推敲考
この小説は一万五千字ほどあります。
時間があるとき、もしくは数回に分けてお読みいただけると良いかと思います。
賈島は苦悶していた。
己が創作した、とある詩文についてである。
題李凝幽居(隠士李凝の居に題す)
閑居少鄰竝(隠棲の場に、隣家少なし)
草径入荒園(埋もれる径は、荒れ庭にゆく)
鳥宿池中樹(鳥は池中の、樹に宿借りて)
僧推月下門(僧は月下に、門を推す)
過橋分野色(橋を過ぐるに、野色を分かち)
移石動雲根(石を移して、雲ぞゆすぶる)
暫去還来此(暫く去りて、またぞ来たらん)
幽期不負言(永きに如かれど、言を違わず)
徒歩するうちに、存分に思惟して編み出した詩文である。
この詩文に対して、己は存分に精を尽くしたつもりである。
しかしながら、納得ができない。それは、この熟慮した文章が至らないものだったからではなく、ある一部分の、微小な差異がどうにも気に食わないのである。
「閑居少鄰竝」と言って、静かな情景を目の前にまず展開する。起立の部位においては全く、可もなく不可もない。しかし、過去と現在を同居させる語句である。
「草径入荒園」と言って其の地の俗世間との離れようを提示しつつ、閑居とその周囲の広範を向いていた視点を誘導するのも、良かろう。
「鳥宿池中樹」というのも風流をあらわすに良い。前段において荒蕪の土地を想起させてより、突如として静かな水面と清らかな啼声が色を添える。彩度の反転でもあり、荒廃を強調するものでもある。
そののち「僧推月下門」といって、人の情感をここに加える。この僧、即ち李凝を訪ねる私は何を思うのか、これは視点を移してのち聴いた者の想像を発揮させよう。
「過橋分野色」と言うと、僧から見た庭園の評価が持ち込まれ、俯瞰から主観へと視線を揺り戻される。
「移石動雲根」とまで言うと、もはや人の俗世を超えた雰囲気を持ち始め、詠む者は涼やかさを感じるに至ろう。この石を動かしたのは、きっと普遍の人とは違う何者かに違いないと、ときめくのである。
「暫去還来此」と言ったのは、僧である。前二段は状況を説明するものでもあるが、或いはこの段も含めて僧の感嘆符である。
そして「幽期不負言」と言って、友誼の堅固なるを象徴さすとともに、その感動が高潮するをもって終える。
この文面の起承転結は確と纏まってはいよう。しかしながら、ふと別の案が浮かんできたのである。
閑居少鄰竝(隠棲の場に、隣家少なし)
草径入荒園(埋もれる径は、荒れ庭にゆく)
鳥宿池中樹(鳥は池中の、樹に宿借りて)
僧敲月下門(僧は月下に、門を敲く)
過橋分野色(橋を過ぐるに、野色を分かち)
移石動雲根(石を移して、雲ぞゆすぶる)
暫去還来此(暫く去りて、またぞ来たらん)
幽期不負言(永きに如かれど、言を違わず)
この案が出てきたとき、思わず己の口から呻くような声が出た。
そうではないか。この僧侶がもしも門を推せば、それは即ち門戸の中に足を踏み入れたということである。そうなれば、この荒廃した廃墟の内部というものも、この僧侶は見ることになろう。そこに詩の締めくくりに示した友誼の固さというものが示されるに足るのか、と問われれば、扼腕して考えざるを得ないのである。
一方、敲いてみればどうであろうか。この僧侶は、門の中を返事がするまで知ることはできなかろうし、ここに人の期待や不安というものの一挙に押し寄せる気分が襲わないだろうか。門を前にして立ち去るという行為こそ、友との再会を待ち侘びる心情に近いのではないか。
これは良いものを思いついたと考えた。しかし、はて敲く意味は一体何ぞやと問われれば、それはどうにも吃舌して答えを得ない部分がある。
門を敲くのは友人として、訪問者として、しごく真っ当な行動である。しかしながら、俗世間の風味からは逸脱したこの詩文に対して、きわめて俗っぽくはないだろうか。敲くという行為は礼を示し、訪問に対して音韻をもって表現するものである。詩文を読んだ者の中にも、この字を見た瞬間に木戸を打つ乾いた音が聞こえてくる者は多かろう。しかしながら、それは自他の分断の象徴でもあり、これまで縷々として流れてきた場面の変化を、いちど止めてしまうことに他ならないのである。
さて、それならば推としたほうが良いのであろうか。いや、やはりそれはそうではあるまい。先も言ったとおり、友人の家に入るに門を敲くことすら無く入るのは如何なものか。詩を吟ずる者の違和感というものは必ずや、そこに対して注がれるはずである。確かに、敲くという行為をするよりも、自然と門を推して中を覗ってしまったほうが、音や風景が自然と移り変わっていく。
