05. 混浴
僕は今、窮地に立たされていた。聖域についてはティアが詳しい。ここでの作法や決まり事なら、守るべきだということは重々心得ているつもりだ。しかし、僕にもできることとできないことがある。それは、僕が今まで培ってきた常識の中で、良識をわきまえるべきだと学んできたからだ。
小滝からさらに上流に登った先には、広大な湖が広がっていた。ティアは水中に飛び込み、僕を湖の遊泳に誘い出した。水の精霊の力によって、水中でも呼吸ができた。湖は驚くほど澄んでいて、様々な生き物が泳ぎ、水底には不思議な花々が咲き誇っている。僕はその幻想的な水の世界に心を奪われながら、彼女と一緒に水底にある洞窟を探検し、時間を忘れて遊泳を楽しんだ。
西の空が赤く染まり、二人で世界樹のふもとに戻った後は、夕食を共にした。と言っても、やはりここでの食事は聖果がメインだ。それから彼女の提案で、入浴をしようという話になったのが事の発端だ。
こんな場所に温泉でも湧いているのかと思ったが、連れてこられたのは近くの森だった。森の中には楕円形の穴が開いており、その体積は約12立方メートルほど。穴の周りは土ではなく岩のような材質で固められているように見える。どうやら人工的に作られたもののようだ。
ティアはその穴に水を溜め、次に炎の球を投げ入れた。手を入れ、温度を確認し終わると、僕の方に向き直りにっこり笑いながらこう言った。
「さ、入ろう!」
彼女はためらうことなくその場で服を脱ごうとした。
「ちょ、ちょっと待って! 何してるの! というか、これは何? まさか、ここで入浴をするのか?」
「そうだよ。外の人たちは眠る前に入浴するって言ってたよ。私も、湯に浸かるのって気持ちいいと思ったから、寝る前によく入浴してるんだ。ルーシアも外の人でしょ? 寝る前に入浴するよね?」
彼女は笑みを浮かべながら言った。確かに、入浴はする。こんな場所で湯に浸かれるなんて、ありがたいと思うべきかもしれない。しかし、入浴とは一人でするものだ。まして、女の子と二人でなど到底できるわけがない。
「入浴は確かにする、だがティアは女の子だろ! 女性と二人でなんて入れないよ」
「どうして? 私が女だとなんで一緒に入れないの? というかルーシア、私が女だって知ってたんだね」
「見ればわかるだろ! なぜ入れないかって、それは僕が男だからだ。男女は共に湯に浸かるものじゃない!」
ティアは聖域でずっと育ってきた。きっと外の世界の常識がわからないのだ。だから共に入浴しようなどと言うのかもしれない。しかし、いくら子供といえども、もう13歳にもなる女の子が、男と一緒に入浴するなんて、常識的に考えてありえない。ここは断固として断らなければ!
「ルーシア男だったの?」
聖天の霹靂!! ティアは僕を男として見ていなかったのか!?
「男だと、どうして一緒に入っちゃいけないの? 私子供たちと一緒にいつも入浴してるよ。一人で入るなんてつまらないよ」
「ティア、もしかして僕の事、女だと思ってた?」
「ううん、そんなこと思ってないよ」
「じゃあ、何だと思ってたんだ?」
「何とも思ってないよ。男か女かなんて、見ても分からないじゃない」
男女の区別がつかない? そんなにわからないものか……? しかし、彼女はずっと聖域で育ち、人との接触が皆無だった。そのため、男女の違いを学ぶ機会もなかったのだろう。
(だから分からないのだな……)
僕は自分にそう納得させた。
「ティア、ちなみに今までティアの周りにいた護衛や、スウェンや陛下も男か女か分かってなかったのか?」
「王は分かるよ、ルーシアのお父さんだもん、男でしょ。でも他の人は分からないよ。男か女かなんて、そんなに大切な事?」
やはりティアは男女の違いを理解していないようだ。だが、だからといってこのまま共に湯につかるわけには…… 僕は何とか断る方法を考えた。
「ティア、聖域の外では男女は共に入浴しないんだ。なぜかと言えば、女は男に肌を見せるべきではないと教育を受けるからだ」
「教育?」
「そう、学ぶんだよ。それが外での常識だ」
「常識って?」
「それは、一般的に人々が共通に持つ知識や、当たり前に行う行動のことだよ。そうしたことに背くのは、礼儀がないと思われることもあるんだ」
そう説明すると、ティアが興味深そうに僕の身体をじっと見つめた。彼女が何を考えているのか、僕にはわからない。
「肌、見えてるよ、私もルーシアも。男は見えても良いの?」
ティアが僕の手を握った。分かってて言っているのか、ごねているのか……
「手や足は出ていても失礼に当たらないよ。肌というのは、胴体や下肢といった身体の中心部分のことだ。それに、男だってむやみに身体を晒すべきではないさ」
「じゃあ、見せなければいいんだね」
彼女の言葉に、僕は戸惑いを隠せなかった。こんな展開は予想外だった。
何を言い出すのだ。いや、何を言うつもりだ…………
「服を着たままなら一緒に入れるよ!」
完敗だ。ティアの笑顔に抗う術も、更に彼女を説き伏せる話術も今の僕には持ちえなかった。このまま黙っているのも変だが、どうやって言葉を紡げばいいのか、僕には見当もつかなかった。彼女の前で立ちすくむしかないような気がした。
横で気持ちよさそうな鼻歌が聞こえる。服を着たまま湯につかるのは初めは不慣れだったが、一度入ってしまえば案外心地よいものだった。
「ルーシア見てみて~」
ティアが仰向けになって浮かんでいる。
「気持ちいいよ、一緒に浮かぼう~」
気持ちを楽にして、彼女のように湯に浮かんでみる。なんとなく悪くない気分だ。
「ティアが歌うから湯が浄化されて綺麗だな、これなら身体を洗う必要もなさそうだ」
「洗浄液、身体が泡だらけになって面白いよね。でも、毎日洗うのは面倒くさい。私は歌えば綺麗になれるから、それでいいや」
「まったく便利だな」
ティアと二人で湯につかる、こんなひと時も悪くない。森の中で、彼女の歌声が心地よく響き渡った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
もし少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と感じていただけたなら、ぜひブックマークと広告下の【☆☆☆☆☆】をクリックしていただけると嬉しいです。
皆さんの応援が次のストーリーを書く大きな励みになります。
何卒よろしくお願い致します。