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第二話:目覚めたらダンジョンコアと光る球体がいた

 ――心臓の音が、二つ聞こえる気がした。


 ひとつは、自分の胸の奥で鳴っている鼓動。

 もうひとつは、目の前の“それ”から響いてくる、低く重たい脈動。

 どくん、どくん、と洞窟みたいな空間に反響している。


「……なんだこれ」


 ゆっくりと上半身を起こす。

 冷たい。


 床は石だ。

 ざらついた岩肌の上に、俺は仰向けに倒れていたらしい。


 見上げると、天井も石。

 洞窟……いや、人工的に削られたホールといった感じだ。滑らかすぎて自然物には見えない。


 そして。

 その中心に、異様な存在が鎮座していた。


「……でか」


 直径三メートルはあるだろうか。

 透き通った黒い結晶が、空中に浮かんでいる。


 黒水晶、というには暗すぎる。

 しかし完全な闇ではなく、内部にうっすらと紫がかった光が渦を巻き、中心部だけが、まるで心臓のように規則的に脈打っていた。


 その鼓動に合わせて、空気が微かに震える。


 どくん。どくん。


 さっきから聞こえていた“もう一つの心臓の音”の正体は、こいつか。


(これが……迷宮核)


 迷宮の中心にあるコア。

 それが破壊されれば、迷宮ごと崩壊し、迷宮主も一緒に“消滅”することになる。


 つまり、アレが壊れたら即ゲームオーバー。


「いきなり命がむき出しで置かれてるんだけど」


 思わず愚痴が漏れた。


 せめて防弾ガラスくらいで囲っておいてくれよ。

 いやこの世界に防弾ガラスがあるかどうか知らないけど。


 とりあえず、自分の身体を確認する。


 前の世界で着ていたスーツは跡形もない。

 代わりに、ローブというほど仰々しくはないが、動きやすそうな服を着ていた。下は黒いズボン。足元はしっかりした革靴。アウトドアとオフィスの中間みたいな、妙に実用的な装いだ。


