02. 通信機の向こう側
「――――か、リ――殿下聞こえ――か? 応答して――さい」
一通りの事情をティアに説明し終わった時だった。突然ザザザーというノイズ音が響き、その後に第三者の声が割り込んできた。
「人がいるみたい!? 近くで声がしたよ!」
ティアが驚いたように目を見開き、きょろきょろと辺りを見回す。
「ご無事ですか? リセル殿下!」
先ほどよりも声が明瞭に聞こえるようになった。声の先を辿ると、胸元に付けられたチェーンブローチの存在を思い出した。これは自分から遠く離れた者と会話ができる通信機兼、僕の居場所を特定できる発信機の機能を備えた魔道具だ。
「ティア、ここに人がいるわけじゃない。この通信機から声が聞こえるんだ」
僕はチェーンブローチを外してティアの目の前に掲げて見せた。ティアの目は一瞬驚きから理解へと変わり、安心の表情が戻ってきた。
「マレクか、僕は無事だ。今は聖域の中にいる」
このチェーンブローチは、対となる通信機と会話ができる仕組みだ。通信相手は僕が暗殺者に襲われた時、身を挺して守ってくれた護衛のマレク。彼は信頼できる人物だ。今の状況を彼に伝え、なるべく早く王宮に戻らなければならない。
「聖域の中!!? ご無事なのですか? いえ、聖域の中ならお身体はご無事ではいられないでしょう!?」
相手の焦る声が通信機越しからでも伝わってくる。それはそうだろう。聖域と言えば、瘴気の中にいると言われたようなものだ。
「落ち着け、僕は無事だと言っただろう。聖域に住む少女、ティアに助けられたんだ。マレクも知っているだろう。一年半前、人間から我が国が主権を取り戻す際に、呪いを浄化した天族の彼女が瘴気の森から僕を救い出してくれたんだ」
「リセル殿下、元帥のウィルター・ドレヴ・マグダルフです。今の話によれば、殿下とティア殿は聖域の安全な場所におられるという認識でよろしいですか?」
近くにウィルターがいたらしい。僕が消息を絶ったことで、捜索隊でも結成されたのかもしれない。
「あぁ、ここに瘴気はない。何よりティアがいる場所だ。問題ない」
しばらく沈黙が続いた。というより、通信機の向こう側でウィルターが他の者たちと話し合っている様子が伺えた。通信機越しでは遠くの声まで詳細には聞こえないが、少なくとも護衛とのやり取りとは思えない会話だった。
「殿下、近くにティア殿はいますか? お聞ききしたいことがあります」
「私、ここにいるよ!」
ティアが間髪入れずに答えた。彼女は通信機から聞こえる声に興味津々といった様子だ。
「ティア殿、今、お二人がいる場所は聖域のどの辺りになりますか? 正確な位置を教えてください」
「ここは大陸の中心だよ」
「その場所は本当に安全ですか? 聖域には瘴気が充満していると聞きますが、今お二人がいる場所には瘴気がないそうですね。瘴気のある場所からどれくらい離れていますか? 人が暮らしても身体に悪影響はないのでしょうか?」
ウィルターのことばが続いた。彼の問いには、明らかに不安と懸念が滲んでいた。瘴気の恐ろしさを熟知しているがゆえに、彼は細心の注意を払っているのだろう。
「瘴気は大陸の周りを囲むように存在しているけど、ルゥイがいるこの中心はとても綺麗なの。瘴気のある黒い森まで行くには、ここからかなり飛ばないと届かないよ。だから身体に悪い影響はないよ」
ティアは少し微笑みながら、力強く答えた。その様子から、彼女がこの地の安全性に確信を持っていることがうかがえる。ウィルターの問いに対する彼女の答えは、通信機越しでもはっきりと伝わるだろう。
ティアが説明を終えた後、何やら向こう側で再び話し合いが始められた。その話し合いはかなり長引いている。一体何を話しているのやら……
ようやく話がまとまったのか、ウィルターが唐突に話を切り出す。
「リセル殿下、よくお聞きください。リセル殿下がおられる聖域の内と外では時間の流れが異なります」
その一言に、僕の胸はざわめいた。時間の流れが異なるとは、一体どういうことなのだろう。僕は言葉の意味を理解しようと、ティアの方へ視線を向けた。彼女もまた、驚いたようにこちらを見返していた。
「リセル殿下が敵襲に合い、疾走してからこちらでは優に2日経過しています。発信機の位置からリセル殿下の座標の位置を割り出し、聖域におられるということまでは分かりましたが、ずっと通信が繋がりませんでした」
2日も経過していたことにも驚いたが、確かに通信機がありながら、今まで連絡がつかなかったというのは気になるところだ。何か理由があったのだろうか? 僕はウィルターの言葉に耳を傾けながら、状況を整理しようと試みた。
「その理由は明白です。殿下がおられる場所が聖域内であり、そこは特殊な結界に覆われているからです」
初耳だった。聖域が特殊な場所だとは聞いていたが、まさかこの領域に結界が張られていたとは。それも普通とは違うらしい……
