37W(スリーセブンダブル)〜灰色と緑色、続くから、燃えて――〜
日本 札幌
令和七年 夏
朝 晴れ
“それ”をそう解釈して、私は特急に乗った。
道北へ数時間後、お昼頃、私は音威子府で降りる。あまり暑くない。今年の夏はいい。と、誰もいないホームで思う。
二十代を一人降ろして列車が丘陵地帯の田舎を去ると、私は駅舎へ入らず向こうのホームを見た。島式ホームの一部には屋根があり、車内アナウンス通り、十数点のタペストリーが幕のようになって吊るされていた。風景だったり動物だったりと多彩、鮮やか、どれも見事だ。やるな、音威子府の学生達。
ふと、その陰から人が出てきた。
外国人だ。
一目で分かった。
それは十代後半の少女で、ふと足を止めてこちらを見る。
なんか、不愉快そうな顔をしている。見られているからか? 私は目をそらした。
行くか。
そう思ったとき、「すみません」と、申し訳なさそうに少女が話しかけてきた「あなたはどうしてここで降りたんですか? 住んでいるんですか?」
「いいえ、住んでないわ。なんか来たくなったの」私は素直に答えた。
「音威子府には思い出があるんですか?」
「まぁ、ちょっとあるわ」
「死ね」
少女はさりげなく言った。
私はきょとんとする。
少女は、「すみません……」
謝る?
何かあるわね。
「どうして『死ね』なんて?」私は聞いた。
「私はこの村の人です」
スルー? いいけど。
「へぇ、そうなの?」
「殺しますか?」少女は緊張した顔で、真面目に言った。
私の手に日本刀がぱっと出現する。
少女は青ざめる。
やっぱり何かある。知りたいわね。
「殺さないわ」私は言い、日本刀消える。
「どうしてですか?」少女は戸惑う。
知りたい。でもその前に。
「疲れてない? 私、ホテルを取ってあるの。そこで休まない?」
「えっ!? いいんですか?」少女は喜ぶ「……音威子府のホテルですか?」
「いいえ。名寄のホテルよ。どう?」
「行きたいです!」少女は即答した「名寄ってどこですか?」
「ここから札幌方面に一時間半くらいの所よ。音威子府、美深の次」
名寄知らないの? ――音威子府には住んで間もないようね。
「ホテルにはどのくらい泊まるんですか?」少女は遠慮した調子で言う「しばらく休みたいです」
「いいわよ」
あっ、未成年を――
まぁ、いいわ。
問題になったら――
二週間が経過した。
その日の朝、私は特急に乗り、美深へ。数十分で着くと、その田舎町の駅前にあるパン屋で食パン――三枚入り――を買った。
そのパン屋の前で食べていると、
「レイカさんですか?」
少女――十代後半――が現れた。
「そうよ」食べかけのパンを袋にしまいながら私は答えた「あなたね? 頼んだのは」
「はい。私、アオコって言います」
「話は聞いてるわ」と、袋ごとパン消えた「行きましょう」
すぐに私達は特急に乗る。
行き先は音威子府の次、中川町。そこでアオコは何か目的があるようだ。
「ありがとうございました」アオコは言った。
「どういたしまして」
アオコと別れると、私は名寄へ戻ることにした。そのための電車は数分後に来た。
数十分後、電車は音威子府に停まった。駅舎側のドアが開く。
タペストリーの前に、あの少女がいる。
何で? ホテルにいるはずなのに。
私は気になって下車した。跨線橋を渡って少女の元へ行く。
電車が去ったホームで、
「アン」私はニックネームを呼ぶ「どうしてここにいるの?」
「私はアンではない」相手は愉快そうに笑う「私のニックネームはゴカラミだ」笑いながら私を指差す「見つけたぞ。誘拐犯」
あっ。
「ごめんなさい」私は謝る「さぞ心配したでしょ。大丈夫、アンは――」
「どうでもいい」つまらなそうに遮る。
「どうでもいい?」
「役割を果たしてくれたんだからな」
「役割?」
「お前は、日本人は外国人に悪を働いた」ゴカラミは楽しそうに話す「大義名分ができた」
「大義名分?」
「私が日本を支配することのな!!」ゴカラミは歓喜する「支配は今日から始まる。計画は完璧だ。音威子府在住だからな」
役割――だからアンは『死ね』なんて――
私はふっと笑う。
「何がおかしい?」
「こんなド田舎にいて日本を支配なんておかしいわよ」私は肩をすくめる「まずはこの衰退するしかないド田舎をなんとかしてみなさいよ」
「いいだろう」ゴカラミは余裕そうな笑みを浮かべる「明日を楽しみにしていろ」
翌朝、美深の次は中川だった。
音威子府がなくなっている!?
