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第三十九話:総工費3500の防衛線

◆迷宮核の間/黒瀬視点


「……足りないな」


 迷宮核の前に浮かぶホログラムウィンドウ。そこに表示された最終見積もりを見て、俺は重い息を吐いた。


【現在魔力残量】 3000


 国家規模の脅威――Bランク相当の魔力リソース。

 普通の迷宮主なら狂喜乱舞するほどの資産だ。だが、俺が脳内で描いている「対Aランク用・絶対防衛ライン」を完璧に実装するには、あと一歩、決定打に欠ける。


「眉間に皺が寄っておるぞ、大家」


 優雅な動作でティーカップを置いたのは、銀髪の美女――SSSランク『大樹海』の主、エルドラだ。

 彼女は最近、第5階層のカフェから取り寄せた『極上アールグレイ』と『季節のフルーツタルト』にご執心で、ここが自分の家のようにくつろいでいる。


「見れば分かるでしょう。予算オーバーです」


 俺は正直に現状を開示した。

 第7階層から第10階層までの拡張計画。コンセプトは完璧だ。だが、それをシステムとして稼働させるための維持コストと、リリへの追加投資を計算すると――500ほど足りない。


「どこを削るか……。第7階層の環境効果(風速)を落とすか、それともリリへの投資を次期に回すか」


「ならん」


 カチャリ、と硬質な音が響く。

 エルドラが、スプーンで皿を軽く叩いた音だ。


「中途半端な妥協は、冒険者につけいる隙を与える。

 徹底的にやるのなら、出し惜しみは悪手じゃ」


「そうは言っても、ない袖は振れませ――」


「ほれ」


 エルドラが、無造作に指先を振った。

 彼女の指先から紫色の粒子が溢れ出し、純粋な魔力の塊となって俺の迷宮核へと吸い込まれていく。


【外部魔力充填を確認】

【+500】

【現在魔力残量】 3500


「なっ……!?」


「祝いじゃ。

 それに、我が気に入った別荘が、人間の兵隊ごときに踏み荒らされるのは不愉快だからな」


 エルドラは悪戯っぽくウインクしてみせた。

 SSSランクにとっては、500など端金はしたがねなのだろう。

 だが、今の俺にとっては、勝敗を分ける決定的な「切り札」になる。


「……ありがとうございます、エルドラ顧問」


「礼はよい。その代わり――」


 彼女の紫の瞳が、剣呑に、そして愉しげに光った。


「見せてみよ。

 人間どもの慢心を、希望ごとへし折る『システム』とやらをな」


「承知しました」


 俺は、ニヤリと笑い返した。

 予算リソースは揃った。あとは、組む(コーディングする)だけだ。


「ナノ! 工事開始だ!

 今夜は徹夜だぞ!」


「はいはい、お待ちしてました!