 身体も軽い。

 肩こりも、腰痛もない。徹夜明け特有の頭痛も、胃酸逆流の気配もない。


 ……健康って、こんな感じだったっけ。


「――ご主人?」


 唐突に、声がした。


「っ!?」


 反射的に立ち上がる。足元がふらついたが、なんとか転ばずにすんだ。

 声は、頭上から降ってきた。


「よかった。ちゃんと起きましたね、ご主人」


 見上げると、そこに“光の玉”が浮かんでいた。


 直径は、俺の握り拳より少し大きいくらい。

 柔らかい白い光を放つ球体が、ふわふわと漂っている。


 蛍の集合体をギュッと固めて、明るさだけ上げたような感じだ。


 その光球に、はっきりと“こちらを見ている”気配があった。


「あー……どちら様で?」


「自己紹介が先でしたね。《ナノ》と言います」


 光が一段階だけ明るくなる。


「この迷宮核に付属する、管理インターフェース人格。ご主人――黒瀬功さん専用の、対話窓口だと思ってください」


「管理インターフェース……」


 言葉のチョイスが完全にシステム寄りで、逆に安心する。


「つまり、ここの……なんだ、監視ツールのマスコットキャラみたいな?」


「だいたい合ってます」


 即答かよ。


「迷宮全体の魔力の流れや構造を把握して、ご主人に分かりやすくお伝えしたり、簡単な操作を代行したりする役目です。よろしくお願いしますね、ご主人」


 ぺこり、とでも言いたげに、光球がぴょこんと上下に揺れた。


「……いや、そんな可愛くされても」


 とりあえず、現状整理だ。


「ここが、アルケイン・テラとかいう世界の、“迷宮核の間”ってやつで」


「はい」


「この黒いデカいのが、オーナーの命綱で」


「迷宮核ですね。ご主人の生命とリンクしています」


「それを運用する責任者が、俺」


迷宮主ダンジョンマスター。正式にはそう呼びます」


 うん、間違ってない。

 あの神に騙されてはいなかったらしい。そこだけはちょっと安心した。


「ご主人、体調はどうですか? 眩暈、吐き気、システムエラーの感覚などは?」


「なんで最後だけ急に情報システムみたいな言い方になるんだよ」


「ご主人の前世ログの影響だと思われます」


 前世ログ。そんな単語で片づけられてしまった。


 ともあれ、体は問題なし。むしろ前より健康体だ。

 代わりに、胸の中心と目の前の迷宮核が、なんとなく繋がっているような妙な感覚がある。


 自分の心臓がどくんと鳴ると、迷宮核がすぐ後を追うように脈打つ。

 あるいは逆か。迷宮核の鼓動が先で、俺の心臓がそれに追従しているのか。


「なんか……同調してる?」


「はい。ご主人の精神活動と迷宮核の中枢はリンクしています。

 迷宮に大きなダメージが入ると、ご主人の方にもフィードバックが飛びますので、お気をつけくださいね」


「……心臓に悪い仕様だな」


「心臓に直接来ますからね」


 軽く言うな。


 コア破壊=死、という話は聞いていた。

 頭では分かっていたつもりだったが、こうして目の前に露骨に置かれると、急に実感が増す。


(守り固めて誰も入れないようにした方が安全なのは、まあ、そうなんだよな……)


 だが、それでは迷宮は成長しない。

 魔力という“経験値”を稼ぐには、冒険者を呼び込んで、中で消耗させて、何度も潜らせる必要がある。


 防衛と成長。

 セキュリティと可用性。

 システム屋の悩みは世界が変わっても変わらないらしい。


「で、ナノ。俺が今、何をすればいいか、マニュアルとかあるのか?」


「はい、ありますよ。チュートリアルモードがあります」


 さすがだ。

 ゲーム的世界観は、こういうところが便利でありがたい。


「では、まずはこちらをご覧ください」


 ナノがふわりと移動し、迷宮核の目の前――俺の視野の中心あたりにぴたりと止まる。


 次の瞬間、視界の片隅に何かが“開いた”。


 浮かび上がったのは、透明な板状の何か。

 そこに文字が並んでいる。


 ……出た。ステータスウィンドウっぽいやつだ。


> 〈迷宮管理コンソール〉

>  ・概要

>  ・資源状況

>  ・構成

>  ・召喚/生成

>  ・防衛設定

>  ・ログ/解析


 ぱっと見、ゲームというよりは、管理画面だ。


 余計な飾りは少ない。

 シンプルなメニューと、最低限のアイコンだけ。


 なんだろう、この既視感。

 某社内製監視ツールのUIを思い出す。


「ご主人の脳のインターフェースに合わせて、表示形式を最適化しました」


「俺の脳、完全にインフラ扱いされてない?」


「前世ログを解析した結果、こういう構成が一番ストレスが少ないと判断されました」


 否定はされなかった。


 まあ、確かに。

 凝ったエフェクト盛り盛りのゲーム風UIより、この素っ気ない管理画面の方が落ち着く自分がいる。


「では、順番に見ていきましょう」


 ナノが言うと、〈概要〉が選択された。


 メインパネルに、新たな文字列が表示される。


> 【迷宮名】 未命名(野良迷宮)

> 【位置】 アルケイン・テラ西方辺境 某山脈地下

> 【迷宮規模】 極小

> 【階層数】 1

> 【魔力残量】 23/100

> 【状態】 安定(未発見)


