01. 樹洞の中で
“迫りくる黒い影。今足を止めれば、その鋭い切っ先が容赦なくこの身を貫き、僕はどこの地とも知らぬその場所で誰の目にも止まらず朽ち果てるのだろう。足を止めてはいけない。戻らなければ! どこに? 帰る場所はある? 王の権威は…… 嘘だ! 信じない! まだ何も成していない! 僕は、まだここにいる!”
瞼の裏がうっすらと明るむ。少しずつ瞼を開くと、美しいアメジストが目に焼き付いた。
「ルーシア、身体痛くない?」
「……ティア」
ティアがいた。もう会えないと思っていた人物が目の前にいることに驚愕するとともに、今いる自分の状況が理解できず混乱する。
「ここは、どこだ? 僕は確か聖域に迷い込んで、そのまま気を失ったはずだ」
現状に混乱しながらも、必死に自分の置かれた状況を思い出す。
「ここは聖域の中だよ。ルゥイが、ルーシアが黒い森で迷ってるって教えてくれたの。黒い森は瘴気の森で迷いの森でもあるんだよ。人は簡単に外に出られないし、ずっと中にいたら還っちゃうから助けに来たの」
「そうだったのか。ありがとう、ティア。これで君に助けられたのは二度目だな」
ティアはかつてゼーレに幽閉されていた僕を救い出し、その後、龍族の国であるバレイス王国も解放してくれた人物だ。ゼーレによって国王や国民は魔力を封じる呪具で縛られ、人間の悪しき力に支配されていたが、ティアの浄化の力で呪いを無効化し、王宮を奪還した。
彼女はその後も国中を浄化し、人々を解放した。さらに、ティアの浄化の力で世界に散らばった人間の悪しき力を無効化し、多くの国々を救ったのだ。そして彼女は、世界樹が守護する聖域に戻った。もう二度と会えないと思っていた彼女が、今目の前にいることに驚きを隠せない。
「それで、痛いところはないの? 私、たくさん歌ったし、ルゥイは大丈夫だって言っていたけれど、長く黒い森にいたなら身体とっても悪くなってたと思うから」
「あぁ、痛いところはないよ。ティアが浄化をしてくれたおかげで、身体についた瘴気もすべて抜けきったんだと思う」
周りを見回すと、どうやらここは室内ではなく、かなり大きな幹に囲まれた樹洞のようだった。床には井草のような植物が編み込まれて敷かれており、僕が横になっていたのは柔らかい布の上だった。身体の下に敷かれたその布は、柔軟性があってとても柔らかい。綿でも詰め込まれているのだろうか。身体の上には大きな布が掛けられている。明かりや家具のような物は何も見当たらない。簡易的な休憩所といったところだろうか。
僕が興味深げに辺りを見回していると、ティアが水の球を差し出してきた。ちなみに器はない。
「喉乾いてない? これ呑んで」
ちょうど水が飲みたかったから、ありがたくいただく。器なしで浮いた水に口をつけるというのも不思議な気分だ。
「ルーシアは、どうして黒い森にいたの? あそこは一度入ったら簡単には出られないんだよ」
ティアが気にするのも当然だ。僕自身、聖域に近づくつもりは毛頭なかったが、自分でも避けようのない状況だったため、致し方がなかった。だが、ティアには事情を話さなければならないだろう。
「話すけど、あまり驚かないで聞いてほしい」
ティアは静かに頷く。
「簡単に言えば襲撃に合ったんだよ」
「襲撃ってなに?」
「不意を突いかれて襲われたんだ。僕も王太子として、これまで国の復興のためにできることをしようとしてきた。各地の視察などもその一環だった。国の状況を知りたかったというのもある。今回は特に、国境沿いの辺境の町を視察していたんだ。だが、そこで襲われた」
「どうしてルーシアを襲うの?」
「少し複雑な話になるんだが…… 今、陛下の立場は盤石とは言えないんだ」
「ばんじゃくってどういう意味?」
「盤石というのは、非常に安定していて揺るがない状態を指す言葉なんだ。今の陛下の立場は、その逆で、様々な問題や対立があって、不安定な状況にある」
「王は国をまとめる偉い人でしょ? みんなはそれを知っているのにどうして安定しないの?」
「5年間人間に国を支配され続けた責任問題が今浮上している。つまりバレイスは、一度国を奪われているだろ? その責任問題を厳しく糾弾されているんだ」
「きゅうだんって何?」
「つまり、人間に国を奪われたのは王の責任だと激しく責め立てられているってことだよ」
ティアは真剣に話を聞いてくれている。ただ所々で眉間にしわを寄せ、考え込むようなしぐさを見せる。彼女は聖域の中でずっと暮らしてきたため、外の言葉や世界の常識、考え方などほとんど知らない。説明をするなら、ティアが理解できる水準で話をしなければ……
「王が責められると、どうしてルーシアが襲われるの?」
「陛下の責任問題を初めに責め立てたのは、王弟といって、王の弟だったんだ。彼は、陛下は今回の事の顛末の責任を取り、王の座を退くべきだと強く主張してきた。そして、新たな王を即位させるべきだともね」