そも、前二段に於ける荒れた径と静かな池、そして鳥の啼く声から移ろいゆく風景として、野色ある庭の風景とは分かたって良いほどの違いというものを施せているのであろうか。それは即ち、推敲の違いに於いて重大な問題である。場面が変わるには、相応の色彩の違いが必要である。荒蕪したそれまでの径の景色と、庭園との色彩はどちらも青である。推すという語句を使ってしまった場合、その間になにか劇的な相違がない限りは、景色も雰囲気も変わりはしない。青草に感じるような嗅覚ですら、変わることはないのである。これでは、ただ荒れ野に放擲されているようなものではないか。
それならば敲くといったほうが良いように思うが、しかし、それにも問題がある。ここまで静寂さをもって進行してきたこの文章に、突如として木戸の甲高い音を立たせて良いのかという問題である。この前段において、己は
鳥宿池中樹(鳥は池中の樹に宿っている)
と吟じた。それは即ち、鳥の啼き声も聞こえてこようというものである。その風流を搔き消すようにして敲く音を鳴らしてしまうとは、なんという無粋なのだろうか。清らかな聲は、一転して騒がしく飛び立っていく音へと変貌してしまうのではないか。これでは余りに煩い。人の脳裏に映る情景を無駄な騒音で妨げてしまうような真似をしてしまえば、詩文家としてこれほどに拙い事も無かろうと、そう思うのである。そう思うのであるならば、やはり静かに、門を推してしまったほうが音韻は静かである。
それで良かろうと思って、体を横たわらせた。
が、しかしである。己の耳に想像上の戸の蝶番の軋む音が聞こえてきたとき、その一瞬の安心は飛び散ってしまった。戸が開くにも閉まるにも、音は鳴るはずである。それならば、一瞬に音が鳴ってしまうことを嫌った己の感性とは矛盾をしてしまうではないか。
そもそもが、である。己の思慮の中で推すと言ってしまったときに、場面に転換がなく、平坦になってしまうという問題点を発見したというのに、何を安堵する暇があろうか。その前後に於いて、確とした変化を生むためにも、詩文を再編していかなければならぬようになったのである。そう思えば、肘を枕にすることすら惜しい。早くにも、詩を完成させるためには、この心が蠢動する感覚の鮮明なままに文を導き出し、後になって不要な文字を剷定していくのが好い。そう考えたって案の前に腰を下ろしてみたが、どうにも良い代替案が思い浮かばない。
まずは色相を変転させるという方法があろう。己としては李凝は隠士であるのだから、後半の野趣と清らかさの溢れる場面は残しておきたいという欲がある。ならば、しぜん前半をどう変えていくのが好かろうかという話になって来よう。
一段目は変うことなく
草径入荒園
鳥宿池中樹
という十字を変うに如かざらんと思い立ったのだが、これもまた、韻を踏んで熟考した文章である。
草径入荒園(cǎo jìng rù huāng yuán)
は
僧推月下門(sēng tuī yuè xià mén)
と韻を踏み、また
鳥宿池中樹(niǎo sù chí zhōng shù)
は
過橋分野色(guò qiáo fēn yě sè)
と韻を踏むように出来上がっているのである。それを崩してまた再び語句を施すというのは、なかなかの労力が必要になるのは言うまでもない。そもそも、色相を反転させえるような字が、これと同じような韻を踏む形で存在し得るのかどうかという点がどうにも気に掛かる。
例えば、どうであろう。粗雑な置換ではあるが
早夕入荒園(zǎo xī rù huāng yuán)
鳥宿池中樹(niǎo sù chí zhōng shù)
としてみれば、明け方と夕暮れの鮮烈な赤が迫る情景が映し出されたりはしないだろうか。いや、しかしそれでは忙しなさすぎるようにも思う。早夕と言ってしまえば、慣用的には早朝と夕暮れのことを指し示すことになるだろう。つまり、この語句を置くと、この僧は朝なり夕なり、友人の家に足繁く通うということになってしまう。それでは、友の身を案慮する奥ゆかしい心理的描写というものが消え去り、ただ齷齪とした僧の荒い息遣いのみが聞こえてきてしまうということにはならないだろうか。詩文の最後に
暫去還来此
幽期不負言
とまで言い切っているのに、この忙しなさを持ち込んでしまうのは大きな矛盾がある。たといこの早夕という語句を挿入しようものならば、それに代わる語句を最後の句にも織り込んでゆかなくてはならなくなる。その語句とは一体何であろうか。それを考えようともうまく言葉が出ない。
そも、この詩文全体を包んでいる宇宙観とは一体何であろうか。