困惑しながら私は中川で特急を降りた。
ホームにはゴカラミがいて、「どうだ?」と、勝ち誇った笑みを浮かべている「なんとかしたぞ」
「したぞってどういうこと? 音威子府なくなってるじゃない?」
「存在がなければ衰退もない」平然と言った。
私は唖然とした。
「一カ月だ」ゴカラミは言う「私は一カ月で日本を支配する」
「――どうして音威子府を消すなんて選択をしたの?」
不思議だ。
「腹が立ったか? 音威子府がなくなったことに」
腹が?
「答えてやる」ゴカラミは続ける「存在しなかったからだ」
「存在?」
「ああ」と、不服そうに答える。
そこへ特急が停車する。
「次は美深だ。さようなら」と、ゴカラミは乗り込む。
特急は行った。
「レイカさん」
背後から呼ばれた。
アオコだった。
「どうしたんですか? 怒った顔して」
怒った顔? 私が?
「何かあったんですか?」
「――実は――」
私は音威子府が消えた経緯を話した。
「へぇ、そんなことがあったんですか」
「あまり驚かないのね?」
私は違和感を覚えた。
「思い出ないので」
それならそうなるか。
……でも……
「アンさんは知っているかもしれませんね」
「えっ?」
「音威子府を消した理由の詳細。ゴカラミと親しそうだし」
「そうね」
「彼女はどこに?」
「ホテルでコールドスリープしているわ」
「解読したいんです」
ホテルのベッドの上でアン――身を起こした――は言った「そのために支配しようとしているんです。まずは日本を」
「それって――の?」と、アオコ――ベッドサイド。私の隣――は聞いた。
「そうです」
「私と一緒!」アオコは嬉しそうに言った。
「解読してどうしたいの?」私はアンに聞いた。
「違う世界に行きたいんです」
「違う世界?」
そっちか、とアオコは口にした。
アンは私を見てうなずく。ふと溜息をつく。
「真の痛みの世界」
「真の痛みの世界?」
「ドMだから」また溜息をついた「――カッコイイけど」と、苦笑する。
何を言っているの……?
「――あなたは?」私は聞く。「あなたも同じ目的で協力していたの?」
ハッとしたようだ。「違います」
「じゃどうして?」
アンは寂しげな表情を浮かべる。
「思い出がほしかったんです」
「思い出?」
アンはうなずく。「異国の思い出が。特に私はいずれ独りぼっちになりますし。――あの、レイカさん」
「何?」
「本当にすみませんでした」少女は涙を流す「私達のせいで思い出の場所が……」
「いいのよ」私は優しく言う「だから泣かないで」
やめて。
思い出なんかよりも――
「……はい……」少女は泣き止んだ「ありがとうございます……」
ふぅ……。
「レイカさん」と、アン。
「何?」
「ゴカラミを止めてください」
「えっ?」
「日本がなくなるかもしれません。音威子府の場合が続けば」
「――そうね。ならすぐにでも――」言っていると、私の腹の虫が鳴った「腹ごしらえしてからやるわ」私は苦笑した。
「音威子府があるだと!?」
タペストリー――音威子府駅のホームにある――の向こうすぐでゴカラミの声がする。
「いつの朝なんだ!?」
今日よと思いながら私はその声と気配で狙いを定め、日本刀の切っ先で突いた。
短い悲鳴が聞こえた。
私は刀を引く。
倒れる音がした。
「やったんですか?」アンが聞いてくる。
「見てみよう」とアオコ。
私達は反対側へ行く。
心臓を貫かれた、ゴカラミの死体があった。
アンにはちょっとね。
私はそう思い、死体ぱっと消えた。次いで日本刀。
「大丈夫?」私はアンに聞く。
「なんとか」と、少女は苦笑する。
「あれ?」
と、声がした。私達以外にホームに人いたのか。
同じホーム内にいた。
「チャコじゃない?」私が言った。
「はい。チャコ・ヒロヒローバです」十代後半のハーフの少女は答えた「こんなところで何してるんですか?」
私は簡単に説明した。
「真の痛みの世界?」チャコは首をかしげる「私に言わせれば、この世界のほうが辛いですけどねー」呑気そうに言う。
「――チャコはどうして音威子府に?」
「探索です」
探索?
