第四十二話:『万理の瞳』
◆第6階層・灼熱の回廊/ソフィア視点
「――術式展開。《氷風の円環》」
私が杖を掲げると、パーティ全体を包み込むように冷気の渦が発生した。
吹き荒れる熱風と、マグマの輻射熱が遮断され、結界の内側だけが快適な室温に保たれる。
「温度安定。魔力消費率、毎分0.5%。
これなら、出口まで余裕で維持できるわ」
私は眼鏡の位置を直し、冷静に指示を出した。
私たちはBランクパーティ『万理の瞳』。力任せの『紅蓮の牙』とは違う。
耐熱装備を買う金があるなら、それを知恵と魔法で代用するのが私たちの流儀だ。
「前方、リザードマン4体!」
前衛を務める魔法剣士のライアンが叫ぶ。
「解析完了。あの個体は右足の関節が古傷で脆くなっているわ。そこを狙って」
「了解!」
ライアンが的確に急所を突き、体勢を崩したところに、後衛の魔術師たちが氷の矢を叩き込む。
危なげない勝利。
ケルベロスが現れても同様だった。三つの首の連携パターンを見切り、ブレスの隙間に最大火力を叩き込む。
私たちは、汗ひとつかくことなく、最短ルートで灼熱地獄を突破した。
「ふん。環境を利用した消耗戦術でしょうけど……
理屈さえ分かれば、どうということはないわね」
私は迷宮の主に向けて、心の中で勝利宣言をした。
◆第7階層・嵐の峡谷/ソフィア視点
だが――その自信は、次の階層で揺らぐことになった。
階段を降りた先。
そこは、轟音と共に暴風が吹き荒れる、断崖絶壁の世界だった。
「風速30メートル以上……!?
立っているだけで精一杯じゃない!」
結界を張っても、物理的な風圧までは殺しきれない。
目の前には、遥か向こう岸まで続く、頼りない一本の吊り橋や、岩肌を削っただけの細い道が続いている。
「リーダー、飛行魔法でショートカットしますか?」
サブリーダーの魔導師、エミールが提案する。
「ええ。この足場で戦うのはリスキーよ。一気に翔ぶわ」
私たちは全員に飛行魔法をかけ、崖から飛び立った。
はずだった。
ドンッ!!
「きゃぁぁっ!?」
飛び立った瞬間、上空から見えないハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
体が浮き上がらない。いや、叩き落とされる!
「下降気流!?
そんな、自然発生でこんな局所的な気流が……!」
私たちは慌てて崖の縁にしがみついた。
計算外だ。この階層の空気の流れは、飛行魔法を妨害するように計算され尽くしている。
「これじゃあ、地道に歩くしかないわ……」
私たちは這うようにして崖道を進んだ。
そこへ、最悪のタイミングで襲撃者が現れる。
キィィィィン!!
気流に合わせて鋭い爪を持ったグリフォンの群れが急降下してくる。
さらに、横穴からはハーピーたちが現れ、不規則な突風を放ってきた。
「迎撃! 魔法障壁ッ!」
私が叫ぶが、足場が悪すぎる。
風に煽られ、詠唱が安定しない。
「うわっ!?」
先頭のライアンが、ハーピーの突風を受けてバランスを崩した。
そこへ、グリフォンが突っ込む。
ガガンッ!
盾で防いだが、衝撃で足元の岩が崩落した。
「しまっ――!」
ライアンの体が宙に投げ出される。
すぐ後ろにいたエミールが、とっさに手を伸ばした。
「ライアン!」
だが、それが仇となった。
二人分の体重を支える足場など、ここにはない。
「あ――」
二人は絡み合ったまま、底の見えない谷底へと吸い込まれていった。
「ライアン! エミール!!」
私の悲鳴は、暴風にかき消された。
◆第5階層・宿屋の一室/ライアン視点
「うわぁぁぁぁぁ――……ん?」
死を覚悟した絶叫は、唐突に止まった。
落下し続ける浮遊感が消え、代わりに背中を包み込むような柔らかい感触が伝わってくる。
「……え?」
ライアンがおそるおそる目を開けると、そこは見知らぬ天井だった。
清潔なシーツ。木漏れ日が入る窓。
サイドテーブルには花が生けられている。
「ここは……第5階層の宿屋か?」
一緒に落ちたエミールも、隣のベッドで呆然としていた。
怪我はない。装備も無事だ。
ただ、第7階層から強制的に「排出」されたという事実だけがあった。
『――ライアン! エミール! 聞こえる!?』
頭の中に、ソフィアからの念話が響く。
「あ、ああリーダー。無事だ。怪我はない」
『よかった……! 生体反応がエリア外に移動したから、もしやと思ったけど……転移させられたのね』
ソフィアの声に安堵が混じる。
『すぐに合流できる?