「そくい?」
「新しい王を選ぶべきだって主張したんだよ。ちなみにそうなると、次期龍王の候補として僕が選ばれることになる」
「王の子だからでしょ?」
「そうだ。だが、王弟は自分の息子を次期龍王にしたいと考えている。本当は自分が次期龍王になりたいはずだ。それでも、王弟の魔力は現龍王には遠く及ばないことから、先王や諸侯たちに適任ではないと既に判断されている」
「王を決めるのにそういう決まりがあるの?」
「魔力の高さは王の資質を示す重要な指標だ。だからこそ王弟は、自分の息子を次代の王に推しているんだ。息子の高い魔力が、その後押しの理由だろうな。僕がまだ幼く、王位には適さないというのが彼の主張だよ」
込み入った話だ。王家の内情に触れる話に巻き込むのは正直気が引けた。しかし、こうしてティアに助けられ、この聖域にいる以上、今後の方針を決めるためにここに来るまでの経緯を話す必要がある。真剣に聞いてくれるティアに感謝の気持ちが募る。
「王弟は自分の息子を一時的に龍王にして、僕が成人したらその座は譲ると言っているが、それはどう考えても建前だ。彼にとって僕という存在は、王の座を脅かす邪魔な存在でしかない」
「王の子だから? じゃあ心根は誰が受け継ぐの?」
心根とは、読んで字のごとく心に植え付けられた根のことを指す。
創成の時、この地に国が成り立った際、世界樹はこの地に4つの木を与えた。それを人々は約束の木、御神木と呼んだ。御神木は世界の東西南北の各大陸に聳え立ち、各国を代表する者が代々その木を守護している。
世界樹は、守護する者の魂に自らの根を植え付けたと言われている。それを我々は心根と呼んだ。心根の所有者は世界樹とつながりを持ち、世界樹との盟約により、御神木が守護する地の安全と平和を報告する義務と使命が課せられた。人々が平和を維持し、それを心根の所有者が世界樹に報告することで、世界樹はその地を正常に浄化し続けるのだ。それが創成の時より、人と世界樹が交わした盟約である。
国の王は心根の所有者として、世界樹に国の成り行きを報告する使命が課せられている。それが王の役目であり、心根を受け継ぎし者こそが王であると認められてきたのである。
「陛下は王位を退くつもりはないよ。そして僕も、望まれるのであれば心根を受け継ぐつもりだ。僕は魔力も高いし、現状、最も次期国王にふさわしいと言われているからね。だからこそ、王弟にとって僕の存在が邪魔なんだよ」
「邪魔だと襲うの? 王をどうやって決めるのかは分からないけど、どうして話し合わないの?」
「さっきも言ったけど、龍王陛下が王位を退くつもりがないからだ。だからこそ、実力行使に出たんだろうな。陛下の有力な後継ぎがいなくなれば、自然と次期龍王候補として、自分の息子が挙がってくる。だから、王弟は僕の暗殺を企てたんだ」
次期後継がいなくなれば、陛下の立場はさらに危ういものとなるだろう。王家の未来が不安定になることは避けなければならない。僕は簡単に命を捨てるわけにはいかないのだ。
「暗殺って何? 襲うこと?」
「あぁ、そうだ。要するに僕がいなくなれば、王弟の息子が次の王になれるだろ? だから殺そうとしたんだよ。陛下にはまだ、僕以外に世継ぎがいないからね」
ティアは目を大きく見開き、口を開けてポカンとしていた。予想外の発言に驚いているようだった。襲われたと聞いても、殺されそうになっていたとは思わなかったのかもしれない。
「国境沿いの町を視察していたと話しただろ? 随伴している者の中に、王弟側の背信者がいたんだ。暗殺者に追われ、護衛もいたが相手は手練れだった。国境沿いまで迫られて、結界を越えるしかなかった。危険だったからそう判断したんだ。」
「飛んだの?」
「あぁ、飛んだ。飛翔は魔力を大量に消費するから、安定して飛ぶためには訓練が必要なんだ。僕はティアが世界を浄化している時からずっと、魔力の鍛錬を欠かさず行っていた。だから、それなりに安定して飛ぶことは出来たよ」
「じゃあ、どうして黒い森にいたの?」
「追手はかなりの手練れだった。それに人数も多くて、逃げきるので精いっぱいだったんだ。気づけば聖域まで入り込んでいた。それでも引き返すことは出来なかった。飛び続ければ魔力に限界が来る。追手は振り切れたが、戻るだけの気力はなくて、そのまま下りた場所が聖域だった。下りるしかなかったんだ、誤算だな」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
もし少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と感じていただけたなら、ぜひブックマークと広告下の【☆☆☆☆☆】をクリックしていただけると嬉しいです。
皆さんの応援が次のストーリーを書く大きな励みになります。
何卒よろしくお願い致します。