「そちらのチェーンブローチには特殊な呪印が施されており、殿下が通常では外部から干渉できないような結界の中におられたり、通信不可能な距離にいらっしゃる場合でも、特定者の血液と相互反応して距離や場所問わず互いにコンタクトが可能となる仕組みが施されています」
「特定者? 誰だ、それは?」
「龍王陛下です、現在この場に陛下はおられませんが、私の所持する通信機を通して陛下もこの会話を聞いておられますよ」
どうやら、父にもこの会話は筒抜けだったらしい。ということは、おそらく父の周りには国の重鎮たちもいるのだろう。
それにしても、父自らそのような呪印を施していたとは。それだけ僕の動向に気を配っていたということだろう。このような時期だ、用心に越したことはないということか……
「ただ、それでも聖域の特殊な結界に阻まれて、殿下と通信を繋げることがなかなかできずにいました」
「特殊な結界とは?」
「これは予測の範囲内ですが、現段階において、おそらくその結界は世界樹が自ら施したものであると推測されています。そうなると、当然結界内の時間の流れの操作も、世界樹が行っているとみて間違いないというのが今日までの定説です」
なるほど、世界樹は世界中の瘴気の浄化を一手に担うだけの力がある。聖域内の瘴気も、実は聖域の外で発生した瘴気を世界樹が聖域内に集約しているという説もあるからな。世界樹に時間の流れを管理できる力があると言われても、あながち否定はできない。
「先ほども言いましたが、聖域の内と外では時間の流れが異なります。そして、その時間の流れを音声のみ一時的につなげるのに、現在特殊な術式を展開しています。その術式を作動させるのに、少々時間がかかってしまったのです」
そういうことだったのか。どちらにせよ、外の者が僕を迎えに来るのは不可能だということは確定だ。時間の流れが違うのなら、なるべく早く聖域の外に出るのが賢明だろう。僕はチラリとティアを見た。また離れなければならないという現実に、胸の奥がチクリと傷んだ。
「リセル殿下、そちらは瘴気のない安全な場所だとお聞きしました。現在、王宮ではリセル殿下の消息が絶たれたことで、次期継承問題を如何にするかという議題まで掲げられています」
ウィルターの言葉に、僕の胸はさらに重くなった。王宮での議題が、僕の存在がいかに重要かを示している。だが、ここで時間を無駄にするわけにはいかない。ティアの助けを借りて、早く聖域の外へ出なければならない。
「僕はまだ死んでいないぞ」
「ごもっともです。これを騒ぎ立てているのは王弟派の一部ですが、リセル殿下が後に王宮に戻られても、また同様の事件が起きる可能性があります。むしろ、今回の一件を契機に、王弟派の動きがさらに激しくなることが懸念されます」
「陛下の立場が悪くなると言いたいのだろう? そうなる前に僕も早めに戻るつもりだ」
「いえ、むしろその逆です」
「は?」
「殿下の消息が不明のまま、相手を泳がせることにします。それが最も安全であり、現状で相手の出方を伺える最善の策だと判断いたしました」
「誰が決めたんだ!」
「陛下をはじめ、私や陛下の周りにいる方々も同じ意見です。先ほど、この会話が私の通信機を通じて陛下に繋がっているとお伝えしましたね」
やはり、陛下の周りには重鎮たちが集まっているようだ。今後の方針はすでに確定しており、すべての決定権は陛下の手中にあるといることか……
「それで、消息不明のまま僕はどこにいろと?」
「最も安全で、敵に絶対に手出しされない場所がありますね?」
「まさか、この聖域のことを言っているのか??」
「ティア殿、しばらくの間リセル殿下をお預けしてもよろしいですか?」
「ルーシアここに住むの? 私は良いよ、ここは安全だよ!」
ティアは、にこにこしながら通信機に元気よく返事をする。
「決まりですね。リセル殿下、少し不便はあるでしょうが、しばらくの辛抱です。こちらから連絡をするまで、そちらで待機を願いします。それから、この通話は長く繋いでいられませんので、事情をご理解いただけたということで、以上を持って通信は終了させていただきます」
突然の会話終了宣言に、わけもなく気持ちが焦る。まだ聞き足りないことだらけだ。
「は、え、ちょっ待――――」
僕が何かを言う前に、通信はプツリと途切れた。こちらから連絡を入れようと試みるが、うんともすんとも言わない。一体ここでどれほど過ごすのか、王宮の現状も詳しく聞けなかった。仕方がないと、横にいるティアを見やる。
「ティア、急な話で申し訳ないが、しばらく世話になるよ」
にこやかに頷くティアを見て、その表情に少し救われた気がした。
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