その為にはこの文章を構成している文言を詳細に校閲していかなければならない。そも、この詩文が伝えている情景はなんであるのか。それは隠士となって巷から離れた場所に居を構えた友人に、その身を慮る仁心と、旧古の縁を懐かしむ心とを以って、その脚をのばすというこの詩の主人公、即ち私の心と、その友人と再び待たんとする心とを鮮明に映し出さんとするものである。つまり、人徳と義理との物語といえよう。
さて、閑居とは何であるか。それは閑かなる居、転じて隠者の住む簡素な草庵のことを言う。質朴たる外観、こじんまりとしつつも何処か荘厳であるそれは、そのままそこに住む者の性格を表すといってもよく、この隠者が清廉な人間であり、質朴であることを示す。
そして鄰竝というのは隣に並ぶものという概念を単純に表すほかに、隣家や或いは隣人、もしくは近隣の物質的、精神的要素のことをも指すのである。この精神的な要素をも指す、ということが重要であり、この人物が俗たる世のしきたりに淫することを避け、己の清らかなる心をそのままに過ごそうとする決心を示すものとして、この、鄰竝少なし、という語句が存在するのである。これもまた、李凝という人物を描写するに必要な語句であろう。
草径というと、草は茎の確かでない植物を指すほかに荒い様や荒れている様をさし、径というと、それは車を通せないような小道のことを指す。つまり、草の茂っている整備の行き届いていない小道であると謂えるのだが、これもまた、李凝という隠士がどれだけ人との係わりを断ってきていたのかという時間的、空間的隔絶を指すものとして機能する。この径がどれほどに荒れ果てているのかが、つまりはこの李凝という人間の清廉さ、潔白さを表すひとつの表徴なのだ。
その表徴物としての性格を配した物の行く先は、同じく荒れた模様の庭園である。ここに「入る」という言い方をするのもやはり意味があって、これが例えば「繫がる」という言い方をした場合には、単純な物質間の干渉に過ぎず、そこには雅意というものが無くなってしまう。それを「入る」というと、それは物質的な干渉だけではなく、精神的な干渉をもするということに他ならない。つまり己の身が相手の心情的な縄張り、相手の感傷の中に入るということなのである。これは仮令相手が朋友であろうとも絶対不可侵の場所に入っていくのだという気分を助長させるものであり、相手が潔白の士であるからこその内的世界を垣間見たことを示すものなのである。そして、荒園が示すものとはいったいなんであるのか。それは粗雑さでもなく、野卑さでもなく、自然的で泰若で在るということなのである。隠士というものは雑然としたものを好まない。粗雑でないというのは有りの儘であることである。それを示すにはいかんたることをするのか。それは詰まるところ「何もしない」という究極の「行為」をすることである。これは難きに他ならない。人というのはなまじ天性の賢さというものを持つが故に、己の不満というものを見つめてしまう。そして、その不満を解消しようとするだけの頭脳を発揮するのである。しかしながら、それは泰然自若という本意に当てはまるのかと言われれば、そぐわない部分が少なからずある。人はどうやったとしても、己の不満というものは目視してしまう。つまり、泰然自若たろうとするということは、己の不満を見つめたうえで其れを己の胸裡に確と馴化させて、己からは何の行為をも示さず、最低限享受し得るものだけをより分けて身に受けねばならない。大抵の人であれば、これには耐えられないであろう。すぐさま人の成し得た栄華を誇って生きたくなるものであろうが、この李凝という人間はそうではなかった。静かな隠棲の時間を過ごし、己を誇らず、人を驕らず、ただ自然の趣くままに生きていくうちに、荒園が出来上がったのである。つまり、荒園というものが示すのは雑然としている状況ではなく、李凝という人間の老荘的な志向性の純粋さであり、現にそれを成しえているのだという蓋然性を映し出した景色の整然としたさまを表している。
このように示してきた景色の中に、動的な物質が映し出されるのが次の段からである。
鳥宿池中樹、この句もまた、単純に「池の中の樹に鳥がいるなあ」と感嘆しているわけではない。これは前の句までの荒れ果てた径や園との対比とも謂え、強調とも謂え、そして転換ともいえる句なのである。それは何故か。まずは対比としてのこの句は如何なる意味なのかを示さねばならない。
対比として言う場合、この句は前二段の荒れ様にひとつ、花が咲くように鳥の健やかなさまが映し出されるはずである。しかしながら、その様相を確かなものとするのには、鳥の存在をより明確なものとするために何か音をたてたり、動きを句中に認めなければいけない。例えば飛ばしたらどうだろうか。しかし、そうしてしまったならば前段までのある種の静けさと同居し得ることは無いのではなかろうか。つまりは、この句は明確に対比を表した句ではない。
