第三十八話:世界のダンジョン
◆第5階層・隠れ家カフェ「ノワール」/黒瀬視点
「――到達したか」
俺は、湯気の立つコーヒーカップを片手に、コンソールに表示された数値を凝視していた。
【最大魔力容量】 3000
【現在魔力残量】 2850
3000。
それは、一つの区切りであり、同時に恐ろしい境界線でもあった。
場所は、第5階層「迷宮都市」の一角。
一般の冒険者は立ち入れない、路地裏の隠し扉の奥に作った、俺専用のプライベートカフェだ。
内装は前世の行きつけだった純喫茶を再現しており、静かなジャズ(魔導レコードによる再生だ)が流れている。
円卓を囲むのは、俺とナノ。
そして、この迷宮の最強戦力たち。
「ふむ。この黒い豆の汁……苦味の中にコクがある。悪くない」
優雅にコーヒーを啜っているのは、銀髪の美女――SSSランク「大樹海ユグドラシル」の主、エルドラ。
彼女は最近、毎日のようにここへ入り浸り、現代知識で作ったスイーツや料理に舌鼓を打っている。
「ご主人、その『3000』って数字、そんなに重要なの?」
向かいの席で、ショートケーキをフォークでつついているのは、第7階層主のリリだ。
進化した彼女は見た目こそ大人びたが、甘いものへの執着は相変わらず子供っぽい。
「重要だとも」
俺はカップをソーサーに置き、深刻な顔で言った。
「俺の計算が正しければ、この数値は――」
「――『国防レベル』じゃな」
俺の言葉を引き取ったのは、エルドラだった。
彼女は楽しそうに目を細め、空中に指で文字を描く。
「よい機会だ。
お主らに、この世界の『迷宮の格』について、少し講釈してやろう」
「お願いします、エルドラ先生!
ナノのデータベースにも、上位の情報はロックがかかってて……」
ナノが空中でメモ帳を取り出すようなエフェクトを出す。
エルドラは、一つ咳払いをすると、教師のように指を立てた。
「この世界で“迷宮の格”を測る一番わかりやすい物差しはな、最大魔力だ。
“その迷宮が一度に動かせる魔力”が、そのまま戦力になり、危険度になる」
彼女が描いた光の文字が、空中にグラフとなって展開される。
「まずは、Fランク。最大魔力100程度。
これは村外れの小迷宮。ゴブリンやスライムを数体、維持できる程度の自然発生レベルじゃな。
放置しても、村の自警団でなんとかなる」
俺の迷宮も、最初はここから始まった。遠い昔のようだ。
「200まで伸びればEランク。
小さな町が『ちょっと厄介だな』と眉をひそめる規模。
500を超えればDランク。ここまで来ると、町ひとつが真面目に討伐隊を組まねばならん」
アレンたちが挑んできた雪山(第4階層)あたりが、このDランク相当か。
「1,000前後がCランク。
ひとつの地方を動かすギルド支部が、継続的に監視すべきクラスじゃな。
――そして」
エルドラの声色が、少しだけ低くなる。
「最大魔力3000――Bランク相当ともなれば、もはや『国家案件』だ。
国境にこんなのが自然発生したら、国を動かすレベルだな」
「……国家案件」
俺はゴクリと喉を鳴らした。
3,000。
俺が今、手にしている数字は、国を動かすのと同じ重さなのか。
「さらにその上、5,000。ここからがAランク相当。
一国を傾けかねぬ“災害指定”の迷宮だ。
Aランク冒険者を常駐させて、ようやく釣り合いがとれる」
エルドラは、俺の顔を覗き込んだ。
「お主の迷宮は今、Bランクの領域に足を踏み入れた。
つまり、国が『冒険者任せ』ではなく、『国家事業』として潰しにかかるラインに立ったということじゃ」
「……胃が痛くなってきました」
「何を言う。ここからが面白いのではないか」
エルドラはケラケラと笑う。他人事だと思って。
「ご主人、まだ上があるんですよね?」
ナノが恐る恐る聞く。
「あるとも。
Sランク――50,000。大陸単位で対策せねばならん“魔境”。
SSランク――500,000。環境そのものに干渉し始める、もはや“現象”」
そして、エルドラは自らを指差した。
「SSS――5,000,000。
この辺りから先は、もはや物好きな古竜や、世界の裏側に潜むバケモノどもの巣窟。
常識で測るのをやめた方がいい領域じゃな」
「ご、五百万……!?」
リリがフォークを取り落とす。
俺も絶句した。
3,000で喜んでいた自分が、急にちっぽけに見えてくる。
「まあ、上を見ればキリがない。
重要なのは、お主がその『3,000』をどう使うかだ」
エルドラはコーヒーのおかわりを要求しながら、続ける。
「最大魔力というのは、言うなれば“予算の上限”。
魔物一体ずつに“コスト”が決まっておる。
本来なら、迷宮の最大魔力が1,000なら、コスト100の上級魔物を10体――もしくは、コスト200を5体、といった配分ができるわけよ」
「単純な足し算ですね」
「うむ。だが――覚えておけ」
エルドラの紫の瞳が、鋭く俺を射抜いた。
「数字は“目安”にすぎん。
最大魔力が同じでも、バカなマスターが握ればただの単純計算。
賢いマスターが握れば、同じ値で軍隊を何度でも溶かせる」
「……運用次第、ということですね」
「その通り。
お主は魔物を殺さず、撤退させて再利用しておるな?