こっちは私とメイの二人きりよ。前衛なしで進むのは厳しいわ』
ライアンは体を起こそうとして――止まった。
視界の端に、サイドテーブルに置かれた『サービスセット』が目に入ったからだ。
氷の入った桶で冷やされた、高級果実酒のボトル。
そして、『温泉のご利用はご自由にどうぞ』と書かれたメッセージカード。
ライアンとエミールは顔を見合わせた。
そして、無言で頷き合った。
「……悪い、リーダー。すぐには無理そうだ」
ライアンは、念話で深刻そうに答えた。
「俺たちがいるのは第5階層だ。
この迷宮にある転移ゲートは第5階層以降の階層に転移する機能はないみたいだ」
『そんな……じゃあ、徒歩で?』
「ああ。またあの『第6階層(灼熱地獄)』を抜けて、階段を降りて、そこから追いつかなきゃならない」
ライアンは、手際よく果実酒のコルクを抜きながら、重苦しい声を作った。
「俺とエミールの二人だけで、あの灼熱と暴風を突破するのは……正直、厳しい。
二次遭難の危険性が高すぎる」
トクトクトク……。
グラスに黄金色の液体が注がれる軽やかな音が響くが、それは念話には乗らない。
『……そう、ね。
冷静な判断だわ。無理をさせて全滅したら元も子もないもの』
「すまない。俺たちはここで待機して、態勢を整える」
ライアンはグラスを傾け、冷えた果実酒を喉に流し込んだ。
美味い。
死ぬ思いをした後の酒は、五臓六腑に染み渡る。
「……武運を祈る」
通信を切った二人は、ふかふかのベッドに沈み込んだ。
もう、あの地獄へ戻る気力は、これっぽっちも残っていなかった。
◆第8階層・入口前/ソフィア視点
「……はぁ、はぁ……」
残された私とメイの二人は、ボロボロになりながらもなんとか第7階層を突破した。
何度、風に煽られて落ちそうになったか分からない。
魔力も残りわずかだ。
「着いたわ……第8階層への扉」
重厚な扉の前に立つ。
ここを開ければ、次のエリアだ。
ギィィ……。
扉を開けた瞬間、私の肌が粟立った。
「……闇?」
そこは、光のない世界だった。
魔法の明かりを灯しても、足元数メートル先すら見通せない、濃密な漆黒。
そして、その奥から漂ってくる、強烈な「死」の気配。
カラン……コロン……。
硬質な金属音が、闇の奥から響く。
おそらく、高位の魔物。
「……ダメね」
私は、即座に扉を閉めた。
「リーダー?」
「今の私たちだけで入れば、1分以内に全滅するわ。
視界情報の遮断に、強力な前衛型の敵。
相性が最悪よ」
私は、悔しさで唇を噛んだ。
分析と対策で進んできた『万理の瞳』が、ここで詰んだ。
物理的な人数不足という、どうしようもない理由で。
「……ここでキャンプを張りましょう」
私は、扉の前の安全地帯に腰を下ろした。
「待つのよ。
あの『脳筋』たちが追いついてくるのを」
◆第6階層・終盤/黒瀬視点
第8階層の前で座り込むソフィアたちを見て、俺はモニターの視点を切り替えた。
「さすがBランク。引き際を心得てるな」
無理に進んで死ぬより、合流を待つ。賢明な判断だ。
だが、その合流相手は――
モニターには、第6階層の出口付近を進む集団が映っていた。
「オラァッ!! 邪魔だトカゲ野郎!!」
ドゴォォォン!!
真紅の鎧の男――グレンが、大剣を一振りするだけで、リザードマンが3体まとめて吹き飛んでいく。
「うぅ……気持ち悪ぃ……
動くと酒が回る……」
グレンは顔色が青く、足取りもふらついている。
完全な二日酔いだ。
だというのに、その剣圧は衰えるどころか、苛立ちで威力が増している。
「グレン様、回復魔法をかけましょうか?」
「いらねぇ! 魔法のエフェクト見ると酔う!」
後ろを歩く聖女アリアも、どこか足取りが重い(食べ過ぎだろう)。
護衛の騎士たちも、昨夜の宴のダメージを引きずっている。
満身創痍のバッドステータス集団。
なのに――
「強いな、やっぱり」
個の力が違いすぎる。
リザードマンの槍を素手で掴んでへし折り、ケルベロスのブレスを睨みだけで怯ませる。
細かい連携などない。ただの暴力的な行軍。
彼らは、ソフィアたちが知恵を絞って突破した第6階層を、嵐のように踏み荒らして突破しようとしていた。
「役者は揃ったな」
第8階層の入り口で、知性と暴力が合流する。
そこからが、本当の『深層攻略』だ。
「さあ、来いよ。
暗闇の中で、お前たちの連携が機能するか見せてもらおうか」
俺は、第8階層の支配者――デュラハンに、起動命令を送った。




