006:VS 老執事ハンス
ゴゴゴゴゴゴ――。
貴族家の屋敷と呼ばわるにしては小さく、しかし庶民の家とするにしては豪華すぎる邸宅。
その玄関口にて対峙するのは老執事然とした佇まいながら血に飢えた殺人鬼らしき眼光を双眸に灯したハンスと、彼の手から伸びている金属ワイヤーを握り背後の少女を庇うように立っている俺。
サグ・ブラームス改め、大悪党のヘルートは、同じく凶暴極まりない笑みにて口端を歪めていた。
「お嬢様、この少年は何者ですかな?」
執事が冷静な音色で、けれど俺の顔から一ミリたりとも視線を外さず問い掛ける。
「私が雇った、私の護衛よ」
「なるほど、それは厄介ですな」
冷涼な音色を返されてギリッと歯噛みする執事は、けれど気を取り直したようにまだ動きに無かった手を僅かに揺らすと指をクッと動かす。
俺はと言えば、応えるように手で何かを掴み取る仕草をした。
「これもダメですか」
「ああ、ダメだな」
指に絡み付く髪の毛ほどの細い針金。
俺は両手にあるワイヤーをグッと引っ張る。
少年の背丈などより余程長身の執事の体躯が牽引力に抗えず宙に浮く。
「ぬっ?!」
「そしてお前は勘違いをしている」
ゴッ!
「ぐぉあっ?!」
こちらに向かって飛んできた執事の土手っ腹に蹴りをお見舞いした。
すると盛大に吹っ飛ばされ、エントランスの奥に見えていた壁に激突、弾むように床へと墜落する。
「俺は悪党だ。だから戦るとなったら女だろうが老人だろうが関係無くぶち殺す。嘆くなら相手を間違えた自分の愚かさを嘆け」
力を失い撓んだワイヤーを床に落とすと悠々とした足取りで倒れたままの執事へと近づいて行く。
その歩調は手合いの指先がピクリと動いても変わる事が無かった。
「気をつけて! そいつはまだ何か――」
後ろから声を掛けられ僅かばかり顧みる。
瞬間に、床に伏していた執事が腕の筋力だけで3メートルもジャンプする。
「けけー! 隙ありいいぃぃ!!!」
「ふんっ、ザコが!」
――氣術、虎砲!
ボグンッ。
真上から襲い掛かってきた男の体躯めがけて握り絞めた拳を突き上げた。
タイミングは完璧。
奴が俺の隙を窺っている事なんて百も承知で、ワザと襲い掛かりやすい隙を見せてやったのだから当たり前だ。
執事の体躯が粉微塵になって飛散した。
彼の体内に流れていたはずの血液が盛大に辺りに撒き散らされ、或いは鮮度抜群の臓物が床一面におうとつを描き出す。
強烈な血の臭いを嗅ぎながら、俺は「くくくっ」と含み笑んだ。
“虎砲”は氣術の一つで俺が大得意とする攻撃手法だった。
拳の表面を氣でコーティングしながらも一瞬の溜めから放たれる技は瞬間的に数百トンもの衝撃と貫通力を発生させるのだ。
――と、設定資料集に書いてた。
俺としては本音を言えばもっとこう手に汗握るギリギリの戦いがしたかったのだけれど、後ろの方で観戦している10歳児を人質に取られるのは宜しくないと速攻でカタを付けさせて貰ったが、おかげで運悪く執事さんの殺害現場に居合わせてしまったメイド嬢たちが悲鳴を上げるなど阿鼻叫喚。
この混乱を鎮めたのはまだ入り口に立って動かないマリーちゃんである。
「落ち着きなさい!!」
良く通る声が屋敷の奥へと抜けていく。
恐慌を来していたメイドさん各位がピタリと制止した。
「この者は我が剣にして強固なる盾。我が忠義の徒です。そしてたった今、私の命により不遜なる輩は排除されました。皆の者、聞きなさい。当館の主人だった者達はかの者の裏切りにより既に他界しており、後は私が継ぐことになります。故に皆の者には己が進退を決める機会を与えましょう。留まるか、或いは去るか。早々決断なさい」
凜として気高い音色が堂内を震わせ、メイド達は各々がその場で新たなる館の主人を前に慇懃に頭を下げる。
――え、これ何ていう寸劇? いや茶番か。
俺は妙な成り行きに小首を傾げつつ、忠義の徒って要するに家来って事じゃんか、とか。単なる雇われ用心棒にどんだけ期待してんだこの娘ッ子は、とか。
色々と思う所はあったけど、兎にも角にも今は流れに乗っておこうと腹を括るのだった。