しからば、この句は如何なる働きを明確にしているのであろうか。それは、これまでの鬱蒼とした世界の野趣というものを強調し、そしてその鬱蒼さが決して下卑たものではない、静かで涼やかなものであることの現れを落とし込んでいるのである。鳥というものは何かに驚けばすぐに飛び立っていく。しかしながら、その鳥が安眠の場としてこの場所を選び、宿としていること言うことが、この場所の存在感というものをより一層強めていると見れるのである。この句には、その鳥の宿としている処は池中樹であるとしたが、ふつう樹というものは水の中からすくすくと育つものではない。それを敢えてこう記したというのは、鳥の宿する樹の存在感を、池、もっと言えば水から想起し得る静けさや涼やかさとの同居、そして同一化の表現なのだ。つまり、ここでは鳥が池の中にある樹に宿しているという視覚的な情報以外は邪魔者になるのである。人の手の加わらない林というものは徐かである。それを音で侵すことはできない。それには羽を休め、巣篭って今にも眠ろうとしている鳥の姿こそが、ここまでの詩句には必要とされている。
その静粛な雰囲気の中、僧は門を推すのである。それは如何なる処でか。月明かりの下で、である。
この語句を基にして、この作品全体を包む時間軸というものを示している。端的に言えば、夜である。そして、この門に向かうまでの道中は、昼の煌々とした光と、夕暮れの刺すような赤光とが混在してきたことも窺える。つまりは、この場面に於いて月の明かりがあるということが、ここまでの友人たる李凝に見えんと遠方より来た様を表しているのである。それは時間軸の移動を伴っているからこそ表しえているということは言を俟たないだろう。
さらに言えば、昼でないことでこの詩句に出てくる僧、即ち己が朋友と会うことをどれほど待ちわびていたのか、ということも表しうる。それは何故であるか。本来、友人と会うにしても礼というものが存在する。相手を蔑ろにするようなことはしてはならないし、またその手を煩わせるようなこともしてはならないのである。そのためには、この僧は夜になった時点で訪問をいったん諦めて、翌朝にその家を訪ねるべきなのである。しかしながら、それをしなかった。それは何故か。それほどまでに李凝という人物の身を案じていたからであり、その存在に焦がれて心をあせらせていたからなのである。それは李凝という人物が出来上がっていることを表す。この僧(自分)はどれほどまでに恵まれているのかという誇らしげな表情すらも見えてきそうな表現の仕方なのだ。
そして、その己を月の光が照らし出す。それは人物を浮かび上がらせるために仕組みであり、決して夜の暗がりであってはいけない。この物語にあっては、さんざん誉められている李凝ではなく、この門を推すだか敲くだかしている僧の内的世界こそが主役であり、相手の李凝は代名詞と言って差し支えない。
その後、この僧は橋を渡るのである。ここであえて「過ぐる」と表現したのは、渡るという言葉自身が川をわたるものである、ということから、この情景にそぐわないという判断もある。しかし、もっと重要なのは、この空間を包んでいる時間というものが俗世間とはかけ離れた流れ方をしているのだ、という表現であるということだ。この橋を過ぎた後の情景は如何であるのか、ということはそののちにしかと記してある。「分野色」つまりはその先は野趣に溢れる世界だ、ということである。この単純な語句の羅列だけであっても相当に世間との隔絶を表すことができるが、それを強調するのが、まさしく「過」という一字なのだ。古来より橋の掛かる処というのはひとつの分界点である。橋の此方と彼方との違いというものは鮮明なものであるし、もっと言えば異界、つまりは化外の土地なのだという印象すら持ち得ることがあるほどに橋の持ち得る印象というものは強い。そしてこの僧は、門を恐らくは通り過ぎたのち、その領域の分点である橋というものを「過ぎた」のである。もしも「渡」と書いたときは、あくまで一人の人間が橋という物質の上を歩行して川、あるいは池の上を渡渉したのであるという行為のみを表してしまい、これはあまりに味気が無い。これを「過」ということによって、その身体の移動という印象のほかに時間的な移動、そして空気の劇的な変化という三つの要素を織り交ぜて表現することができる。この僧が過ぎたのは水の上だけではなく、俗世と仙域との境界線の上をもなのだと捉えうるところが、この字の相違による受け取り方の違いの妙といえる。
「移石動雲根」ということは少々受け取るのに事前の知識がいるだろう。石を移すことによって、なぜ雲根が動くことになるのか、ということであるが、これは石を移動させたという行為そのものはさして重要ではなくて、その石がどういう石であるのかということを重要視した文句である。