あれは良い。実に合理的だ。
実質的な戦力値を、魔力上限以上に引き上げている」
エルドラに褒められ、少しだけ自信が戻る。
そうだ。俺はSEだ。
限られたリソースを、知恵と仕組みで最大化するプロだ。
「ですが……」
俺は、自分の手を見つめてため息をついた。
「俺自身のコスパが悪すぎるんですよ。
前回、自分に1,200も投資して、やっとAランク下位相当。
正直、無駄遣いだった気がしてなりません」
1,200あれば、第6階層クラスのエリアを二つは作れた。
それを、たった一人の人間の強化に使ってしまった罪悪感。
だが、エルドラは首を横に振った。
「勘違いするでないぞ。
迷宮の最大魔力と、人間一人に強化コストを突っ込むのとでは、意味が違う」
「違うんですか?」
「迷宮の最大魔力は、『工場の規模』じゃ。
最大魔力のラインを動かして、罠を張り直し、魔物を補充し――と、長期戦を前提とした“生産力”だ」
エルドラは、俺の胸を指差す。
「対して、お主に注ぎ込んだ1,200は、一人の人間の“強化”にすぎん。
同じ魔力でも、『薄く全域に撒く』か、『一点に濃く盛る』かで、評価はまるで変わる。
だからこそ、お主自身の“強化”も、別に間違いではない」
彼女は少し意地悪く笑った。
「とはいえ、お主は基礎がないから魔力があっても宝の持ち腐れじゃがな。
器(肉体)と技術が、魔力に追いついておらん」
「ぐうの音も出ない……」
図星だ。
Aランク相当の力を得ても、剣を振れば素人丸出し。
それでは、本職のAランク冒険者には勝てない。
「だがな」
エルドラの視線が、不意に隣のリリに向けられた。
「素材が良いなら、話は別だ。
たった100の魔力投資で、Cランク上位の実力を引き出せる個体もいる」
「え、ボク?」
リリが、口の端にクリームをつけたままキョトンとする。
「のう、嬢ちゃん。
そろそろ本当のことを言ったらどうだ?」
「……本当のこと?」
「お主から漂う、その“匂い”よ。
隠しているつもりかもしれんが、我の目は誤魔化せんぞ」
エルドラの空気が変わる。
ただの食いしん坊のお姉さんから、SSSランクの支配者へ。
圧倒的な“格”が、リリを圧迫する。
「お主の母は――『原初の悪魔』の一柱、リリスであろう?」
「ッ……!?」
リリが弾かれたように立ち上がった。
顔色が蒼白になり、小刻みに震えだす。
「リリス……?
あの、SSSランク迷宮『ヴァルプルギスの夜』を統べる悪魔か?」
ナノのデータベースにあった名前だ。
エルドラと並ぶ、世界最強の一角。
「……なんで、わかったの」
リリの声が震える。
「魔力の色が同じじゃよ。
あやつとは、昔馴染みでな」
エルドラは懐かしそうに目を細める。
「魔界の女王の娘が、なぜこんな辺境の野良迷宮で、中ボスなんぞやっておる?
実家に帰れば、城の一つや二つ、与えられるだろうに」
「……う、うるさい!」
リリが叫んだ。
その目には、涙が溜まっていた。
「ボクは……ボクは、弱かったから!」
リリが、悔しそうに拳を握りしめる。
「お母様は偉大すぎた。お姉様たちも強かった。
ボクだけが……魔力も少なくて、才能もなくて……
『リリスの娘の面汚し』って言われるのが嫌で、逃げ出したのよ!」
沈黙が落ちた。
偉大すぎる親を持つ子の、逃れられないコンプレックス。
彼女が最初に召喚された時、妙に人間臭く、そして必死に虚勢を張っていた理由が分かった気がした。
「……そうか」
俺は静かに言った。
「だからお前は、あんなに必死に『演出』を磨いてたんだな」
弱さを隠すために。
舐められないために。
「……悪い?
