届かないでほしいある日のこと
その日のことはあまり覚えていない。
少し語弊があるかもしれない。
正しくは、その日の午前中のことは、あまり覚えていない、だ。
遅めの帰省期間だった姉を駅まで送って、家でスマホを開いてから、
そこからの記憶があまりにも強烈なのだ。
いきなり訃報が飛び込んできた。
小中高とよくきいていて、CDまで買って、ライブに行って、
好きだと公言できるようなアーティストだった。
その人は手を出してはいけないものに手を出して、
ネットで叩かれたというのは知っていた。
それでもその人が関わった音楽が好きで、
その人の声が好きだった。
もう一度戻ってきてくれるかなという淡い期待もあった。
訃報のお知らせとあって。
脳が理解を拒否していた。
言葉は追いかけられるのに、実感が伴わない。
SNSの検索欄にそのアーティストの名前をいれて検索をした。
「嘘だ」「私の青春が」「悲しいよ」
「ご冥福をお祈りします」
「ちょっと前にも会ってたじゃん」
たくさんの言葉があって、目が滑っていった。
なぜ死んでしまったのだろう。
詳細は伏せると書いてあった。
それでも全員が少なからず同じ思いを抱いていたと思う。
同じような予想をしていたと思う。
私もそうだった。
真相はさっぱりわからないのに。
ただ、自分の言葉もなく、そのニュースのポストのみをリポストした。
何度も文面を読み返した。
そのアーティストと関りのあった人々の反応も、目についた。
ふと、もう新しい歌はないんだ、
いないんだ、と理解した。
その人の歌った好きな曲。
その人の歌い方の好きなところ。
忘れたくない、と思った。
なぜしんでしまったのだろう。
もういないんだ。
気を紛らわせようと麻雀や本や日記、家計簿を開こうとしてみた。開く直前で手が止まる。
そしてまた、訃報を伝える文面を見る。
いくら見返したって変わらないのに。
その間に30分経っていた。
言葉が出なかった。
「いっぱい曲をうたってくれてありがとう」
「大好きでした。」
「大好きです。」
「お悔やみ申し上げます」
どれも違うと思った。
合っているけれどこうじゃない。
少しずつ、すこしずつ、事象を理解してきた。
関係のない界隈のアカウントや、ゲームのアカウントでは、
新しい情報が出たり、今流行りの映画の話をしたり、何も変わらないいつもがあった。
目が流れていった。
そうしてネットを遠ざけた。
脳内で「こんな時にあの曲の歌詞が刺さるのか」、と冷静に考えている自分がいることに驚いた。
言葉が出ない。
言葉が出ているのに、出ない。
SNSで
「ご冥福をお祈りします。
のこしてくださったたくさんの音楽大事に聴きます。」
と書いて、送信を押そうとしたときにやっと涙が出た。
なぜ泣けるのかもわからなかった。
すこし落ち着いて漫画を読めるようになって、布団に横になって漫画を読んでいた。
SNSに戻ると今度はなぜか見ていられなかった。
あんなに目を滑るように読めていた記事を見返すのもつらくなっていた。
本当に痛いのか幻痛なのかわからない胃痛もあった。
胸にぽっかり穴が空くってこういうことなんだ、と理解できた。
埋まらなかった。他の何かじゃ。
それでも時間は過ぎていた。
ニュースが目についてから2時間になろうとしていた。
父が帰宅した。
好きなアーティストの訃報があった、とまるでなんでもないことのように話すことができた。
姉からも連絡が返ってきていて、「やけになるなよ」とだけ返信があった。
その言葉はその人に対してなのか、私に対してなのか、分からなかった。
SNSでの彼を惜しむ言葉を、彼が見ることはないのでしょう。
私たちが彼が歌っているのを見ることも、もうないのでしょう。
それが途方もなく、理解に苦しむ、まるで知らない世界の話のようだった。
彼と関りのあったクリエイターさんが、サブ垢でポストをした。
「おやすみ。●●(地名)であった●●(グループ名)忘れんよ」
すとんと心に落ちてきた。
おやすみなさい。
お疲れ様。
あぁ、そうかもしれない。
どうかそっちで羽を伸ばして歌っていてください。
いつまでもいつまでも大好きです。
なぁんていまさら言っても届かねぇんだよ、ばぁか。
むしろ届かないでほしい。
天使みたいに自由に歌ってくれてますように。
悼みたい自分。
悼みは届かないんだよと非難する自分。
届かないでほしいと思う自分。
非難する自分は人の心が無いなと思う自分。
そんな自分たちを思い返して、彼の訃報を本当に受け止められているのか不思議に思う自分がいた。
次の日、鏡を見たら肌が荒れ隈の広がった自分がいた。
時間はそれでも流れている。