雲を生じさせる石とはどんな石であるのか。それは硬質でありながら湿潤である、仙界に近いような場所にある石に他ならない。古来より、石は雲を生じさせるものなのであると云うが、しかしながら路傍にある石をそのまま空気に触れさせてみても雲が忽ちに生じるわけではない。では、どういった石に雲が生じるのかといえば、それは高山にあるような、普段より雲霞に触れえる処にある石だと謂える。あるいは、そう言った石の在るような巍巍たる山そのものを雲根と称することもある位で、そういった山々というものは神秘性を含み、人々からは仙の住む場所なのであると称されるような場所であることはその視覚的な、或いは踏破の困難性から必然だろう。そういった場所から石を移してきたということは、その場所へと踏み込んでいるということであり、その意味では仙と近しい場所に行ったことがあるのだ、ということから、この人がどのような理想を持っているのかということを表現することができ、かつそれを実行できるだけの懸命さがあるのだということを示すこともできる。また、この石自体が神秘的であることを示すことができるという点で、これのある庭園というものが相応に手の込んだ、その人自身の精神世界を示すために作られた場所なのであるということの視覚的な表現として存在し得る。
「暫く去りて」という事は、僧が訪ねた李凝という朋友がそこには居なかったことを暗に示している。もしかしたら、この語句以後が「推」と「敲」とを迷わせる発端となっているのかもしれない。もしも推すといったのならば、この僧は無人の庭園に何も言わずに入ったことになる。この僧は李凝が居ないことを確かめるためには相当深くにまで入らなければならない。つまり、奥に建てられた草庵の内部を窺い知れるほどに進まなければ、この語句は存在しえないのである。その反面で、これまでの荒蕪した径を行った中で、門というひとつの仕切りがあり、そこから野趣を施した庭園へと風景が一瞬のうちにがらりと変わるといった驚きを持たせるのであれば、やはり一度に推し開いてしまうほうが転換という特色を出すことができるはずだ。これまでの雰囲気を汲んだ、動的な語句であるといえる。
一方、敲くといった時には躊躇いを表している。朋友は居るのか、己を受け入れてはくれるだろうか。そういった不安というものをこの僧は感じながら門を触れるはずなのだ。そして、門の外にて待つ、という行為も発生することになる。そこにあるのは移動と体感する時間の停滞であるからして、これまで視点と時間の移動を動かしてきた中で、ここで足を止めるという静的な語句を介したうえで「暫く去る」という行為に移ることになる。しかしながら「僧は月下に門を敲く」といった後に「橋を過ぐるに野食を分かち、石を移して雲根を動かす」と言っているのであるから、結局は返事も無いままに、この僧は門の中に入っているという時系列的な事実を生じさせる。これもまた不自然な部分であるから、それであれば一挙に推すという言い方をしたほうが良いとも捉えられるのである。
つまり、これまでの流れを見たうえでこの言葉を評するのなら、この僧の動きの流れとして動のち反転した動であるのか、或いは動のち静を挟んで反転した動に転じたのかという問いかけを孕んでいるはずだ。
ともかく、この「暫去」という語句はこれ以前の表現的な問題を一挙に請け負う部分であるといってもよいであろう。そうであれば、いっそこの語句をも換言の対象とするべきなのかもしれない。
そして友の居する場所へ背を向けたのち「還来此」と決心する。いや「暫去還来此」という言葉自体がこの僧の発した言葉である。ここに込められた思いは友が居なかったということへの残念さの他にも、時宜を弁えなかったという反省も存在している。しかしながら一番に大きいものは、友はここに確かにいるのだという確信と、友に対しての思いの強さである。ここまでの道は荒れ果てて、来るにも苦労するような場所であった。しかしながら、またこよう。そういった感情というものがこの僧侶の腔には確かにあるということを表示しているのが、この語句の力強さの根源なのである。ここまで風雅であった詩歌の終わりに当たってこの語句が在ると、きっかりとした抑揚を生じさせることができる。もしも仮にであるが、何もこういった抑揚を生じさせずに「此僧還(此の僧還る)」としてしまえば、感動することは一切ない。それどころか韻音も履まずに終わってしまう唐突さがこの詩を吟じた者を落胆させることになるであろう。そういったことは詩を作るうえでは絶対にしてはいけない。