 総工費3500の大型アップデート、着工です!」



◆第7階層・実装/黒瀬視点


 まずは、エリアの物理的な拡張だ。

 第6階層のさらに奥、地下深くに三つの巨大空間を掘削する。


「階層追加、3フロア分。コスト300。

 環境構築、2フロア分。コスト40。実行!」


 ズズズズズ……。

 地響きと共に、迷宮の深淵が口を開ける。


「まずは第7階層。『嵐の峡谷』」


 俺はマップ上に、切り立った断崖絶壁と、底の見えない谷を作った。

 そして、そこに常に強烈な『下降気流ダウンバースト』が吹き荒れるよう設定する。


「狙いは『機動力の封殺』だ。

 高ランク冒険者は、飛行魔法や跳躍スキルで地形を無視してショートカットしようとする。

 だが、この風の中では鳥すら落ちる」


 そこに配置するのは、風を操る魔物たちだ。


「Cランクモンスター『グリフォン』。コスト100×2体。

 Dランクモンスター『ハーピー』。コスト50×8体」


 崖の窪みから、鋭い爪を持った有翼の魔物たちが次々と現れ、殺意を乗せた風に乗って滑空を始める。


「足場の悪い崖道。

 上からはグリフォンの急降下攻撃。横からはハーピーの風魔法。

 飛べば叩き落とされる。

 そして――落ちたら、『5階層の宿屋』に強制転移リセットだ」


「うわぁ、賽の河原ですね」


 ナノが顔をしかめる(ように明滅する)。


「死にはしない。だが、第5階層からやり直しになる精神的ダメージは計り知れない。

 まずはここで、彼らのスタミナとメンタルを削る」



◆第8階層・実装/黒瀬視点


 次は第8階層。

 ここは、第7階層の「動」とは真逆のコンセプトだ。


「テーマは『情報の遮断』。エリア名『常闇の回廊』」


 俺は、フロア全体に特殊な『闇の結界』を展開した。

 松明の火も、魔法の光も、ここでは物理的に減衰し、半径1メートルほどしか届かなくなる。

 それより先は、絶対的な漆黒だ。


「今回の調査団にいるBランクパーティ『万理の瞳』。彼らは分析が得意らしいな。

 罠を見抜き、魔物の弱点を解析してくるタイプだ。

 ――なら、分析するための情報(視覚)を奪えばいい」


 そして、この闇に放つのは――たった一体の魔物。


「Bランクモンスター『デュラハン』。コスト600」


 闇の中から、重厚な金属音が響く。

 首のない騎士。

 漆黒のフルプレートアーマーに身を包み、手には怨念を纏った大剣。

 首の断面からは、青白い冷気が漏れ出している。


「視界ゼロの闇の中で、いつ首を狩られるか分からない恐怖。

 デュラハンは視覚ではなく『死の気配』を感知して動くから、闇の影響を受けない」


「疑心暗鬼製造機ですね」


「ああ。

 連携が命のチームなら、互いの姿が見えず、声も届きにくい状況は致命的になるはずだ」



◆第9階層・実装/黒瀬視点


 そして、第9階層。

 ここは、この迷宮最大の「仕掛け」だ。


 場所は、静謐な水を湛えた、美しい円形闘技場。

 波ひとつない水面は、鏡のように磨き上げられている。


「エリア名『水鏡の闘技場』。

 ここに投入するのは、Aランクモンスター『ドッペルゲンガー』」


 コスト、1000。

 この階層だけで、第3階層が二つ作れるほどの魔力を注ぎ込む。


 水面から、のっぺりとした灰色の人型がせり上がってくる。

 顔はない。特徴もない。

 だが、その体には膨大な魔力が圧縮されている。


「こいつは、侵入者をコピーする。

 身体能力、スキル、魔力量。すべてを同等に模倣する特殊個体だ」


「Aランク冒険者対策、ですね」


「そうだ。

 『紅蓮の牙』のような武闘派は、個の力が突出している。

 彼らにとって一番厄介な敵は、格下の群れでも、格上の怪物でもない。

 『自分達自身』だ」


 自分と同じ速さで動き、同じ剣技を使い、同じ威力で殴ってくる敵。

 しかも、ここは水の上だ。足場は悪い。

 ドッペルゲンガーは水面を自在に動けるが、人間はそうはいかない。


「力でねじ伏せようとすればするほど、泥沼にはまる。

 個の力に頼り切った脳筋パーティへの、強烈なカウンター(メタ)だ」



◆第10階層・実装/黒瀬視点


 そして、最深部。

 第10階層、『雷雲の玉座』。


 ここは以前のボス部屋とは違う。

 天井はなく、頭上には常に黒い雷雲が渦巻いている。

 床には、複雑怪奇な幾何学模様――『魔導レールガン』の発射シークエンス用魔法陣が刻まれている。


 そこに立っているのは、一人の悪魔。


「リリ。準備はいいか」


「いつでもどうぞ、ご主人」


 リリが、艶然と微笑む。

 俺は、残った魔力のうち『800』を、迷わず彼女に注ぎ込んだ。


 ドクンッ!!


