しそうに指先で空中に円を描いた。
「最近、東の国境付近で、お主の迷宮を温すぎると鼻で笑っておるAランク迷宮があるのを知っておるか? 『炎熱迷宮ゲヘナ』。主のバルログは、力こそが全てと信じる粗野な男じゃが、その迷宮が持つ魔力容量は、お主の倍――15000はあるじゃろうな」
「15000……。それを吸収できれば、一気に壁を突破できるな」
「奴はお主の迷宮を燃料にするつもりでおる。座して待てば、いずれ軍勢が押し寄せる。ならば、先手を打ってこちらから侵略しに行くのはどうじゃ?」
エルドラの提案は、俺のエンジニアとしての本能を刺激した。
既存のソースコードを弄るだけでは限界がある。なら、相手を丸ごと吸収して統合する。
「……面白い。迷宮統合か」
「ククク、いい顔になったな。お主が外に出るというなら、我も退屈せずに済む。お主が『クロ』として冒険者登録をし、他迷宮の土を踏む……。想像しただけで酒が進むわい」
エルドラはワイングラスを掲げて笑った。
決まりだ。俺は、この迷宮を一歩外に出る決意を固めた。
◆第10階層・雷雲の玉座
決意を固めた翌日、俺は主要メンバーを最深部に集めた。
「――というわけで、俺はしばらく迷宮を空ける」
俺の言葉に、最初に反応したのはリリだった。
「ええっ!? ご主人、外に行くの!? ボクを置いて!?」
四枚の黒い翼をパタパタさせながら、リリが詰め寄ってくる。
強化され、妖艶な姿になった彼女だが、中身の寂しがり屋な部分は変わっていないらしい。
「リリ、これは重要な調査なんだ。この迷宮をさらに大きくするために、外の魔力を確保しに行く必要がある。だからこそ、お前にしか頼めない仕事があるんだ」
「ボクにしか頼めない仕事……?」
俺はリリの肩に手を置き、真剣な眼差しで見つめた。
「リリ。お前を、この迷宮の最高執行責任者に任命する。俺がいない間、防衛の全権、および魔物たちの統括はすべてお前に任せる」
「最高執行責任者……? なんだかよく分からないけど、ボクがこの迷宮の『主(代理)』ってこと?」
「そうだ。もし王国の調査団や、他の迷宮からの刺客が来たら、お前がリーダーとして迎撃してくれ。今のリリなら、Aランク上位の連中が束になっても負けないだろ?」
「それは……まあ、そうだけど」
リリは少し照れくさそうに視線を逸らしたが、その瞳には強い責任感が宿っていた。
「分かったわよ。ご主人の大事な迷宮、ボクがしっかり守っておいてあげる。だから、安心して外の『魔力』を分捕ってきなさいよね!」
「頼もしいな。……あ、それと、これ」
俺はリリに、山のようなマカロンの箱を渡した。
「留守中の特別手当だ。一日一箱食べていいぞ」
「やったぁ! ご主人大好き!」
リリはさっそく箱を抱え込み、幸せそうに頬を緩めた。ちょろい、と言いそうになったが、これくらいで機嫌が取れるなら安いものだ。
「これで背後の憂いは一切なくなった。次は外征部隊の選抜だな」
◆魔物居住区・訓練場
俺とナノは、居住区の広場に立っていた。
目の前には、迷宮の初期から俺を支えてくれた現場の精鋭たちが並んでいる。
ゴブリン隊長、ジグ。
ゴーレム、ロク。
スライム、ポヨ。
「ナノ、現在の魔力残量は?」
「7982です。ほぼ満タンですね」
「よし。こいつらに、残魔力の全てを注ぎ込んで『進化』をかける」
俺はコンソールを操作し、三体のステータス画面を開いた。
「まずはジグ。お前は現場リーダーとして、外の世界でも俺の盾となり、矛となってもらう。……進化先を選択。『ホブゴブリン』を通り越し、人族に近い形態へ。――『鬼人』」
俺がボタンを押し込んだ瞬間、ジグの体が眩い光に包まれた。
「う、おおおおおおっ!!」
野太い咆哮が響く。
光の中で、ジグのずんぐりとした体が引き締まり、背が伸びていく。
数分後、光が収まった。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。
緑色の長髪、額からは二本の鋭い角が伸び、切れ長の瞳には知性と闘志が宿っている。
見た目は人間に極めて近いが、全身から立ち上る魔圧は以前の比ではない。
「……ボス。いえ、ご主人」