この語句を強調し、結ぶのが「幽期不負言」という力の籠った言葉なのだ。
幽期というのは記憶も幽かとなる期間のことである。つまりは永きに亘る、という時間的な表現であって、しかしながら「幽」という字を使うということは、この時間軸の所在というものが空間的な、もしくは絶対時間軸の上にあるものではなく、あくまでこの僧の精神世界の中に存在するものである、という表現なのだ。これが例えば「永期」だとか「長期」だとかいう含みのない語句をもって飾られたのであれば、それはそれで含まれる意味が「己がどれだけ待つことになろうとも」という主体的かつ自然体な表現から「時間というものが己らを分とうとしても」という客観的で理屈っぽい表現となってしまうことになる。それはこの詩の主人公である僧侶、あるいは主役である李凝という人間の精神世界を謳ってきたこの詩にあって、その雰囲気にそぐった表現とは謂えない。
そして、そういう永い時間も「言に負けず」と言い切って終わるのである。この言というものは単純な人の咽喉から発せられる情報を持ち得る音波の集合体を言うのでは無い。この言というのはそういった物質的なものではなく、己の胸中にある志なのである。その志とは友を想う仁の心に外ならず、もういちど草根を掻き分けてでも会いに来ようという友誼の強さから出でた決心であって、音韻というよりも剛情さとして現れたその胸中の感情の機微の一片を「言」と謂って、それが「幽期に負けることはないのだ」と言い止めてしまう。この僧侶がこれまで示してきたような李凝の隠士的な清廉さというものに負けない、同様の勁い心を持っているということを示した文句なのである。
さて、己はこの意味合いを持って作られている詩の中の一言を以って、この自然体の意味合いがどのように変化するのかということを留意していかなければならない。
先言したように、詩の全体の動きとして推と言えば動、動となり、敲と言えば動、静、動という動きの波の違いが生まれることに加えて、前後の語句が持つ雰囲気が変わることも振り返ることで見えてきた。
即ち、推といえばそれは視覚的な場面の転換として効力が発揮されて縦深の観が生まれるのに対して、敲といえば心情的な機微というものを写し取った句となり精神的な豊かさを持った詩句となるということである。
この違いのどちらを取るのかということであり、どちらのほうがより人の心情に届くのかということになる。
人というものはどちらのほうがより感情をゆすぶられるのであろうか。心情を謳うほうが良いのか、あるいは物体面から浸透させるほうが良いのか。
古来より、詩というものは己の心情を詠うものだと言われてきている。それに従うのであれば、ここはとうぜん敲くと言ったほうが良いということになる。しかしながら、それは殆ういことではないのか。心情を詠み、その心情が相手に届くためには、彼我の精神の同一性が求められるのである。つまり、この場合に於いては敲くという行為に対しての認識が画一化されていなければ、相手に対しての心情の伝播は正しく為しえないはずだ。
果たして、門を敲くという行為に対してそこまで複雑な表意があるのかという部分に関しては一考の余地があって、たとえばである。或る人に聞けば、敲くといったときに、それは軽く拍子を打つだけに聞こえたと言うだろう。しかし、他の人に言うと比較して暴力的な表現として聞こえるかもしれない。まるで借金の取り立てに来ているかのように聞こえることがあったのなら、それは己が意図したこの言葉の使いようとは大きく乖離した認識となる。そういった点でいえば、敲くといわずに推すといったほうが、まだその誤解を生む可能性は低いのではないかと想像する。それは何故か。敲くという行為は不均一な音韻の連続であるから其の発生の強さに幅を生じさせるのに対して、推すというときには均一な力法示唆を伝えるが故に其の想像し得る強弱の差に制限が付くからである。
風雅であるということは、一種の制限である。制限の内にその中で最大限、己の感情を揺さぶられる光景を心の留めおこうとしたとき、人は風雅を感じる。逆に言えば、風雅でないと感じるときは、その人は目の前にある物体、あるいは空気や感情の動きを単純な色彩や形式、そして文章としてしか表現しようがないからそう思うのである。簡単に言ってしまえば、風雅は自由ではない。己の感覚から、そういった形式や色彩、あるいは文章から逸脱したものを、人の頭脳は一色に風雅という言葉として受け取る、そう考えることはできないだろうか。