あっ、そっか。
と、そこへ名寄方面への特急が来て停まる。
「反対側のドアか。レイカさんは乗りますか?」と、チャコ。
「いいえ」
「そうですか。じゃまた」
「私は乗ります」アオコが言った「レイカさん、ありがとうございました。また会いましょう」
「ええ」
私達は駅舎側のホームへ行く。
そして、私とアンは特急を見送った。
「どうして乗らなかったんですか?」アンは聞いてくる「またするんですか?」
「あなたはどうして乗らなかったの?」
「えっ? 私はここに住んでいるから」
「いいえ。あなたはここには住めないわ」
「えっ?」
「私と住むんだから」私は微笑する「一緒に思い出を作っていきましょう」
「――はい」
アンは笑顔で答えた。
「まずは稚内に行きましょう」
「稚内?」
「最北端の地。スタートにちょうどよくない?」
「はい」
「――そういえばまだ聞いてなかったわね」
「はい?」
「あなたの本名」私は笑う「ホテルに誘ってから二週間寝てばかりよね、あなた。知らないことだらけだわ」
「そうですね」アンも笑う。
「――でも、そのほうが楽しいわね」
「はい」
そこへ稚内行きの特急が来た。ドアが開く。
「行きましょう」
「はい」
その瞬間、アンが消えた。
何!?
「こっち」
呼ぶ声がした。
特急が消えている。
向こうのホームに外国人の老人が立っている。
「稚内には行かなくていい」老人が真剣な顔で言った「無意味なことをするな」
「無意味?」
老人はうなずく。「同性との思い出作りなどな。それは本当の幸せにはならない。男女。本当の幸せはそこから生まれる。分からないか? 男女の幸せ」
「分かるわよ」私は言った「私も社会で生きる人間だから」
同性云々は知らないけど。
老人は微笑む。「ならば札幌へ戻って男を探せ。そして子を産め。一刻の猶予もないぞ」
「はっ?」一刻の猶予もない? 「どうしてそんなに急かすの?」
「私は未来から来た」
「えっ?」
私はポカンとした。
「その未来で判明した。キミの子供は“アレ”を解読できると」
「“アレ”?」
「――だ」
ああ、“アレ”か。
「解読したらどうなるの?」
「日本人の心の救いになる」
どういうこと?
「キミは人殺しだ」老人は真剣な顔で言う「だが子供を産めばいい。社会はどんな人間にでもチャンスを与える。チャンスがある。チャンスを掴め」
ふと思った。
「連れてくればいいんじゃないの? 私の子供を未来から」
「それはできない」
「どうして?」
「この今からなる子供が必須なのだ」
「――つまり、今の未来は分からない、と?」
「そうだ」
ふーん――
「この世界は受け入れ先だ」
背後から声がした。
青年がいた。彼は、「そしてその“器”は、キミが産む」
「“器”?」
「“器”は読める。自分の書いた文字は、他者が読めなければ自分にしか解読できない」
「そういうこと!?」私はハッとした「キモすぎ!!」
「どちらを選ぶ?」青年はなにげなさそうな顔で聞いてくる。
「えっ?」
「“器”か、それとも解読できる自分の子か。今、二つの世界が混ざり合っている。どちらかを選べ」
私は老人のほうを向く。「あなたを選ばなかったら、アンは返してくれないの?」
「返す」老人は即答した「私はどちらでもいい」
「決めてくれ」青年は言った「少し考えてからでもいい」
「そうだな」と、老人。
私はそうする――
――私はホームを北へ歩き出した。
そして、二人を眺める形になるように止まる。
私は言った。
「私には成功体験がある」
二人は首をかしげた。
私は、
「ちょっと説得が必要だった。でもやれたのよ? あなた達に関係したことで」
二人が消えた。
アンが目の前に現れた。
次いで特急も姿を見せた。
少女の姿に私はほっとした。
「――だからそっとしておいてあげるわ」私はつぶやく「あなた達。そして――」
「レイカさん?」アンが遮る。
「なんでもないわ」と、私は少女に手を差し伸べる「行きましょう」
「はい」
少女はその手を取った。
自由席は誰もいなかった。
一番前の窓際にアンを座らせ、私もその隣につく。
その時、車内アナウンスが聞こえた。
〈この列車は音威子府から先へは行きません〉
何?