ジグが自らの手を見つめ、深く膝をついた。その動作は、以前のゴブリンの時とは違い、洗練された騎士のような美しさがあった。
「力が、溢れてくるようです。この身、どこまでもご主人にお供いたします」
「いい顔になったな、ジグ。お前はBランク上位――いや、実力ならAランクとも渡り合えるだろう」
「もったいなきお言葉」
次はロクだ。
「ロク、お前は精密演算とトラップ解体、そして後方支援の要だ。今の無機質な石の体では、外の世界で目立ちすぎる。……進化先、機械人形系を選択。――『魔導機巧少女』」
ロクの巨体が、内側から弾けるように砕けた。
中から現れたのは、緻密な歯車と魔力回路で構成された、華奢な少女の姿だった。
ゴシック風の黒いドレスのような衣装を纏い、顔立ちは精巧な陶器のよう。
「再起動……システムオールグリーン」
ロクが、ゆっくりと目を開けた。瞳は青い魔力光を帯びている。
「身体の軽量化を確認。演算速度、一八〇%向上。……ご主人、私の外装を女の子にしたのは、ご主人の趣味ということでよろしいでしょうか?」
「い、いや、それが一番魔力伝達効率が良かっただけで……」
「了解しました。性癖としてログに記録しておきます。正常稼働です」
「……お前……そういう性格だったのか……」
苦笑しつつ、最後の一体に目を向ける。
「ポヨ。お前は変わらなくていい。ただ、その『性質』を極限まで強化する。物理攻撃100%吸収、魔力変換効率最大化。――『Bランク上位・変幻スライム』」
ポヨが光り輝き、プルプルと激しく震える。
見た目は変わらない。少しだけ透明度が増し、中にキラキラとした魔力の粒子が浮いている程度だ。だが――。
「ポヨーン!」
ポヨが跳ねた瞬間、地面にクレーターができた。
その体は、今やドラゴンの爪すら弾き返し、触れた魔法をすべて飲み込む『魔食の盾』へと進化していた。
「よし、これでパーティー構成は完璧だ」
【クロ(黒瀬 功)】:コマンダー、魔導エンジニア。
【ジグ(鬼人)】:メインアタッカー、近接戦闘特化。
【ロク(機械人形)】:スカウト、トラップ解体、狙撃支援。
【ポヨ(スライム)】:防御、運搬。
迷宮の『運営』から、『攻略』へ。
俺たちの役割が変わる瞬間だった。
◆迷宮入口広場
さらに数日後。
迷宮の入口広場には、一人の「くたびれたソロ冒険者」の姿があった。
少し使い古された革鎧。顔を半分隠すフード。
名前はクロ。ステータスは偽装魔法でEランク相当に見せかけてある。
背後には、同じく顔を隠した長身の男と、精巧なドールのような少女。そして足元を転がる小さなスライム。
「準備はいいか、ナノ」
「バッチリです、ご主人。……あ、今はリーダーでしたね」
ナノは俺の影に潜み、念話で答える。
「まずは、最寄りの街の冒険者ギルドだ。そこでランクを上げながら、『ゲヘナ』へのルートと情報を確保する」
俺は、慣れ親しんだ迷宮の入口を振り返った。
そこには、いつも通り新人冒険者たちにマカロンを勧めるケット・シーたちの姿があり、深層ではリリが「あー、暇!」と叫んでいる……気がする。
そして、訓練場では、エルドラのシゴキに耐えながら、夜明けの芽のカイたちが必死に木刀を振るっているだろう。
「……行ってくる」
俺は、外の世界へと繋がる街道へ向けて、一歩を踏み出した。
迷宮の最大容量8000という壁を、ブチ壊すための旅が始まる。
元社畜エンジニアの外回りは、ここからが本番だった。
◆迷宮核の間/監視モニター
「――あら。あいつ、本当に行っちゃったわね」
リリは、玉座に座りながら、監視水晶に映るクロの背中を眺めていた。
手には、マカロン。
その顔は、寂しそうでもあり、誇らしそうでもあった。
「いい? みんな。ご主人がいない間、この迷宮に一歩でも不届き者が入ってきたら……」
リリの周囲に、凄まじい密度の黒い雷が収束する。
「跡形もなく、消し飛ばしてあげるから。……覚悟しなさいよね」
迷宮主代理の、気合の入った呟き。
その背後では、エルドラが「おっ、今日のケーキはモンブランか」と上機嫌でフォークを握っていた。
こうして、迷宮は「超安定運営」と「攻めの外征」の二面体制へと移行したのだった。