そう考えてみたときに、敲くという行為は推すという行為よりも自由である。力加減も対象も、すべてを己で決められるのに対して、推すという行為は己の力量という制限を受け、その行為を実践するだけの形状を持つ者にしか為しえない。単純に言えば、敲くという行為は恣意な一面を持つのである。これは、先に言った風雅とは一種の制限の形であるという理論に当て嵌めると、より勝手な印象というものを与えてしまうことになり得る。
そう考えてみると、心情的な側面も物質的な側面も持ち合わせる適当な語句なのではなかろうか。と、断じるのはまだ早計である。
まず考えるべきは、敲くという行為が物質的な側面を持ちえないという考えが適当であるかである。そも其れまでの段階で、ここまでの光景というものはしっかりと描写したうえで、そこに門がある、ということを言っているこの句に於いて、これ以上に過敏な視覚効果はいらない。そう考えたときに、必要な変化とは何か。これまでは状況を伝えるということをしてきたのだから、そののちは何か動的な行動を以って状況を動かすということをしなければならない。その行動は、何か劇的なものであるということが必要とされ、その為には間延びした微弱な力の連鎖である「推」よりも、歯切れのよい音の連鎖である「敲」のほうが良いように思われる。
そして、そもそも心情の描写に偏ったときに視覚的効果を生まないのか、という部分についても異論が出る余地がある。人間の一番の武器というものを考えたときに、それは想像力の豊かさであるということを言える。どのように理論的な考証であっても、どれだけ神秘的な体験であっても、それは全て人間の想像の中にあるのだということはできないだろうか。想像の産物が具現化、或いは胸裡を飛び出すほどに肥大化した時、人はその発揮されたものを己の中で、そして社会規範の中で名称を付けてきた。そして、それが集合したものがまた社会というものを作り上げてきたのだ。即ち、社会というものは、ある意味で人間の誇大妄想の上に立って居るのだということすらもできるはずだ。それほどまでの豊かな想像力というものは、野辺にいる獣よりも優れている部分なんだと言ってしまって良いだろう。現に、獣は人間のように豊かな社会というものを築き得ていない。そのことが証左である。
さて、そういった想像力を具現化するという行為ができる人間に対して、ある意味心情描写である「敲く」という言葉を言ったときに、それを果たしてなんの発展性も無い想像の仕方のみで済ますことがあるだろうか。この詩を詠んだ者が、この敲くという行為について考えたときに「これは一種の躊躇である」とか「友としても礼儀を欠かさなかったのだ」ということは簡単であろうが、それ以上に、例えば「その躊躇の根源とは何であるのか」とか「この李凝という人間はどのように礼を示すに適う人物となったのか」とか考えることも、また詩吟者としてするのではないだろうか。その運動は、この詩をより深遠な心理描写を持ち込むに至るもののはずだし、その想像思考は一種の具現化を果たして人々の眼前に鮮明に映し出されるはずなのだ。
物は物である。それは詩の表現としては大事な思考である。例えば木を擬人化して喋らせることは、極めて無粋とも謂える。木は木である。そして、その木がどこに生えているのか、どのように生えているのか、枝の広がり方や葉の付き方は如何であるのか。花は咲いているのか。そういったあくまで具象化されている物体としての描写を重きとするのは、この沈黙こそが雄弁であると信じているからである。しかし、それは物体を物体としてのみしか描写できないという一種の束縛である。推と敲の違いとは、その束縛を生かすのか、あるいは解放するのかという問題なのかもしれない──
気づけば朝であった。
外では鳥が啼いている。もしかしたら、この声も詩に織り込むべきなのかもしれないが、いまはそこに思考が及ぶまでは行っていない。もっと重要な問題が転がっているからだ。
しかし、物体描写をすることに近い「推」という言葉が束縛になりえるのだろうか。そもそも、門を押すという行為は開放する行為である。眼前の視界を塞いでいた物を、取り払うとまではいかないが、確実に損壊することなく除去する行為である。ならば、その詩を支配する宇宙論というものに於いては確実な開放行為であって、何か束縛を擁する語句ではないはずだ。物体的な描写に閉じ籠った表現であると謂えたとしても、そこに心理的な逼塞すらもあるという訳ではない。
ならば、それこそが適した表現であるのか、といえば「敲」という言葉にも強みがある。