「……うわ、しょぼ」


 思わず口に出ていた。


 階層数1って。

 極小って。


「ご主人、ここから大規模に成長させていく楽しみがあるじゃないですか」


「ポジティブだなお前」


「ナノはご主人の成功を前提として設計されていますから」


 頼もしいんだか不安なんだか。


「魔力残量、23ってのは?」


「迷宮の“燃料”ですね。これを消費して、構造を拡張したり、魔物を生成したり、罠を設置したりします」


「MAXが100ってことは、今は23%チャージって感じか」


「そうです。迷宮が成長するにつれて、最大値も増えていきます」


 ふむ。


 資源管理。

 リソース配分。

 この世界でも、やることは変わらないらしい。


「今は冒険者も来ていませんし、魔力の自然回復も少なめです。」


「魔力はどうやって貯めるんだ?」


「自然にも回復しますが、一番効率が良いのは冒険者ですね。

 冒険者に傷をつけることで血に含まれる魔力を吸収したり、

 魔法を使わせることで、発生した魔力を迷宮に循環させたりです。

 だから、ある程度、魔物や宝を用意して、外部から“冒険者”を呼び込む必要があります」


「やっぱりそうなるか」


 俺は〈構成〉タブを選択した。


 メインパネルの表示が切り替わる。


> 【階層1】

>  ・部屋数:3

>  ・通路:直線1本

>  ・罠:なし

>  ・魔物:なし


「……これ、迷宮って言っていいの?」


「まだ“迷宮の芽”って感じですね」


 さすがにフォローが苦しい。


「まあいい。逆に考えれば、初期構成が単純なら、いくらでも最適化できる」


 炎上したレガシーシステムを渡されるより、スカスカの新規プロジェクトの方がまだマシだ。

 こういうのは、一から自分で組んだ方が後々楽になる。


「ご主人、目が輝いてますよ」


「そりゃあ、自分の裁量でいじれるシステムとか、エンジニア冥利に尽きるだろ」


 脳内で、やるべきことのリストが組み上がっていく。


 まずは魔物の用意。

 弱いけど数で押せるやつがいい。コストも安いやつ。

 次に罠。即死系は論外。じわじわ削って、ポーションを使わせて、撤退をさせるタイプがいい。


 そして、構造。

 分かりやすい一本道だけだと、攻略されるのも早いし、単調ですぐ飽きられる。

 しかし最初から迷路にしても、新人には厳しすぎる。


「……ふふ」


 自分で自分の笑い声に、少し驚いた。


 前の世界のプロジェクトでは、

 「仕様はクライアントが決める」「納期は最短明日」「リソースはゼロ」という状況でいつも火消しをしていた。


 だが今は違う。

 仕様を決めるのは俺だ。

 納期も、基本的には俺次第だ。

 リソースは確かに少ないけど、それをどう使うかの裁量も、丸ごと俺に預けられている。


 ――なんだ。

 この世界、案外、悪くないんじゃないか。


「ナノ」


「はい、ご主人」


「魔物の召喚は、この〈召喚/生成〉タブからで合ってるか?」


「はい。現在、初期登録されている魔物は――」


 パネルにリストが表示される。


> ・スライム(小型/粘性体) 魔力コスト:1

> ・ゴブリン(小型/近接) 魔力コスト:2

> ・ストーンゴーレム(小型/作業用) 魔力コスト:3


「うん、安いのと、ちょっと高いの」


 分かりやすい。


 とはいえ、いきなり配置を始めるのはまだ早い。

 まずは、もう少しこのコンソールを触って、全体像を掴むべきだ。


「ナノ。他に、重要なメニューは?」


「〈防衛設定〉では、迷宮核周辺の防御レベルや、緊急時の自動対応ルールの設定ができます。

 〈ログ/解析〉では、迷宮内で起きた出来事の記録や、魔力の流れの統計情報を閲覧できます」


「ログがあるのは安心だな」


 障害対応はログから、が基本だ。


 逆に言えば、ログがなければ何も分からない。

 前の世界でも、ログを飛ばしていたシステムを前に何度地獄を見たことか。


「……いいね」


 思わず、迷宮核の黒い表面に映る自分の顔が、ニヤリと笑っていた。


「ナノ」


「はい」


「このショボい初期構成を――」


 俺は、〈構成〉タブの横にある、ひときわ目立つボタンに指を伸ばす。


 そこには、こう書かれていた。


> 〈構成変更〉


「地獄のブラック迷宮に、最適化してやろう」


 ボタンに触れた瞬間、コンソールの画面がぱっと切り替わる。


> 【警告】

>  迷宮構成変更モードを開始します。

>  現在の魔力残量:23/100

>  ※変更内容によっては迷宮運用に致命的な影響を与える可能性があります。


「ご主人、ワクワクしてるところ悪いんですが、致命的な影響はできるだけ避けてくださいね?」


「分かってるよ。炎上はもうこりごりだ」


 ――だが、炎上しないギリギリを攻めるのは嫌いじゃない。


 そのことは、たぶんナノにも、迷宮核にも、もうバレているのだろう。


 どくん、と黒い結晶が鼓動した。


 新しい世界での“運用”が、本当に始まる。

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