5.森山ユリア
前期のテスト期間が始まるときには誰もユリアに声をかけなくなった。その頃には私よりもユリアの方が周りの人に嫌われていた。私は嫉妬されるどころか、同情されるようになった。けれどユリアは気にしていない。あるいは、私のように気にしていないふりをしているんじゃないかと思う。そうであってほしいと思ってしまう。
ユリアと私と同じ京都出身ということがわかった日から、私たちの間にあった敬語は自然に崩れ落ちてなくなった。似合わないと思っていたユリアの関西弁は、時間をかけてゆっくりと色気に変わった。
「このクソ授業、はずれやな」
そんな、ぶっきらぼうになったユリアの口調が私の脳を震わせた。
「サボったからなー」
私はできるだけ平然と言葉を返す。
「単位きつい」
「ユリアはこの後バイト?一緒に勉強しよ」
「えー優等生―いいよー、スタバ?」
「うちのマンションでしよ」
「勉強するって、嘘やろ」
見透かされてしまったから、私はほんとうのことを告白した。
「うん、ユリアを濡らしたい」
入学後、一人暮らしを始めてから人を家に入れるのは初めてだった。小学生の時によく友達を実家に招いていたが、それとは全然違う。ユリアには、内面の深いところまで見られてしまうから。
ユリアに、服を脱いで浴室に入って欲しいこと、そこでユリアを濡らしたいのだと告げた。それから、ほんとうはこの気持ちを我慢しようと何度も思ったけど、思ったことを行動にできず後悔するのはもう嫌だと思ったことも伝えた。高校生の時のあの忌々しい出来事も後悔も全部話した。
「濡らしたいってことは、からだ触ったりはせえへんの」
ユリアは少しも恥ずかしそうにも不審な顔もせず、当たり前のように尋ねた。
「なんか、それは違うかなって」
「私が女やから」
「ん、わからん、そうかも」
私はそう言って答えを誤魔化すことしかできなかった。
「男とはしたことあんの」
「何を、ないよ、あるんですか」
「もういい」
二人とも服を脱ぎ終わると話すこともなくなった。
ユリアは思ったよりも痩せて浮き出た鎖骨の下にテニスボールくらいの丸い胸が、左右に垂れている。ユリアも私の緩やかに隆起した胸をじっと見ていた。私のからだをどう思っているのだろうか。
ユリアの顔に向かってシャワーの水を噴射すると、ユリアは「ん」「ん」「ん」と声を出して、顔をくちゃくちゃにゆがめながら前髪をかき分けた。
シャワーから噴き出した水が鏡や水や掌に当たって、それぞれ別の音がした。その音しかしなかった。
顔と前髪だけひどく濡れて鼻水を啜るユリアは激しく泣いた人みたい。涙は嫌いだけど顔を濡らしたユリアは嫌いじゃない。色素の薄い髪が濡れて、束になった毛先から産まれた水滴がぱんぱんに太って、それから、ユリアと私の隙間に落ちた。私がシャワーでかけて、ユリアが産んだ。もう数え切れないくらい連続する水滴。もっと連なって一本の棒になる水滴。タイルに落ちて死んでいく水滴。ユリアは人間じゃない別の動物みたいにぼごぼご産み続けた。たくさん水をかけた。きっと私は誰かに産ませたかったのだ。
ユリアのからだが、曲線が濡れていく、濡れて、こぼれる。使ったことはないけど、ローションなんかより水をぶっかけるほうがたぶん気持ち良い。
ユリアの全身の皮膚を、私がかけたさらさらの水がつたっていた。陰毛の先から棒になった水がしたたっている。のを見て、少し考えた。私はユリアが好きなんだ。愛しているしほんとうはいろんなところに触れたいと思う。ほんとうに触りたい。触りたい。でも何か、足りない。やっぱり男の人じゃないと興奮しないのだろうか。何か、足りない。足りないと思うのは、ユリアとセックスできないからじゃない。小学校でバケツを蹴ってしまったときのあの引力がユリアにはないのだ。
シャワーの水を止めると、いきなりユリアは風呂場を出て、服を着ると髪を乾かさずに手早く荷物をまとめ始めた。
「ユリア?冷えた?」
私は嫌な予感がしてユリアの表情を伺ったけど、少しも顔を見せてくれない。何と言えば良いのかわからないまま、ユリアは脱衣所を出てそのまま玄関の扉を開けた。
からだもまともに拭いていないからTシャツが背中に貼り付いているのに、まるで何もなかったみたいに。ユリアはものすごいスピードで走ってマンションの角を曲がって見えなくなった。
「ユリア!ユリア!ユリア!待って!私が悪かった!」
って、何が悪かったのかわからない。慌てて服を着て追いかけようと窓から身を乗り出して叫んだ。返事は聞こえなかったけど、その代わりに強い風が吹き付けてくる。夏とはいえ、寒かったのではないだろうか。
その頃には私は少し冷静になっていて、また英語の授業で会えばいいと思っていた。だが、ユリアは英語の授業に来なくなった。文学部の人に聞くと、ユリアが中退したことを教えてくれた。連絡先は残っていたけど、もう会うことはない。