 空気が震える。

 以前の100投資でさえ劇的な進化を遂げた彼女が、さらに8倍のエネルギーを受け入れたのだ。


 黒い翼が四枚に増え、角は王冠のように反り返る。

 纏うドレスは魔力で織られた漆黒の軍服へと変わり、その背後には空間が歪んで見えるほどの高密度な魔力球が浮遊している。


「……すごい」


 リリが自分の手を見つめる。

 その指先から、パチパチと黒い雷と、空間の歪みが漏れ出ている。


「これなら……空間ごと切り裂けるわ」


 総投資魔力、約1000。

 Cランク上位から、一気にAランク上位『雷撃の女王』の誕生だ。


「だが、お前の仕事は殴り合いじゃない」


 俺は、最後の仕上げを行った。


「ハイ・インプ召喚。2体。コスト50×2」


 ポン、ポン、と間の抜けた音と共に、リリの両脇に小悪魔が現れた。

 身長1メートルほど。知性は低いが、手先が器用な作業用悪魔だ。


「名前はアルファとベータ。

 こいつらは、お前の『砲架』だ」


「砲架?」


「実践してみよう。

 アルファ、ベータ、配置につけ!」


 俺の命令で、インプたちがキビキビと動く。

 彼らは手に持った杖を掲げ、リリの前方に左右対称に展開する。

 杖の先から魔力線が伸び、空中に見えない『レール』を形成する。


「リリ、お前は魔力の充填と、空間固定だけに集中しろ。

 照準合わせとレールの維持は、こいつらがやる」


「なるほど……!」


 リリが目を輝かせる。

 以前は、レールガンを撃つために、自分で磁場を作り、自分で狙いをつけ、自分で弾丸を保持しなければならなかった。

 だが、これなら――


「ボクは、ただ『撃つ』だけでいいのね」


 リリの手元に、グラン特製の鉄球が転送される。

 彼女はそれを指先で弾き、インプたちが作ったレールの上に乗せた。


「消えなさい」


 バチィィィィン!!!!


 轟音。

 前回とは比較にならない速度で射出された鉄球が、試験用の岩山を粉砕し、その向こうの壁まで貫通した。


「……威力3割増しだな」


 しかも、リリは一歩も動いていない。

 インプたちがキキキッと笑いながら位置を変えれば、即座に次弾発射態勢が整う。


「これに、お前の空間魔法を組み合わせれば?」


「弾道をワープさせて、死角から狙撃できるわね。

 ……あはっ、最高。これならお茶を飲みながらでも勝てちゃう」


 リリは心底楽しそうに笑った。

 圧倒的な暴力。それをシステムで制御する快感。


 これで、全階層の実装が完了した。

 残魔力、60。

 ほぼ使い切りだ。


「完璧な予算消化バジェット・コントロールだ」


 俺は満足げに頷いた。



◆迷宮入口広場/黒瀬視点(モニター越し)


「――来たか」


 全ての準備を終えた頃、入口の監視カメラに反応があった。


 王都からの調査団。

 その威容は、辺境の冒険者たちとは明らかに違っていた。


 先頭を行くのは、豪奢な真紅の鎧に身を包んだ男。

 Aランクパーティ『紅蓮の牙』のリーダー、剣聖グレン。

 大剣を肩に担ぎ、周囲を威圧するように歩く姿からは、隠しきれない自信と慢心が滲み出ている。


「へぇ、ここが噂の迷宮か。随分と賑やかじゃねえか」


 グレンが、広場の露店を見回して鼻を鳴らす。


「所詮は田舎の観光地だな。俺たちの出る幕じゃねえよ」


 その後ろには、揃いのローブを着た集団。

 Bランクパーティ『万理の瞳』。

 リーダーの女魔導師ソフィアは、眼鏡の位置を直しながら、冷徹な目で迷宮の入口を観察している。


「魔力濃度、異常なし。データ収集を開始する。

 油断はしないわ。未知のサンプルが手に入るかもしれない」


 そして、彼らを守るように配置された騎士たちと、純白の法衣を纏った少女。

 教会から派遣された聖女アリア。


「……不浄な気配がします。

 でも、街の人々は笑顔です。どういうことでしょう?」


 彼女は困惑したように、楽しげに食事をする冒険者たちを見ていた。


 役者は揃った。

 Aランクの火力。Bランクの分析力。そして聖女の支援。

 真正面からぶつかれば、俺の迷宮など半日で踏破される戦力だ。


 だが――


「ようこそ、王都のエリート様」


 俺は、迷宮核の間でモニターを見下ろし、口角を上げた。


「ここはただのダンジョンじゃない。

 お前たちの『常識』と『慢心』を喰らう、巨大なシステムだ」


 俺は、コンソールのエンターキーを弾いた。


「総工費3500のデスゲーム、開幕だ。

 たっぷりと味わってくれよ」


 迷宮の扉が、重々しい音を立てて開く。

 その奥に待ち受ける絶望を知らずに、調査団は足を踏み入れた。

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