〈この列車は札幌行きです。発車まで少々お待ちください〉
稚内に行かない? どうして?
「知りたい?」
隣から声がした。
少女――十代後半――が通路側の席に座っていた。いつの間に?
心を読まれた?
「知りたいわ」私は聞いた。
「音威子府から先は支配された」少女はなにげなさそうに言った。
「支配?」
「外国人に」――いいえ。音威子府も明日には支配されるわ、と少女は付け加えた。
「どうしてそんなことに?」
「不仲だから。でも、それはあなたの影響よ」
「私の?」
「許せない」少女は落ち着いた様子で言う「だから罰を与える。抵抗しても無駄よ。私はマシーンだから」
マシーン? そうには――
「やったわ」少女は顔色を変えずに言った「あなたはただの人間になった」
えっ!?
「さようなら」と、少女は立ち上がる。
「待って」私はばっと立ち上がる「どうして罰なんて?」
「あなたは日本人失格だから。さっきの青年と老人、とでも言えば分かるでしょ?」
――まぁ。
「それに」少女は続ける「思い出があった」悲しげに言った。
「ごめんなさい……」
少女は無視して去った。
「レイカさん」アンが呼ぶ「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」と、私は座る「でも困ったわね……」
ただの人間かぁ……
私はがっかりする。
「何が困るんですか?」アンは不思議そうに聞く。
「だってただの人間だし。あなただって困るでしょ? 私がただの人間になったら」
彼女は首を横に振った。「全然」
「えっ?」
彼女は笑みを浮かべる。
「私はあなたがどんな人でもいいです。好きです」
私はじんとした。「アン……」
〈まもなくスーパー名寄二号、発車します〉
「ありがとう、アン。――ごめんなさい。音威子府にはもう……」
「大丈夫です」アンは断言した「それよりあなたです」
「――ありがとう……」
――私は思い出す。
老人が言っていたことを。
無意味なことをするな
同性との思い出作りなどな。それは本当の幸せにはならない。男女。本当の幸せはそこから生まれる
分からないわ。
私は決めた。
「アン」
「はい」
「一緒に幸せになりましょう」
「はい!」
少女は微笑んだ。
そうだ。「とりあえず札幌に行きましょう。私の家もあるし」
「はい。――レイカさん」
「呼び捨てでいいわよ。何?」
「――私も実は――」
恐る恐る打ち明けた。
私は嬉しくなった。
そして喜んだ。
私も返せることに――
お昼頃、特急は旭川に停まった。
「お腹空かない?」私はアンに聞いた。
「空きました」
「旭川でラーメン食べに行かない?」
「いいですね」
私達は旭川の高架駅に降りた。
と、私は呼ばれた。
人の多いホームにはチャコがいた。
「奇遇ね。そうだ、ラーメン一緒に食べない?」私は誘った。
「すみません。ちょっと用事が。あっ、レイカさん。――の“真相”分かりましたか? ちなみに私はまだです」
「いいえ。でも、もういいわ」私は微笑する「それよりもっと大切なものが見つかったから」
「そうですか」チャコも笑う「よかったですね」
「ええ。またね」
「はい」
〈了〉