先に言った通りで、「敲」には目前に迫った塞禦物である門というものを取り払うことなく存在させる描写である、という意義が持たされている。それは一見して塞いだ表現と謂える。それは物質的にも心理的にも、であるが、しかしながらそれは人間社会にの必須要綱である礼というものを存在させる言葉であり、それは同時に人間の考える倫理を展開させるものである。人間は倫理のないものには心を動かされない。門を推すという行為の描写にのみ留める、というのは倫理的描写を欠いていると謂える。そも、この詩というのは友を訪ねた時のことを詠ったもので、その間には確かな倫理規範というものが現れるような描写をしなければ説得力を持たせられないというのに、これではあまりにぶっきらぼうだとは謂えないだろうか。
ならば、やはり「敲く」のほうが良いのか。いや、違う。
「推す」という行為は人間の内的世界に在る宇宙の展開である。これまでの描写に在った状況描写と、この言葉からの状況描写との間には大きな差というものがある。それは、この言葉以後はただの物体を表す言葉から、詩独特の表現技法を使った描写に移るのである。例えば「石」を「雲根」と言ったり「長期間」のことを「幽期」と言ったりするのだが、これは単純に凝った表現をしたかったからなのだろうか、と言われるとそれは違う。やはり、詩の前半と後半では包む雰囲気というものが違っていることを表しているのである。これは詩を盛り上げるための文章技法的な工夫であると同時に、この僧が己の中にある宇宙観を発揮させたという表現にもなる。
はたして、門を敲いてこの宇宙観の広がる様を表現することはできるだろうか。それよりは門を推し開いたことによって視界が広がり、「野色」が広がったことに依って、この僧の頭脳が刺激を受けたのだ、とするほうが自然であると謂えないだろうか。そも、この詩的表現を当て嵌めえたのも、この「推」の一字があったからだということができ──そもそも最初に思い付いたのは此方の方であるのだから──この存在を崩すということは、この詩全体の空気すらも一挙に神秘的な宇宙論から、現実的な実在論に回帰させてしまう、という重大な問題をもたらすのだと考えざるを得ない。
かといって、敲くという行為が宇宙観を存在させえないほどに実際性の高い行為なのか、というとそれも違かろう。敲くも敲くで、それは自己の宇宙の展開であると謂えなくも無い。
そも、「宇宙」とは何であるのか。宇とは即ち屋根のことであり、宙とは即ち大空のことである。つまりは天空を覆う巨大な屋根のことを、この言葉は直接的に表現した言葉なのである。しかしながら、個人の実感にこれを適応させるのであれば、それは内的な己の思考の及ぶ範疇、あるいは実際に目にした物の感覚的な実在性を義するものである。ここで重要なのは物自体と己の理性とでは感じうる物が違うということである。仏典にもあるではないか、「空と色は相互なのである」と。
つまり此処で言いたいのは、門を敲くという行為は色に空を当て付ける行為なのであって、これが宇宙論を展開するに足りない語句なのだといえば、それは思考の欠如といって良かろう、ということである。
どちらにも宇宙を顕すだけの気魄がある。どちらのほうが、よりこの詩句に対して適しているのか、ということはこれでも測りがたい。
どうするべきか、どうするべきか。
そう考えるうちに気分が悪くなった賈島は、気分を良くするために、愛驢と外を散策することにした。
今日もまた、時間が過ぎるのが早く感じる。思えば進士の試験に失敗し、僧なって無本と名乗り幾年月。また表の世界に立ってみようと科挙を受けに洛陽に来てみたは良いものの、己の思い立った詩文で躑躅していることがなんとも恨めしく感じる。
僧推月下門、僧敲月下門と交互に言いながら歩いていた。どちらが良いのか、ということはいまだに決められない。やはり、詩という宇宙に相応しいのがどちらか、という問題は簡単には解決しようもなかった。
賈島は手を推しつ、動かしつ、その動作を懸命に繰り返してみても、やはり決めることができない。
この時、あまりに己の思索に耽っていた彼は、大尹の行列と共に歩いていることを知らなかったのである。
賈島はすぐさま、その脇侍をしている者に捕らえられた。この大尹は韓愈という人で、気性の烈しい人では無かったから、温和な、しかし威厳のある声で、この奇妙な人間に対して問いかけた。
「これほどの列を為しているというのに、気付かずに潜り込んでしまうとは何事か」
すると賈島は困った表情をして、これまでの己の思索の迹をなぞりながら、その口舌を使って韓愈の方向に発してみた。
韓愈は笑った。
「この者はなかなか見込みがある」
と左右の者に言うと
「どうせならば、轡を並べて論じようではないか」
と、その横に賈島が属くことを許した。
「それは敲のほうが良いだろうよ」
韓愈は賈島に向かって、馬を進めると同じくして言った。
「なぜですか」
と、賈島が訊ねると、韓愈はこう言った。
「友を訪ねるのに、礼を為さぬ者はいないだろうに」