どうせボクは落ちこぼれよ。
この前の強化だって、ご主人の魔力を無駄にしただけ……」
「無駄なもんか」
俺は即答した。
「リリ。お前は100の投資で化けた。
それは、お前の中に眠っていた『器』が本物だったからだ。
俺みたいなザルとは違う」
俺は立ち上がり、リリの前に立った。
「才能がないなら、システムで補えばいい。
魔力が足りないなら、俺がいくらでも注いでやる。
お前は『リリスの娘』だから強いんじゃない」
俺は、彼女の小さな肩に手を置いた。
「俺の迷宮の、最高のエースだから強いんだ。
それを証明して見せろ」
「ご、ご主人……」
リリの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「ほう。言うではないか」
エルドラが、ニヤリと笑った。
「ならば、一つ知恵を貸そう。
リリスの血統は、『雷』と『空間』に親和性が高い。
今のリリは雷に偏っておるが、空間魔法の才能も開花させれば、化けるぞ」
「空間……?」
「うむ。転移や座標操作だけではない。
空間そのものを断ち切る刃、あるいは攻撃を逸らす歪曲領域。
それを使いこなせれば――Aランクなど敵ではない」
俺の脳内で、新しい設計図が組み上がっていく。
雷撃による超火力。
空間操作による絶対防御と奇襲。
そして、俺が用意する魔導兵器との融合。
「……いけるな」
俺はコンソールを開いた。
現在の魔力、2850。
そこから、迷宮拡張用とは別に、『リリ専用投資枠』を確保する。
「リリ。
もう一度、強化だ。
今度は、お前の『血』に眠る才能を、無理やり叩き起こす」
「……うん」
リリは涙を拭い、力強く頷いた。
その目には、もう迷いはない。
「やってやるわ。
お母様も、お姉様たちも、全員腰を抜かすくらいの『魔王』になってやる!」
こうして、リリの再強化が決まった。
「さて、本題に戻ろう」
俺はマップを広げた。
「俺たちが強化している間に、敵も動いている。
ギルド、そして国からの『調査団』だ」
ナノが、最新の情報を表示する。
【接近中の脅威】
王都派遣・調査団
・Aランクパーティ『紅蓮の牙』(武闘派)
・Bランクパーティ『万理の瞳』(分析派)
・その他、聖女および監査官を含む大規模部隊
「本気ですね」
特に厄介なのは、Bランクの分析班だ。
ギミックや罠を解体し、攻略法を確立されれば、物量で押し切られる。
そして、Aランクの暴力的な突破力。
「彼らを迎撃するために、第7階層以降――『深層』を構築する」
俺は、エルドラの方を見た。
「エルドラさん。
SSSランクの先輩として、知恵を借りても?」
「ふふ、安くないぞ?」
「第5階層のスイーツパスポート(全店食べ放題)、一年分でどうです?」
「交渉成立じゃ」
エルドラは即答し、悪い顔で笑った。
「よいか、人間どもを絶望させるコツはな、
『理不尽』と『恐怖』ではない。
『希望を見せておいて、それを叩き折る』ことじゃ」
彼女の口から語られるアイデアは、どれも凶悪で、かつ魅力的だった。
「第7階層。
風が吹き荒れる渓谷。飛べぬ鳥は落ちるのみ。
ここで、立体機動のできぬ者を篩い落とせ」
「第8階層。
光のない世界。音と気配だけの地獄。
魔物の強さと、環境を組み合わせて敵を落とす」
「そして、第9階層。
自分自身と戦わせろ。『鏡像』。
個の力が強い冒険者ほど、己の影に苦戦するはずじゃ」
「……性格悪いですねえ」
「お主には負けるわ」
方針は決まった。
魔力はある。アイデアもある。最強の部下も育ちつつある。
「よし。
着工だ!」
俺は、魔力3,000を燃料に、新たな地獄の釜の蓋を開いた。
来るなら来い、王都のエリートたち。
俺たちの『システム』が、お前たちを歓迎してやる。
迷宮都市の地下深くで、対国家規模防衛戦の準備が、静かに、しかし激しく動き出した。




